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(6)マルバジオの町

 婆さんは食い入るようにモニカの乳を見つめた。見ているだけで「たゆん」と音が鳴りそうだった。モニカは悪魔的である己を恥じて腕でさっと隠す。きっと良くない感情を持たれたのだろうと思うと悲しくなった。ここは女神チティティカが幅を利かせている町だ。テッテピッコル村に居た時のように、巨乳は邪険にされる。本当はなにか食べ物がないか覗いただけであったが、こうなってしまっては仕方ない。モニカは落ちていた商品を全て棚に戻したのを確認して、その場をあとにしようとした。


「ちょっと待った」


 出口に足をかけようとした時に老婆に呼び止められた。不思議に思って振り向くと、老婆はなぜか怖い顔をしてモニカの方を睨んでいた。


「ひっ……」


 その眼力に思わずすくむモニカ。


「あんた、もうちょっと手伝ってくれんかね。あたしゃこの通り腰が痛いんだ」

「あの、でも……」

「ここにハタキがあるから、片っ端から商品のホコリをとっておくれ」

「……はい」


 なにかものすごく理不尽なことを言われたような気がするが、モニカは老婆の迫力に押し負けた。どうせクリスからはゆっくり買ってこいと言われている。掃除をしたらささっと帰ろうと心に決め、モニカはハタキを手に取った。その様子を老婆はじっとりと見つめていた。

 

 そんなに大きくない店内にはごちゃごちゃと商品が並んでいた。先ほどのモニカが並べたのは木の食器だったが、ロウソクやマッチ、固形石鹸に歯ブラシ、染めてない麻布など色々とおいてあり、見ていて飽きなかった。できる限り丁寧にはたこうとするも、普段使わない筋肉がぷるぷるしてきて辛い。しかし背後に感じる老婆の視線の為にも必死で作業をこなした。番台に近い方は食べ物やお酒が売ってあった。意外に充実していて、量り売りの油、瓶詰のトマトに乾燥麺パスタ。ニンニクや赤唐辛子が窓際に下がっている。


(うわー、美味しそう)


 モニカは目をキラキラさせてそれらを見つめる。調理しないと食べられないものばかりだが、それでも食欲をそそるものばかりだ。茹でたてのあつあつ麺に、にんにくの効いたトマトソースをたっぷり絡めたものを想像して、モニカはお腹がぐうと鳴った。

 

「シンディ! ちょいと台所から昨日買ったパンとチーズを持ってきてくれないかい!」


 少ししてから、中年の痩せたおばさんが出てきた。おそらくシンディだろう。言われた通りの大きな丸パンとこぶし大のチーズを持っている。店に入った瞬間にモニカとその乳を目ざとく見つけて鼻をふんとならした。モニカは身が縮む思いだった。何も悪いことはしていないのに向けられる冷たい視線。慣れた事とは言え、心がすり減る。シンディは老婆に持ってきたものを渡すとそそくさと部屋の奥へ戻っていった。


「愛想がなくてすまないね。あたしに似てるんだ」


 老婆はパンとチーズを茶色い紙に包むとモニカに差し出した。


「手伝ってくれた礼だよ。掃除までさせて悪かったね」

 

 目を白黒させるモニカに、老婆はふんと鼻で笑った。そのしぐさが先ほどのシンディとひどく似ているのは親子だからだろうか。モニカは紙包みを受け取れずにいると、老婆は窓の外に目をやった。


「……むかし、娘がもう一人いたんだよ」

「え?」

「その子もあんたほどじゃなかったが、胸が大きくてね」


 老婆は苦汁をなめたように顔をしかめる。


「あたしの育て方がいけなかったんじゃないかと思って、あの子にはきびしくしたよ。しょっちゅう衝突してた。あたしもまっとうに育てなきゃって必死さ。それでもあの子の胸は大きくなっちまって」


 店の中はしんとしていて、余計に老婆の言葉がモニカにのしかかる。娘の話はとても他人事と思えなかった。


「あの子はこの町から出て行ったよ。娘と口げんかして、あたしはつい『出ていけ』って言ってしまった。そしたら本当に出て行っちまったのさ。あのバカは」


 老婆は窓の外の、ずっと遠くまで見つめているようだった。まるでいなくなった娘を探すように。


「……あの子が、なんにも悪い事していないのはちゃんと分かってたんだ。それなのにでかくなる胸があたしゃもう憎たらしくて憎たらしくて。飯を食わせなかったこともあったよ」


