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14 運命の出会い

 町の中心部から離れた田園風景が広がるそこに、レイが言っていたと思われる教会はあった。

 こじんまりとした教会であった。

 もともと白であったはずの外壁は、ところどころ塗装が剥がれ落ちて茶色く汚れ、蔓草が教会の屋根まではびこっている。

 一瞬、廃墟かと思われるほど古びた外観ではあるが、それがかえって、おもむきがあるといえばそう思わくもない。それなりに、きちんと手入れをされていることもうかがえる。


 すでに夕暮れ時。

 遠くを見やれば、遙か遠方には悠々と連なる山々の脊梁が、傾きかけた陽の光を受けながら波線を描いている。

 空にはひときわ明るい光を放つ宵の明星。

 緩やかに夜の気配を忍ばせようとする中、ハルはその小さな教会の前で立ち尽くしていた。


 どのくらいその場に立っていたのだろう。

 やがてハルは意を決したように手の中の十字架を握りしめ、教会の扉を押し開き中へと足を踏み入れた。

 きしんだ音をたて背後で扉が閉まった。

 静寂と厳かな空気に身が引き締まる。

 正面、祭壇の前には聖母を絵にしたステンドグラス。その色ガラスから透過した夕陽の光が床に落ち淡い模様を描く。


 中ほどまで歩いたところでハルは歩みをとめた。

 先客がいたからだ。

 その人物は祭壇の前でひざまずき、熱心に祈りを捧げていた。

 ゆったりとした丈の長いフードつきの黒一色の外套。

 背格好からしておそらく少女のようだ。

 ハルは少女の祈りを妨げないよう息をひそめ、しばしその者の後ろ姿を見守っていた。

 やがて、祈りを終えた少女は立ち上がるとこちらに向かって歩き出す。

 フードを深くかぶっていて顔は見えない。

 唯一見える口許にかすかな笑みが浮かべ、すれ違いざま相手が会釈をしてきた。

 まぶたを伏せ、軽くおじぎを返すハルの唇にも薄い笑いが刻まれる。しかし、笑ったのは別の意味でだ。


 この辺りの町娘の格好に扮してはいるが、立ち居振る舞いまでは隠しきることはできないようだ。さらに、その身から放たれる気も普通の者のそれとは違う。

 おそらく、高貴な身分の者であろう。

 観察力の鋭い者にかかれば、すぐに見抜かれてしまう。


 さて、間もなく日も暮れる。

 この辺りには町も村もない。

 あの少女はどうするのだろう。

 賊にでも襲われなければいいが。


 そんなことを思いながら少女が教会から出て行くのを見とどけたハルは、祭壇の前に立ちステンドグラスを見上げた。

 そうして、長い間、聖母の絵を見つめたまま立ちつくす。

 何故、レイがここへ来るよう言ったのかわからなかった。レイの真意を探ろうとしても、答えを導きだすことはできない。

 まさか本当にグリュンの言った通り、祈りでも捧げろということなのか。


 まさかね、とハルは苦い笑いを刻む。


 レザンの暗殺者として育てられ、初めて人を殺して以来、神に祈りを捧げることはやめた。

 どんなに祈っても苦しい境遇から神は自分を救ってはくれなかったし、この手を血で染めてしまった瞬間から、もはや、祈る資格などないと思ったから。

 この先も祈りを捧げることなどない。


 ここを出よう。

 そもそも俺には場違いだ。


 レイがこの場所に行きなさいと言ったのなら、何か意味があってのことだろう。

 この先、二度と祈ることなどないというハルの心情を知っていながら、教会に出向きなさいなどとレイが悪戯に言うわけがない。

 しかし結局、レイの思惑がなんであるかを見いだすことができないまま、あきらめて祭壇に背を向けかけた時であった。


 祭壇横の扉が開き、そこから神父姿の老齢の男が現れた。

 ハルの姿を見て一瞬立ち止まったものの、神父はとくに驚いた様子も見せず、深く刻まれた目じりのしわの奥に穏やかな色をたたえた()でハルを見返すだけであった。


「お祈りはお済みですか? まだでしたら、どうぞご遠慮なく」


 人柄がにじみ出るような優しい口調であった。

 聖職者だからというだけではない。

 年を重ねたゆえの、すべてを包み込むような懐の広さ温かさというものがあふれているようであった。


「はい。いえ……」


 どちらともつかない曖昧な返事をしてハルは小さく一礼する。


「このような時間にすみません。すぐに立ち去ります」


 やましいことなど何もないが、人殺しという決して許されない罪を重ねてきた自分にとって、実際この場所はあまりにも居心地が悪い。

 こうして神父と向き合うことすら、いたたまれないものを感じてしまう。

 ふと、足元を見れば、床に落ちた聖母のステンドグラスの影を踏みつけている自分に気づき、意図しないことであったにもかかわらずハルは瞳を揺らした。

 もう一度、おじぎをして立ち去ろうとするハルの手から、こぼれた十字架の鎖が緩やかに虚空をさまよい、窓から斜に差し込む残照をはじいてきらりと光る。

