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1 物陰に潜む何か(それは私の護衛です)

 ねっとりとまとわりつくような視線を感じつつ、私は煌びやかな大広間から出ようと急ぐ。着飾った人々の間をすり抜けていくのは容易ではなく、何度かよろめきながら空いていた隙間に身を滑り込ませる。


 ――あっ、あの方たちは……どうしましょう。


 そして私はすぐに後悔した。そこは私にとってあまりよろしくない場所だったからだ。会いたくもない顔見知りの令嬢たちの姿を見つけてしまい、私は身体を反転させようとして失敗した。


「あら、シュテファーニエ様、ごきげん麗しゅう」


 流行りだという襟ぐりの深い色鮮やかなドレスや、鳥の羽根が生えた派手な帽子を被った令嬢たちが賑やかにお喋りしている。その中に入っていくにはいささか地味な私は、その中心人物たる令嬢から目敏く見つけられてしまった。


「随分とご無沙汰しておりまして申し訳ありません、ロミルダ様、コリンナ様、グレーティア様」

「まあ、シュテファーニエ様とあろう方が私どもなどにそのようにへりくだってはなりませんわ」

「そうですわよ、シュテファーニエ様」

「さあさあ、どうぞこちらへいらして下さいませ」


 言葉ではそう言うものの、彼女たちの目にはありありと(あざけ)りの色が見て取れる。私自身は別に気にしないけれど、別の事情からお喋りの輪に加わる気にもなれない。


「せっかくのお誘いに水を差すようで申し訳ありません……もうお(いとま)するところなのです」


 精一杯残念がる風を装って、私は令嬢たちに軽く会釈する。すると扇子をわざとらしく打ち鳴らしたロミルダが、口端を(いびつ)に吊り上げて(わら)った。


「それは残念でございますこと」

「でも、私どもごときがお引き止めするわけにはまいりませんわ、ロミルダ様」

「その通りですわグレーティア様。シュテファーニエ様はなんと言ってもやんごとなき()様でいらっしゃいますもの」


 そう、これでも私はヴェルトラント皇国の『姫』だ。そのことに間違いはないけれど、やんごとなき身分かと言われればそれは違うと言っておきたい。

 私には、()()皇帝陛下の又従兄弟の娘の息子の息子の娘というもはや誰?状態の薄っすい血しか流れていない。末席も末席のさして重要でもない立ち位置でしかないので、正式に『皇女』としては登録されていないのだ。それでも二、三百年前であれば、皇族として政略結婚などの政治的利用価値も高かったらしい。

 でも、近隣諸国で争っていたのは過去の話。平和になって久しい世の中で、私の価値など塵に等しい。降嫁した曽祖母様の息子の息子であるお父様は、残念ながら跡の継げない次男だった。しかも地方貴族のお母様のもとへ婿入りしたので、もはや私は姫と呼ばれる立場にはないのだけれど。そんな()()()()()(わたし)でも、皇族の威光というものは持たない者にとっては非常に気になる存在のようで。


「では、失礼いたします」


 これ以上何か言い(つの)ってくるようであれば、彼女たちは私に対して失言し兼ねないだろう。それは私にとっても彼女たちにとっても危険なことだ。私は見事な彫刻が施された柱の陰を気にしつつ、足早にその場を辞す。


「私、あの方はもう領地にお帰りになられたとばかり思っておりましたわ」

「私もですわ。見ました? あのドレス。何十年前のものかしら」

「まさかご自慢の曽祖母様のものでなくて?」

「なんて斬新な……どおりで古臭い匂いがすると思いましたわ」

「せっかくの皇族主催の夜会でもあれでは……」

「お相手も見つかりませんわよね」


 努力もむなしく、立ち去る私の背中にこれ見よがしな侮蔑の言葉が投げつけられてしまった。しかもご丁寧に笑い声つきで。


 ――まずいわ。これは非常にまずい状況よ。


 私は素早く柱に目をやり、そこに潜んでいたはずの人物がいないことに気づいてギクリした。どこに行ってしまったのか、ひしひしと感じていた視線もない。振り返りたくはなかったけれど、ロミルダたちに危険が迫っているかもしれないと思い直した私は、振り返った瞬間にひゅっと息を吸い込んだ。


 ――いた!


