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塔5~帝国軍壊滅①

 ムラト族旅団がハイランドに駐留し、内戦勝利を目指すための工作を進めていた頃、ローザリア卿はレンにエルミナ戦線について尋ねた事があった。


「我々が去った後、エルミナに残る帝国軍はどうなるのでしょうか」


 当時、エルミナ戦線にはアスンシオン帝国軍だけで総計50万近い兵力があった。

 中路軍35万、西路軍15万。さらに同盟軍のエルミナ軍が15万程度。ファルス側がカンバーランド軍の来援を得て25万程度だとしても、2倍以上、十分に手を打てる兵力差である。

 だが、帝国軍は動かない。防御陣地をひたすら構築して、敵と対峙するだけである。

 これにはいくつか理由がある。

 まず、国家全体に兵力損耗を嫌う人命第一の思想があった。

 特に、航空騎兵はファルス側が優勢で、この状態での敵陣地への攻撃を行うと、敵の法撃による被害の増大が予想されるため、その選択肢を躊躇させてしまう。

 次に指揮系統の硬直化があった。

 アスンシオン・エルミナ連合軍の総司令官であるテニアナロタ公は穏健な人物として、エルミナや帝国軍での意見調整に優れ、評判も良かった。

 しかし、戦術に関しては危険のある手段を選択しない。彼はバイコヌール戦役も戦術ではなく、外交で解決させた人物である。

 もっとも、逆説的には危険な選択を安易に選ばない人物だから、調整役としての信望が厚いという理由はあるかもしれない。そして、硬直した古い戦術ばかり採用する頭の固いスミルノフ参謀長がいた。さらに幹部達は皆、貴族の家名で出世したような輩ばかり、有効な打開策など発案できるわけがない。

 最後に事態を深刻化させる最も拙い要因として、士気の低下がある。特に帝国を構成する傘下種族で最大の勢力を誇るカウル族の士気低下は著しかった。

 親帝国派の族長ノヤンが病に伏せると、帝国軍の機動力を支えるカウル族の軽騎兵隊は、司令部のほとんどの提案を、族長の病気を理由に拒否、または無視するようになった。

 また西路軍の基幹となるテーベ族、ヴァン族の歩兵部隊は、彼らが信頼していた司令官であるタルナフ伯の更迭で、こちらも士気を低下させていた。

 そして、同盟軍であるエルミナ軍の士気や協力意識はさらに酷いものだった。タシケント太守などに敵陣地に対する攻撃を指示すると、すぐにも戦力不足を理由に反対、実行しても戦う素振りだけしかしない。

 さらに、エルマリア王女と精鋭の“聖女連隊”はそれ以上に前線を嫌っている。彼女達は戦いそのものを忌諱しており、一応は王都サマルカンドから戦闘部隊の駐留するカルシ市までは来てはいたが、自分達やエルミナ軍に攻撃の指示や戦闘の負担をさせる気はまったくないようだった。

 そして、帝国軍の各師団の兵達も、長い対陣で疲れ切っている。

 もはや、彼らが帝都を勇ましく出発した時の旺盛な士気は失われ、早くファルスと停戦し、故郷に帰りたいと願うようになっていたのである。


「もう、勝つのは難しいですが、いい方法ならありますよ」

「どうするのですか?」


 いい方法と聞いてローザリア卿は身を乗り出す。


「エルミナなんて諦めて、尻尾を巻いて逃げ帰るんです。そうすれば、これ以上の損害は抑えられます」

「それでは、負けた事になり、いままで失った命や資源に対して、責任を果たしていないではないですか」

「戦争はゲームじゃないのですから…… 結果の勝ち負けの問題ではありません。被害を抑えることも肝要です。それに、そのほうが長期的にみればチャンスありますよ。エルミナのランス族達はトルバドール族に占領されて、やっと彼らの歪んだ体質を自覚することができる。当然、すぐに独立意欲に燃えた者達が立ちあがるでしょうね。そんな彼らを隣国のアスンシオンはせっせと援助してあげればいい」

