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12 海賊襲撃(2)

 薄暗い廊下を歩き、外へと繋がる階段を登っていく。徐々に差し込んでくる陽光の眩しさに目をすがめ手をかざした。

 見上げた空はどこまでも真っ青で、雲一つない。

 潮の匂いをまとった強い風にあおられ、上着の裾が大きくひるがえる。


 船尾側に一隻の巨大な船がこの船を直撃し横付けにされていた。

 船の装飾からして間違いなく海賊船だ。その海賊船から、まるで獣の咆吼のようなわめき声が聞こえ始め、甲板に大勢の屈強な男たちがわらわらとのり込んできた。


「金目のものは残らず奪え! 食料と水もだ! あと、見た目のいい女、子どももかっさらえ! 売り払えば多少の金にはなる。男はいらねえぞ。男は全員殺せ!」


「かしら、女やっちまってもかまわねえっすか? ほら、売るにしても味を確かめないことには……へへへ」


「好きにしろ」


「うひー! かしらが女犯してもいいってさ!」


「やれるぞ! 捕まえろ!」


 浮き立った声をいっせにあげて、海賊たちが我が物顔で甲板の上を荒らし回る。

 海賊たちは食料や水、酒を奪い自分たちの船に運び始めた。中には女や子どもがいないかと探し回っている者もいる。


「水も食料も金もすべてくれてやる! だから、乗船客には手を出さないでくれ! 頼む!」


 船長が必死になって海賊との交渉に応じるも、彼らは強奪に興じて船長の声など耳に届いていなかった。

 ハルは声を忍ばせて笑った。


 くず相手に、そんな交渉など無意味だ。


 よほど心配だったのか、船室へと降りる階段の下でローズが心配げな顔でこちらを見上げているのが視界のすみに入った。


「そいつらに何を言ってもむだだよ」


 船長とその回りにいた船員たちがいっせいにこちらを振り返った。


「君は……」


「邪魔だ。そこをどけ」


 船長のその先の言葉をハルは手で遮りながら、彼らの脇を通り過ぎる。


「あんたたちは巻き込まれないようにさがっていろ」


「その剣……まさか君! あれだけの大人数を相手に戦うつもりか? それもたった一人で……やめたまえ!」


 引き止める船長の声を聞き流し、ハルは海賊たちが群れている船後方部に向かって歩きだす。


「君! 無茶はやめるんだ!」


 再びの船長の声にハルは肩越しに振り返る。


「少しくらい無茶をしないと助からないよ。いいのか?」


「しかし……」


 君一人でこの危機的状況をどうやって切り抜けるというのだ? とあきらかに船長の目が言っていた。

 思わず自嘲の笑いがもれる。

 結局、こういった血なまぐさいことから逃れることはできない運命なのか。


「水も食料も金も」


「ああ? なんだてめえ?」


 海賊たちも剣を手に船底から現れたハルに好奇な視線を投げ放つ。


「乗客の命も渡さない」


 手にしていた剣を馴染ませるよう、何度も強く握りしめる。

 海賊どもを利用するもう一つの選択肢があった。

 あの時、グリュンから借りた地図を眺めながら思い浮かんだ考え。

 それは、海賊に殺されたとみせかけ、この船の人間全員をこの手で殺してしまうことだった。

 そうすれば、誰にも自分のことを組織の人間にばらされる心配はない。

 ハルはふっと笑った。

 以前の自分ならどうだろうか。

 その選択を迷わず選んだだろうか。

 だけど、今はその選択肢は最初からない。


 この船の者全員、守ってみせる。

 この手で。


「何一つ、奪わせはしない」


 決意の声とともにハルはゆっくりと剣を抜き放つ。

 鞘から姿を現した鈍色の刀身が陽の光を受けて反射し、ハルの端整な顔を照らす。

 わずかに視線を落とし、ハルはふっと笑んだ。

 解き放たれた刃と同時にハルの藍色の瞳に烈々たる光が過ぎる。

 戦闘態勢に入ったのだ。


 一瞬の沈黙。


 海賊たちは互いに顔を見合わせ下品な笑い声をあげた。

 中には腹を抱えて転げる者も。

 しかし、海賊たちは気づいていない。

 ハルの藍色の瞳の奥に危険な影が存在していることを。その瞳の奥に揺れるのはまぎれもない、敵を確実に仕留めようとする殺気。