 すると、神父は目を見開いた。


「お待ちください」


 呼び止められてハルは振り返る。


「あなたの手にしているのは十字架ですね?」


 ハルは手のひらを開いて、それに視線を落とす。


「その十字架を、わたしに見せていただけませんか?」


 訝しみつつもハルは言われるがまま、手にした十字架を神父に手渡した。


 この十字架に何か特別な意味があるのだろうか。

 レイと出会ったときから、レイが肌身離さず身につけていたもの。

 クロスと鎖のつなぎ目に、レイの瞳を思わせるような深緑の輝石をあしらったものだが、特徴があるといえばそれだけで、だからといって、特別なものでもないはず。

 けれど、十字架をじっと見つめていた神父は何かを納得したかのように、何度もうなずいていた。

 確かに、十字架そのものには何の意味もない。

 意味があったのは、元々それを所持していたレイであり、レイから十字架を譲り受けたハル自身であった。


「失礼ですが、お名前をお伺いしてもよろしいでしょうか?」


 十字架をハルの手に返しながら神妙な面持ちで問いかけてくる神父に、ハルは自分の名を告げる。

 すると、目元にくしゃりとしわをよせ、神父は相好を崩した。


「ああ……あなたがいらっしゃるのをお待ちしておりました」


「待っていた。俺を?」


 この神父とは初対面であるのに、待っていたとはおかしな話だ。

 昔どこかで出会ったという記憶もない。だが、相手は自分のことを知っているふうな口ぶりであった。


「ええ、どうぞこちらにいらしてください」


 神父に促されハルは奥の部屋へとついて行く。

 奥の部屋に入ると、神父はおもむろに部屋のすみに膝をつき床板を持ち上げた。

 隠し床になっているらしく、中からから両手いっぱいの皮袋を取り出しそれをテーブルに置く。


「レイ様からあなたへ渡すよう言付かっておりました」


「レイから?」


 神父ははい、と変わらずの笑顔でうなずく。

 グリュンのときとは違い、レイから何を聞いた? レイとはどういう関係だ? と神父に食らいつくことは、さすがにしなかった。

 いや、誰の口からレイの名が出ても、もはや驚かない。


 ずしりとした袋の重みからしてお金が入っているだろうことは予想できた。

 テーブルに近づき袋を開けると、やはり中には金貨、それもアルガリタ金貨がびっしりとつまっている。

 これは? とハルは視線をあげ神父を見る。


「ほんの一部にしか過ぎませんが、あなたが受け取るべき報酬だとレイ様は仰っておりました。どうぞお持ちになってください」


 レイがそんなことを……。


 どこからともなく明るい笑い声が聞こえてくるのを耳にする。

 窓の外を見やると、幼い子どもたちが数人、無邪気に遊んでいる姿が目に映った。走り回る子どもたちの横を、少し年長の子が水桶を手に井戸へ向かう。夕食の支度のためか。さらに、別の子は洗濯物をとりこんでいる。

 近くに人の住むような村や町はないとなると、この教会で暮らしている子どもたちだろうか。

 ハルの視線に気づいた神父は、目を細め愛おしむように子どもたちの姿を見る。


「あの子たちは親を亡くしてしまった孤児でしてね。ここで面倒をみているのですよ」


 孤児、と呟いてハルは藍色の瞳を翳らせる。

 ふと、子どもたちの姿が自分の幼い頃の姿と重なってしまった。

 親の顔も知らず名前もなく、レザンの銀雪山の麓でのたれ死にかけたところを、組織に拾われ連れていかれた。

 そこでレイと出会った。

 レイが自分を育ててくれたようなものといっても過言ではない。こうして、ここに自分がいるのは、すべてはレイのおかげだ。


 楽しそうに明るく笑っている子どもたちを見る限り、この神父に大切にされているのだろう。

 どこからともなく忍び込んだ冷たいすきま風に我に返る。

 金貨のつまった袋の口をしめ、ハルはそれを神父の前に差し出した。

 はたして、暗殺で稼いだ報酬を、神聖なる教会に寄付してよいものかと思案したが、言わなければわからないことだし、たとえ、汚れていてもお金であることに変わりはない。

 あって困るものでもないだろう。


 これだけあれば軋んだ教会の扉も、すきま風の入り込む窓も修理することができる。  やがてくる、厳しい冬を越すための薪や食料もじゅうぶんに揃えることも。

 祈ることはやめたが、あそこにいる子どもたちのために些細だが何かをしてあげることくらいは、神も許してくれるだろう。

 子どもたちの笑顔が消えないように、と。

 自分は金がなくともどうとでもなる。

 この先も一人で生きていけるすべを、レイが教えてくれた。

 しかし、神父はにこやかに笑い、いいえ、と緩やかに首を振る。


「あなたならきっと、そうなさるでしょうとレイ様が仰っておりましたが、その通りでしたね。ですが、これは受け取っていただけなければ困ります。それに、レイ様からはすでにたくさんの寄付をいただいておりますので、お気持ちだけ、ありがたく頂きましょう」


