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7 レイの計画

 その日の夜のことだ。


「外に出たっきり戻ってこないと思ったら、こんなところにいたのか」


 青ざめた顔で外の空気を吸いにいくと船室から出て言ったグリュンが、いつまで待っても戻ってこないことに気づきハルは様子を見に甲板へ出た。


「いやまあ、ちょっとな……」


「何度も言うようだけど、あんた世界を旅する商人なんだろう? なのに、なんで船酔いなんかするんだ?」


 甲板の上でぐったりと座り込み苦しそうに唸っているグリュンを見下ろし、ハルは呆れた声を落とす。


「う、うるさい……こういう時もあるんだ……うっぷ……」


 はあ、とハルはため息ついて肩をすくめた。


「ただの船酔いじゃ、俺にできることはないな」


「おじさん、苦しいの?」


 そこへ、いつの間にか船室で自分たちに笑いかけてきた先ほどの少女が側に寄ってきてグリュンの顔をのぞきこむ。


「これ、飲んで。少しは楽になるかも」


 そう言って、少女は酔い止めと思われる丸い薬と水筒を差し出した。


「うう……ありがてえ。薬の代金は……」


「そんなのいいから。あたしは何ともないし、それに、困ったときはお互い様でしょう?」


「……すまねえ。うぷ……っ」


 差し出された薬を飲み込んだグリュンは、そのまま甲板の上でぐったりと力が抜けたように座り込む。


「そのまま、寝てしまうんだな」


「冷たい奴だな……っていうか、気持ち悪くて眠れない」


「なんなら、眠らせてやろうか? 朝までぐっすりと」


 ハルは意地の悪い笑みを浮かべ、虚脱したように座り込むグリュンを半眼で見下ろす。


「目が覚めたときには、船酔いもおさまってるかもしれない」


「ちょ、ま、待て! 手荒なことは……」


 ぐったりとしたグリュンを担ぐようにして船室に連れていき、強引に寝かせつけたハルは再び甲板へと戻り夜空を眺めていた。

 夜空には目も眩むような満天の星が広がり、時折その空を走り抜けていく流れ星を見つけることができた。

 レザンを発ってからずっと、海は荒れることなく穏やかで船は順調に進んでいる。あまりにも順調すぎて怖いくらいだ。

 あるいは、嵐の前の静けさというやつか。

 このまま何事もなく進めば、おそらくあと五日ほどで問題の海域にさしかかるはずだ。

 海賊が現れる確率は何ともいえない。だが、もし遭遇することになればよほど運が悪かったと笑うしかないだろう。

 ふと、人の気配を感じて振り返ると、すぐ後ろに先ほどの少女が立っていた。


「あたしも外の空気吸いに来ちゃった。それと、おじさん酔い止めが効いたのかな、すぐ眠っちゃったよ」


 こちらに歩いてきた少女が隣に立った。


「あたし、ローズって言うの」


 突然、相手に名乗られハルは狼狽える。その狼狽えていた間を、どうやらローズは勘違いしてしまったらしい。


「顔に似合わない名前だなって思ったんでしょ?」


 レザン人特有の色白の肌に、鼻のあたりにうっすらとそばかすが浮いている。美人というよりは可愛らしいといったほうがあてはまる。

 ローズは耳の脇で三つ編みにした黒髪を指先でくるくるともてあそぶ。


「あたし美人じゃないから」


「そんなこと……」


「よく言われるからいいの。名前負けしてるってね。でも、気にしてないんだ。ねえ、お兄ちゃんの名前は?」


「ハル……」


「ハルお兄ちゃんはこのお船に乗ってどこに行くの?」


「さあ」


「さあ?」


 行き先が決まっていないなどおかしなことだと思われるだろう。しかし、ローズは首を傾げはしたものの、それ以上追求してくることはなかった。


「一人旅?」


「ああ……」


「あたしも一人旅なの。偉いでしょう? 見てのとおり、あたしもレザンの人間なんだけど、事情があって両親はアルゼシアにいるの。あたしはずっとおばあちゃんに育てられたんだ。でも、先日なくなって……それで両親の元に行くの」


