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塔5~帝国軍壊滅⑤

 東方国境が突然の危機を迎えていた頃、西方のエルミナ戦線では必然の危機を迎えていた。

 カルシの戦いの敗北で、アスンシオン軍およびエルミナ軍の前線部隊はあちこちで包囲され孤立している。

 カルシの南方に半年間かけて建設された防御陣地では、第10師団と第18師団を合わせた32000の部隊が自軍の退路について検討していた。

 シル川流域までの離脱を指示されたが、そこまで到達するのは容易ではない。途中には機動力に富むファルス軍の精鋭がいるのだ。


「西方へ抜けてブハラを目指して撤退するのはどうか、おそらく西方のエルミナ軍もそうするだろう」


 第18師団長ハティル・コンテ・ドノーは西へ向かうべきだと意見を述べる。ブハラ市は西路軍が維持しており、優秀な帝国軍の河川艦隊もある。そこまで辿りつければ、退却は可能だろう。


「ブハラへの街道は敵の跳梁するカルシを通らないと撤退できない。特にカルシの西の川を無理に渡河している間に補足されやすい」


 第10師団長タイラー・リッツ・エッツゲンは、途中のアム川水系の川を渡る事を懸念しているようだった。


「それよりも多少の被害は覚悟して、北東から退却するべきではないかな」


 彼は、カルシ市の東側を抜けて、サマルカンドの東に撤退しようと提案する。事実、第1師団、第5師団はそのルートで撤退したようである。

 もっとも、こちらも敵中を突破することになり、相当に危険である。

 どちらも一長一短であり、議論はなかなかまとまらない。だが、今日中に脱出しようという意見では一致した。


「あの…… 小官も申し上げてよろしいでしょうか」


 傍らでカラザール伯の従者をしているルーファス・コンテ・カラザールは軍議の席で小さく手を挙げた。


「貴様のような士官学校も出ていないガキが出る幕ではない」


 ドノー伯はあからさまに若輩のルーファスを見下している。もちろん、20年前のレナ王国との戦争にも従軍経験があるエッツゲン卿や、カラザール伯からすれば、ドノー伯もずっと若輩である。


「いやいや、ドノー伯。カラザール伯の御子息は若年ながらも聡明な若者です。士官学校に入れなかったのはバイコヌール戦役によるもの。入学していれば、きっと素晴らしい成績を残していたでしょう」

「入学していないものを、入っていれば優秀だった。などという仮定は、私は賛同することはできませんが」


 ドノー伯の言う事はもっともである。


「ははは、ドノー伯は手厳しいですな。では、ルーファスの意見を伯爵が手厳しく採点してください」


 エッツゲン卿が上手く宥めたので、ドノー伯も納得して、ルーファスの意見を聞くことにした。


「僕は、考えたのですが…… もし、僕がファルス軍の指揮官なら、アスンシオン軍がどう逃げるか予想して部隊を待ち伏せます。おそらく、北東や西に逃げるルートは、既に敵に予想され、待ち伏せされているでしょう」

「そんな事はわかっている。だから敵がより態勢を整える前の早期離脱が必要なのだ」


 ドノー伯は当たり前の事を言うな。と言わんばかりである。


「ならば、僕は敵の意図の逆について、南に撤退するべきだと思います」

「南? 南には今まで我々が対峙していた敵の砦群がある。突破は容易にできない。もし、突破できずにいる間に、敵に後ろから追撃されたら、全滅するのではないか」


 話を聞いていた第10師団の騎兵隊長グーゼフ・ヴィス・グリッペンベルグが疑問を唱える。


「もし、僕がファルス軍の指揮官なら、南の砦に兵力を配置する余裕があるなら、我々が北東か西へ逃げる事を想定して待ち伏せに使います。少しでも待ち伏せ部隊を多くした方が全滅させられる可能性を高められますからね」

「敵の指揮官がそう考えないかもしれない。慎重な指揮官なら、南への脱出も考慮に入れて防御できる兵力を配置するのではないか」

「いえ、いままでのファルス軍の戦術を観察しますと、戦力集中による突破主義です。既に我々が北東か西に撤退すると判断して動いているでしょう。今までの敵指揮官の戦術的着眼点の記録がそう言っています」

「確かに敵は戦力を集中して運用する傾向があるのは事実だな、ドゥシャンベでもカルシでも、エルミナと戦ったケルキでもそのようだ」


 エッツゲン卿はその意見に強く頷いた。


「なるほど…… 実際、エルミナ軍は西へ、第1師団と第5師団は北東へ撤退しているのだから、敵がそう考えるとの判断するのは理に適うか」


 ドノー伯はぶつぶつとルーファスの作戦を検討している。


「南進してアム川まで辿りつければ、道は整備されていて機動がしやすくブハラに辿りつく事が可能です。ブハラのプルコヴォ公は、今頃、撤退の準備をしているでしょうけど…… 」


