少女逃亡
エミとアヤノは私に食い殺されることで全てから逃げることにしたのだった。
雪の降る日、二人は彼女たちの学校指定のコートにピンクと白の縞のマフラーを巻いて私が封じられた祠の前にやってきた。なに、封じられたといっても祠の外に出られないというだけで、祠のなかでならば、たいていのことに不自由はしない。
二人の少女がやってきた日、雪が降っていた。空は灰色に閉ざされていて、今日死んだ人間はきっと天に行けないに違いない。そのくらい雲が分厚く、冷たかった。
二人の少女は逃げる。逃げた先には私が待っていて、二人は私に食い殺される。
それでも構わないから逃げよう。そう言い出したのはエミだという。
アヤノの説明では受験、家族問題、恋愛のこじれ。そうしたものから逃れたい少女たちが今、相次いで鬼に食い殺されに行っている、今の世の中は生きるに値しないから、それならば鬼に食い殺されようとしている少女たちの心の闇をワイドショーが毎日特集を組んでいるそうだ。心理学者やマルチタレントは、少女たちは心に深い闇を抱えていると言っていたが、アヤノに言わせれば、彼女もエミもそんな大それたものは持っていないのだそうだ。
ただここが生きるに値しないと思った。それだけだ。深さにして一ミリくらいの浅い、浅はかで、馬鹿馬鹿しい闇だ。闇の底にある退屈さが透けて見える。それが彼女たちは嫌なのだった。もし、彼女たちが心に抱えている闇が底が見えないくらい深いものなら、誰も好き好んで私に食い殺されに行こうとは思わない。そうではなく、心の闇があまりにも浅すぎて、全てが下らないということがわかってしまったから、食い殺されに逃げるのだ。
「遺書は書いたのかね?」わたしはエミと名乗った少女にたずねた。
「ううん」エミは首を横にふった。「めんどくさいから」
「わたしも」アヤノが言った。「めんどくさいから書かなかった」
「たぶん、話してもわからないし」エミがしゃべったが、言い訳がましくきこえるふうな気もするしゃべり方だった。「それにさ、もし、わかっちゃったら、ママも一緒に鬼に食い殺されようとしちゃうよ。マサキとパパのためにも、ママには生きていてもらわないと。マサキはまだ小四だし、パパはママがいなくなったら、きっとダメになっちゃう」
すると、スマート・フォンとかいう最近人間のあいだでよく使われるらしい道具の呼び出し音が鳴った。どうやらエミのものだったらしい。
「誰?」アヤノがたずねた。
「アツシ。ガッコーさぼってカラオケ行こう、だって」エミはフフンと笑った。「今、あたし、鬼の祠の中だっつーの――ほいっ、送信」
しばらくして返信が来た。
「なんだって?」
「ガビーン、だって」
二人はアハハと笑った。
「ねえ」アヤノはエミにきいた。「アツシくんには何も話してないの?」
「うん」エミはカラリと答えた。「だって、めんどくさいじゃん。それにアツシ、アホだからぜったいわたしたちの言ってること、理解できないよ」
だからといって、彼女たちが人より賢いというわけではない。ただ、一つ余計なことを知ってしまった。それだけなのだ。
「それで」と私はたずねる。「どちらから食べればいいんだね?」
「二人いっぺんに食べられますか?」
「まあ、できないことはない。努力はしよう」
私も鬼に生まれて七百年と経つが、こんな形で人を喰うことになるとは小鬼だった時代には夢にも思わなかった。人を喰うには里に下りるしかないが、一度に全員を食べてしまうよりは、大暴れをして鬼への恐怖心を植えつけて、定期的に生贄を差し出させるようにするのが、一番長続きする人間の食べ方だった。ただ、私の場合、それがやり過ぎて、旅の侍に退治され、こうして山のなかの洞窟に封じられたわけなのだが。
「では、食べるとしよう」私は二人に言った。「目を閉じなさい」
一呑みにした。呑み込む途中で二人の首がポキンと折れたので苦痛はなかったはずだ。頭から呑み込んだが、二人の足がバタつくことはなかった。
二人を平らげて私は横になった。久しぶりに人間を食べたせいか、どうも正体の分からない、とぼけた疲れを感じる。まぶたがとても重くなり、私は人を喰ったことも彼女たちが抱えていた退屈さへの嫌悪も何だかどうでもいい気分になってしまい、目を閉じた。
眠りから覚めたとき、祠の出口には八分咲きの桜の枝が春風になぶられて、花弁を千切られているのが見えた。どうやら節分を寝過ごしたらしい。
枯れ葉を踏む音がきこえて、制服姿の少女が二人、ひょいと祠の出口に顔を見せた。
また、少女たちが私に食い殺されることで何かから逃げようとしている。
私は少女たちの後ろで揺れる桜を見た。
あの桜を見てもなお、少女たちが逃げることを選んだのだとすれば、桜の花の美しさや散る切なさも、巷で言われているほど大したものではないのだな。
ふと、そう思った。