「そうか……」


 ローズがじっとこちらを見つめている。


「あ、いや……大変だったんだね」


 会話がうまく続かない。


 仕事以外でこうして小さな女の子、いや、女性とまともに会話をするなどあまりなかったから、どう接したらいいのかわからないのだ。

 もちろん、組織内にも女性はいたが、あまり接触を持つことはしなかった。

 それでも、大切だと思う人ができて側に置いて守ろうとした。けれど結局、長の一人である炎天に殺されてしまった。

 以来、組織内の女性とかかわることはなるべく避けてきた。

 二度とあんな悲しい思いはしたくないと思って。

 ローズはにこりと笑ってハルの腰にさげられた笛を指さした。


「お兄ちゃんその笛吹けるの?」


「……少しだけ」


 期待に満ちた目でローズがこちらを見上げてくる。

 子ども特有のきらきらとした目。

 もちろんその目は吹いてと言っている目だ。

 ハルは戸惑った表情を浮かべながらも、笛をとり吹き始めた。

 澄んだ音色が静かな夜の静寂に響き渡る。

 ふと、その音色にあわせてローズが歌い出した。

 きれいな歌声だった。


「その歌……」


 驚いた顔でハルはローズを見る。


「え? そんな顔してどうしたの?」


「その歌詞は……」


「アルガリタ国の民謡よ」


「アルガリタの?」


「てっきり、知っていて吹いたのかと思ったんだけど」


「いや、知らなかった」


「ハルお兄ちゃんは、その笛誰に教わったの?」


 一呼吸おいて、ハルは答える。


「大切な人から」


「恋人かしら?」


「違うよ……」


 ハルは静かにまぶたを落とす。

 でも、俺にとって本当に、大切だった人……。



 ◆



 することがなく退屈だということをのぞけば、船の上はいたって平和だった。むしろ、こんなに穏やかでいいのかと不安に思ってしまうくらいに。

 レイの友人だというわりには出会った当初は胡散臭いとしか思えなかったグリュンも、話してみれば案外気の良い男で、彼と一緒にいると沈みそうになる気分をまぎらわすことができたの救いだ。

 すぐに金と女の話題を口にするところが難点だが、不思議と嫌らしさを感じさせないところはグリュンのあっけらかんとした性格所以であろう。

 それ以上に、グリュンの側にいればレイの話を聞くことができるのが嬉しかったし、そのことに気づいているのかどうかは定かではないが、グリュンも積極的にレイのことを語ってくれた。


「おまえさん、相当レイの奴に可愛がられてたんだな」


 グリュンの口からレイの名前が出ると胸がどきりと鳴る。


「レイが俺に言ってたぞ。事情があって、どうしてもおまえさんをレザンから離れさせなければならなくなった。自分にとっては弟のように大切な存在だから、おまえを無事にどこか安全なところまで送ってやってくれって。それまでちゃんと面倒を見てやってくれってな」


「レイが、そんなことを……」


 胸がつきりと痛んだ。

 嬉しくて、でも、せつない。


「それから、こんなことも言ってたな。小さな頃から面倒をみてきたおまえと離れてしまうのは本当はつらい。まるで心を半分抉りとられるようだと。はは、思えばいつになくレイの奴、饒舌だったな。よっぽど、おまえさんと別れるのがつらかったんだろうぜ」


「……」


「だから、俺はなんとしてでもレイの願いを叶えてやらなければならない。それに、俺もおまえのことをけっこう気に入っている。最初はくそ生意気で乱暴ながきだと思っていたがな」


 そこで、グリュンはがははと豪快に笑う。

 こういう正直にものを言うところもグリュンのいいところだ。

 嫌いではない。


「あんた、ほんとうは俺たちの素性を知っているんだろう? 俺たちがレザンの暗殺者〝姿なき者〟だってことを」


 ハルはずばり組織のことを口に出した。それはグリュンが自分たちの正体を知っていると確信しているからだ。

 グリュンは否定も肯定もしなかった。

 相変わらずのとぼけた顔がそこにある。

 ハルはかすかに笑いグリュンから視線を外す。

 後の言葉は淡々としたものであった。

 まるで、独り言のように。


「何故、俺たちが姿なき者と呼ばれているか……そのままの意味で、仕事をしている時の俺たちの姿を誰も見た者はいない。もしも姿を見られたら、口封じのために容赦なく始末してきた。たとえ……それが赤子であっても……」


 声が震えた。


「それと、もう一つの意味がある。俺たちレザンの暗殺者の大半は、レザンにもどこにも戸籍がない。つまり、この世には存在しない人間だ」


「そっか……なんて言うか、まあ、返す言葉がないな。だが一つだけ言えることは、おまえさんは実際にこの世に存在している。ちゃんとそうして生きている」


 ハルは静かに口許に笑みを浮かべた。


「それはそうと、あんたはずいぶんとレイに信頼されているんだな。でなければ、危険を承知でレイがこんな無謀ともいえることをあんたに頼むわけがない。さらに、レイが自分の正体をあんたに明かす筈も。そして、それにつき合うあんたもとんでもなく酔狂だ。でも、それはあんたもただ者じゃないから」


