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1 暗殺組織レザン -あなたに神のご加護がありますように-

 アルゼシア大陸より遙か海をへだてた北方の大陸、レザン・パリュー。

 一年のほとんどが雪と氷に閉ざされた、厳しくも美しい雪原の大地。

 大陸のほぼ半分近くが、人の手の加わっていない山と森と湖に囲まれた大自然の地。

 よく晴れた日のその美しさはまた格別で、樹氷、霧氷のきらめき、光を受けてはじく氷の柱、花のように舞う雪。

 全てが幻想的な世界をかもし出していた。

 なかでも大陸北部、遙か天際に望む白雪を頂いた銀雪山は、厳として人を寄せつけぬ雰囲気をもちながらも、その美しさは見る者の心を引きつけた。

 まさに神聖にして侵すことのできない禁足地、といっても過言ではない。

 そして、レザン大陸を支配するは三つの大国。

 西のテンペランツ国、東のフィナルローエン国、そして、南のフィクスレクス国。その他あまり勢力を持たない小さな国々は、その三つの国のどれかに属し、後ろ盾を得ているという形をとっていた。


 そしてここ、レザンの大陸西に位置するテンペランツの港町。

 いまだ朝靄けむる暗い町の港に、ハルは一人たたずんでいた。

 港に停泊する大型船を見上げ、堅くこぶしを握りしめる。

 旅客船というよりは貨物船に近い。

 荷物を運ぶかたわら、ついでに人も運ぶといった船だ。

 乗組員はとうに荷を積み上げ、船と桟橋をつなぐ渡り板を取り除く作業に取りかかろうとしていた。

 今から、乗船券を求めるにはあまりにも時間がなさ過ぎる。いや、駆け込めば間に合わないこともないであろう。

 だが、ここで下手に他人とかかわるのはひどくまずい。

 目立つうえに、足がつくからだ。

 組織の追っ手があることを考えれば、それは愚かな行為であろう。

 船に忍び込むにも、さすがに無理がある。

 もう少し、この港に辿り着くのが早ければ乗船客の誰かを捕まえて始末し、その人物に成りすまして船に乗りこめたものを。

 そんなことを考えて、ハルは苦渋の色を顔に浮かべて笑う。

 自分がこのレザンの国から、組織から逃れたいがために、無関係の人を手にかけるつもりだったのか。

 ハルはふっと肩の力を抜いた。


 しかたがない。

 他の船をあたろう。


 それまで、追っ手があったときのことを考え、気づかれないよう、どこかひっそりと身を隠して。

 あきらめて船に背を向けようとしたその時であった。


「おーい、そこの少年。来い、こっち」


 無駄に大きいそのだみ声に、ハルは歩みを止め振り返る。

 見知らぬ男が片言のレザン語で甲板の上から勢いよく両手を振っていた。

 確認するまでもなく、この場にいるのはハルただ一人。

 ハルは目をすがめた。

 距離はさほどないものの、まだ濃い朝靄ではっきりと男の顔を確かめることはできない。

 男は側にいた乗組員を捕まえ、まくしたてるように異国の言葉で喋りだした。

 地声なのか、やはり男の声は大きい。

 ここまではっきりと聞こえるくらいに。


「すまんすまん。ちょっと渡り板を片づけるのは待ってくれ。ほれ、あそこにまだ客がいるだろ。あの少年は俺が雇った奴でよ。ほれ、あいつの乗船券も俺が持ってるのさ」


 男は東方大陸の言葉、アイザカーン語で、側にいた乗組員に持っていた乗船券を見せ、ハルを指さして説明をする。

 そういえば、この船は東方大陸のアイザカーン、ヤンナクーアの港まで行くことをハルは思い出す。

 では、あの男はアイザカーン出身の者。

 だが、あいにくと東の大陸に知り合いなどいない。

 それとも、あの男のたんなる勘違いか。

 どちらにしてもあんな大声を出されては、目立ってしょうがない。


