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(8)マルバジオの町

 乳に伸びる手の恐怖に耐えられず、モニカはギュッと目をつぶった。


(だれか……!)



 ◇



 テッテピッコル村にいた時にも似たような目にあった。教会からの帰りに数人の男たちから囲まれ、すごまれたのだ。狭い村なので顔は見知ってはいるものの話したことはなく、またちょっかいかけられるようなことは全くに見覚えがなかった。しかし男たちの目には明らかな憎しみがこもっていた。彼らの憤りを言葉にすると「俺は清廉潔白であるのに、よくも誘惑してくれたな。悪の巨乳、許すまじ」である。


「……あ、あの。なんですか?」


 モニカはわけもわからぬうちに囲まれ、睨まれ、ただ怖かった。恐怖心いっぱいで、目には涙がたまっている。男たちはその様子にいっそう腹が立った。


「悪魔め!」


 巨乳は悪である。人を惑わす魔である。ならばその悪には鉄槌が必要ではないか? 男たちはこぶしを握りしめた。あらん限りの眼力をもってモニカの乳をにらむ。そう、これは正義の制裁なのだ。風紀を乱すけしからん乳を成敗するのだ。決して下心はない。どんな感触なのかとか、どれくらいの質量なのかとか、全然、これっぽっちも興味ない。揉みしだいたらとか考えたこともない。ほんとったら本当だ。


「おっふ」


 意思の弱いメンバーの一人が悪魔に魅入られ、小さく声を漏らした。真っ赤な顔を横に反らして双丘を視界から外す。


「この、よくも……!」


 一人がこぶしを振り上げ、モニカの胸倉をつかんだ。殴られる。モニカはとっさの事に体が硬直してしまった。しかし男は次の瞬間パッとその手を離した。胸倉をつかんでいた左手を凝視して叫ぶ。


「うあぁぁああ! 手にふわっとしたものがぁぁああっ!!」


 柔らけぇぇえええ、と自身の左腕を掴みながらゴロゴロ地面をのたうち回っている。その様子を見ていた他の男たちは一歩引いた。なんと恐ろしい乳なのだ。モニカは腰が抜けて座り込んでしまった。恐怖で震える体は両腕で抑えても、ぽろぽろと涙がでてくる。周りの男たちが、自分の身に潜む悪魔が、怖い。


 その時だった。

 

「なにやってんの」


 涼やかな男の声がした。モニカに絡んでていた男たちはびくりと肩を震わせたが、これ幸いとその場を走って逃げだした。モニカは助けに入ってくれた男を見上げる。


「ロメオ……」


 村で嫌われるモニカだが、近所に住むロメオはまだまともに接してくれた。しかし接し方は必要最低限である。村で人気者のロメオと嫌われ者のモニカ。彼らが仲良くして周りの人間がどう思うか想像するのはたやすい。昔から妹のように面倒を見てくれていたが、今はそうでもない。ロメオがかばって結果的にモニカにまた嫌がらせが増えるのだ。最近は特に関係も薄くなっていた。


「ロメオ、あの、」

「気をつけろよ」


 モニカに手を貸すこともなく去るロメオ。モニカはその背中にむかって小さく「ありがとう」と言うしかなかった。涙は止まらず、ぽたりぽたりと地面に落ちた。

 


 ◇



 (だれか……!)

 

 悪漢から羽交い絞めにされて、あと少しで乳をもまれるという絶対的ピンチ。しかし待てどもロブから触られた感触はなかった。まさか胸が大きくて少々触れられても感触が分からないのだろうか。不感という文字が一瞬頭をよぎる。いやそういうわけではなかろう。昨日の夜にクリスが胸に顔を埋めた時はなんとも言えない感覚があった。恐るおそる目を開けると、先ほどの姿勢からピクリとも動かずにいるロブの姿がある。しかし顔には驚きの表情を浮かべていた。どうしたのだろうか。彼の指先は確かにモニカの乳を触ろうとあともう少しの所まで迫っている。しかしそこから動かないのだ。怪訝に思っていると、モニカを拘束するエルマーノの手がわずかに緩んだ。


(今だ!)


