プロローグ 夢を見た
夢を見た。
日曜の昼下がり
職場から持ち帰った仕事を片づけている最中
不意の眠気に襲われて小一時間ほどの間
椅子に座ったままの姿勢で眠っていた時。
長い夢だった。
僅か小一時間で見たとは思えない
まるで一生分の時間を過ごしたような長い夢を見た。
その夢は現実と見紛うほどにリアルな夢だったが
いつも見る夢のように目覚めて直ぐ
殆どの記憶が泡のように消えてしまった。
僅かに覚えている夢の断片がある。
知らない家のリビングの
暖かに燃えるストーブの前で
見たことの無い長椅子に座り
私の膝を枕にして寝そべる妻の
長い白髪混じりの髪を指に絡めている老いた私。
ある晴れた日の朝
妻と並んで知らない家の玄関先に立ち
父親として大人になった息子の旅立ちを見送りながら
その成長を喜びながらも、一抹の寂しさを覚え
胸を熱くし、涙を滲ませる私。
共に人生を歩むことを決めた日の
輝くばかりに若く美しい妻の姿に
幸せな未来の到来を期待し
心を躍らせた私。
思春期を終えた年頃に
未だ幼かった頃の妻の手を引いて
夕焼けに染まった空を眺めながら
地平が見えるほどの遠くへ続く
真っすぐなアスファルト道を歩いている私。
そんな夢の断片が残っていた。
「なんか、妙な夢だったな。」
常に夢というものは、ディティールが大まかで、細かいところはいい加減で不安定に決まっているものなのだが、これらの断片について言うならば、現実と見紛うというか、そんな事実が本当にあったかのように具体的であり、妙にハッキリと認識できていた。
室内のレイアウト、玄関先から見た風景、壁紙の模様や家具の色形、髪の毛の手触りさえもしっかりと覚えている。
「でも、現実じゃねーし。夢だし。」
他にもあった夢の内容については目覚めて直ぐに記憶が薄れはじめ、既に思い出すことができないほど跡形もなく消えてしまっていたというのに、何故か消え残された断片が幾つかあって、それが夢にしてはやけにリアルだったということに不思議さを感じてはいたが、
「別にどうでも良いでしょうよ。夢なんか。」
気にするほどのことではないと思った。
夢など、いつでも眠れば勝手に表れて、好きなようにイメージを作って、見終われば忽ち消えてしまう。
今は消え残っている断片も、そのうちに忘れてしまうだろう。
「だいたい妻ってなんだよ。私は独身だぞ。一人暮らしのベテランだぞ。」
夢なんか気に掛けているよりも、仕事を終わらせなければならない。
明日までに終わらせなければならない仕事が幾つかある。
「直ぐに取り掛からなきゃ、今日中に終わらんな。」
机上のパソコンに向かい、キーボードのEnterを叩いてスリープから復帰させた。
真っ暗な画面から明るいログイン画面に切り替わるまでの、ホンの一瞬。
ディスプレイに映った自分の顔が見えた。
「あれ? 」
そこに見覚えのない顔が映っていたような気がした。
目、鼻、口、輪郭、髪型、どれを取っても私の顔に違いないのだが、何かが違う。
その違和感、寸法に例えればコンマ1ミリレベルの誤差の類なのだが、
「寝起きで顔が変形したか? 」
たぶん、そうなのだろう。
最近、体調も良くないし、ここ暫くの疲れが溜まっているようなので、それが顔に現れたに違いない。
「その程度のことさ。」
それよりも、今すべきことは仕事、仕事。
さっさと片づけて、さっさと寝て、今夜は夢など見ずに熟睡しよう。