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3 炎天

 見破ってやったぞと得意げに言う炎天に、レイは相変わらず口許に微笑を浮かべるだけであった。

 否定はしない。

 けれど、肯定もしない。

 ハルは死んだと言っても信じてもらえないというのなら、これ以上何を言ってもむだ。

 好きに想像すればいいという様子であった。


「だが、奴がアイザカーンに向かったとも限らない。念のためだ。アイザカーン行きの船は他にあるか?」


「二日後に、フィナルローエン国の港からの直行便がある。それに乗れば五日早く、ハルが乗ったと思われる船より先にアイザカーンに辿り着く」


「よし、万が一を考え、先回りさせておけ」


「そうはさせるか」


 指示を与える炎天を、白天は頬杖をついたまま目を細め、かすかな声で呟く。

 手で口許を覆っていたため、呟いた言葉を誰かに読み取られることはなかった。


「アルゼシア行きは?」


「今のところない」


「ちっ」


 舌打ちを慣らして炎天は乱暴な仕草で椅子に腰をかけると、レイと白天をのぞく、他の者の顔をひとりひとり見やる。


「早朝、テンペランツの港でハルらしき人物をみたという者はいたか?」


「残念なことに、今朝はとくに靄の濃い日で、誰も何も見えなかったという」


 すでにハルの行方を追うために、聞き込みは済んでいるらしい。


 炎天は片目をすがめ、レイに鋭い視線を向ける。


「誰も人目につかない早朝。そして、濃い靄。なるほど……天候も貴様の計算のうちというわけか。つまり、ハルの逃亡は衝動的なものではなく、ずいぶんと前から、それも綿密に計画していたということ、だな」


 炎天は忌々しげに吐き捨てる。


「ただ……」


「何だ?」


「アイザカーン行きの船の上から、だみ声の男が何かを叫んでいたらしい。だが、片言のレザンの言葉で聞き取ることはできなかったと。それから、その男はアイザカーン語でしばらく乗務員ともめていた」


「もめていた?」


「出航ぎりぎりにだ」


 炎天はあごに手をあて考え込む顔をする。


「その男、怪しいな。まあ、どのみち調べればいいことだ。乗船名簿は?」


「すでに手に入れた」


 その男は書類の束を炎天に向かって放り投げた。

 名簿をと要求しておきながら、炎天は渡された書類を興味なさそうに片手でめくった。


「ハルが偽名を使って船に乗り込んだことはあきらかだ。この名前の羅列された名簿の中に奴の名を見つけることなどできないことはわかっている」


 炎天はにやりと笑って手にした書類をぷらぷらと揺らした。


「この名簿に書かれている名前とその人物の顔をひとりひとり調べて一致させろ。乗船客、乗務員ひとり残らず全員だ。そして、ハルらしき人物が船に乗っていなかったかも聞き出せ。どんな手を使ってでも必ず奴を見つけ出してやる。この組織から逃げられると思うなよ」


 船に乗っている者全員、それも乗船名簿だけを頼りに、ひとりひとり身元を調べ、組織から逃亡したハルの行方を追っていく。

 そんな、炎天の無茶な命令に、白天はくりっとした大きな目をさらに見開いた。


「全員って、その船にいったどれだけの人数が乗っていると思ってるわけ? で、一人の人間の行方を追うために、どれだけの人数と時間をさくつもり? 炎天はよっぽど暇なんだね。羨ましいなあ」


「何だと?」


 レイをのぞく他の者もわずかにその顔に難色を示す。

 いや、本来なら無茶でも何でもないこと。

 組織から抜けることは絶対に許されない。

 どんなことをしても、どんな手を使ってでも逃げ出した者を捕らえ組織に連れ戻す。

 そして、捕まれば逃げ出したことを後悔させるほどに厳しい処罰がその者に待ち受けている。

 しかし、炎天の命令に従うということは、もうひとりの長である〝黒天〟レイの、ハルは死んだのだという言葉をあからさまに疑うこととなる。

 気色ばむ炎天にはかまわず、白天はさらにたたみかけるように言う。


「いいよね。僕たちは命がけの仕事をしている間に、炎天は死んだ人間を船に乗っていると思い込んでのんきに人探し。言っておくけど、そんなむだなことのために、僕の配下の人間は貸さないよ」


 やるなら自分のところで勝手にやってと、白天はきっぱりと言い切る。


「はっ! 誰がおまえのところの人間など借りるか」


「ならいいけど」


「他の者は知らないが、レイ、俺は貴様の言葉など信じない。もし、ハルが生きていたら貴様はどうするつもりだ?」


「その時は……」


「だめだよレイ。絶対にその先の言葉を言ってはだめだからね!」


 白天がレイのその先の言葉を遮るように声を上げた。

 レイは静かにまぶたを閉じた。

 一拍おいて、再びゆっくりと目を開く。

 翡翠色の瞳が真っ直ぐ炎天を見つめ返す。


「わたしの命を差し上げましょう」


 それで満足ですか? とレイは目顔で炎天に問う。


「レイ!」


 たまらず白天はテーブルを両手で叩きつけ立ち上がった。

 一方、炎天はにやりと唇を歪める。


「なるほど。よほど、ハルが見つからないという自信があるわけだ。まあいい。だが、その言葉、忘れるなよ」


「何言ってんだよ……レイのばか! そんなの僕が絶対に許さないんだからね!」


 側で白天が子どものように両手を振り回して抗議する。

 確かに、ハルが見つかるのも時間の問題。

 いつまでも隠し通せるわけがない。

 むかつくけど炎天の言うとおり、組織の力をもってすれば、逃げた人間ひとりを見つけ出すなど簡単なこと。


 なのに……レイは何を考えているの。

 自分の命を差し出すなんて。

 くそ……!

