第二話 『被害者』
朔太朗は帰宅するなりベッドに身を投げ出していた。アストラの事、絵麻の事がぐるぐると頭を回る。
現実に戻る事も忘れ入り浸っていたアストラ。何故今になって訪れる事ができなくなったのだろう。
——もしかしたら全てが夢だったのかも?
と、握りしめていた右手を開く。しかしそこにプリンセスナイトの勲章を認めると朔太朗はそんな考えを即座に打ち消した。
——これは確かにアナマリアから受け取ったものだ!
頑張り屋のアガーテ、調子の良いヤンセン達に司法局の面々。アムネジアの村のみんなと、そこに突然現れたアナマリア。彼らと共有した短くも濃密な忘れ難い経験。
しかしそれは『確かに現実のものだ』と胸を張って言えないもどかしさも感じずにはいられなかった。
——絵麻にはいっそ全てを告白してしまおうか⋯⋯。
大学時代からの友人で警察学校の同期。旧知の間柄である彼女に無神経な言葉を放ってしまった。
そのせいか昨日の絵麻は二人の関係性に一歩踏み込んで来たようにも感じ別の意味で戸惑いがあったのも事実だ。
理由はどうあれ彼女を傷つけてしまった事に変わりはない。
——俺は絵麻に何をしてあげられるのだろう⋯⋯?
暗闇の中で答えのない自問自答を繰り返す。
けたたましくサイレンの鳴り響く寝苦しい夜だった。
翌朝、絵麻は交差点に姿を現さなかった。
「さすがに顔を合わせづらいよな⋯⋯」
朔太朗は一人自転車を走らせる。
東都署の庁舎内に入ると職員がせわしなく行き交い、ピリピリとした空気に包まれていた。朔太朗は怪訝に思いつつも地域課のフロアに上がり男性用ロッカーで鼠入を見つけた。
「先輩、何かあったんですかね? なんか署内の雰囲気が⋯⋯」
「千光寺お前知らないの? 兎澤が襲われたんだよ!」
「——えっ! うちの交番の兎澤さんですか⁉︎」
「他に誰がいるんだよ。⋯⋯意識不明の重体だってよ。昨日の夜からニュースになってるぞ!」
「昨日はすぐに寝ちゃったので⋯⋯」
そこへ地域課長の熊田が慌しくフロアに入ってくると、パンパンと手を叩いて注目を集める。
「みんな! これから緊急の署長訓示だ。急いで訓示室に上がるように!」
フロア内はざわめきつつも、ぞろぞろと移動を開始する。朔太朗と鼠入も急いで着替えを済ませそれに続いた。
訓示室に入ると既に獅堂署長が待ち構えていた。いつも身綺麗な獅堂だが、今朝に限っては前髪が乱れ、疲労の色が窺える。恐らく昨夜から徹夜の対応にあたっていたのだろう。
すぐに訓示は始まった。
「皆おはよう。さて、既に知っている者も多いと思うが、昨日地域課四係の兎澤巡査が何者かに襲われるという事件が発生した。被疑者は依然逃走中だが、情報が極めて少ない。特に地域課の諸君には最大限の危機意識を持った勤務はもちろん、単独行動は避けるように心掛けて欲しい。最後に兎澤巡査だが、一命はとりとめ現在ICUで治療中だ。皆で回復を祈ると共に被疑者の確保に全力をあげてもらいたい。以上だ!」
地域課のフロアに戻ると一係の課長代理牛津が電話を受けていた。
「そうか⋯⋯分かった。今皆んな大変な時だ。早く戻って来てくれ。じゃあしっかり休めよ」
と、受話器を置く。
「月岡は体調不良だそうだ。駅前は人手が減るが何かあればパトカーと坂の下でフォローしてくれ!」
「月岡の奴が体調不良だなんて初めてじゃないか? どうしたんだろうな千光寺?」
それを聞いて鼠入は悪気もなく朔太朗に問いかける。
「さ、さあ⋯⋯。あいつも人間ですからね」
一瞬、別れ際の絵麻の顔が脳裏に浮かび朔太朗は慌ててそれを掻き消し平静を装う。
「それより、今日俺が先に交番に行きますよ。バイク押さえなきゃ」
「おいおい、単独行動するなって言われたばかりだろ? 俺も行くよ。係長に伝えておくから俺のバイクも取っておいてくれ」
「了解です!」
車庫からは各交番の先発隊が二人一組で次々に出発していく。状況が状況なだけに皆緊張した面持ちだ。それは朔太朗と鼠入も例外ではなかった。
二人が坂の下交番に到着すると、当直勤務明けの三係のメンバーが首を長くして待っていた。
「いやぁ、昨夜は疲れたよ。なんせ坂の下の管内だろ? 休憩もできない始末でさ⋯⋯」
と、そのうちの一人鴨志田が口を開いた。五十代の大ベテランだが昇任試験は受けないポリシーらしく未だに階級は巡査長だ。
「鴨志田さん、事件はどんな状況だったんです?」
「ああ、兎澤は俺たちと交代して帰署の途中、女の子の悲鳴を聞いて一人で現場に駆けつけたらしい。そこで被疑者と出くわしたようだ」
「目撃情報はあるんですか?」
さらに鼠入が質問を続ける。
「あるにはあるんだが⋯⋯目撃者はその女の子だけでね⋯⋯。いささか信憑性に欠けるかもしれないよ」
「女の子はなんと?」
すると鴨志田は自身の備忘録を開く。
「『ひらひらのお洋服』、『すごい速さでお巡りさんをやっつけてお空に飛んでいった』だ⋯⋯」
「なるほど⋯⋯」
朔太朗と鼠入はポカンと口を開いている。
「——それじゃ、俺達は上がるよ」
と、三係のメンバーは荷物を抱えて交番を後にする。最後に鴨志田が交番を出ようとしたその時、不意に足を止めて振り返った。
「一つ伝え忘れた! 兎澤の緊急信号を受けて俺も現場に駆けつけたんだ。既に被疑者は逃走後だったが兎澤が気を失う直前漏らした言葉がある」
「えっ! 兎澤さんは何て?」
「⋯⋯『あいつだ』と言っていたよ」
「「あいつだ?」」
二人は思わず顔を見合わせた。




