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塔5~帝国軍壊滅④

 険しい山岳地帯に激しい炸裂音が木霊する。

 山間に築かれた砦は、一瞬にして粉砕され、朽ちた残骸だけが晒される。

 その強力な法撃を行った濃紫のローブを着た美しい銀髪の娘は、迫撃法に送っていたコードを外すと、振り返って後ろに控えていた金属製の胸当てを付けた若い青髪の男性に微笑んだ。


「お兄様、片付きました」

「さすがは、シーラだ。この距離であの規模の砦を粉砕するとはね」

「女神アルテナ様のご加護です」


 青髪の男性、イェルド・アクセルソンはレナ国王オロフ・アクセルソンの8男である。

 そして、今法撃を行った娘は、彼の妹のシーラ=マリー・アクセルソン。こちらは国王の48女である。

 レナ族は一夫多妻で寿命が短い。そのため子供をたくさん作る。また、ヴァルキリーの血脈の影響か、それとも女神アルテナの加護か、女性は男性より約4倍も産まれやすい。

 イェルドの後ろに控えていた、別の娘。こちらは紫色のワンピースタイプのタイトスカートにハイサイブーツを履いた典型的な航空騎兵姿である。


「お兄様、偵察の結果、敵の後方に援軍はありません。周辺砦も他の部隊が攻略を完了しています」


 戦況を報告した航空騎兵のミア=モニカ・アクセルソンも、やはり彼の妹、国王の32女だった。

 レナ族ではとにかく女性が多いので名前が足りなくなる。なので、自分の名前の後ろに母親の名前を付けるのが慣例であった。


「総司令官の兄上はなんと言っている?」

「すぐにヴェルダンを奪還せよ、とのご命令です」

「じゃあ、レナ歩兵の力を、アスンシオンの奴らに見せるとしようか」


 レナ軍第8師団長、イェルド・アクセルソンはレナ族の伝統武器である大剣を構えると、ただちに部下に号令し、突撃を敢行した。

 その突撃を支援する為、法兵隊の猛烈な法撃と、航空騎兵隊も強力な航空支援を行う。


****************************************


 ヴェルダン要塞は、エニセイ=エステル川水系のニージュニャヤ川とレナ川水系のヴィリュイ川が最も短く接する分水嶺の峠に築かれた要塞である。

 レナ王国は、レナ川水系を交通の基軸とした国家であり、国の名前も種族の名前もそこからきている。アスンシオン帝国は、エニセイ=エステル川水系を交通の基軸として発展している国家なので、両国は隣国として歴史的関係が深い。

 この両河川の上流はバイエル湖を結ぶ運河で繋がっているが、この地は中立国のバイエル共和国が有していており軍隊は通行できない。

 また両国の国境線の北部は険峻なプトラナ台地が広がっている。

 プトラナ台地は、氷河期に大氷河が形成されたとみられ、氷河によって削られて形成された多数の湖沼や沼、断崖などがあり、交通の便は極めて悪い。

 よって、両国の接点はオビ海とラプテプ海を繋ぐ北東航路か、プトラナ台地の南の切れ目であるヴェルダン峠が最も使われる地上ルートであった。


 アスンシオン帝国とレナ王国の関係は、戦争と和解の歴史である。

 ただし、何度戦端を開いても、結果的に現在とほぼ同じ国境線に落ち着く。理由は両国が別の河川を生活圏としているからだろう。

 結局、両国とも河川を利用した通行を主な流通手段としている以上、違う河川の水系に進出してもその領土を維持できない。


 ただし、両国の利害が常に対立する場所が3カ所あった。

 ひとつがオビ海とラプテプ海の間にある北に突き出たタイミィル半島。ふたつ目がその南のプトラナ台地、そして、両国を結ぶ最も交通の便が良い分水嶺に築かれたヴェルダン要塞である。

