第十三話 『宿屋にて』
「さて、どうしたものか……」
サクとアガーテは当惑していた。
司法局内はフレデリクセン殺害事件の事後対応に追われ、二人は半ば放置状態にされていたのだ。
既に夜が更けてきている。 宿も確保しなければならないだろう。
「こちらの都合で護送して頂いたのに申し訳ありません。まさかこんな事になるとは……」
と、マキネンが頭を下げる。
「そんな……。マキネンさんが悪い訳じゃないです」
アガーテは優しい声を掛けるがマキネンは納得していない様子だ。
「しかし、宿の手配くらいはしていて当たり前だと思うのですが……無礼にも程があります!」
「そのお気持ちだけで充分です。今日はどこかに宿を探してみますね」
「お力になれず申し訳ありません。ここにお勧めの宿を書いておきました。良かったら行ってみてください」
と、マキネンはメモを手渡した。
「ありがとうございます!」
「司法取引の件は上に伝えて起きました。明日捜査本部を立ち上げるそうですので明朝またお越しください」
二人は司法局を後にしてマキネンが勧めてくれた宿——『炎冠屋』に足を運んでいた。
王宮や行政施設の集中する街の中心部から数分の好立地に建てられた宿で、運河沿いの眺望も楽しめそうだ。
「二部屋借りたい」
サクが宿の亭主にそう告げた矢先、
「同室でお願いします!」
と、アガーテがそれを訂正して料金を置いた。
「ちょっとアガーテさん何言ってるの!」
「一人きりになった所をオフィウクスが狙ってくるかもしれません。サク様はそんな状況でも守ると約束してくれますか?」
「え? それは……」
唐突な質問にサクが困惑していると、アガーテは悪戯っぽく笑う。
「えへへ……。本当はこんな上質の宿で二部屋借りれる程予算が無いんです。想定外の展開でこれから何日滞在するかも判りませんしね……」
「お二人さん、一部屋でいいんだね?」
亭主がニヤニヤしながら問いかける。
「一文無しの俺はそう言われちゃ何も言い返せないよ……」
「それじゃあ部屋にご案内しよう」
二人は階段を上り、三階の一室に案内された。
設備はベッドが二台、机一卓と腰掛け二脚、長持一竿と不自由のない程度に揃っている。扉の錠もしっかりしているようだ。
「うん、いい部屋だね」
サクは一通り室内の確認を終えると頷いた。
「二階の食堂で食事ができるがどうだい?」
「もちろん頂くよ。ね? アガーテさん」
「はい! もうお腹がペコペコです」
二人は亭主から部屋の鍵を受け取ると、その流れで食堂のテーブルに着いた。時間帯が遅い事もあって他の客はいない。
「ふふ。貸し切りですね」
やがてテーブルにパンとスープ、それにワインが運ばれてくると、
「それじゃあ、護送完了を祝して乾杯!」
と、ささやかに祝杯をあげた。
サクはグラスのワインを美味しそうに飲み干し、それを見ていたアガーテも、
「今日はいいかな……」
と、グラスを口にする。
「こっちではワインを飲むのが普通なのかな?」
「はい。ワインやビールが一般的です。でも私はあまり……」
「というと?」
「村では綺麗な水が飲めますから。それにお義父様から体には水が善いと勧められていますし」
「確かにそうだね」
と、言ってサクはパンを千切って口に放り込む。
「このパン美味い! 外はパリパリなのに中はモチモチだ」
「ライ麦パンですね。じゃあ今度村でも作って焼き立てをご馳走しますね」
「本当? 村に帰るのが楽しみだな。俺も一緒に作るよ!」
それから二人の会話は弾み、最初こそ控えめにワインを口にしていたアガーテも次第にグラスが進んでいった。
充分に胃袋が満たされたところで二人は部屋に戻った。アガーテが寛いでいる間にサクは窓や扉の施錠を念入りに確認して扉側のベッドに腰を下ろす。
「さあ、明日に備えてそろそろ休まないとね」
「……」
「アガーテさん?」
「サク様、隣に行ってもいいですか?」
「え? ど、どうぞ……」
サクはお尻の位置を一歩横にずらすとアガーテはそこに腰を下ろす。
「……私、お義父様の代理としてこの仕事をやり遂げられるか不安でした。やっと王都まで辿りついたと思ったのに命まで狙われて……怖かった。もう駄目だと思ったんです」
アガーテの肩が震えていた。
「でもあの時……オフィウクスから守ってくれたサク様の背中を見た時思ったんです。『この人なら信じられる。この人となら頑張れる』って! 他人をこんなに心強く思った事なんて、お義父さまに拾われて以来無かったから私――」
熱のこもった真っ直ぐな瞳がサクを見つめていた。その顔はピンク色に火照っている。
サクはそんな彼女の心情の吐露に胸がキュッと締め付けられる思いがした。
同時に歓び、愛しさ、切なさ、不安、戸惑いといった言葉にできない感情の波が寄せては引いてを繰り返し、それらが混ぜ合わさってもはや何色とも解らなくなっていた。
激情に飲み込まれそうになったその時、
——朔⋯⋯私、もうついて行けないよ⋯⋯。
——何言ってんの。俺を見ろよ絵麻。落ちこぼれ寸前なんだぜ?
——ふふ⋯⋯。馬鹿だね。もっと出来るくせに。
不意に過去の光景が脳裏に浮かんだ。
「⋯⋯駄目だよ」
なんとか自我を保つ事ができたサクはアガーテの肩をそっと掴む。
「⋯⋯アガーテさん。酔っぱらってるよね?」
「『さん』はやめてください⋯⋯」
「じゃあ⋯⋯アガーテ。俺も君を大事な人だと思っているよ。でも、もう少し時間が必要なんじゃないかと思うんだ。君はその⋯⋯まだ若いしってあれ?」
「ス――ス――……」
気が付くと、アガーテはサクの肩におでこを乗せて眠っていた。
「ふふっ、緊張の糸が解けたんだね」
サクはアガーテを横にしてそっと布団を掛けた。長い睫毛を伏せた寝顔は、普段より幼さを感じさせる。もしからしたら彼女はその環境や責任感からいつも気丈に振舞っているのかもしれない。
――いい娘だな。
サクはランプの灯を消すと自分のベッドに横になった。
「絵麻か⋯⋯。俺はいつ元の世界に帰れるんだろう?」
暗闇の中でサクは一人呟いた。