 ひとしきり大笑いをして満足した海賊たちは、それぞれ手にした剣を手に戯けた仕草をとる。


「おまえ一人で俺たちに向かおうってか?」


「てか、よく見ると、ずいぶん綺麗な顔立ちの坊やじゃねえか?」


「どこの人間だ?」


「レザンだよ。レザン」


「ああ、どうりでな」


「なあ、俺の肉剣で貫いてやろうか、坊や」


「ひいひい泣かせてやるぜ」


 海賊たちは揃って舌なめずりをする。


「おまえらに渡すものなど何もない。即刻この船から去れ。さもないと」


 ハルは抜き身の剣を手に海賊たちの前に進みでる。

 歩みながら吹く風の流れを読む。


「ああ? さもないと、何だってぇ?」


 海賊たちはこの船の上にいるだけでもざっと……。

 いや、数えるのも馬鹿馬鹿しい。

 運悪く外に出ていたのだろう、奴らに捕らわれている女性や小さな子どももいる。

 捕らえられた者たちにいっさい危害を加えることなく奴らを倒し、救い出さなければならない。


「おまえみたいな弱っちそうな坊やに、何ができるってんだ?」


「やっちまいな!」


 海賊たちのかけ声と同時にハルは甲板を蹴り、群がる敵に向かって駆けだした。

 まるで風が吹き抜けていくような速さと勢いだった。

 真っ向から向かってくる海賊たちの間を器用にすり抜け、捕らえられた女を連れ去ろうとする男目がけて剣を振るう。

 澄明な輝きを放つ研ぎ澄まされた刃がきらりと太陽の光をはじいて軌跡を描く。

 次の瞬間、海賊の男の右腕が身体から離れ空に浮いた。飛び散る血が虚空に吹き上がり、辺り一面真っ赤に染め上げた。


「あわわ……ない! 俺の右腕がないぞっ! どこにいった!」


 甲板に這いつくばって右腕を探す海賊の男を半眼で見下ろし、ハルは艶やかな笑みを口許に刻んだ。その足元には斬ったばかりの男の右腕が踏みつけられていた。


「さもないと、こういうことになるってことだ。わかったか?」


「この! くそがきがっ!」


 さらに、横から別の男が襲い来る。

 いったん敵との距離をとるため後方へと飛び、後退としたと思いきや、風の流れに刃をのせ相手の脇腹を斬りつけた。さらに、返した剣で別の男の胸を裂く。


「ぐわーっ!」


 ここでようやく、海賊たちはハルの強さに顔を引きつらせた。

 いかにも脆弱そうに見える少年一人に、屈強な海賊の何人かがやられてしまったのだ。しかし、驚いたのは海賊たちだけではない。


「船長……あの少年……」


 船員たちは茫然とした様で海賊相手に戦うハルの姿を見る。


「なんて、強さだ……」


 力任せに打ち込んできた相手の重たい一撃を受け止めたその時、ぴしりと鳴った嫌な音とともに、剣が真っ二つに折れた。

 折れて弾かれた剣先が甲板に突き刺さる。


「へへっ、きさまのぼろっちい剣もとうとう折れちまったな。これで勝負は決まったな」


「それはどうかな」


 ハルはにっと嗤って潔く剣を投げ捨てる。


「死ね!」


 横なぎで剣を払ってくる海賊の男の顔にハルは羽織っていた上着を脱いで投げつけた。


「わぷっ」


 その男の腹に痛烈な膝蹴りを食らわせ、腹を押さえて身を丸める男の首筋に腕を絡め力を込める。

 奇妙な呻きとともに、男は床へと崩れ落ちた。さらに、背後から斬りかかってきた相手の剣を身を屈めてやり過ごし、反動をつけてあごにこぶしを叩き込んだ。

 吹き飛んだ敵の眉間めがけて敵が落とした剣を投げつける。


「くそっ! こいつ……」


「素手でも強ぇ……」


「なんて奴だ……」


 さらに次々と襲いかかる海賊たちの攻撃をかわしハルは眉を寄せた。


 きりがないな。


 さっと視線を巡らせ、海賊のかしらとおぼしき者を見極める。


 あいつか。


 一段高くなった船の最後尾、余裕の顔でにやついている禿げの大男。あいつを押さえ、勢いを削ぎ落とし挫けば海賊どもの戦力と統率は乱れるだろう。

 しかし、海賊の頭目がいる場所まで向かうには、かなりの人数を相手にしなければならない。


 ならば。


 ハルは船の縁に向かって走った。