 ハルは濃紺色の水面に視線を落とし、さらに言葉を継ぐ。


「あんたはただの商人じゃない。それはあくまでも見せかけの姿。あんたの身体からわずかだけど火薬の匂いがする。アイザカーン地下組織の一員か?」


 グリュンは困ったように苦笑いを浮かべ頭を掻いた。


「染みついた火薬の匂いは香で隠していたつもりだったが、わかちまったか?」


「残念だけどね。それともう一つ。俺がアルゼシアで降りなければならない理由はなんだ?」


「はて?」


「とぼけるな。あんた必死になってアルゼシアに行けと俺を誘導していただろう?」


 グリュンと出会った初日、地図を見ていた自分の側でこの男が一生懸命アルゼシアのことを語り、最後にそこで船を降りることをひたすらすすめていた時のことだ。


「あからさますぎて、笑ったぞ」


「あからさますぎたか?」


「それとなく俺を説得しようとしていた努力は認めるよ」


「うーむ、参ったな」


「なら、聞き方を変えよう。俺がアイザカーンまで行ってはならない理由はどうしてだ?」


 グリュンは観念したように両手をあげた。


「はは……わかったよ。わかった。隠し事はいっさいなしにしよう。そう、俺はおまえが言ったとおりアイザカーン地下組織の者だ。秘密裏に各国に武器や火薬を売りさばいている。おっと、どの国と繋がりがあるかは言えないぜ。だが、おまえさんがいた組織とは無関係だ」


「人身売買もだろう?」


「はは……まあ、そんなこともしているといえば、しているかな」


 グリュンは曖昧に言葉を濁して口許を歪めた。


「レイとは個人的にちょっとしたつき合いをしている。まあ、俺が仕事でレザンに寄ったときの飲み友達ってことは最初の時に話したが、これは本当だ」


「飲み友達ね。正直、あんたとレイの会話なんて想像がつかない。いや……」


 この男が一方的に喋って、レイは静かに笑いながら耳を傾けているのだろう。

 レイは聞き上手だ。

 そして、相手に警戒されることもなくごく自然に話を聞き出す。相手はそんなレイにすっかり気を許して何もかも喋ってしまう。


「そうか? これでも奴とは気が合うんだぜ」


「ふうん」


 疑わしげなハルの返事であった。


「……奴からおまえさんの脱走計画を聞かされたのは、ずいぶんと前になる」


 グリュンは真剣な面持ちで切り出した。


「一人自分の配下にいる者を暗殺組織から解放させてやりたいと思っている。そして、今乗っているこの船に乗せて他国へ逃してやって欲しいと。この船はレザンからは三ヶ月にいっぺんの船。無事、これに乗ってしまえば、三ヶ月は追っ手はない。その間におまえさんが行方をくらますのにはとりあえずじゅうぶんな期間だと。それで、俺はあらかじめ二枚の乗船券を手に入れ、おまえさんの到着を待っていたというわけだ。だけど、追っ手の姿がなくて俺もほっとしたよ。最悪の場合、追っ手ともどもテンペランツの港を爆薬で吹っ飛ばすつもりだったから」


「すべてレイのおかげだ」


「はは、あんたらは普通の人間と違って頭の出来も違うんだろ? おまえさんの逃亡は衝動的なものじゃない。レイが以前から綿密に計画を立てたんだろうさ」

 すっかり船の揺れにも慣れたグリュンは、おもむろに煙草を取りだし火をつけた。


「火薬を扱う人間が煙草なんて吸っていいのか?」


「まあ、そうかたいことを言うな。おまえも吸うか?」


「吸わないよ」


 そうか、と言ってグリュンは煙を深く吸って、ふうと、空に向かって吐き出す。白い煙が風に流れていく。


「今思えば、レイが俺と接触してきた本当の理由は、この時のためだったのかもしれないな。おまえさんをレザンから逃がすために俺を利用しようとして。まあ、俺もレイから旨みのある情報を手に入れることができるからいいんだけどな」


 グリュンはもう一度煙を吸い込んだ。


「それで?」


「ああ、もう一つの質問だったな。そう、俺はレイにおまえをアルゼシアで降ろすよう頼まれた。そして、おまえさんの言う通り、おまえをアイザカーンまで行かせるわけにはいかない。すまんな。その理由だけは口が裂けても言えないんだ。なんせ、レイとの約束だから。だから、頼むからそれ以上は追求するな」


 レイとの約束だと言われてしまっては、強引に聞き出すこともできない。


「おまえ、レイには感謝しないといけないな」


「わかってる。でも、二度と会えないと思う。たぶん」


「そうか。ま、おまえさんが無事ならあいつも満足するだろ。そうそう、奴には今度一杯おごって貰う約束をした。その時にでも、おまえさんのことも話してやる。おっと、もうこんな時間か……俺はもう寝るぜ。おまえさんはどうする?」


「……もう少し風にあたっていたい」


「そうか。じゃあ、先に船室に戻ってるからな」


 小太りな身体を揺すって去って行くグリュンの背中をしばし見つめ、ハルは船縁に両手をつきそこにひたいをのせた。


 レイ……。

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