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癌で余命宣告された私が時を遡って、美少女を助けたり、仲間と一緒に怪獣と戦ったりするお話 ~ RETROACTIVE 1990  作者: TA-MA41式
1990年に時間遡行した私が、初めに巻き込まれた事件と出会いのお話
10/82

2027年11月26日、金曜日 17:15~ 

 仕事の帰りのサラリーマンや、夕食の買い物を終えた人たちが行き交う時間帯。

 小田急線生田駅北口から津久井街道に出てくる人の数がだいぶ増えてきた。


 (もう良いだろう。)


 30分近くもコンビニから外の様子を窺っていたが、こちらに意識を向けてくるような者は見つけられなかったし、ホームで感じたような悪寒も感じなくなった。

 これで100%安全になったとは言い切れないが、このままコンビニに居続けするわけにもいかない。

 アルバイト店員たちは顔見知りなので、もう暫く立ち読みしていても文句は言われないだろうが、全力疾走した後の立ちっぱなしで、いい加減に足が疲れてきていた。


 (帰るか。)


 さっさと帰って、閉じ籠ってしまえば良い。

 そうすることに決めて、コンビニを出掛けに買い物を済ませた。

 夕刊紙1冊、弁当1個、歌舞伎揚げ1袋、それに私には珍しいことだが、1リットル入りのペットボトルコーヒーを買った。

 今日は心身ともに疲れてしまったので、コーヒーメーカーを弄る手間を省きたいと思ったのだ。


 (まったく、今日は調子が狂いっぱなしだわ。)


 溜息を吐きながら商品が入ったエコバッグを肩に掛け、自宅に向かって歩いていた。

 津久井街道を生田歩道橋で右折、暫く行った先にある四叉路の三つに分かれた道の真ん中を進み、細い坂を登った先にある住宅街に入った。

 街道沿いに比べたら通行人も減ったが、無人というわけでもない。

 万が一のことがあれば、助けを求められる人もいるし、営業中のお店もある。


 (もう、悪寒に襲われるようなことも無いみたいだし。)


 時間が経ってみれば、私を走らせた悪寒についてもあやふやに思えてきていて、いったい何を怖れて逃げようとしたのか分からなくなってしまっていた。


 (まあ良いや、もう少しで家に着く。)


 自宅まで残すところ2、3分。

 歩き慣れ、勝手知った近所の道である。

 今更珍しいモノなどあるはずもない日々の通勤路のはずだった。

 ところが!

 この時、何気なく目をやった住宅街の隙間、小さな路地の向こうに違和感を覚えた。

 

 (あれって、児童公園だよな? )


 毎日のように行き過ぎて見慣れている風景の中で、これまでの記憶に無かったモノを見つけた。

 

 (あんなん、あったっけ? )

 

 生田に引っ越してから20年近くにもなるのに覚えがない。

 もっとも、自宅の近所とはいえ、普段は何も考えず、風景など気に留めることも無く、漠然と歩いている道筋なので、見落としている情報など沢山あるだろう。

 日頃、町内を隈なく歩き回ったりしているわけではないので、ホンの少し裏道へ回れば、見たことの無い風景、利用したことの無い施設やお店、それこそ児童公園ぐらいあって当たり前なのだが、この日の私の感性は、いつもとは少し違っていたのかも知れない。

 早朝と先ほどの一件のせいで、常よりも神経が過敏になっていたに違いない。

 だから、取るに足らない、普段なら見えていても気に留まらないような、面白くも何とも無い風景が、妙に印象深く鮮やかに見えていたのかも知れない。

 だから、コンビニを出るまで感じていた身の危険と、それに伴う警戒心を忘れてしまうほどの大事だったのかどうかはさておいて、この時の私が自宅とはやや反対方向に向かう路地へ足を踏み入れ、その児童公園に寄り道していこうと思ったのは、それをすることが、何か深い意味を持った行動のように感じられたからだった。


 迷いなく誘われるように足を踏み入れた、徒歩10数秒で抜けられる短い路地の先。

 確かに周囲を住宅に囲まれた小さな児童公園があった。

 100坪くらいの小さな空き地を大人の腰の高さほどあるパイプフェンスで仕切り、3人掛けベンチが2つと、2連のブランコが一基、それと高さ4メートルほどの柳の木が一本、水飲み場が1つだけ、実に小ぢんまりとした児童公園である。

 一応、芝生も植えられているが、殆ど手入れはされていないようで、園内に足を踏み入れると雑草と混じり合って伸びきった草むらに足首まで埋まるほどだった。

 その逆に、ベンチやブランコの周辺は芝生が剥げていて、土の地面が剥き出しになってしまっている。

 “三角公園” とペンキで手書きされた入口の看板どおり、その敷地は底辺が短く縦に細長い二等辺三角形をしているが、底辺の位置にブランコ、頂角の位置に柳の木があり、2つのベンチは等辺に沿って向かい合わせ、中心点に水飲み場を配置するという、人為的というよりも全てが機械的に整えられたように感じられる没個性的でシンメトリなレイアウトが、街の児童公園であるにも関わらず、訪れる者に奇妙で不安定な印象を抱かせそうである。

 おそらく、宅地と宅地の隙間に三角形の使えない空間ができてしまったので、そこを無理矢理、児童公園に仕立てたのだと思うが、施工担当者が無駄に几帳面な性格だったので、こんなレイアウトができてしまったのかも知れない。


 (でも、なんか良いじゃない。)


 レイアウトはともかくとして、今どきの手入れが行き届いていて、子どもの遊び場兼若いママさんたちの社交場になっている小ぎれいな児童公園よりも、うらぶれて適当に荒れている感じが昭和の子どもたちが集まって自由奔放に過ごしていた遊び場が思い出され、懐かしく思える。


 (あれ? 私は子どもの頃、友だちと公園で集まって遊んだことなんかあったっけ? )


 懐かしさを感じていながら、何故か思い出が無い。

 ある程度の歳を経た大人の目から見れば、児童公園などというモノは自分とは直接の繋がりが無くとも、ノスタルジーを覚えるようにできているのかも知れないが。

 変だなと思いつつ、スマホの時計を見たら時刻は17時半。

 11月末の陽は、既に大きく西に傾いていて、間もなく沈もうとしている時刻。

 児童公園の内には誰もいない。


 (一応、ブランコに乗ったことはあるはずだけど。)


 一人で乗っていたのか?