 海賊たちが持ち出した酒樽を踏み台にして、器用に船のへりに軽やかに降り立つ。


「くそ! ちょこまかと動き回りやがって!」


「そこから降りて来い!」


「いや! そいつを海に叩き落とせ!」


 いっせいにこちらに駆けてくる海賊たちにはいっさい目もくれず、ハルは足下の頼りない船のへりを伝ってかしらがいる船の最後尾まで駆け抜けた。

 船の縁の向こうは大海原。

 大きく船が揺らげば確実に海へと真っ逆さま。

 足を踏み外しても同じ。

 一気に走ってかしらの禿げ男の側まで近づくと、そこで大きく跳躍し甲板の上に放置されていた荒縄を手にとり海賊のかしらめがけて投げつけた。

 かしらの足がロープに絡まり身動きが封じられる。すぐさま、ロープの端を手に取り相手の背後に回って首に巻きつけ締めあげた。


「ぐえーっ!」


 たまらず絡んだ首の縄を解こうとするかしらの手から剣が落ちる。

 ハルはつま先で落ちた剣を器用に蹴り上げ空に浮いたそれを手にする。

 振り返る暇も与えず、すぐにハルの剣がかしらの太い首に添えられた。

 刃を少しでも横にひけば、たちどころにこの男の命はない。

 呆気なくも勝負はあった。

 その場にいた者たちは驚きに口をあけたまま茫然としている。

 かしらを捕らえたハルの顔に酷薄な笑みが広がっていく。


「ま、ま……まっ、て……」


 海賊のかしらは低く呻き声をもらし顔を青ざめさせた。

 だらりとひたいに浮かんだ汗が流れ落ちる。


「即刻、あいつらを退かせろ」


 ハルの剣がかしらの首にさらに食い込む。

 首筋に刃が沈みうっすらと血の筋が浮かび上がっていく。


「ひっ! ま、ま、待て早まるな……」


「聞こえなかったか?」


「待って……た、たしゅけて……」


「そうか、聞こえないか。ならばこの耳は必要ないな。切り落とすか」


「み、耳! だめ……わ、わかったから、首の剣を……声出したら……すっぱりと切れちゃうから……」


「いいから、あいつらに退けと命じろ」


 ハルの抑揚のない声がかしらの耳に落ちる。


「わかった……おい、おまえら引きあげるぞ」


 あからさまに不満げな表情を浮かべている手下たちに、かしらはもう一度言い放つ。


「ひ、ひけ~!」


 かしらの情けない叫び声に、手下たちはしぶしぶ引きあげ始めた。

 人質を放し奪ったものを置いていき、海賊の手下がすっかりと引きあげるのを確認してから、ハルは捕らえていたかしらの背中を足で蹴り解放した。

 前のめりにまろぶように足をもつれさせ、かしらは一度だけ忌々しげにハルをかえりみる。


「おまえ、ば、化けもんかよ!」


 そう吐き捨て、そのまま逃げるように自分の船に戻っていってしまった。

 海賊たちはたった一人の少年によって戦意をくじかれ、引きあげてしまったのであった。


 ハルによって海賊の魔の手から逃れることができたというにもかかわらず、戦いを見守っていた他の乗船員、乗客たちが恐ろしいものを見る目でハルから遠ざかっていく。


「き、君……大丈夫かね。怪我は……」


 手を伸ばしてきた船長の手をハルは邪険に払いのける。

 まだ消えないハルの殺気に、他の者も怯えた顔で後ずさる。

 無言で立ち去るハルの背中を見つめ、乗組員たちはごくりと唾を飲み込んだ。


「船長……やばくないですか? あの少年、あれは殺しに慣れている」


「なんでそんな奴がこの船に……」


 乗務員たちの顔に動揺の色が濃く浮かんでいる。


「よさないか。彼はこの船の危機を救ってくれた恩人だ」


「しかし、船長!」


「さっさと後かたづけを済ませるんだ。すぐに出航する!」


 ハルは茫然と立ち尽くすグリュンとは目を合わすこともなく脇ををすり抜け去って行く。


「ハル」


 グリュンの呼びかけにしかし、ハルは振り返ることはなかった。


「レザンの暗殺者“姿なき者”……幼い頃よりひたすら暗殺の道具として育てられた存在……なあレイ、本当にあいつを外の世界に放ってしまってよかったのか……」


 声にならない声で、グリュンはぽつりと呟いた。

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