塔5~帝国軍壊滅⑥
ハイランドからの撤収命令を受けた第13師団とムラト族旅団は、制圧中のフェルガナ市から撤収作業に入っていた。しかし、放置されるハイランド啓蒙党や神殿党からは、強い不満の声があがる。
「まだ労働党は強い力を持っている。このまま放置されると、我々は報復を受ける」
種族解放戦線の蜂起から運良く逃れ、アスンシオン軍の下に逃げ込んだハイランド首相サザーランは強く抗議した。
襲撃で啓蒙党は多くの幹部が殺されたため、彼らの勢力は弱まっていた。そして拘束されていた王党派は処刑によってほぼ壊滅してしまったといってよい。
彼ら啓蒙党は首都以外の周辺州を制圧した神殿党の実質的なリーダー、ガルシン将軍との連携を求めていた。
「私は議会選挙で選ばれた元首だ。選挙に拠らないジュンベなど認めない。ガルシン将軍、我々啓蒙党は神殿党と連携し、労働党を打倒して安定した国家運営を目指す。ぜひとも協力いただきたい」
「……」
ガルシンは返答に困り黙ってしまう。
当初、啓蒙党と労働党と連立政権を組んでアスンシオン軍を侵略者、神殿党を売国奴と糾弾していた。その党首が、彼らに追われると今度はアスンシオンや神殿党をアテにするという極めてご都合主義的な構図である。
彼は、急に手の平を返したこの一応ハイランド首相にどう対応して良いのか困っていた。
そもそも、労働党の蜂起で殺された国王や王子を最初に拘束したのは、啓蒙党の政権によるものである。拘束を指示したのもこのサザーランだ。
ガルシンは即答せず、その夜、レンの下を訪れた。
「レン殿、このまま貴殿らがいなくなって、我が国はどうなるのでしょう」
戦場では勇敢なガルシン将軍だが、政治に関しては疎い。今後、政治関係の謀略戦になったら勝てる自信はまったくなかった。
「未来は誰にもわかりません。だから未来は無限の可能性があるのです。私の見通しが正しいとは限りませんよ」
「私は貴殿の見通しを信頼しています。是非ご教示ください」
ガルシンは酷く神妙な表情で神に懺悔する様な姿で教えを請う。
「そうですねぇ。ハイランド労働党は種族解放戦線によって完全に乗っ取られています。彼らの短期的な排除は困難です。それは、彼らの背後にいる国がどんどん運動員を送り込んでいるからです。蛇口を閉めなければ、排水作業は終わりません」
「背後の国とはどこでしょうか」
「ハイランドの東の隣国、タリム共和国です」
タリム盆地にあるタリム共和国はラグナ族の別派、カチュア族を基幹とする多種族国家である。永世中立国を標榜しており、実際に共和国となってから一度も域外へ軍を出したことはない。
カチュア族の処女は“贖罪”という強力な特殊能力を持っており、他国は彼らの国への攻撃を極めて躊躇われた。
「タリムは、ここ1000年対外戦争はしていません。我が国への侵略など杞憂では?」
「タリムのカシュガル大学は種族解放戦線の運動員を多数育成し、ハイランドに送り込んでいます。他国を侵略するのは何も戦争によるものだけじゃない。彼らは彼らにとっての理想社会を築くべく、動いているのですよ」
「たかが中立国の大学ひとつに……」
「思想や宗教などが広まる要因は、思想主義の人材育成の効果が大きいのですよ。マキナ教も、ずっと昔、エクスズ会という少数のマキナ教徒の優秀な司祭達が、世界各地に渡って広めたものです」
「では、我々が種族解放戦線と労働党に勝てないとして、国民はどうなるでしょうか。労働党が敵対している我々神殿党や、メリエル王女、神官達は?」
「最初は美味そうな取引で妥協をみせてくるでしょう。しかし、神殿関係者はその後必ず報復を受けます。それも国民の信任を失うように誘導され、酷いやり方で排除されるでしょうね」
「それは、貴殿が創った“天槍連隊”の娘達もですか?」
「もちろん。むしろ最初に標的にされるでしょうね。ああいう、種族主義を増長させる存在は、種族解放戦線にとって思想敵ですから。これは、ガルシン将軍でもわかることかと」