 誰かと一緒に乗ったのか?

 その思い出、ホントに確かなのか?


 (いやはや、歳取ると記憶がいい加減になってしまってダメだな。)


 苦笑いしながら、おそらく何十年ぶりかになるはずのブランコに腰掛けてみた。


 「こりゃ狭いなぁ、おっとっと、うんしょっと! 」



 座板は幼稚園児や小学校低学年ぐらいの子どもが座るのにちょうど良いサイズに作ってあるので、大人が座ると腰の辺りがチェーンの金具に圧迫されて窮屈である。

 もちろん、高さも子ども用なので、身長185センチの私が足を折りたたんで座ると、地べたに胡坐をかいて直座りしているのと見た目的に変わらない。


 (これじゃ、さすがに漕ぐのはムリだわ。)


 傍から見れば、随分格好の悪い姿勢になってしまっているだろう。

 それでもせっかく腰を落ち着けたのだから直ぐには立ち上ろうとせず、私はブランコに腰を下ろしたままエコバックを開け、歌舞伎揚げとコーヒーのペットボトルを取り出した。


 (随分と年季の入ったブランコだな。座板が木製だぞ。)


 意外に古くからあった児童公園なのかも知れない。

 それに、もしかしたら日中は意外に利用者が多いのかもしれない。

 木製の座板は尻の形に擦り減っていて、触ってみるとツルツルとしている。

 それに、チェーンの握り手やハンガー、支柱なども塗装が所々剥げ落ちて金属の地色が見えていた。


 (安全面や衛生面的にどうなの? 利用者から苦情は入らんのかね? )


 それにしても、60を過ぎた年寄りが、一人で子供用のブランコに座って飲み食いしようとている姿は、知らない人が見れば不審者に間違えられるかもしれず、お巡りさんに職質されても文句は言えないところだが、今は幸い誰も通り掛からない。


 (まあ、たまには、少しの間だけなんだから許してもらおう。)


 構わないことにして、歌舞伎揚げを齧り、ペットボトルに口を付けてコーヒーを飲んだ。

 こんな行儀の悪い道草もまた懐かしく感じられるのだが、


 (確か、小学校の頃、学校の帰りに近所の公園で友だちと買い食いしていたら、それをクラスの女子に見つかって、翌日、帰りのHRで先生に言いつけられて・・・ )


 そんなことがあったような気がする。

 だが、私は物心ついた時から友だち付き合いが悪くて、学校が終われば真っ直ぐ自宅に直行し、一人で本を読んだり絵を描いたりして過ごす子供だったはず。

 一緒に寄り道して、買い食いするような友だちは一人もいなかった。

 そもそも、社交的な子供時代を過ごした私など、現在の私にはどう考えても繋がりようが無いではないか。


 (おかしいな、記憶に齟齬がある。)


 別に重大な記憶というわけでもないが、妙な引っ掛かりを覚える。

 既に物心ついている小学生時代に関する記憶が、こんなに曖昧になるなど、もしかしたら認知症の始まりなのだろうか。


 (漠然と、子ども時代があったことは忘れちゃいないんだけど。)


 自分がどんな風に子供時代を過ごしたか? が、思い出せない。

 忘れてしまったというのとは違う。

 一つの経験に対して二つ以上の記憶が並行して進んでいて、どちらが本当の記憶か分からないのだ。

 まるで、異なる性格を持った自分が二人いるようで、一件につき片方の記憶を正しいとするならば、もう一方は辻褄が合わなくなるほどに内容も結果も食い違っている。

 しかも、どちらか片方を夢や妄想、勘違いと断じてしまえれば良いのだが、どちらもリアル過ぎて、胸に余韻が込み上げてくるような懐かしさまであって、なんとも割り切れない。

歳のせいで、テレビドラマや本で読んだ物語の記憶を、自分の過去の経験と勘違いしてしまっているのだろうか?

 年齢的に、その可能性は十分にある。

 少し怖くなってきた。


 (子どもの頃の私は、どんな大人になろうと考えていたんだっけ? )


 これもハッキリと憶えてはいないが、デザイナーになりたいとは思っていなかったし、美大に進学したいとも、大学教授になりたいとも思っていなかった。

 そういえば、美術が好きだったり、得意だったという憶えもない。


 (えーと? )


 滅多に気にも掛けない子ども時代の記憶を、改めて幾つか思い出そうとしてみたら、どれもこれもが不確かなモノになってしまっていた。

 これが単なる物忘れや思い違いなら良いが、もし認知症によるものだとしたら、残すところ半年の人生は癌と二重苦で辛いモノになりそうである。


 (ところで、あの頃って、自分が何に成りたかったかは全然憶えてないんだけど、成りたいと思ったら何にでも成れる可能性だけはあったんだよね。)


 未だ人間として未完成な子どもなのだから当然なことだが、余程適正から外れた希望でさえなければ、願って突き進めば大抵は適えられただろう。

 そのこと、子ども時代には考えもせず、未来に想いを馳せることも殆どなく、目先のことばかりを漠然と考えながら生きてきたのが、今更ながら虚しい。

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