1.始まりの虐殺
初めてその人を見かけたのは、本当に偶然だった。広い敷地にある真っ赤な牡丹が咲き乱れる庭。あの人は鞘に収められた刀を軽々と肩に乗せながら、ただそこに立っていた。
――あぁ、なんて美しい。
私はただ見惚れた。長く艶やかな黒髪を背に流し、華やかな牡丹の着物を緩く着た姿。「鬼」と呼ばれているから、どれほど醜いのかと思いきや、この世の者とは思えぬ美しさ。
知らぬ間に頬に何かが流れていくのを感じた。
我が一族は長い歴史を生き延びた名家だ。本家を頂点とし、多くの分家が存在する。一族において人は能力と血筋により価値は決まる。自分は無能ではなかったが、生かす価値もなかった。
父は多くの能力者と子を作り地盤固めをしようとしたが、血が濃すぎたためか、天罰か、望んでいたような子どもには恵まれなかった。だが、なんとか一族としての地位を確かにするため鬼の首を狙った。
「鬼」は一族の悲願であると同時に脅威だった。そもそも鬼に人の道理などなく、手を出せばどうなるかなど考えなくてもわかる。
父をはじめとし、関わった物たちは死んでいった。自分もそのうちの一人になると思っていた。
しかし現実は違った。
――雲ひとつない星空に灰色の汚い煙が上がっていく。
月は美しく、かつて母と月見をしたことを思い出した。
あちらこちらで悲鳴というか雄たけびが聞こえるが、どうでもよかった。
本家からは見放され、他の分家からも縁を切られ、自慢の屋敷は燃えていく。
悲しくはなかった。――生きる価値がないといわれ、居ないものとされてきたのだから。
だが、心残りがあった。
「あの方はどこにいらっしゃるのだろうか」
この惨劇を生み出した方。あの日、目を奪われた日から、一度として忘れたことのなかった美しい存在。
気がつけば立ち上がり燃え盛る敷地内を走り回っていた。
人はいつか死ぬ。だから恐れることなど何もない。――けれど。
――勢いよく屋敷の一番奥、女や子どもが非難している場所の扉を開くと、鮮血が舞った。
あの日と変わらず美しい方がそこにいた。
その瞳には、罪悪感はなく、だからといって快楽といったような感情さえ映っていない。
まぎれもない「鬼」がいた。
一人だけ血に汚れず、その手にはあの日、肩に乗せていた刀からは地が滴っている。
いきなり入ってきた自分に「鬼」の視線が向けられた。
――あぁ、きれいだな。
これから殺されるだろに、自分はそんな感想しか思わなかった。
男とも女とも取れる不思議な存在。ただただ美しくて、一目見たときから忘れられず、父の愚公さえもチャンスだと思い口を噤んだ。
「―――ほう。躾のなっていない犬ばかりかと思いきや、一匹だけましなのが居たか」
刀を一振りし、かの方は鞘に刀を戻した。
「後はお前が始末しろ」
その一言を残し、かの方は煙のように消えていった。
それ以降、あの方にお会いすることはできなかった。
何もかもが焼け落ちて、ただの燃えカスの山ができた頃、なぜか本家の者たちが現れた。あちらこちらに火傷を負った自分は静養と称し、分家の監視下に置かれ、何かを聞かれることすらなかった。
傷も癒え、本家御当主によばれた。
今回の責任を取らさせるのかと思いきや、自分を新たな当主として本家に使えるようにと宣言させる。
何がなんだかわからないまま、本家や近しい分家から教育係や侍女などが派遣され、何とか一族当主としての役割を果たした。
最後に会ったあの日を思い出しながら、日々を過ごす。父が生きていた頃には考えもつかない穏やかな日常。
だが、ふと思った。――なぜ、殺してくれなかったのだろう。
あの方に殺されるなら本望だった。誰よりも美しくて遠い遠い方。
できることなら、この命が費える前に遠くからでもいい。もう一度、あの方にお会いしたい。欲を言えば、あの美しい瞳に映りたい。
――あぁ、あの方の瞳に映って死んでいった者たちが妬ましい。全員、地獄の業火で永遠に苦しめばいいのに。
結婚はしなかった。父の所業を見ていたこともあったが、何よりも目の前に現れる令嬢はすべからく醜かった。容姿ではなく、そのあり方が。
本家御当主の娘も居たが、どこにでも居る普通の娘であった。
このままだと縁戚関係に問題が生じると思い、本家御当主に自分の考えを告げた。
すると御当主はため息をついて「お前もか」とつぶやき、二度と縁談の話を持ち込まなくなった。
御当主はあの方について何かご存知なのだろう。だが、答えてはくれまい。
今となってはあの方は実在するかも疑われているようになってしまっている。
――こんなことなら、あの時、死んでしまいたかった。