 モニカは老婆の瞳に涙がうっすらたまっていることに気が付いた。そんなモニカ自身も泣きそうだった。娘さんの気持ちがよく分かるし、実際モニカも家を出てきた身だ。モニカは母親とひどく衝突したわけではないが、それでも両者の間に流れていた空気は微妙なモノだった。母親ももしかしたらこのような葛藤を抱いているのだろうか。


「あんた見てたら娘を思い出してね。いいから、これは受けとんな。労働に対しての報酬だよ」


 言葉はきつくても、モニカに良くしてくれる老婆。それが娘に対する後悔の念からだったとしても、ひどく心を揺さぶられた。モニカはついにぽろぽろと涙がこぼれだした。


「泣くんじゃないよ、バカだね」


 モニカは涙をぬぐってこくんとうなずくと、老婆からパンとチーズの入った包みを受け取ったのだった。



 ◇



 紙包みを手に宿屋へ戻る途中、なんともガラの悪そうな青年達が道にたむろしていていた。暖かだった気持ちが少しばかり冷える。出来るだけ関わりたくないので、モニカがそそくさと通り抜けようとした。しかし。


「ねえ君、かわいいじゃん。この辺の子じゃないよねぇ、どっから来たの?」


 ニタニタと嫌な笑いをしている若い男に声をかけられた。そいつの後ろにも数人似たような奴らが居て、面白そうにモニカの様子を覗いている。ゆらりと体をモニカの前に滑らせた青年は通せんぼをしてきた。怖くて一瞬足が止まったが、小さく「すいません」と会釈してその場を去ろうとした。しかし行く手をさっきの男にはばまれる。


「なになにつれないじゃん。別に怖くないよー俺ら」

「ぎゃはは、お前それ説得力ねーだろ」

「うっせ、だぁってろ。な、いいじゃん、ちょっとお話しようぜ」


 仲間にちゃちゃを入れられつつも、若い男はモニカを逃がさない。しかも周りの男たちもモニカの周りに集まってきた。恐怖以外なにものでもない。前が向けなくてモニカは足元を見ることしかできなかった。そうすると青年たちはモニカのふっくらふわふわなアレを見つけてしまう。


「ちょい待ち、その子の胸かなりデカくね?」

「……わーお」

「なんだ悪い子だったのか~」

「俺らカモられるかも!」

「うわー、ひでー! あははっ!」


 モニカは怖くて仕方なかった。雑貨屋の老婆からもらった紙包みをぎゅっと抱きしめる。


「お前らやめろよ、この子震えちゃってんじゃん」


 そうは言っても心から心配しているわけではない。言葉の端々が楽しげだ。

 その時、彼らの後ろからぬっと大きな影が現れた。


「よぉお前ら、なにやってんだよ」

「エルマーノの兄貴じゃねえっすか。どもっす。ロブが女の子ナンパしてるんすよ」

「……ほー、これはこれは」


 エルマーノといわれた男は彼らより幾分か年上で、ガタイも良く、顔もしこたま怖かった。モニカの足元から頭のてっぺんまでゆっくり視線を這わせ、たわわな胸部に目をとめる。強面の大男はにやりと口元を歪めた。その視線ときたらそれはうすら寒くて、モニカはまるで蛇に睨まれた蛙のように怯えることしかできない。一歩足を引こうとして、思いとどまった。


(……自分で、どうにかしなきゃ。ロメオはもういないんだから)


 モニカは恐怖心をいったん飲み込んで、前を見た。誰かが都合よく助けてくれるわけがない。自分でなんとかするしかない。


(今だ!)


 モニカは男たちを押しやって走り出した。大きな胸が跳ねないように、紙包みごと両腕でぎゅっと胸を押さえて。とにかく逃げるしかない。あのままあそこに居たら、絶対に良くないことが起きる。宿屋の近くまでいけばクリス達が気づいてくれるかもしれないと心で願いながら、モニカは懸命に足を動かした。追いかけようとしたロブだったが、エルマーノがいさめた。


「いいさ。いかせてやれよ」


 兄貴分の言う事は聞いておかないと痛い目を見る。残念そうなロブとは裏腹に、エルマーノのねっとりとした視線はモニカの後姿をずっと追い続けていた。


「そのかわり、どの建物に入っていったかはよおく見とけ」


 大男の怖い顔には、舌なめずりがよく似合っていた。

 

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