 急いでそこから抜け出し、横になっているクリスのそばに駆け寄った。彼らに何か起こっているようだがモニカには分からない。ただ必死に男たちの魔の手が伸びないようにと、クリスに覆いかぶさる。

 

「……あ、れ?」


 男たちは何が起こったか分からず、急に身動きできなくなった自分の体をみつめた。かろうじて目は自由に動かせる。きょろきょろと辺りを見回してみても変わりはない。しかし手と足はろうで固められたようにピクリとも動かず、口もうまく動かせずにしゃべれなかった。


 可能な限り目を動かして異変を見つけ出そうとするも、ここにいるのは自分たちだけだ。あとは古臭い板張りの部屋、テーブルと椅子、陽の指す窓。部屋の隅には荷物がひとまとめ。時おり視界に入るキラキラしたものはクモの巣だろうか。エルマーレは深呼吸して冷静になれと自分に言い聞かせた。この部屋にいるのは大の男が五人。そして乳女とチビだ。モニカをさっきまで羽交い絞めにしていて、それまでは順調だった。いったい何が……


「まったく、いたいけな女子おなごになんてもの見せるんじゃ」

 

 甲高い声が部屋に響いた。クリスが覆いかぶさるモニカから抜け出し、むしろ守るよう前に出たのだ。宝石のような緑の瞳には剣呑な光が差している。


「しかもわしのモニカの乳をさわろうとは……けしからん」


 男たちはいきなりしゃしゃり出てきた小さな女の子に戸惑った。この身動きが取れないのはまさかこいつの所為なのか? いやいやまさかと鼻で笑いたいのに、それすらもできない。自分たちの理解が及ばないこの事態に、男たちは不気味な何かを感じ取った。


 クリスは振り返ってにこりと微笑むと、座り込んでいるモニカの頭をなでる。


「モニカが相手をしてくれたおかげでなんとかなった。もう大丈夫じゃ」


 いったい何が起こっているのか、分かっている者はクリスを除いて誰もいないだろう。モニカも間近で起こったこととはいえ、状況がまったく分からない。ただおっぱいを触られずにすんだという事は確実なようだ。自分よりも小さな子に頭を撫でられているのはなんとも言えない気持ちだったが、それでもクリスの顔を見て安心し、ほっと息を吐き出した。

 

「お……まえ、……な……」


 エルマーレが不自由な口をなんとか動かして声をだす。目はぎらぎらと血走っていて、明らかに怒りの色が見える。相変わらず動かない体に相当苛立っているようだ。


「お前なんぞに教えるかい」


 視線すらも寄こさずに、クリスはモニカの手をとり立たせた。そのまま手を引きすたすたと歩き扉の方へ向かう。モニカはひとまずされがままになった。


(助かった?)


 通り過ぎざまに腕を捕まれやしないかとビクビクしたが、やはり男たちは微動だにしない。

 

「この……ク、ソ……チビっ!」


 それを言ったのが誰かは分からない。しかしピタッと足を止めたのはモニカの前を歩く可憐な少女だ。クリスは「あ"ぁ?」とドスの効いた声を発し、男たちをギロリと睨んだ。その表情にいつもの天使さはなく、一瞬にして般若のように豹変している。モニカの手を離し、固まっている男たちの元へスタスタと歩いて行った。一体何をするつもりかと思えば、躊躇なくその股間にけりを入れた。


「ふぐぅ……!」


 どさりと音がして股間をけられた男が床に倒れた。仲間をみて青ざめる男たちの額に冷や汗がうかぶ。正拳突きの方が簡単そうだったが、やはり拳とはいえ男の股間に触りたくなかったのであろう。迅速な粛清ののち、男たちはもれなく全員、憐れにも床に崩れ落ちていくのであった。


「さ、下に行くぞっ」


 モニカに向けたクリスの笑顔はそれは輝かしいものだった。

 

 宿屋の出入口のところでちょうど帰ってきたウィリアムと会った。「部屋に不届き者がきたから転がしている」とクリスが説明すると頭を抱え込むウィリアム。いたいけな少女はからからと笑い、モニカを連れて町の飯屋を目指すのだった。

 

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