第四話 『修行』
それから朔太朗は三度の当番をこなしていた。
例の不審者はその後一度も姿を現すことは無く、日々の様々な事案に忙殺され忘れ去られていった。
絵麻との食事も『また今度』と言ったきり果たせていない。なぜならその後の朔太朗は勤務後の帰宅を急ぐようになっていたからだ。
その原因は夢の中での『修行』であった。
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「よし、やるぞ!」
朔太朗は今夜も夢の中にやってきていた。
あれから夢の中で目覚める場所が泉に上書きされており、以後そこを拠点として活動している。
その後判ったことは自分の体をイメージ通りに動かせること。イメージが曖昧だと結果にも影響が出ること。イメージは自分の体にしか作用しないということだ。
従って念力で物を動かすといった手を触れずに第三者に影響を与えるような事はできない。
朔太朗は張り切って手足のストレッチをした後、森の中をビュンビュンと飛び回る。この一週間で移動のコツはほぼマスターしていた。
一回のダッシュで可能な移動距離はおよそ五十メートル。その距離をほぼ一秒で到達する事ができるので速度は秒速五十メートルということになる。
二、三歩程度の短距離ならほぼ一瞬で移動することも可能だ。
朔太朗は一通りウォーミングアップを終えると上空を見上げる。今日の課題は『上空へのジャンプ』と『着地』の予定だ。
深緑の天井にぽっかりと開いた窓に白い雲が穏やかに流れている。
「さて、最初は低高度からやらないとな。上空は目印が何もないから距離感が分からないぞ……」
朔太朗は目算でジャンプを試みる。
「このくらいかなっ!」
バッと飛び上がると、意図せず十メートルを超える高さに達していた。
「ヤバっ! 高すぎた!」
十メートルという数字だけを見れば大した事はないかもしれないが、人が恐怖を感じるには十分な高さである。
「落ちる!」
朔太朗は思わず地上に激突する未来を想像してしまい、案の定背面から勢いよく落下していく。咄嗟に受け身を取ったものの横隔膜に激しい衝撃を受けしばらく息ができない。
「——ゲホゲホッ。あいたた。死ぬかと思った⋯⋯。でもだいたいの感覚は解った気がする」
朔太朗は背中の土汚れを払いながら立ち上がり次のジャンプに挑戦する。
「よいしょっ!」
今度はもう少し低めにイメージすると、狙い通り五メートル程の高さに飛び上がった。
すかさず落下しながら、
「ふわっと着地、ふわっと着地と⋯⋯」
と、接地のイメージだけに集中する。
すると足に一切の衝撃を感じることなく着地することに成功した。その姿はさながらロケットの垂直着陸
だ。
「やった! この調子で少しずつ高度を上げていこう」
それから朔太朗は高度を十メートル、二十メートル、三十メートルと慎重に上げていきながら体を慣らしていく。
「よしよし、コツさえ掴めば怖くないぞ。次はどれだけ高度を上げられるかだ」
といっても五十メートル超の高度は十階建ビル並だ。恐怖でネガティブなイメージを持たないよう丁寧な着地を心掛ける必要がある。
朔太朗はこれまでの要領で順調に高度を上げて行き、最終的には地上百二十メートルまでジャンプすることができた。
「これが全力のジャンプだ。予想以上に高く飛べたな!」
この練習のもたらした一番の収穫は、百二十メートル上空から森の全域を見渡すことができたことだ。
森は広大な丘の上にあり、その規模は泉を中心に半径約十キロメートルはあるだろう。上空から見た森はまるで巨大なレコード盤のようだった。
「おや?」
さらに三時の方向には集落が確認できる。そこには生活感のある煙が立ち上っているようだ。
「目標地点決定!」
朔太朗は夢の中での活動を少しずつ楽しみ始めていた。