「私にはわかりません。この先どうしていいのか。できればレン殿にはずっとここに残って、我々を指導していただきたい」
「ハイランドはハイランダー族の単一種族国家です。“天槍連隊”もハイランダー族の種族の誇りです。私はムラト族旅団に責任があるし、ムラト族の我々が横から口出しすれば、それこそ種族解放戦線の思う壺。そもそも、ハイランダー族のための国造りに、ムラト族の援けを借りようとすれば、その矛盾は必ず報いを受けますよ」
「結局、我々が悪いのかもしれない。労働党も我々も、自国の政争の解決に他国をアテにしたのだから。今回の惨禍、そして今後の苦難はその因果の報いでしょう」
ガルシンのいう因果の報復とは、トリム教徒らしい発想である。
「それでも…… それでも私はハイランダー族の誇りを守りたい。どんなことをしてでも、“天槍連隊”の神官達を救いたいです」
「もし、貴殿が彼らを救い、ハイランダー族の統一に拠る国家を望むなら、問題を解決出来る策がひとつありますよ」
「本当ですか!?」
「でも…… まぁ、この策を取るなら、それなりに覚悟が必要です。私も、貴方も」
レンはにっこりと笑って提案したが、その内容は極めて残酷で冷たい。
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一方、南方のローランドからの援軍である。ローランド族の拳聖連隊長ラールと、スジャータ族の補給部隊エインドラは今後の方針で揉めていた。
彼らはアスンシオン後宮の妃であるローランド王女サーラマの要請によって国王からの下命により、レンの旅団に援軍として参加していた。
ただし、かなり温度差がある。
レンをローランド救国の英雄と認め、個人に忠誠を誓って付き従い、アスンシオン入りしたいラールと、サーラマの要請であるが、他国の戦争に介入したくなく、早く帰国したいエインドラの間で揉めたのである。
ただし、スジャータ族が提供する“ネクター”は、部隊の補給に関して大きく貢献していた。そこで、レンは策を練ってエインドラ達を惹きつけることにする。
「ナデシコさん、もしかして…… その本は“れーじ” 先生の『僕凸全部』の第12巻じゃないですか?」
エインドラ達は、ナデシコが読んでいた女性向け漫画本に興味を示したようである。
「ええ。そうよ。確か、ローランドでは、“れーじ”の漫画は9巻までしか出ていなかったんだっけ? これは、最新刊ね。10巻と11巻も読む?」
「それは是非。ナデシコさんは、“れーじ” 先生のお知り合いなんですか?」
「まぁ、一応。幼馴染で親友ね。昔はレン団長にくっついて、いろいろ同人誌製作を手伝わされたわよ。今は14巻を描いているみたいね」
「羨ましいですわ。さすがアスンシオンは文化先進国です。他にも探していた本があるので、ぜひ、本場を訪問してみたいです」
「それなら、私達と一緒にアスンシオンに来ましょうよ」
「うーん…… 私達は、“メディアの加護”の能力をアテにされて戦争に参加させられているんですけど、本当は戦争なんて嫌なんです。こんな力なければ、関わらずに済むのに」
“メディアの加護”とは、基本的にプロラクチン、つまり母性ホルモンがいつも大量に出ている状態である。プロラクチンは、巣作り、安住地、子供を守るという精神を形成する。彼女達は子供がいなくても常にその身体の状態であるから、母性行動への意識は極めて強い。
当然、戦争なんて極めて嫌な行為である。できれば参加したくないが、ローランド戦役の災厄は彼女達の心にも深く刻まれている。そのような事を防ぎたい気持ちはあった。
「私も戦争なんて嫌だから、さっさと“ヴェスタの加護”なんて捨てたいんだけどねぇ。そっちの“メディアの加護”は男が出来たら無くなるわけじゃないから大変よね。でも、旅団長はちゃんと貴方達の希望を理解しているわよ。ローランド援軍部隊には特別報酬を出すって言ってるし」
