2027年11月26日、金曜日 19:30~
『私は消えかけていると言っただろう? 』
男の顔は相変わらずラグが走り、ボカシが掛かっている。
これは、男の存在が不確かになっているせいだと言うが、
『私の存在が消えてしまえば、Time communication device の存在も、それの基になった理論も消えてしまう。某国にとって、脅威と成り得る要素が取り除かれる。』
それを狙って、過去の要所に置き石されてしまったらしい。
それによって、男がこの世に生まれたという事実が抹消されたのだと言う。
「その置き石とやらを、私がこの時代で取り除くのか? それとも、君が誕生するよう修正作業でもするのか? 」
そうではないと、男は首を左右に振った。
『置き石されたのは、もっとずっと過去。君がいる時代から半世紀も遡った辺りなんだ。Time communication device の交信範囲を超えているので、もはや取り除くことは不可能なんだよ。』
どの時代から発信しているのか教えてはもらえないが、Time communication device の交信範囲は、私がいる今がギリギリ限界ということである。
一方、Time transfer device は、今から半世紀以上も遡って物を送れるらしい。
もう、勝負あったような気もするが、
『奥の手があるんだ。』
その一言で嫌な気持になった。
如何なる場合でも、“奥の手” なんてモノは真っ当な手段であるはずがない。
それを実行する者に多大な負荷を掛けることで成立する手段と相場は決まっている。
私のその予想は的中していた。
『君が持つ意識を丸ごと過去に送る。37年前の君に、今現在の君の記憶を上書きする。簡単に言えば、君に “時間遡行” をしてもらうんだよ。』
男が言ったことを正しく理解するまでに数秒を要した。
理解し終わってから口を突いて出た言葉は、当然拒否なわけだが、
「いやいやいやいや、何言ってんの?! 勘弁だわ! 」
“時間遡行” というやつ。
昭和の頃、コレを題材とする著名なSF作家によるティーン向けのSF小説があった。
ドラマ化されたり、映画化されたり、アニメ化までされたほどの人気作だった。
それ以降、平成、令和を通じてマンガやアニメ、ラノベでは同様の設定を用いたSF作品が多数生まれ、“タイムリープ” などという小洒落た造語で呼ばれることもあるが、
「そんなことマジでできんの? いや、できたとしても、そういう頭ん中弄られるのって絶対に無理! そもそも交信範囲が限界だってのに、ここから37年前に行けるわけ? っていうか、これって通信機なんだよな? どうして、そんなことできんの? この時代で何かすんのかと思ってたけど、いきなり37年前ってどうゆうことよ? いったい37年前に何があるっていうのよ? 」
『質問が多いな。』
男の表情は見えなくとも、その口調で男が苦笑いしているのが分かる。
とんでもない要求をしておきながら、「笑ってる場合か!」と、怒鳴りたくなった。
『Time communication device の容量でも、人間の記憶を送るだけなら十分に可能なんだ。37年前の君の脳にプラス37年分の記憶を上書きすることも、大した負荷じゃない。問題があるとしたら、今の君の時間が交信範囲の限界なんで、そこから37年前に君の意識を飛ばすことはできても、連れ戻すことはできないし、それっきり交信もできなくなるということぐらいかな。』
一方通行の片道切符で37年前に送られて、そのまま放置とか有り得ない。
37年前といったら1990年。
私は25歳で、大学院生3年目。
そんな若い自分に、62歳のジジイの記憶や意識が乗っかるなんて、想像しただけで精神崩壊へまっしぐらだった。
それに、確か1990年と言えば総量規制でバブルを弾けさせた年のはず。
日本の失われた20年を、もう一度経験しろと言うのか?