 ハルが見つかる前にあいつを始末してしまいたいところ。


 あいつと心の中で呟いて、白天はちらりと炎天を一瞥する。

 どうせ、たいして使えない奴だし、いなくなったって不都合はない。

 それに、そもそも僕はあいつが大っきらいだしね。

 むだに命を縮めたな炎天。

 そして、白天はびしりと炎天に向けて指をつきつけた。


「いいかおまえ!」


「おまえだと……」


「おまえなんかおまえでじゅうぶんだ」


「何だと!」


「もし、レイに何かあったら絶対に僕が許さないんだからね! おまえを細かくずたずたに切り裂いてレザンの山に捨てて狼たちの餌にしてやる!」


「このがきっ!」


 炎天の鋭い視線が白天を貫く。

 対抗して白天も灰色の瞳に殺気を忍ばせ炎天を射貫く。

 またしても二人の間に見えない激しい火花が散った。

 再び炎天は剣に手をかけ、そして白天も身がまえる。


「何? やっぱり今ここで()りあうつもり? 望むところだよ。だけど、後悔するのはおまえの方だ。その覚悟があるならかかってくればいい。一瞬で決着をつけてやる!」


「白天殿、どうか落ち着いてください」


「クランツだってばー、レイ」


 うー、と声をもらして白天はレイの背に腕を回してぎゅっとしがみつく。

 こんな状況でも名前で呼んでとレイに甘える白天は、まるで主にじゃれつく子犬のようであった。

 ただし、その子犬は主に害を及ぼそうとする者には容赦なく牙を剥く猛犬。


「ハルは死んじゃったし、レイまでいなくなるなんて、僕いやだからね」


 レイは自分の胸にすがりつく小さな少年の頭をなで、困った子ですねと、微笑を浮かべた。

 そこへ、ひとりの男がゆっくりとした足取りでレイの元へと歩み寄ってきた。

 咄嗟に、その男からレイを庇うように白天は両手を広げる。


「そこをどけ、白天」


「絶対にどかないからね」


 誰かれかまわず突っかかる白天の肩を、レイは背後からそっと手をかける。


「クランツ」


 名前で呼びかけるレイの声に、白天──クランツは背の高いレイを大きく見上げる。


「わたしは大丈夫ですよ」


 クランツはふっと肩の力を抜き、素直にレイの言葉に従った。

 近づいてきたその男は目を細め、真っ直ぐにレイを見つめる。


「もう一度真実を問おう」


「何度問われようと、わたしの口から出る言葉はただひとつ」


「だが、それを証明するものが何もない」


「それについては返す言葉もありません」


「俺たちはハルを連れ戻せとおまえに命じた」


「すべてはわたしの不手際ゆえ。処分はいかようにも受けるつもりです」


 男は不意にレイの細い肩に手をかけた。そして、何を思ったかその手に力を込め、レイの衣服を引き裂いた。

 その場にいた者がいっせいに息を飲む。

 レイに対抗意識を向ける炎天でさえ例外ではなかった。

 あらわになったレイの左胸元には組織の者である証の花の入れ墨。

 そして、端整な顔だちからは想像もつかない、素肌に刻まれた痛ましい傷痕。


「何するの……ひどいよ〝蒼天〟」


 泣きそうな声で非難の声を上げるクランツを無視し、蒼天と呼ばれた男は続けて言う。


「奴は過去に一度逃亡を企て失敗した。本来ならば処罰を受けるはずの身を、おまえの必死の願いにより先代の黒天の命によって取り消された。奴が受けるはずの処罰さえも、おまえがすべて引き受けた。すべては異例のことだ。だが……」


 二度目はこれだけでは済まされない、と男は言外に釘をさすよう真っ向からレイの目をのぞき込んで言う。

 凄まじい威圧感であった。

 この場の雰囲気が一瞬にして凍りつく。

 もしも、胸のうちに隠しごとを持っている者がこの目に見据えられ、問いつめられたなら、即座に耐えきれずに目を逸らしてしまうであろう。

 だが、レイの瞳に少しの揺らぎはない。

 蒼天はふっと笑い、炎天に向き直る。


「剣をおさめろ炎天。この件については終とする」


「何故だ蒼天!」


 言うまでもなく、炎天は不満の声をあげた。


「何故? 嘘をつくことがどれほど無意味なことか、我ら残り七人の〝天〟を敵に回せばどうなるか、黒天とてわからないわけではあるまい。そうだな? 黒天……いやレイ」


 レイは静かにうなずいた。


「だが、俺はそいつの! ……黒天の言葉を信じない。俺は俺でハルの行方を探しだし、黒天が俺たちを裏切ったということを証明してみせる」


「炎天がそうしたいというのなら、そうすればいい」


「ああ」


「そういうことだ。他の者も異存はないな」

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