実際のところ、ローランドのスジャータ族居留地は、人口が多くとても貧しい。ローランド王国の王都は美しい都だが、周囲居留地の開発はかなり遅れているのが実情だった。
国内の労働力は余っていて、若者は出稼ぎに出る者が多い。女性達にとって、もっとも儲かる稼ぎ先はアスンシオン帝国やローラシア帝国、またはタリム共和国などである。
一説には、アスンシオン帝国の傘下種族のアヴジェ族は、そのような経緯で移住したカマラ系種族の一派だという。
結局、スジャータ族は、ナデシコの説得や、待遇によって釣られた1年という契約期間でアスンシオン帝国への従軍を決定した。
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フェルガナ盆地に集結したアスンシオン軍は、第7師団、第12師団、第24師団、続いて第13師団、ローランド援軍部隊、最後にムラト族旅団の順で撤退することになった。
現在も啓蒙党と神殿党の連合と労働党の抗争は続いているが、撤退を決めたとはいえ、正規軍であるアスンシオン軍がフェルガナ盆地に駐留するうちは、労働党も武力による手出しができず、比較的膠着した状態になっている。
だが、事件は最後に残ったムラト族旅団が撤退する直前に起こった。
最初は10万以上いたアスンシオンの駐留軍が、ムラト族旅団3万だけになったことで必然的に旅団への圧力は増していた。
当時、市街地から一番近いところにいたムラト族旅団のビースク渓谷出身者達で構成されたヨーダ率いる第1歩兵連隊に対して、労働党はデモ隊を集結させ、彼らに投石をさせて煽りまくったのである。
さらに、強気になったデモ隊は鉄棒や火炎瓶などによる直接的な暴力に及び出すと、指揮官のヨーダはついに反撃を指示、デモ隊を追い散らして流血の事態になった。
優れた体格のラグナ族に比べ、見た目は貧弱そうなムラト族という侮蔑は確かにあったであろう。デモ隊の市民は、ヨーダ達の反撃による流血事態に激高し、さらに集団的に攻撃を始めた。それに対して、ムラト族旅団のヨーダ隊は精鋭部隊であり、優れた組織戦術や槍術で反撃する。
お互い退く気の無い小競り合いは、ムラト族旅団の強い実力行使を伴う大きな争いへと拡大していった。
この様子を取材していたハイランド労働党系の新聞記者は、アスンシオン軍の市民への暴力という悪行を、予め準備していた文章で彼らの新聞に掲載しようとするが、それは甘い見通しだった。
旅団長のレンは、即座に徹底的な報復を指示。組織的にデモ隊を軍事力で追撃し、逃げ遅れた者を虐殺して、さらに市内の要所を襲撃して略奪を行ったのである。
いままで穏健で、どんな挑発にも乗ることなく、ハイランド国民の味方であったムラト族旅団が突然そのような蛮行に及ぶとは、彼らを侵略者として挑発、いつも糾弾していた労働党の支持者やデモ隊ですら予想していなかった。
実際のところ、普通の市民はおろか、労働党のデモ隊も、前回のローランド戦役の際もムラト族旅団はハイランド救援の為に来援していたこともあり、そんな恐ろしい事はするわけがないとタカを括って、この程度なら大丈夫との甘えで挑発をしていたのである。
だが、現実は彼らに、軍隊という組織的な暴力、そして破壊、略奪という恐ろしい惨状を見せつけ、市民は恐怖した。
それだけではない。同時に、リーフらムラト族の騎兵隊4000はフェルガナの要所を襲撃し、労働党の党首で彼らが擁立した首相のジュンベや、種族解放戦線の幹部らを殺戮したのである。
また、リルリル達マリル族10000は商店や食糧を襲い、フェルガナで備蓄されていた食糧を奪い、喰い尽した。
そして、ムラト族旅団の管理下にあったメリエル王女ら“天槍連隊”の隊員も全員が拘束される。
この1日の惨劇で、ハイランドの王都フェルガナは多くの血が流れ、多くの物が奪われた。それは市民にムラト族に対する強い憎悪の感情を植え付けるのに十分であった。