とにかく拒否する理由があり過ぎる。
『Time communication device の使用による後遺症を心配しているなら、そんなモノは無いから安心して欲しい。
今の君の記憶を上書きするのも同じ君なんだから、拒絶反応なんてあるわけないし、既に何人かが時間遡行して、何の問題も無いことは実証されている。成功率は100%。
断わっておくが、人体実験をしたわけじゃないよ。
職務として使命を遂行するために志願して過去に遡ったんだ者が殆どで、他には今回の君と同じように協力を要請して承諾してもらった者たちだ。
人体実験の段階はそれらの前段階で既に済んでいたからね、安全は確認済みだったのさ。被験者はもちろん私だが、自分の人生を10年ほど繰り返してみて何の問題も無かったよ。』
安心しろと言われて、そうですかと納得できるような軽々しいことではない。
今まで事故が起きなかったとして、これからも起こらないという保証など無いだろう。
私が失敗例の第1号になるかもしれない。
『君の脳には既に段階を踏んで大量のデータを送信しているが、全く何の拒絶反応も見せていないじゃないか。37年前の君だって同じさ。』
「段階を踏んでって、今朝のと今のと? 」
『そう。最初は音声のみ。そして今は私の、こちら側でのリアルタイム映像を送信しているんだが。』
考え忘れていたが、確かにそういうことになる。
今見ているモノは、未来から私の脳に直接送り込まれた立体映像データである。
この映像の精度の高さから推測するに、何ギガ、いや何テラ、もしかしたらペタかも知れないが、相当量のデータが受信されているようだ。
にも拘らず、男の言うように、心身の異常を感じてはいない。
動悸も普通だし、頭痛がするとかも無い。
「だがな、無断で人の頭を弄るようなマネをする相手を信じて、快く協力してやろうなんて奴がいると思うか? いったい私に何の得がある?
言っとくが、こっちは半年後には、この世とオサラバするんだから、命が惜しいとは言わない。但し、死ぬときは正常な精神状態を保った自分自身のままで死にたいよ。
君が消えるって言うのは、気の毒だと思うし、未来の人類のピンチは分かるが、他を当たってもらえないかな? 」
言いたいことは言った。
本気で、本心で拒絶した。
男は黙っているが、何か考えているようであった。
私を、どう説得しようかと考えているのかも知れない。
だが、何を言われようが、意思は変えないと告げたつもりだった。
無言の時間が1分ほど続いた後、男が先に口を開いた。
『君に、何処まで話して良いのか、考えていた。』
私に協力を求めるのを諦めると言って欲しかったのだが違った。
どうやら、未だ食い下がってきそうなので、身構えて続く言葉を待った。
『君が半年後に癌で死ぬという未来は、本来無かった。』
「は? 」
話の方向が変わってしまった。
この男は何を言っているのか?
人類のためとか、未来を救えとか言って攻めてくるものとばかり思っていた。
だから、返す言葉が見つからない。
『君も薄々感じているだろう。過去に対する干渉により現在の時間が完全に書き替えられる途中の段階、つまり不完全な段階があるということを。君はそれを感じてるはずだ。
これまでの人生で、君が積み重ねてきた記憶に齟齬がある。どう? 違うかい? 』
そう言えば、さっき児童公園の立体映像の中にいた時、子どもの頃の記憶が二つ並んであったことを思い出した。
今に繋がる記憶と、繋がりようの無い記憶、どちらが正解かは明らかなはずなのに、何故か否定したくないと感じる懐かしい記憶があった。
『先ほどの三角公園の映像はね、君の幼い頃、君の実家の近所に実際あった児童公園に似せて作ったんだ。完璧に再現できていたわけじゃないが、今は未だ君の中にある本当の記憶を引き出すために作ったシチュエーションとしては、十分な効果があったらしい。』
昭和の風景でノスタルジーを擽るためとか言っていたのに?
そんな目的があったというのか?
未だ私の中にある、本当の記憶を引き出す?
「それって、もしかしたら! 」
『過去に対する干渉で、君の人生も大きく変わった。寿命も縮まった。今の君の人生は、本来の君が歩むべきものではなかったんだ。
今朝、私は音声メッセージとして君にそれを伝えたはずだ。』
それは、憶えている。
未だ耳に残っていて、鮮明に再生できる。
『オモイダサナケレバナラナイコトハナイカ? ワスレテイルコトハナイカ? ダイジナコトヲ、オモイダスベキデハナイカ? オモイダサナケレバ、シニキレナイトハオモワナイカ? 』
今朝は、それらの問い掛けに込められた意味を知ることはできなかったが、今は分かる。
私の心の奥底にあった、“封印された何か” 、
それが何なのか、漸く分かった。
「私は何故、死を恐れない? 」
「私は何故、生きることに執着しない? 」
「私は何故、人生をさっさと終わらせてしまおうとする? 」
そう、この私の人生は、本来の私が歩むべきものではなかった。
何者かによって書き換えられた人生、それが、これまで当然として捉えていた過去、私の成長と老いの過程、それら全てが人為的な干渉によって与えられたモノだった。
だから、それを失うことになっても、何も惜しくは無かったし、生への執着も起こらなかったのだ。
それはいつからだったのか?
