(39)女神ボア
すっかり男の子になったクリスとその一行は、スペラーレの町へと無事に到着した。街は相変わらず人で賑わっているのだが、それにしても人が多い。何かあったのかとあちこち視線をやると、何やら人だかりがこちらへ移動してきている。楽器が奏でる音楽が聞こえ、どうやら大道芸人達が移動パフォーマンスをしているようだった。
「我ら、劇団メルシレスクラウンと申しますぅっ。不思議な縁をもちまして、スペラーレの皆さまへお目にかかりましたぁ。今夜の演目はあの『女神の悲劇』! 見るも涙、語るも涙の女神の物語を、どうかどうか見に来てやってくださいましぃ」
ジャグリングをしながら奇天烈な衣装を着た道化師が通り過ぎ、顔がそっくりな双子の女性が愛嬌を振りまきながら観衆に手を振る。その後ろには顔の厳つい大男とその肩に乗せられた小柄な女の子。身軽な少年三人組が代わる代わる側転やバク転を披露しながら、音楽隊が後ろからついて行く。
なるほど、これは目を引く。楽しそうにその行列を眺めるモニカと共に、クリスは興味深そうに目を細めた。
一際大きな歓声が上がる。見ると音楽隊のすぐ後ろから馬の背に乗った美しい女性がドレスを着て観衆に手を振っていた。ダークブロンドの艶やかな髪を背に下ろし、しっかりと化粧されたその顔は目鼻立ちがはっきりとし、意志の強そうな眉は形がいい。自信に溢れたその姿はまるで女王陛下のようだった。
「おー、美人じゃのー」
思わず呟く。この雑踏の中ではすぐにかき消されるだろう。その女王陛下はあちこちに愛想を振りまき、時折り投げキッスを送っていたのだが、ぽけーっと眺めていたクリスと目が合うと、妖艶なウインクをした。周囲の男達はそれにハートを鷲掴みされたのだが、
「ひえっ……」
なぜだかクリスが感じたのは悪寒。鳥肌を抑えるように両腕を抱けば、女王陛下は面白そうに微笑したのであった。
◇
モニカが街について一番に訪ねたかったのは、自分をよく面倒見てくれたエリ少年の所だった。一人で行くつもりだったのだが、他のメンバーがぜひついて行くとの事だったので一緒にエリが働いていたお店へと向かう。
「おい、エリ! いつまでも筋トレしてないで、配達行ってこいや!」
「うっせ。親父こそ軒先で懸垂してんじゃねえよ」
しばらくして店先に出てきた店主は筋骨隆々で上背もあり、刈り上げた短髪にたっぷりした口ひげ顎ひげも相まって熊のような男だった。
「あ、あの……すいません。エリ、居ますか?」
恐る恐るモニカが尋ねれば、店主は咆哮に近い大声でエリを呼ぶ。モニカは非常に申し訳ない気持ちになったきた。
「モニカ!」
店から顔を出したエリはモニカの姿を見つけるとパッと表情を明るくした。慌てて駆け寄ってきた彼だったが、最初にあった時よりずいぶん様子が変わったような気がする。
「エリ、ちょっと大きくなった?」
たった数日だが、体感としてエリが120%ほど大きくなったように見えたモニカ。背は一緒くらいだったのに、今は明らかにエリの方が大きい。身体だってどっちかと言えば線が細い方だったが、なんかこう、父親であるあの店主を彷彿させる雰囲気を出しつつある。
「分かる? 今身体鍛えてるんだ。身長もちょっと伸びたみたい。へへ、また会えて嬉しいよ」
わずかに頬を赤くするエリは、もはや青年と言っていい体格だった。声だって低く掠れている。将来的にはやっぱり店主のように熊みたいになるのだろうか。それはそれでたくましくていいかもしれない。
「おい、慣れ慣れしくモニカの手を握るな」
「なんだこのお坊ちゃん」
しれっと握られていた手をクリスは無情に叩き落とす。しかし年上の余裕からか筋肉による物理的ガードなのか、エリはまったく気にしない。それどころか預かっていた荷物を取ってくると言って笑顔で店の奥へと行ってしまった。ふてくされるクリスを余所に、それはそれは嬉しそうに荷物を手渡すエリであった。
しばらくこの街に滞在する旨を伝え、モニカは次の目的地であるジュリオの店へと向かった。色々と迷惑をかけたし、店の制服を借りっぱなしだったのでお詫びをしたかったのだ。
「あーモニカちゃん! おじさん会いたかったよ!」
くわえタバコのまんま、長い手を絡めてモニカを抱きしめるジュリオ。若干涙目だったが、それはモニカに会えて嬉しいというよりも、お願いだから店手伝ってという悲壮感からきていそうだ。腕の中で申し訳そうに言ったモニカの謝罪なんて聞いちゃいないだろう。
「モニカちゃん、まじでお店手伝って。もうおじさん倒れそう。特別にモニカちゃん手当出すから」
「あ、あの、私も働かせてくれる所を探していたので、ぜひよろしくお願いします」
「天使」
なお、このやり取りを見守っていたモニカの保護者三人の心境は非常に複雑だ。というかジュリオとかいう男が胡散臭くて仕方ない。そもそもなぜモニカに抱きついている。セクハラではないのかと真顔で考えているクリスにブーメランという概念は存在しないのだろう。
せっかくだからとクリス達共々店内へ案内してもらい、ひと休みさせてもらうことにした。軽食ぐらいだったら用意できるという事だったので、それを四人分注文する。支払いはロメオが村長から預かっているお金から出してくれるそうだ。
そしてなぜか五人前運ばれてきた料理。皆がハテナマークを浮かべていたら、その席にはジュリオがついた。おじさんも一緒に食べたいらしい。
「住む場所はあるのか? この建物の二階に部屋空いてるから、住み込みで働いてもいいぞ」
ボローナ地方で作られたという大きなハムの薄切り肉を挟んだサンドイッチを頬ばりながら、店のオーナーであるジュリオが言う。口の端についたパンくずをペロリと舌で舐めとる様子が子どもっぽいのだが、そんな中にも大人の艶があった。ジュリオが余裕たっぷりの表情で目を細めれば、モニカは頭を深く下げた。
「よければしばらくお世話になりたいです」
「んじゃ決まりね。んで、そこの悔しそうな少年はモニカちゃんのお友達?」
少年とはもちろんクリスのことである。ジト目で成り行きを見守っていたが、もうそろそろ口を出したいと思っていたのでちょうど良い。大きく頬張ったサンドイッチをもぐもぐしながら釘を刺す。
「店主よ、モニカはあまりモノを知らん。知らんからといかがわしい事させるなよ。しばらく様子を見に店に通わせてもらう。……これ美味いな」
しっとりとしたボローナハムの肉の旨味と塩気がパンに合う。極薄切りにしたハムを何枚も使ってあるので肉厚なのに柔らかい。さらにソースか何か塗っているのか、ジューシーでさっぱりした後味がたまらなかった。
「常連さんゲット〜」と呑気なジュリオ。その様子にまた悔しさがこみ上げ、クリスは口いっぱいサンドイッチを口に入れたのだった。