「どうでもいいから、早くしてくんな。船がだせん」


 乗組員が文句を言い始めた。


「まあまあ、そうせかさんなって。ちょーっとくらい遅れたってたいして支障はないだろ?」


 男はへらへらと笑い、再びこちらに向かってこっちに来いと手招きをする。


「来い。早く」


 言われるままハルは船へと近づいていく。そして、渡り板を登る手前でいったん足を止める。


 互いの顔が判別できるくらいの距離となった。

 恰幅のいい中年の男だ。太った身体に人当たりのよい丸顔が乗っかっている。

 肌は日に焼けたように浅黒く頭髪は黒。これはまぎれもなく東方大陸特有のもの。

 背には膨らんだ大きな荷を背負っている。

 身なりとその荷から察するに旅の行商人といったところか。

 男はにこにこ顔で、何度も早く船に乗れと自分に手招きをする。

 つまり、誰かと間違えて呼びとめたというわけではないらしい。


 しかし──。

 ハルはその場から動けずにいた。

 これが罠ではない、あの男が組織の者ではないとはたして言い切れるだろうか。


「乗るのか? 乗らないのか?」


 船員が急かすようにハルに問う。

 船に乗ってしまえば回りは海。

 そうなれば、もはや逃げ道はない。

 が……。

 そう考えるのならば相手も同じだ。もし、自分を組織に連れ戻そうとするならば、レザンの地を離れてしまえばもはやどうすることもできない。

 船の上で組織を抜けた自分を始末をするつもりならば話は別だが。

 意を決して、ハルは船に乗り込んだ。と同時に、船員が文句を言いながら船と桟橋を渡す板を片づけ始める。


「もしかしたら間に合わなかったのかと思ってひやひやしたが、いやー、よかったよかった」


 その男は人のいい笑みを浮かべ、こちらに近づいてきた。


「ははは。しかし、頼りになる護衛を一人よこすと言われたが、まさかこんな子どもを押しつけてくるとはな。おまけに女みてえに細っこい。大丈夫なのか?」


 男の視線がハルの頭から足下を何度も上下し、最後に腕を組んでうーむと唸る。

 発せられた言葉はアイザカーン語だ。

 ハルには通じてないと思っているのか、好き勝手なことを言ってくれる。

 ハルはきつい目で目の前の男を睨みあげた。


「おいおい、そんな怖い顔をしなさんなって。いやいや、美形に凄まれるとほんと迫力があるもんだな。ははは……」


 さらに、見た目に似合わず怖い目つきをするぼうずだ、と男は肩をすくめてぼやく。


「俺はおまえの敵じゃないぜ。味方だ。うーむ、レザンの言葉では何て言えばいいんだ? 味方……わかるか? み・か・た。あー友達。ん? 友達? それも、ちょっと違う気がするな……」


 さんざん悩んだ挙げ句、男は自分の胸を指さし、今度はハルを指さし、最後に両手をあげてまるをつくるという態度で示した。


 何だよそれ。


「まあ、そういうことだ」


 どういうことだ。


 相手に通じただろうと勝手に思いこみ、男はすっかり満足してしまっている。

 そうこうする間に出航の合図が鳴り響いた。

 ハルははじかれたように背後を振り返り、生まれ育った故郷を見る。

 甲板の手すりを強く握りしめ、徐々に離れていくテンペランツの港町に目を凝らした。


「これでレザンの地ともお別れだな。おまえにとっては最後か? 俺はまあ、仕事で何度も来ることもあるが。それにしてもおまえさん見たところ、うーむ、十四、五歳か? ほんと、きれいな顔立ちだな……レザンの人間はおおむね見た目がいいのが多いって言うが……おまえさんはまた格別の上玉だ。男の子っぽくなく、かといって女みてえな面でもない。こりゃ、売ったらいい金になるだろうな。すけべじじいどもが涎をたらしておまえさんを欲しがるだろうな。はは」