おそらく、何十年も前に過去を書き換えられた時点から、私は自らの人生に対する興味と執着心を徐々に失いながら生きるようになってしまっていた。
全てが明らかになっていく私の中で、然るべき感情が芽生え忽ち広がっていった。
「私は死にたくない! 死ぬはずじゃなかった! 死ぬわけにはいかない! 」
他者の都合で捻じ曲げられた人生の中での死なんて、受け入れられるはずがない。
「口惜しい! 」
怨念とでも言うべき思いの籠められた、その一言が引き金になった。
突然、私は凄まじい混乱に襲われた。
錯乱したと言った方が良いのかも知れない。
数えきれないほどのフラッシュバックが生じ、それらの殆どが具体的に認識しようもないほどの細かな記憶の断片だったが、全てが失われつつある自分の本当の記憶だということは分かっていた。
子どもの頃から始まって、いったい何十年分のフラッシュバックだったのか?
全体を掴みきれないほどの記憶量、その中には、今の私には希薄な喜怒哀楽の強い感情、他者に対する愛情や哀しみ、それに激しい怒りや憎しみ、暴力的な衝動もあった。
それらすべてが凝縮され、一度に押し寄せてきた。
その圧力は激流となり、封印の扉を一斉に突き破り、私の脳内で濁流となって氾濫した。
大脳が思考を支えきれなくなり、身体の制御を手放してしまった。
口は利けなくなり、手足は麻痺し、姿勢を維持できなくなった。
頭を抱えて床に倒れ、身動きすることもできず、視界が掠れ、呼吸もできない。
『このままじゃ拙い! 実質二人分の記憶が脳内で解放されてしまっているぞ! 』
辛うじて生きているらしい聴覚で、男と、それまで姿を見せていなかった他の研究所スタッフたち? が、慌てて走り回っている様子が掴めた。
『猶予は無い! 今から君の意識を切り離して37年前へ送る。このままじゃ、君は壊れてしまう! 』
何やら男が勝手なことを言っている。
「・・・か・・・勝手なことを・・・す・・・じゃない・・・」
無理矢理口を動かして、拒絶したのだが、
『聴こえているのか? 良かった! しっかり聞いてくれ! 37年前の君がいる場所には、ある大事な人物がいる。その人物を助けてくれ。それで未来は救われる。もちろん私も救われる。そして、君の人生の大部分が修復される。』
「なに・・・言ってる・・・いやだ・・・って・・・言ってる・・・」
私の必死の拒絶は、完全に無視されたらしい。
頭がチクチクと痛むのは、電流のようなモノが脳に流し込まれているからか?
時間遡行とやらの準備が勝手に進められているのか?
『37年前で困ったことがあったら、“九段下マンションの204号 ”を訪ねてくれ。』
最後にそう告げた後、男が何やら難しい専門用語でスタッフたちに指示を出す声が聴こえた。
パチッ!
と、何かが弾けたような音が聴こえた。
それが、Time communication device の起動音だったのか? とは、後に推測したことである。
この時に、それを考える余裕など、あるはずがなかった。
起動後、一瞬で私の脳が数倍に膨れ上がり、さらに凄まじい力で圧し潰され、続いて細い管のようなモノの中に吸い込まれるような、奇妙な感覚を覚えながら、私の意識は薄れて消えてしまった。
男が最後に発した、見送りのような言葉が、途切れ途切れではあるが、耳に残った。
『シッカリタノムヨ・・・オ・・・ジイ・・・サン・・・オバア・・・サンニ・・・ヨロ・・・シク・・・ 』
次回のお話から1990年へ舞台を移動します!