 神父は子どもたちをみやる。


「レイ様のおかげで、今年の冬はあの子たちに暖かい上着を買い揃えてあげることができそうです」


 と、神父は胸のあたりで十字をきった。


「だから、これはどうぞお持ちになってください」


 ハルは再び革袋の口を開け、数枚の金貨を手に取る。


「この通り、身ひとつのみで、行くあても定まっておりません。これだけのお金を持ち歩くには何かと不便です。ですから、これはしばらくこちらで預かっていただけないでしょうか」


「わかりました。そういうことでしたら。ですが、いつか必ず受け取りにくるとお約束してくださいね」


「はい」


 ハルは深く目の前の神父におじぎをした。



 ◆



 教会を出てしばらく歩くと前方に一台の馬車が止まっていた。

 特に気にとめることなく馬車の横を通り過ぎようとしたとき。


「アルガリタまで行くが、乗っていかないか?」


 凜とした声が馬車から落ちてきた。

 それも、驚いたことに流暢とまではいかないが、レザン語であった。

 声をかけてきたのは先ほど教会で祈りを捧げていた少女。

 まさかとは思うが、自分が教会から出てくるのをここで待っていたというのか。


「俺?」


「他に誰がいるというのだ?」


 少女はおかしそうに笑い、ハルは肩をすくめた。

 この場に自分以外誰の人影もないのだからそんなふうに聞き返すのもおかしなこと。だが、俺? と問い返したのはそういう意味ではなく。


「何故、俺に声をかける?」


 という意味だ。


「とくに理由はない。だが」


 と、言って少女は空を見上げた。

 すでに、陽は沈んでしまった。

 澄んだ空気のおかげで、夜空には満天の星が広がっている。


「このあたりは寂しいところだ。町も村もない。野宿でもするつもりか? それに、夜は冷える」


 アルガリタへ行こうと決心はしたが、アルガリタのどこへ行くか、そこに辿り着いたら何をするべきか、先のことはまだ何一つ考えていなかった。

 それに、レザンに比べれば多少の寒さも気にはならないし、野宿になろうとも別に気にするほどのものでもない。


「いいのか? 見ず知らずの俺を馬車に乗せて、俺が悪党だったらどうする」


「そなたは悪党なのか?」


 反対に問われてハルは苦笑いを浮かべる。

 悪党ではないつもりだが、これまでやってきたことを思えば似たようなものだ。否定しきれない。


「遠慮しておくよ。高貴な方の乗る馬車に俺みたいな者が同席するなど、恐れ多すぎる」


「なるほど。私のことを知っているという口ぶりだな。ならば、顔を隠す必要はないな」


 側に控える従者とおぼしき男が止めようとしたが、それよりも早く少女はかぶっていたフードをさっと取り払った。

 長い艶やかな黒髪が肩にこぼれ落ちる。

 ハルは目を見開く。

 高貴な身分の者だろうとは思ったが、目の前にいる少女はとんでもない──。


 アルガリタの王女だった。


 これまでかかわってきた者、みながレイとの繋がりがあった。もしや、この少女もレイと何かしら関係があるのだろうかと思わず深読みをしてしまう。

 レイは元々フィクスレクス国の王子だ。

 王家の人間であったレイが、何かしら他国の王族と繋がりをもっていたとしても不思議ではない。


「……レイに何か頼まれたのか?」


 しかし、少女は首を傾げる。


「レイという人物は知らないが、そのレイがどうしたのだ?」


「いや……」


 それっきりハルは口を閉ざす。


「ならばこうしよう。この辺りは野賊が出るという。護衛にそなたを雇いたいと思うのだが引き受けてくれるか?」


 また護衛か、とハルは独りごちる。


「俺を護衛に?」


「腕に覚えがあるのだろう?」


「どうしてそう思う?」


「足音が聞こえなかった」


 ハルはわずかに目を細め少女を見上げる。


「先ほどの教会での話だ。扉が開いた音は聞こえた。だが、そこから先、そなたが教会の中に入ってきた足音がなかった。気配すらも感じなかった」


 なるほど、無防備な姿で祈りを捧げていたわけではないということだ。


「悪いが、俺はアルガリタのごたごたに巻き込まれるつもりはない」


 ほう? と少女はさもおかしそうな顔で笑う。


「その言葉の意味を訊ねてもよいだろうか?」


 じき、アルガリタに内乱が起こるだろう。

 現女王と女王の娘である王女の争いだ。


「俺に聞かずとも自分の胸にきけばよくわかるだろう? それに、俺は追われている身だ。俺ににかかわると……」


「案ずるな。私も似たような境遇だ。そんなことよりも。馬車に乗るのか乗らないのか。どちらだ?」


 ハルは肩をすくめた。


 これもまた運命なのだろう。

 これがアルガリタ国の王女アリシアとの最初の出会いであった。


 後に〝女王陛下の剣〟となって活躍するのだが、それはまた別のお話である。





 ──それから三年の月日が流れた。






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