 これらは両国とも常に領有権を主張し、どの争いでも攻防の焦点になっていた。

 現在は、20年前の両国間戦争においてアスンシオンが勝利したことで、この三カ所ともほとんどがアスンシオン領になっている。

 ただ、両国の争点とはいえこの三カ所とも商業的、経済的な価値は低い。

 タイミィル半島は寒流に囲まれ農業のできない永久凍土の不毛の地、プトラナ台地も同様で、わずかな畜産と鉱山資源程度しかない。

 ヴェルダン要塞も、主な物流は南のバイエル共和国を通じて行われるため、関税は係るものの流通ルートとしての価値はあまり高くない。

 ただ、安全保障上では極めて重要である。ヴェルダンを維持していれば、自国への最も大きな侵入ルートを防ぐ事が出来るからだ。

 レナ国王オロフ・アクセルソンは、レナ族特有の死の病に蝕まれる身でありながら、アスンシオン帝国が大挙して西征している隙を突く事で、この要塞を自国の勢力圏とする絶好の機会と捉えたのである。


 ヴェルダン要塞を守るアスンシオン軍第9師団は、分水嶺の東側に集結を始めたレナ軍への警戒を本国政府に何度も上申していた。

 だが、この報告は無視される。

 帝国軍は遠くエルミナ王国に多く出払っており、報告をもらっても対処のしようがないのだ。

 結局、レナ軍侵攻の当日、アスンシオン第9師団に出来る事は、敵の規模を帝都に伝令することだけだった。

 ヴェルダン要塞は、交通の要所にあるだけあって工兵技術を集めた帝国で最も強力で近代的な要塞のひとつである。

 このヴェルダン要塞というひとつの巨大建造物があるのではなく、峠の地形を利用して隠蔽された支砦を集合させたような造りとなっており、個々の各砦の装甲はそれほど厚くない。つまり、ヴェルダン要塞というのは、峠の各所に連携した砦網のことである。


 砦がこのような構成になっている理由は、レナ族の法兵火力が高すぎることにあった。

 レナ王国の基幹種族であるレナ族は、ラグナ族の一派で、髪色以外はよく似ている。

 しかし、その文化は大きく異なる。アスンシオン帝国は、マキナ教徒が多く啓蒙の法による法治国家。それに対して、レナ王国は慣習法による家族主義であり、純潔主義のピュア教徒が多い。


 慣習法とは、例を上げれば、レナ族は強い家父長制である。物事の決定権が父親、そして父親が死亡した場合は年長の男子へと受け継がれるという意識が強いのである。

 他にも、女性の名前に母親の名前を付けるのも慣習である。マキナ教が使うような条文の法律ではないが、皆それを守っている。

 レナ族の特徴として、最も重要なものは“女神”の特殊能力だろう。これは、攻撃の威力を倍にするという、言葉にすると単純だが極めて強烈な効果を持つものだ。

 普通の物理攻撃も、法撃もすべての威力が倍になる。特に迫撃魔法はもともと威力が高く、さらにレナ族はラグナ系種族の中でも魔力が高い方なので、その法撃の破壊力は計り知れない。

 また、レナ族はラグナ族の中でヴァルキリー族との混血が最もうまく進んでいる種族で、航空騎兵の数は大陸一、その兵力は1万を越えるという。もちろん、彼女達も“女神”の力を持っている。

 女神の力は男性も使える。男性の場合は、攻撃力上昇効果は半分から四分の一に落ちるが、彼ら男性の歩兵部隊の攻撃力も高いのである。

 その結果、どれだけ自国の軍隊を誇る者でも、火力の高さだけでいえば、レナ軍の強さを挙げる。

 この大陸で最強の火力を持つレナ王国が、30万もの大軍で侵攻を開始したのである。


****************************************


 帝国政府はレナ王国侵攻の報告初日から、すぐにも大臣らが召集され、暗い顔をしながら善後策を検討し合う。


 実は、攻撃力の極めて高いレナ族にもある弱点が知られている。

 それは、他のラグナ族に比べて不器用なこと。工兵技術、海軍船舶の建造などは不得手で、寿命が短いので技術の蓄積も弱い。また、レナ族の弓は特に精度が低い事で有名だった。弓や投擲武器は“女神”の力を受けられない。

 だから、20年前の戦争では陣地戦で粘り強く戦って勝利する事が出来た。この時はまだ、エルミナ戦線やハイランド戦線を諦めて、レナ族に対してだけ対応すれば、凌げると考えられていたのである。