 ここでルーファスは黙る。公爵に対して失言だと判断したのである。


「まぁ、グズのプルコヴォ公なら我々の敗報を受けてから撤退までの準備に一週間はかかるだろうな」


 ドノー伯は臆せず代わりに代弁した。


「……はい。それまでに我々が西路軍のいる場所まで辿りつければ、アム川には河川艦隊があり、敵の追撃から逃れることができます」

「つまり、北の敵は我々を殲滅するために計算されて配置されている。たとえ一時的に突破できても、執拗に追撃される。南の敵はそうではない、ということか」

「なるほど、理解した。よし、我々第18師団が先頭で南の敵陣地を突破しよう」


 ドノー伯は豪快な声を出して承認した。彼は直情的な男だが、戦術を見る目は確かである。


「ふむ、それでは味方の撤退まで時間稼ぎをする部隊が必要になるだろう。それは幸先のある若者より老い先短い者に命じるとしよう。なぁ、カラザール伯」

「そうですな」


 エッツゲン卿とカラザール伯は歴戦を共にした戦友である。

 自軍が南進している間に、現在の陣地をすぐに接収されては後背が危うい。撤退戦で最後尾を守る殿(しんがり)という部隊は必須だった。会話から、誰もがエッツゲン卿とカラザール伯がそれを志願していると判断できる。

 軍議の場は暗くなったが、ルーファスはこれに猛然と反対した。


「師団長、父上。それはダメです」

「若者が年寄りに気を遣ってくれるのは有りがたいが、この役目を他の者に任せる気は無いぞ」

「いえ、陣地に殿部隊を残したら、我々の作戦企図が敵に露見します。敵の機動力を用いれば、後備の部隊を無視してカルシ西方を大きく迂回し、我々をアム川付近で補足する事も可能なのです」

「う、うむ……」

「確かに、決死隊を後方に残せば、我々の作戦計画は敵にバレバレだな」

「戦術の基本は、敵の意図を正しく判断しその裏をかくこと、そして同時にこちらの意図を敵に正しく認識させないことです」

「ならばどうするのだ?」

「夕方、北に向けて出発します。敵の偵察の航空騎からよく見えるように。敵は我々が夜陰に紛れて北東か西へ離脱を図っている。思惑通りに進んでいると考え、さっそく彼らが予定していた作戦通り、我々を殲滅する配置の待ち伏せを指示するでしょう」

「なるほど、相手が自分の思惑通り進んでいると思わせる陽動か」

「実際は、夜のうちに南の砦を急襲します。そして陣地に兵を残しません。敵の偵察が早朝に来るのが彼らの日課です。その偵察の航空騎兵は空になった陣地の報告を、南の砦に急襲があった報告より先にされるでしょう」

「なぜそう思う?」

「敵がいつも我々の動向を探っていると考えられるからです。かならず早朝から重点的に索敵してきます。南の砦の部隊は陸路の連絡、もしくはさらに後方にいる航空騎兵による連絡では、昼まで到底間に合いません。きっと、その連絡が来るまで、彼らは必死に我々が何処に逃げたのか、西や北東方向を探すはずです」

「我々を見失わせる効果の方が、決死隊の殿を残して撤退作戦の概要を敵に露見させる事よりも効果が大きいということだな」

「はい」

「なるほど、ルーファスといったな。覚えておこう」


 ドノー伯は豪快に笑って、ルーファスの作戦を評価する。その会議の席で、撤退作戦は決定された。

 こうして、第10師団と第18師団は、北へ撤退する素振りを見せながら、反転して南方の敵陣地に対して奇襲攻撃を仕掛けた。

 ルーファスの予想通り、ここには余り訓練されていない補充兵しかおらず、熟練兵は他の戦線へ投入されているようである。

 攻撃をまったく予想していなかった彼らは、士気も低く、多くが戦わずに砦を捨てて逃げ出した。いくつかの砦では、籠って抵抗する者もいたが、撤退するアスンシオン軍は、そのような砦を全て攻略する必要などない。


 そして、その後は敵の追撃を受けることなくアム川まで辿りつき、そのまま西進して、撤収の為に荷造り中だった西路軍と合流したのである。

 ファルス軍は他の部隊の殲滅に自軍の兵力を多く割いており、アム川周辺まで部隊を戻して追撃することはできなかった。

 結局、カルシの戦いで無事離脱できた中路軍は、彼らの他に、最初から離脱した聖女連隊、エルミナ第1師団、カウル族旅団、そしてカルシ市近辺まで早期に下がっていた第1師団と第5師団だけだった。

 第22師団、エルミナ騎兵師団、エルミナ第2師団、エルミナ第3師団、アヴジェ族旅団はファルス軍に補足されて全滅した。

 第22師団長のスヴァス・リッツ・ユクスキュルは包囲された中で戦死した。

 また、アヴジェ族はアリハント族と同族で、彼らの旅団は包囲された後、敵に寝返ったらしい。

 もっとも、ルーファス案による第10師団と第18師団の撤退が成功したのは、彼の案が優れていたというより、他の部隊が犠牲になったからという見方もできるだろう。


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