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4 思いをはせて

 冷えた大理石の回廊を歩んでいたレイはおもむろに立ち止まり、厚い雲が広がる灰色の空を見上げた。


「ハルのことが心配?」


 背後からかけられた声にレイは首だけを傾け振り返る。

 柱の影から無邪気な笑みを浮かべクランツが、ひょこりと顔をのぞかせていた。

 クランツは軽やかな足どりでレイの元に走り寄ると、あれ? と首を傾げながらレイの胸元を指さした。


「いつも身につけている十字架がないね? あ、そっか。ハルにあげたんだね」


 クランツははあ、と白い息を吐いて空を見上げた。

 重く垂れこめた灰色の空から、ちらちらと粉雪が舞い落ちる。


「雪が降ってきちゃったね。今夜は吹雪くよ。って、言わなくても空を見ればわかるか。でも、海は荒れることはないみたいだよ。大丈夫、今頃ハルは快適な船旅を楽しんでいるよ。ねえ、ハルは結局どこで船を降りるの? もっとも、アルゼシアで降りると僕は確信しているけどね」


 隣に並んだクランツに、レイは無言で視線を落とす。


「ハルがこのレザンを離れてから五日かあ。今頃は、スウェンヴィリア大陸を離れてアルゼシアに向かう途中かな」


 冷ややかなレイの視線に気づき、クランツははっとした表情をした。


「ねえ、そんなに警戒しないでよ。僕、誰にも言ったりしないよ。追っ手を差し向けるなんて馬鹿な真似もしない。ほんとうだよ。信じて」


 くすっと笑って、クランツはレイを見上げた。


「だって僕、レイに嫌われたくないもん」


 闇の組織の頂点に君臨する(おさ)の一人、白天。

 無邪気な仕草とあどけない顔の裏に隠されたもう一つの暗殺者としての実力を、実は誰もよく知らない。

 ただ、今の白天の地位は、先代、それも自分の実の父親から奪い取った。

 地位の奪い合いは珍しくもないこと。

 強い者が頂点に立つ。

 ここではそれがすべてだ。

 だが、彼の場合はその決闘の場面に立ち会った者が誰一人としていなかったのである。

 騒ぎを聞きつけ駆けつけた時には、すでに少年の足下には先代の白天と思われる切り刻まれた肉の塊が散らばっていただけ。

 実力は侮ることはできない。

 いや、相手をみればその者が強いか、弱いかなどすぐにわかる。

 目の前で無邪気に笑う少年は間違いなく前者だ。

 おそらく、この少年が本気になれば、ハルを見つけて捕らえ組織に連れ戻すことなどわけもないことであろう。

 味方であるうちは心強い人物だ。

 一瞬の沈黙の後、レイは切り出した。


「ハルが組織を抜けた直後、ハルに差し向けられた追っ手を矢で射貫いたのは白天殿……」


「もうっ! レイにそう呼ばれるの嫌だって言ったじゃない。クランツだってば。僕の名前をそう呼んでもいいのは、ハルとレイだけなんだからね」


「クランツ、あなたですね」


「えへ、ばれちゃった?」


 誤魔化すこともなく、クランツはぺろりと舌をだした。そして、続けて言う。


「何故あの場にいたのかって聞きたいんでしょ? 簡単だよ。だって、ハルの様子を見てればわかるじゃない? あれ? いつもと様子が違うなって。だから、ずっとハルのこと見張ってたんだ。ねえ、炎天はレイのこと疑って、下の人間を使ってハルの探索に躍起になってるみたいだけど、ハルなら大丈夫だよね。だから僕ね、そのことについてはなんにも心配してないよ。でも……」


 クランツはしょんぼりした顔でうつむいてしまう。


「ハルがいなくなったら、寂しくなっちゃうな。僕、ハルのこと大好きだったのに。あのね、この前森で、狼の子どもを見つけたんだ。すっごく可愛いからハルにも見せてあげて名前もつけてもらおうって思ってたのにな」


 残念、と頬をぷうと膨らませるクランツの表情は嘘偽りなく、心底ハルがいなくなってしまったことを寂しがっているものであった。

 クランツは遠い眼差しで遥か彼方の空に視線をさまよわせる。

 どこか遠い、この空の下にいるハルに思いをはせているのだろう。


「僕がハルの側にいてあげられたらよかったのに。そしたら、僕がすべての厄介ごとからハルのことを守ってあげたんだけどなあ」


 クランツは首を傾げてレイに向き直りにこっと笑った。


「それから僕ね。いつかあいつを……炎天を〝天〟の座から引きずりおろしてやろうと思ってるんだ。ねえレイ、炎天の馬鹿がいろいろレイに嫌がらせをするだろうけど、相手になんかしちゃだめだよ。でも、あんまりしつこいようなら僕にちゃんと言って。わざわざレイの手を煩わせることなんてないんだから。ね?」


 あどけなく笑うクランツの石灰色の瞳の奥にちらりと揺れる殺戮の炎。


「僕があいつを始末してあげる」

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