 そして同日午後に入ってくる、カルシの戦いにおける中路軍の壊滅的敗北。

 東方戦線が出来たことで、西方戦線と呼ばれることになったエルミナ戦線も、エルミナ領内のアム川からアスンシオンの国境を含むシル川へと移り、アスンシオンはファルスとレナ、2つの強国に左右から挟撃される状況になった。


 まさに国家存亡の危機といえる。

 大臣達は恐慌し、まともな意見など出るはずがない。こういう場合こそ、政府と軍の総帥である皇帝が会議にいて、適切な指導しなくてはまとまらない。

 だがこの日、皇帝は不在だった。

 彼は後宮からの連絡で家族の危機を知った。そして、国家の危機よりそちらの対応を優先させたのである。


****************************************


「どうしてこんなになるまで放っておいたのだ!」


 後宮診療棟にある病室の前で、アスンシオン皇帝リュドミルはナース長ユニティを大声で叱責した。隣にいた皇后アンセムがそれを宥める。


「陛下、残念ながら、もう手の施しようがありません」


 ナース長ユニティはタイキ族らしい冷たい、そして感情の無い表情で報告する。


「いったい、ティトはどういう病気なのだ……」

「メイド長の病名はボルバキア寄生性卵巣悪性腫瘍。いわゆる卵巣ガンです」


 しばらく前からメイド長ティトの熱が下がらなくなった。ロキソニンでの解熱剤対処は効果があったが、またすぐに熱が出てしまう。

 ティトはいったん熱が下がると、何事も無かったかのように後宮の仕事に戻った。彼女は皇帝の衣食住に関するすべて運行が正常に働いているか確認しないと気が済まない。

 ユニティは、ティトのリンパ節が腫れていることを不審に思い精密検査を勧めた。ティトは数日かかる検査を嫌がったが、皇后アンセムに説き伏せられて様々な検査を行ったのである。

 そして、不審な細胞をサンプルして検査をした結果、悪性腫瘍が確認されたのである。


「治療の方法はないのか?」

「……リンパ節にしこりがあり、既にリンパ管を通じて多くの臓器に転移しています。余命は2カ月程度といったところでしょう」

「たった2カ月だと! そんなバカな!」


 皇帝は慟哭して壁を強く叩きつけた。


「ユニティ。ティトは性分化疾患で、子供の時は男として生れている。女性の生殖器はないはずだが……」


 アンセムはユニティに質問する。


「子宮と卵巣は別の器官です。世界にボルバキアが繁殖して以来、未婚の女性は“ヴェスタの加護”がないと、この細菌の侵入を受けやすくなっています。メイド長は、幼少期男性として産まれたため、“ヴェスタの加護”がありません。そのため、ボルバキアに残された未熟な卵巣内の卵細胞に寄生され、子宮が無いので発生できない状態の寄生細胞がガン化したのでしょう」


 ユニティの説明は淡々としていて冷たい。だが、これを検査で調べるのはかなり大変であったはずである。


「……どうしてこんなになるまで放っておいたのだ! 早期発見できなかったのか!」


 皇帝は再び同じことを言って怒鳴りつける。


「卵巣ガンは静かに進行します。通常、痛みはありません。排卵周期の不順や子宮の痛みなどで兆候がみられることもありますが、メイド長は、もともとそれらの診断ができない身体でした」

「どうしてなんだ…… 違う性別で産まれたことだけでも不幸なのに、どうして…… どうしてティトだけがこんな酷い目に」


 アンセムは、皇帝が最も信頼する友、いや、最も愛する女性に対する死の宣告に対し、嘆く皇帝に掛けられる声を持てなかった。

 政庁からは、国家存亡の危機に対して皇帝の出席を求める催促が何度も来ているが、アンセムはそれを伝えることもできない。


 3日後、やっと皇帝が政庁に姿を現し、帝国政府の方針が決定された。

 エルミナ戦線、及びハイランド内戦に関与している全ての帝国軍を国内に引き揚げさせる。とにかく、現状ではエルミナへの領土的野心や、ハイランドへの政治的影響力の維持を見せている場合ではない。

 帝国が20年間、多額の予算をかけて増築したヴェルダン要塞は、その3日目の会議の日に陥落の報告が届いた。既にレナ軍の先鋒部隊はエニセイ川水系のニージュニャヤ川まで到達しているという。


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