 まだ嗤っているロミルダの斜め後ろ。

 夜会に相応しい装いをした、一見何の変哲もない黒髪の紳士が一人。

 背は高い部類だけど気配の薄いその紳士の眼は、どこまでも冷ややかに、そして明らかに武器だろう針のような何かを手に持っていた。


 私の背筋にひやりとしたものが走り、最悪の事態が脳裏をよぎる。


「さ、探しましたのよ、イグナーツ!」


 その紳士が事をしでかす前に、私は大袈裟に声を張り上げた。少々はしたないけれど、もうそれしかないと思った私は、手まで振ってぴょんぴょんと跳ね飛ぶ。周りの人たちはその田舎の子供っぽい私の様子に眉をひそめているが、非難がましい視線もこの際甘んじて受け入れた。その甲斐あってか、紳士――イグナーツはその視線を私に向け、それから気まずそうにふいっとそっぽを向く。


 ――よかった、これでもう大丈夫。


 背後に立つ彼に驚いたように仰け反るロミルダを無視して、私はつかつかと歩み寄る。鬼気迫る剣幕にぎょっとした顔をしているコリンナとグレーティアを無視して、私は勢いよくイグナーツの手を握った。


「私の側を離れないでと、あれほど言っておりましたでしょう?」

「しかしながら」

「駄目」

「姫様、自分は別に」

「今日はずっと隣に付き添ってて。お願い」

「……うっ」


 上目遣いであざとくもお願いの仕草をした私に、イグナーツは渋々というように殺気を鎮めた。目元をほんのりと赤くしながら目を伏せた彼は、「あー……うー……」と(うな)るとがくりと項垂(うなだ)れる。それから赤い眼をちらりとこちらに向け、渋々といったように溜息をついた。どうやら聞き分けてくれたらしい。私は何事かと見ていたロミルダたちに曖昧に笑うと、彼を引きずるようにして今度こそ本当にその場を後にした。


「もう! 私が気にしてないんだから、貴方も気にしないでよ」

「それは無理なお願いです」

「貴方の場合はやり方が極端なのっ!」

「しかしながら自分がお仕えする方を侮辱されて平静でいられましょうか」

「何をしようとしていたのかは敢えて聞かないわ。でも、私の側にいられなくなるような物騒なことは考えないで」

「……姫様」


 小声で言い合いながら、私とイグナーツはやっとのことで大広間から脱出した。さっきのやり取りはロミルダたちにがっつりばっちり見られてしまったので、明日には噂が広まっているだろう。噂の内容は多分こうだ。


『みそっかす姫のシュテファーニエが、イグナーツという紳士に媚を売っていた』




 ◇   ◇   ◇




 その私の予想は正しかった。山ほどの悪意が込められた噂は、尾ひれが幾重にも重なっていた。私の耳に届く頃には、


『田舎の冴えないみそっかす姫シュテファーニエが、麗しのロミルダ様をダンスにお誘いしようと待っていた紳士を横取りして、さらには嫌がる紳士に権力でものを言わせてそのまま連れ帰った』


になっていたのだから、暇な貴人たちというのはかくも妄想力が豊かであるらしい。


 ロミルダ云々(うんぬん)は別にしても、私が若干納得がいっていない様子のイグナーツを無理矢理連れ帰ったのは間違いない。しかし、その彼は見た目通りの紳士ではなく私の()()()()だ。なので私が連れ帰るのは当たり前なのだけれど。事情を知らない人にしてみれば、私は相当にふしだらな令嬢ということになってしまうのだろう。


「貴方のせいよ、イグナーツ」


 私は常に付き従う護衛騎士に向かい愚痴をこぼす。庭先の四阿(あずまや)で夜会の招待状を選別している私を、少し離れた樹木の後ろに潜んで窺う気配が一つ。私がむやみに気配を消すなと指示しているので、ひょっこり頭が覗いている。短めの黒髪に特徴的とも言える赤い眼のイグナーツは、今日は外出しないこともあって黒を基調とした詰襟の制服を着用していた。特に隠れ潜む必要もないからか、動揺しているような気配がありありと伝わってきた。