 言葉が通じていないと思い込んでいるその男は、さらに好き勝手なことを言っている。

 港町から再び男に視線を戻し、ハルはこぶしを握った。次の瞬間、目の前の不躾な男につかみかかろうとする。

 咄嗟に男は小太りなわりには素早い動作で身を引き、引きつった顔で両手を前に出しまったをかける。


「悪い悪い……冗談が過ぎた。俺が悪かった。そう、怒らないでくれよ。思ってた以上に好戦的なんだな……レイの言ってたとおりだ……」


「レイだって!」


 目の前の相手から思いもよらない名を聞き、ハルは叫んで男の両腕をつかむ。

 一方、男はあれ? と、いう表情だ。


「おまえ……俺の言葉がわかるのか? っていうか、おまえ……」


 男の疑問を証明するべく、ハルの口から出たのはアイザカーンの言葉。


「あんたレイって言ったな? どういうことだ? それに、護衛とはなんのことだ? 俺はあんたに雇われた覚えはない」


「こりゃまた……流暢なアイザカーン語を。おそれいりました……」


「いいから質問に答えろ!」


 つかんだ男の腕をねじり上げる。


「わ、わかった。わかったってば。そう、まくしたてて質問するな」


「あんたレイのことを知っているのか? レイ・リュードだ!」


「痛い痛い……腕が痛い! 折れる! 離してくれ!」


「何故、あんたがレイのことを知っている。言わないと本当にこの腕を折ってやる」

「そんなことをしてみろ。おまえは悪い子だってレイに言いつけてやるっ!」


「なに?」


「レイにお仕置きされちゃうぞ」


 ハルは片目をすがめぎりっと奥歯を噛み、さらに力を加えて男の腕を締め上げる。


「利き腕は右だな?」


「ひー! すまんすまん。言うから。ちゃんと説明するから、やめてくれ!」


「さっさと言え」


「ああ……そのレイ・リュードとはちょっとした知り合いなんだよ。俺はレイの奴に頼まれたんだ!」


「何を頼まれた」


「腕が痛くて声がでない!」


「出ているだろう?」


「ほんとに離してくれ! た、頼む……うう……」


 情けない声で泣き叫ぶ男の腕をようやくハルは離した。

 男は涙目でふうと息をつく。


「おとなしそうな顔して血の気の多いやつだな。そうだな……考えてみればレイもアイザカーン語で俺と会話をするんだ。おまえさんだってそうであっても不思議じゃないよな」


 ハルはすっとまなじりを細めた。


「あんた……俺たちの素性を知っているのか?」


「素性? 何のことだ? ていうか、本気で俺の腕を折ろうとしただろう?」


 男はいてて、と泣き言をこぼしながら腕をさする。


「とぼけるな。俺たちのこと知っているな?」


「何、わけわからんこと言ってる? とにかく俺はただ、飲み友達のレイにおまえをこの船に乗せてやってくれと頼まれた。ついでに剣の腕もたつから、護衛として使えばいいとな。それだけのことだ。そういうわけで、ほれ」


 男はハルの前に商人らしく背中に背負った荷にさしてある剣を取り、ハルの前に差し出した。

 無言でハルはそれを見つめる。


「見たところ、おまえさん武器らしいものは持っていなさそうだからな。護衛が丸腰ってのはあり得ないだろ?」


 ハルは黙ってその剣を受け取った。


「まあ、どこにでも売ってる安物の剣だ」


 やはりハルは無言で、手にした剣をじっと見つめているだけ。

 手に馴染まない武器。

 今まで自分が使い込んできた剣は途中で失ってしまった。

 漆黒の刃をもつ暗殺の剣。

 けれど、それはこれからの自分には持っていてはいけないものだから。


「なんだ? そいつじゃ不服ってか?」


「別に、そういうわけでは……」


 ただ、二度とこんなものなど手にしたくはないと思っただけ。


「おい少年見てみろ。レザンの地があんなに遠くに」


 いつの間にか、テンペランツの港が小さくなっている。

 本当にレザンを、あの組織を抜け出すことができたのだ。


「ま、この船に乗っている間はおまえは俺の護衛だ。よろしく頼むぜ。ええっと」


「ハル」


「ええっ?」


「何だよ」


「いやいや、きれいな見た目のわりにはちんまりしたというか、素っ気ない名前だから……」


 ハルは目をすがめて指をぱきりと鳴らす。


「あわわわっ! 冗談だって。俺はグリュン。ああ、そうそう、言っとくが護衛としての代金はこの船の乗船券と食事代でちゃらだ。おっと、その剣もな」


 さすがは商人だ。

 ちゃっかりしている。


「目的地まで何がおこるかわからないからな。しっかり俺の身を守ってくれよ。ああそうそう、レイからの伝言だ」


「レイからの伝言?」


「そ、『あなたに神のご加護がありますように』だとさ」


 小さく息を吸い込んで、男に背を向けるハルの顔に切ないものがゆるゆると浮かんだ。


「レザンの言葉だから意味はさっぱりわからねえが、ちゃんと伝えたからな。俺は先に船室に戻ってるぜ。それにしても」


 寒いな、とつぶやき男は去っていってしまった。


「レイ……」


 遠くなっていくレザンの大陸を見つめ、震える声でハルは小さくその名を呟いた。

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