第九話 『キャンサー』
「ねぇ、俺、警察官なんだけどこの手錠外してくれない?」
例の耳鳴りを感じたサクは危機感を覚えていた。
しかしそれを地上のSAT隊員は黙殺する。というよりも、屋上の制圧一班の状況把握に集中していてそれどころではないのだ。
頭上から激しい銃撃音が響き渡った。
まるで一時の雷鳴の様なその音が鳴り止むと、嘘の様な静けさが辺りを包み込んでいた。
「マジか⋯⋯」
サクの前に立つ隊員が虚空を見つめ絶句した。
その様子からミッションに暗雲が立ち込めていることは容易に想像が出来た。スコーピオンの一件から推測して、凶悪な化け物が出現している可能性が高い。
静寂も束の間、今度は地響きに身体を揺さぶられた。振動はビルの屋上から伝わって来ており、まるで巨大な何かが暴れ回っているような激しさだった。
直後、不意に上空に二つの人影が宙を舞った。制圧一班の隊員が屋上の何者かに吹き飛ばされたのだ。
「うわぁぁ——」
重力に抗う術も無く落下していく二人。それを受け止めようと、地上の制圧二班が落下地点で待ち構える。このままでは両者無事では済まないだろう。
「まずい!」
サクはいとも簡単に手錠を抜け出すと勢いよく上空へ飛び上がった。
空中で一人目の隊員を抱えビルの壁面を利用して三角飛びの要領で地面へ急降下する。あっという間に二人目の隊員に追いついて救出に成功した。
しかし、そのままふわりと着地した矢庭、サクは自動小銃を構えた制圧二班に取り囲まれてしまう。
「——お前はあいつの仲間じゃないのか⁉︎」
「だから違うって言ってるでしょ」
「それじゃあ、その人間離れした力はどう説明するんだ⁉︎」
「そんな事より、無線で報告しなくていいの?」
立て続けに質問する隊員にサクは皮肉で答えた。間一髪隊員を助けというのに銃口を向けられ、いい気がしなかったのだ。
「チッ。K1からベース、P2、P3の無事を確認」
その時、巨大な影が辺りを黒く塗り潰した。
「上だ! あいつが来る!」
サクに救出された隊員が叫ぶ。
見上げると、逃した獲物を追いかけ巨大な影が跳躍したところだった。
それは四対の長い脚を駆使してその巨体からは想像出来ないしなやかさで着地した。一対の鋏、頭胸部から突き出した複眼——その姿は巨大な蟹そのものだ。ただ一つ違うのは、頭胸甲から人型の上半身が生えているところだった。
「なるほど、お前が地響きの正体か。差し詰め『キャンサー』といったとこかな」
禍々しい化け物の出現に現場の人間に戦慄が走る中、サクは一人呟いた。
そこへ屋上から降りてきた制圧一班の隊員が合流する。
「P1からベース、K班に合流完了。『マルチョウ』を地上に確認!」
一方、機動隊の守る警戒線の外には一般市民の人だかりができていた。それどころか事件を嗅ぎつけたテレビクルーの姿も見える。
絵麻は警戒線際まで退がったところで、鳴り響いた銃撃音に振り返っていた。一度目のそれよりさらに激しさを増している。一体何が起こっているのだろうと思った。
——あれ?
その時、視界の先に小さな人影を見つけた。ランドセルを背負った子供が二人、自動車の陰に身を隠して震えているようだ。SAT隊員達の少し後方に位置するため、彼らもその存在に気が付いていない。
「係長! あそこに子供が! 私⋯⋯行きます!」
そう言うなり絵麻は走り出していた。
「行くな月岡!」
刑事の制止も聞かず、商店街を逆走し物陰に隠れながら子供達を目指す。そうやってようやくたどり着くと素早く自動車の陰に滑り込んだ。
「ハァ、ハァ⋯⋯君達、大丈夫?」
「お巡りさぁん! 恐くて動けないよう!」
「大丈夫。私と行こう!」
絵麻は自動車の陰から制圧現場を覗き込んだ。
「くそ⋯⋯! P1からベース、集中射撃も効果なし。繰り返す、効果なし!」
SATは『キャンサー』に対し制圧一、二班の自動小銃による集中射撃を行ったもののダメージすら与えられず、もはやなす術が無かった。
しかし引き退る訳にはいかない。何故なら彼らが最後の砦だという事を自覚しているからだ。
ジリジリと迫る『キャンサー』。それに対し一人の隊員が閃光弾を投げ込んだ。突如ビルの落ち影の中に走る白い閃光と爆音。図らずも眩しさにもがき『キャンサー』が腹を見せた。
「今だ! テ——!」
と、制圧班が二回目の集中射撃を浴びせようとした瞬間、何かが空を切り裂いた。風圧に吹き飛ばされた彼らの背後——ビルの壁面には横一文字に鋭い切断痕が走っている。
「あの鋏⋯⋯。洒落にならないぞ!」
サクは『キャンサー』の鋏がその延長線上の空間を切断したのを確認していた。
さらに興奮したキャンサーは鋏を滅茶苦茶に振り回し四方に斬撃を撒き散らす。
その一つが前方の自動車を真っ二つに切断した。
「キャ——!」
切断された自動車の陰から現れた三つの人影——それは二人の小学生とそれを守るように覆い被さる絵麻の姿だった。
『キャンサー』はその高い声色に刺激されたのか倒れたSAT隊員に目もくれず、嬉々とした動きで彼女らを目掛けて走り出していた。