「やはり、あの者たちを粛正する許可を」

「出さないわよっ! どうせ面白おかしく笑って終わりでしょ」


 影口を叩かれるのはあまり気持ちのいいことではないけれど、人の口を塞ぐことはできない。すると、私の気持ちを(おもんぱか)ってか、イグナーツが遠慮がちに口を開いた。


「姫様は何もお悪いことをなされたわけではありません」

「そうね。でも仕方ないわ。私はしばらくは夜会になんて行かないから、どうでもいいわよ」

「なんと、その招待状すべてを拒否なさるのですか! 自分としてはよき判断かと思います。これで不埒にも姫様に近づこうとする(やから)を排除することができそうですね」

「それでも私なんかに結婚を申し込んでくるようなら、その人は心臓が鋼でできているかよっぽどの訳ありよ」

「……そんな、過小評価をなされないでください。自分は……自分であれば……」


 イグナーツが急にもじもじとし始める。いつもの発作が始まった、と私は完全に無視を決め込んだ。彼はいつもこうだ。離れた物陰に潜んで私を見ては、何やらもじもじそわそわ、まるで恋愛小説に出てくる少女のように赤面しているのだ。

 だからといって、護衛騎士として無能というわけでもない。騎士に相応しくしなやかな筋肉を身にまとったイグナーツは、そこら辺の優男も真っ青になるくらい容姿端麗だ。それに侮るなかれ。私に害なす者が近づいたと判断した途端に、彼はその牙を剥く。特に私に嫌味を言ってくる令嬢や、私に近づいてくる男性たちには容赦(ようしゃ)がないのだけれど……いい加減鬱陶しくなった私は、彼を止めることにした。


「イグナーツ……木に隠れてくねくねしないで」

「くねくね、しておりますでしょうか?」

「自覚がないの?」

「あ、はい。自分としてはいつも通りです」

「そのいつも通りが異常なのだけれど」

「ああ、姫様が今日も冷たくてお可愛らしいっ!」


 恍惚な顔をしてますます身をよじり始めたイグナーツを、私はなんとも言えない目で眺めた。なまじ整った容貌をしている彼が、赤面して身悶えている姿はなんというか気持ちが悪い。護衛に関しては有能であるはずが、私に関してはこの通り。どうやら彼は私に懸想(けそう)をしているらしいのだ。らしい、というのは、彼に直接聞いてみても決して認めないからで。


「こそこそ隠れてないで隣に来てもいいのに……と言うか、隠れられると私の心臓に悪いから出てきて」


 私は別に、護衛の際に距離を開けろとは命令していない。むしろ護衛なのだから姿が見える近場にいてほしいと何度もお願いしている。しかし、彼はその度にこう言うのだ。


「それは無理なお願いにございます。姫様のお側に(はべ)るなど、確かに死ぬほどそれを渇望しておりますが……自分の玻璃(はり)の心臓が持ちませんので。それに、遠くから姫様を見つめられることは、自分にとってはご褒美なのです。特に姫様が自分を探して視線を彷徨(さまよ)わせている時や、自分を見つけた時の安堵するお顔がたまらなくお可愛らしく……」


 イグナーツが自分の世界に入っていく様子に、私も何も言えなくなってしまった。よもや私が、物騒な護衛騎士のせいでおちおち夜会も楽しめないとは思っていない彼。そんな彼のことを、私も憎からず想っていると知ったらどうするのだろう。身体中の血液が沸騰して爆発四散してしまうのではなかろうか。


「ああ、姫様! 自分はずっとずっと陰から貴女様をお護り申し上げますっ!」

「だから隠れないでいいから、ね? 普通にしましょう、普通に!」


 私の心からの叫びも虚しく、そして今日も彼は物陰に潜んで私を見守っている。




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