1990年11月27日、火曜日 21:00~
たった200メートルほどの距離を移動するのに30分も掛かっている。
中央線10両編成、電車は懐かしの201系。
その進行方向から数えて8両目に乗っていた私たちは、全長20メートルの電車を8両分這いずりながら通り過ぎて、漸く日野駅側の川縁に辿り着こうとしていた。
ホワイトシーサーペント? は、その巨体を時々電車に接触させてきたので、その度に立ち止まり揺れが収まるのを待つを繰り返しているうちに、漸く川岸に近い家々の屋根がシルエットとして見える位置まで来た。
日野の街は騒がしかった。
巨大な化物が現れて中央線がストップしたのだから、それは当り前で、多数のパトカーや消防車のサイレンが鳴り響いており、これに住民の避難誘導を行っている拡声器、子どもの鳴き声と飼い犬の遠吠え、それに多くの人々の声が遠くで混じったザワザワという落ち着かない音、上空からは複数のヘリコプターが旋回している音も聴こえる。
これら普段ならば耳障りな騒音が、今の私たちには街にさえ辿り着けば手を差し伸べてくれる者たちがいる、ということを教えてくれる救いの音に聞こえていた。
「確か、この辺は家が真横に見える位置まで行けば、そこが堤防の上だ。そこまで行けば土手を下って降りれるはず。あと一息。10メートルくらいかな。頑張って! 」
「はい。」
だが、ここからは慎重に進まなければならない。
街の騒音やヘリコプターの音で、私たちの移動する際に立てる音は大分目立たなくなっているが、化物が近くにいたら気付かれてしまう。
しかも、今、私たちが身を隠している先頭車両は多摩川橋梁を渡り切っておらず、土手に降りられる位置まで移動するには、化物たちとの間を遮るモノが何も無い線路の上を行くことになる。
ところで、私はここまで這ってくる間に、電車の繋ぎ目や車輪の間から僅かに見え隠れする怪物の様子を時々窺うようにしていた。
敵を知れば何とやらのつもりだった。
現在、ホワイトシーサーペントは、全長300メートルはありそうな巨体の半分近くを多摩川に浸し、残りを日野駅側の河川敷の上に横たえている。
驚いたのは、高さ約15メートルの橋脚と4メートル以上はある電車の屋根を遥かに超えるほどの太さであり、Serpent、大蛇というよりも、真っ白な大ナマコとでも言うべき形をしているらしい。
ハッキリ言いきれないのは、その下半分が橋に隠れていて確認できなかったからだが、形は大ナマコでほぼ間違いは無いだろう。
ナマコならば腹の歩帯を使って移動するはずだが、その巨体さ故か、私たちが移動している間、殆ど位置を変えずに電車の反対側で只管蠢動を繰り返している。
だから、ホワイトシーサーペントが脅威になるのは、その巨体に電車と橋梁が押し倒されてしまうのではないかという点だけだが、それは橋を渡り切ってしまえば問題ない。
厄介だったのは、ギガマウスの方である。
私たちが電車から脱出した前後には姿を消していたが、それから直ぐに戻ってきて再び電車の中で乗客たちの死肉漁りを始めていた。
僅かなドアの隙間から覗いたギガマウスたちの様子は、私が直感したとおり音に敏感な性質のようで、荷物や壊れた電車の一部が床に転がって音を立てる度、一々反応して襲い掛かっていく。
それだけで極めて凶暴な生き物だということが分かるが、生物としては実に不自然な形態をしていた。
2027年の日本語SNSで “口だけ蛇” と呼ばれていたが、正しく口だけなのである。
全長の5分の1ほどを占める頭部の構造は、上顎と下顎をシンバルのように合わせた形をしており、人間の身体を食いちぎれるのだから、鋭い歯のようなモノは備わっていると思うが、それ以外の構造が一切見当たらない。
食べた人肉のせいで下顎の根元が膨らんでいたので、ペリカンの咽喉嚢的な機能を備えているのかも知れない思ったぐらい。
それ以外、頭部には目も鼻も無く、蛇のようなピット器官らしきものも無い。
耳も無いのに、どうやって音を捉えているのか見当もつかない。
手足の備わらない身体は、蛇や無足類のようであるが、その体表は真っ白で、つや消ししたビニールかプラスチックのようにノッペリしており、ウロコのような構造は無い。
地面に対して滑り止めのような機能が無いので、蛇のように敏捷に自由自在に移動するというわけにはいかず、陸上では動きの鈍い生き物らしい。
かといって、ウミヘビのような水を切る尾も無く、普通の尻尾を備えているだけなので水中でも素早く動けそうには見えないのだが。
とにかく、色々と不自然な生き物である。
だが、ギガマウスが厄介なのは生態などではなく、その数である。
動きが鈍かろうが、生き物として不自然だろうが、多摩川橋梁に貼りついているギガマウスの数は100匹を超えるだろう。
それらが一斉に襲い掛かってきたのだから、乗客はひとたまりも無い。
おそらく生存者は他に一人もいないだろう。
私が助かったのは、直前に頭を過ったイメージというか、予感のおかげだった。
大袈裟に言うならば “未来視” とでもすべきだろうか?