翌日、この事件は「フェルガナ大虐殺」と報道される。
ムラト族旅団は、拘束したメリエル王女と“天槍連隊”を人質に、予定通り後退を開始。労働党は実行幹部らの殺害によって動けず、神殿党も神官達を人質に取られたという名目で軍隊を動かせない。
ただし神殿党と啓蒙党はすかさず空白した権力を奪取し、ムラト族旅団を殺戮者、略奪者として悪人に仕立て上げることで国内の意志統一を図った。
結局、ムラト族旅団はハイランダー族に激しく恨みを買ったが、そのことによって国民に共通の敵が生れ、今までずっと解決できなかった種族間の分裂は、たった1日で統一された。
その後、ハイランドでは総選挙が行われ、啓蒙党と神殿党の連立政権が誕生、サザーランは再び首相に就任し、国防大臣にはガルシン将軍が就任したのである。
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ハイランド国境を抜ける際、ムラト族旅団参謀のトーマスは旅団長のレンに言う。
「よかったのですか? こんなに酷い悪役を引き受けて。虐殺や略奪なんてすれば、アスンシオンの名誉を損ねたとして国内で処罰されますよ?」
「まぁ、代わりに良い物をもらったからね。ガルシン将軍も納得しているし」
「それも騙しですけどね。我々がこれから帝都に戻ってやろうとしている事を考えれば」
「トーマスは気にいらないかな?」
「いえ、とんでもない。むしろはやくその時が訪れて欲しいぐらいですよ」
トーマスの後ろには、縛られて台車に乗せられた神官達、メリエル王女と“天槍連隊”がいる。
彼女達はわけもわからずいきなり拘束され、帝国に強制連行されることになった。一同不安な表情である。
「フェルガナ大虐殺」はすべてレンが計算した略奪であった。
ラグナ族に比べて貧弱な体格のムラト族が撤収の際に最後に残れば、「侵略者アスンシオンを実力で追い出した」という名声が欲しい労働党が強く仕掛けてくることは想定済みだった。
デモ隊を並べて強く罵声を浴びせて精神的に脅迫すれば、最初から撤退するつもりで、貧弱なムラト族旅団など予定を繰り上げて早々に退散するはず、そうすれば、必然的に「市民の力でアスンシオンを追い出した」という名声を労働党が手に入れる事が出来る。
だが、労働党はムラト族旅団の行動力を完全に侮っていた。
実際、“天槍連隊”の拘束は、流血事件が発生する前にすでに済んでいた。種族解放戦線への襲撃準備や、略奪する対象にも予め配置についていたのである。
だから、彼ら労働党の幹部は、流血事件発生を知った後で、警戒したり逃亡する暇もなく、襲撃されてしまった。
この事象がすべて同日に起こった以上、時系列を把握するのは容易ではない。実際は、同時刻に行われた襲撃でも、普通に考えれば、デモ隊との確執によって発生した流血事件により、激高したムラト族旅団が反撃して市内の略奪に走ったように見える。
そして予想通り、ハイランド国民はアスンシオンを恨み、ムラト族旅団を憎んで団結し、その後の神殿党の活動を容易にしたのである。
レンは、ガルシンに対して、市民への武器による攻撃、略奪という悪行、ハイランドが誇る神官達の誘拐によりムラト族旅団を彼らの敵にして、種族の団結を図る事。
そして種族解放戦線への襲撃、労働党の勢力弱体化を図る事によって、その後の政権運営を有利にする事、これらを策として提案した。
「我々は外国人で、これからこの国を去るわけだから、どんなに恨まれてもたいして関係がないのです。この関係がないというアドバンテージを最大限に活用するにはこれが最も効果的な方法です」
ガルシンは、自らの願いを受け入れるために、そして実行可能な策を取るために平然と汚名と悪行を引き受けるレンに涙した。
「レン殿。メリエル王女と“天槍連隊”をよろしくお願いいたします」




