第十一話 『サウザンド・アロー』
サクは湧き上がるイメージに突き動かされるように駆け出していた。
斬撃を打ち消しながらタイミングを見計らって『キャンサー』の懐に仰向けに滑り込むと、素早く盾を展開し上空に向けて放つ。
「飛べぇ——!」
盾に打ち上げられた化け蟹の禍々しいシルエットが高層ビル並の高度に踊った。
サクは静かに瞳を閉じる。
——いいかい朔。君が大きくなった時、もしも邪悪な存在が君や世界に仇なす事があったなら、『心の弓矢』を持ちなさい。
懐かしい声がしたような気がした。
その声に導かれるように、サクは心の弦に矢を番え大きくそれを引き分けた。その重さに心身を緊張させながら、呼吸を整え、引くとなく、許すことなく、闇の中で気配を探る。
狙いは邪悪な波動の源だ。
「何だあれは⁉︎」
少し離れた位置から様子を見守っていたSATが声を上げた。
目を瞑ったサクの金髪が強烈に発光したかと思うと、上昇気流に巻き上がりグングンとその長さを伸ばしているのだ。毛束は何かを探すように宙を舞い、やがて一つに収束していく。
あっという間に一角獣の角のようなフォルムを前頭部に形成していた。
「見つけた!」
闇の中で一際邪悪な波動を捉えた。赤黒い波動の中心には荒々しく鼓動を打つ魂の存在を感じる。
——その矢は聖なる矢。邪悪な魂を打ち消す光の矢だ。
引き切った矢が殻に至ったその刹那、サクは大きく目を見開いた。
「——今だ!」
前頭部の角が光の矢となって放たれる。発射によって千切れた髪が広がり、光の粒子が舞い散った。
矢は一直線に光の筋を描いて落下中の『キャンサー』に突き刺さると、まるで標本台に固定された昆虫の様に空中で静止した。
「いけえぇぇぇ!」
続けて、動きを封じた『キャンサー』に向けて、広がった髪から無数の光の矢を放射状に放つ。一つ一つの矢の大きさは小さいものの、その数は圧倒的だ。
弧を描いて飛翔する幾千もの矢が『キャンサー』を球状に包囲した時、サクはその名を叫んだ。
「サウザンド・アロォォォォオ!」
空に向けた右手の五指を握りしめた途端、矢は一斉に中心部に収束しターゲットを襲う。それと同時に右手の甲に眩い紋章——人馬宮のシンボルが浮かび上がった。
ちょうどその頃、子供達を避難させた絵麻も規制線の側で空高く打ち上げられた『キャンサー』が金色の光に飲み込まれていく様子を見つめていた。
そこへ鼠入が息を切らせて駆け寄って来る。
「月岡! ハア、ハア⋯⋯。遅くなっちまった。どうなった?」
「鼠入先輩! それが『超常被疑者』が『化け蟹』になって、SATと不思議な青年が戦っているんです!」
鼠入は両手を膝について空を見上げた。
「⋯⋯あれは?」
「多分、あの人の力だと思います。光を使う金髪の青年の⋯⋯」
完全に光に取り込まれた『キャンサー』が、虹色の粒子と化してゆっくりと空に昇っていく。それが戦いの終わりを意味している事は鼠入にも理解が出来た。
「そうか。色々あったみたいだが⋯⋯あいつ、やったんだな!」
「先輩、あの人知っているんですか?」
「あ? ああ⋯⋯ちょっとな。しかし、これからが大変だぞ⋯⋯」
鼠入にはもう一つ不安があった。サクがここまで派手に力を見せた以上、警察も彼を放置できないだろう。ましてや今のサクは容姿が別人になってしまっている。今まで通りの『千光寺朔太朗』に戻る事は不可能な気がしてならないのだ。
そんな思案に暮れる鼠入が、思いがない人物を目にするのはこの直後だった。
サクは上空の情景を呆然と見つめていた。果たして術は効果があったのだろうか。唇が張り付くほど乾いていた。
「成功⋯⋯したのか?」
——上出来じゃ。『星の運命』の覚醒も始まったようじゃな。よくやったぞ。
満足気なアナマリアの声が心に響いた。
「良かっ⋯⋯た」
途端に緊張の糸が切れる。同時に激しい疲労感に襲われ膝をついた。どうやら術の発動は心身を極限状態に至らしめたようで、これ以上動く事も考える事も出来ない。
「スゲェぞ金髪! 今夜飲みに行こうぜ!」
そこへSATの制圧班が駆け寄って来ていた。労いの言葉を掛けてくれた隊員はゴーグルと目出し帽で素顔は分からないが、意外と若いのかもしれないとサクは思った。
「⋯⋯もう限界だよ」
「限界のところ悪いが、もうしばらく付き合ってもらうよ」
と、前に立った別の隊員がサクを見下ろしていた。声からしてもう少し年配の印象で貫禄がある。恐らく制圧班のリーダー格だろう。見上げると、その手に手錠を持っていた。
「君は身柄は我々の管理下にある。君が何者か取り調べをさせてもらうよ」
「——それではその身柄、こちらへ移送してもらおう!」
その時、一際通る男性の声が響き渡った。通りの向こうから、やけに姿勢の良い白髪長身の警察官が歩いて来る。その胸には金色の所属長バッジが輝いていた。
「獅堂署長⋯⋯」
サクは思わずその名を口にしていた。
「獅堂⋯⋯警視正⋯⋯」
流石のリーダー格の隊員も怯んだ。いくら厳しい訓練を積んだ精鋭部隊のSATといえど同じ警察官。せいぜい警部補が良いところの一隊員にとって警視正など雲の上の存在なのだ。
「我が東都署管内の被疑者であれば我々が調べをするのが筋ではないかな? 私の方から管理官にはお伝えしておくよ」
サクはそんな獅堂を唖然と見つめている。その後ろで、鼠入が控えめにVサインを見せていた。