どうして、そんなものを見たのか良く分からないが、もしかしたら時間遡行をした影響が出ているのかも知れない。
(何が安全で後遺症の心配なし、成功率100%だよ、嘘つき未来人め! )
でもまあ、未来視とは便利な後遺症である。
それなりに使えそうな能力なので、許してやることにした。
「このまま、渡り切れるかな? 」
アキラが線路の向こうを見ながら不安そうにしている。
僅か10メートルほどの距離が、途方も無い長さに感じられるのだろう。
「やつら、目で見て襲ってくるわけじゃないから、音さえ立てずに静かに移動すれば絶対に大丈夫だよ。」
そう言ってやったら、少し安心したようで、
「そうだよね。あと一息だよね。」
と、幾分元気が戻った声がした。
「さて、行こうか! 」
アキラが黙って頷くのを確認すると同時に、私は先に立って歩き始めた。
すぐ後ろに、私のジャケットの裾を握りしめたアキラがついてくる。
途中で何度か後を振り返ったが、化物たちが追い掛けてくるようなことはなく、暗闇に浮かび上がるホワイトシーサーペントの巨体と中央線の赤い電車が見えるだけだった。
そして、約10メートルを進むのに1分以上も掛かっていたと思うが、私たちは多摩川橋梁を渡り切って土手の上に立つことができた。
(いよぉ~し! とぉ~ちゃ~く! )
心の中でガッツポーズを決めながら、安定した固い地面を踏みしめた。
ここから、進行方向右手に見える斜道を下れば住宅街であり、そこから市街地まではそう遠くはない。
市街地へ行けば警察や消防や自衛隊がいるだろう。
そこに、この時空を超えた救助&脱出作戦のゴールがあるはずだった。
逸る気持ちを抑えつつ、音を立てないように気を付けながら、土手の上をゆっくりと進んで、二人して斜道の手摺りに手を掛けた時には思わずホッとして、その場で顔を見合わせて笑い出しそうになってしまった。
これで、ひとまずは最悪の状況を脱したような気がするので、暫く念頭から抜けていた2027年で未来人の男から受けた依頼について、確認でもしてみようかという気になった。
(アキラが助けるべき大事な人だったら、これで万々歳なんだけど、確かめようが無いんだよなぁ。)
もう、考えても意味は無いので、アキラが大事な人だったと思い込むしかない。
どうせ私が1990年でしたことの結果は、あと30年経って、Time communication device の交信可能範囲まで行かなきゃ分からないのだ。
(それにしても、あの未来人が言っていた置き石ってこういうモノだったっけ? )
もっと密やかで地味なモノだと思っていたが?
こんな怪獣映画の登場人物みたいな、スリル満点の体験をさせられるとは思いもしなかった。
これについては、あの未来人と30年後に再会できたなら、10発ぐらいは殴ってやらなければ気が済まない。
でも、立体映像じゃ殴れないのが悔しい。
何か腹を収める良い方法は無いものだろうか?
(しかし、こんな化物たちが現れたなんて、私が知っている1990年には無かった話だからな。これって、歴史が完全に変わっちまうんじゃないか? )
某国による、過去への干渉。
それは、スパイ活動のように密かな暗躍だと思っていた。
こんな大掛かりで派手な干渉がされているとは思いもしなかった。
しかし、これで2027年に起きていた海難事故も化物絡みであり、某国の陰謀だったのだということが分かった。
オーシャンプリンセス号やブラジル海軍のフリゲート艦で命を落とした者の中に、某国の未来にとって都合の悪い人間がいたのだろうか?
それとも、両船が無事でいることに繋がる因果関係に都合の悪いモノがあったのか?
いすれにしても、某国は、未来を都合良く変えるためには、どんな手でも使うらしい。
この中央線での事件も、“私が助けるべき大事な人物” 、そのたった一人を殺すために仕組んだ過去への干渉なのだろう。
あまりにも馬鹿げていて、人道上許されざる、常軌を逸した非道というべきである。
Time transfer device は、複雑な情報を持つ生物や機械などを送ることはできないという話だったが、
(某国が作った “送れるモノ” って奴が、あの化物たちか? )
ギガマウスの形態が不自然に見えたのは、人工生物だったからかもしれない。
その方面は疎いので、大雑把に推測するしかないのだが、ホワイトシーサーペントもギガマウスも、生き物ではあるが非常に少ない情報量で組み立てられた人工物と考えるべきだろう。
ウィルスや細菌の送り込みは自ら祖先たちへのリスクも大きいので避けたというが、人を襲って食う口だけのマシーン、これも粉うこと無き生物兵器である。
こんな、とんでもない未来からの侵略を知ってしまって、これから私は1990年代で、どんな顔をして生きて行けば良いのか?
何も知らないふりをして、平和を装って生きて行けというのか?
何とも難しい話である。