セカンド ファンタジー (第5章 第7話)
小話――独立の兆し 四 酒場の間抜けなフィリップ(下)
ばちん。
軽やかな音が、心地よく響く。言わずもがな、フィリップが平手打ちをされたのだ。照れ隠しではない。女は、チャラい男が心底嫌いだったのである。
だが、フィリップにしてみれば、このパターンは初めてのものである。今までは、みんな自分に目を奪われたというのに……。何とも言えない新鮮な体験に、フィリップは少しだけ感動を覚えた。
そうして、彼がお馬鹿なことをしていると、店の奥から話に加わる者があった。この酒場の主人である。
「一人だけいるぜ。……と言っても、ドルートの人間だがな」
!
あたりを引いた。
ようやくの出来事である。思わずフィリップの胸は高まり、平静を装うのにいたく苦労した。
「ドルートって、敵国の人間じゃないか! それはちょっと困るぜ」
「そうか。なら、悪いが、あんたの気に入りそうな話はないね」
「いやぁ、でも……。背に腹はかえられない……か。話を聞こうじゃないか。でも、内緒で頼むよ」
言いながら、己がかぶっている帽子をくいっとあげ、格好つけてみる。そうしないと気が済まないのであるから、もはやある種の病気であろう。しかしながら、彼の期待に反し、頬に女のものとわかる手形のついた状態で、凛々しくふるまってみせる姿は、なんともまあ間抜けであった。ただし、フィリップ本人はいたって真面目である
それを見るにつき、先ほどの女は思わず吹き出していた。ぷふっという笑い声に気づいたフィリップは、彼女のほうに振り向いて、ここぞとばかりに言葉を重ねる。
「君が笑顔になれるなら、何度だって俺は道化を演じるよ」
とぅんく。
予想だにしないことだが、その姿に女は少しだけときめいてしまった。なぜ、こんな男を選んでしまうというのか、はなはだ理解に苦しむことだが、軽く胸を抑えているあたり、かなり強めに惚れてしまったに違いない。
勝った! そう思ったフィリップは、おそらく本来の趣旨を忘れているのだろう。そのやり取りに呆れることなく、淡々と話を進めだした酒場の主人も、おそらく只者ではない。
「男の名前はゼルフーロっつってな。そりゃ、有名だったさ。火の神ゼルフーロ、それがやつについた異名だった」
「大丈夫か? なんだか、そんな大層な名前の人物は、弟子なんか取らないような気がして来たぞ」
フィリップの発言に、納得する部分もあったようで、主人の口元には思わず苦笑が浮かぶ。
「まあ、そう言わず、最後まで聞けよ。……異名からわかるように、ゼルフーロは国の英雄だった。瞬く間に周辺の国を滅ぼして回った。ほんと、俺たちからしたら、死神みたいな存在だったよ。だが……ある時から、めっきり戦場に姿を見せなくなった。うわさでははやり病のために、長らく床に伏しているということだったが、本当のことはだれにもはわからん。ドルートは、その辺りについてのいい話を、あまり聞かねえからな。ひょっとしたら、往年の英雄といえども、使い物にならなくなったら斬首……なんてことも全くないとは言いきれねえ。ああ、くわばらくわばら。……お前さん、ドルートまで向かうつもりでいるなら、こっそり覗いていくんだな。大金を払えば、稽古の一つか二つくらい、あるいはつけてくれるかもしれないぜ? それも奴さんが生きていたらの話だがな」
しばし、フィリップは考えこむような仕草を見せる。
「……。英雄が納得するだけの大金となると、修行の対価としては、ちょっと高すぎやしないか? カルデアから金をもらう前に、俺が破産しちまうよ。まっ、今までは収穫ゼロ、まさにボウズの状態だったからな。話が聞けただけでも御の字とするさ。助かったぜ、ごちそーさん」
そうして、フィリップは硬貨を弾くように主人へと渡す。彼のポケットマネーではなく、経費であるために、ちゃっかりと飲み食いしていたのだ。
「毎度」
フィリップが木製の扉を開けて出ていくと、主人が店員の女を軽く小突いた。
「名前も告げねえ男を、簡単に信用すんじゃねえよ」
女はふてくされたようにそっぽを向くのだった。
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