「逃げ帰った我々を信用するでしょうか」

「大敗して潰れた場合よりは信用するでしょう」

「しかし、兵力の少ないファルス側も、我々に勝つ為の策を練るのは難しいのではないですか? 我々は優れた要塞陣地で防御を固めていますし」

「すぐにはね。でも、戦争の敵って人間なんです。人間は、こちらを倒すために頭を使って考えます。準備する時間をたくさん与えれば、いろんな実戦的なアイデアを使えるでしょうね」


 結局、過ぎた時間は巻き戻らない。

 帝国軍は圧倒的に有利な陣容で戦いに臨んだ。しかし、その有利な状態に増長するあまり、小さいミスをいくつも重ね、いつの間にか有効な手が打てない状態に陥ってしまった。

 このままではどうしようもない事はわかっているが、かといって解決策も見出せない。

 そして「この戦争は勝てていたはずだった」「失った人命や資材を無益にしたくない」という彼らの思いが、負けを認めて逃げ帰るという選択肢を妨げていた。

 このような状態が破滅の一歩手前である事は、人類の戦術史が証明していることである。


****************************************


 帝国歴3017年4月28日、アスンシオン・エルミナ連合軍とファルス軍が対峙する、カルシ南東の最前線の陣地では、彼らの日課である防御陣地の増築作業が行われていた。


「師団長、カラザール伯、作業に異常ありません」


 第10師団所属の工兵主任のフバーク・ストラトスは、上官に対して敬礼する。

 彼は師団長タイラー・リッツ・エッツゲンと、その所属であるカラザール連隊の連隊長テオドル・コンテ・カラザールの視察を受けていた。


「今日は良い天気だから懸案だった南堀の区画拡張が進みそうだな」


 老練の士官であるエッツゲン卿は、陣地構築の進捗状況を喜んでいる。

 フバークは優秀な工兵士官であり、カラザール伯の歩兵連隊も士気旺盛で積極的に作業していたので、第10師団の陣地は他の師団に比べて、作業が効率的に進んでいた。

 第10師団は展開する戦線のほぼ中央に位置する。師団長のエッツゲン卿は、スミルノフ参謀長の意を汲み、日々陣地の強化に腐心していた。

 先日は総司令官に第10師団の工事が最も良好であると褒め称えられ上機嫌だ。

 しかし、カラザール伯の傍らにいて彼の従者をしていた、伯爵の次男ルーファス・コンテ・カラザールは、父に対してその方針への疑問を投げかける。


「父上、確かに堀を深くし、城壁を強化する事は有効ですが…… 陣地は動けないので、長い戦線の何処か一か所でも破られれば終わりです。もう少し柔軟な陣地構築をしたほうがよいと思うのですが」


 ルーファスは、最近ずっとその心配をしているようであった。

 実際、カルシ南方の戦線は東端から西端まで長く繋がっていた。このような長い陣地では、どうしても強弱が出来る。

 そしてこの長大な陣地は、その一箇所でも破られれば、その役目を果たせない。

 従者の心配を小耳に聞いた師団長のエッツゲン卿は大笑いして制する。


「テオドル、お前の子息はかなり神経質のようだな。我々の陣地建築技術はファルスの蛮族には及ばないものだ。奴らが大挙して攻め寄せて来ても撃退できるさ」


 師団長のエッツゲンはカラザール伯と士官学校の同期であり、旧知の親友であった。実際、四年前のバイコヌール戦役ではエッツゲン卿はカラザール伯の講和の際に使者として交渉に当たっているし、終始カラザール伯の立場を弁護して、自宅謹慎にされている。

 カラザール伯の次男ルーファスは、父の侍従という扱いだが、聡明な若者であり、師団長のエッツゲンも彼を可愛がっていた。

 アスンシオン帝国は建設技術の進んでいる国である。工兵に関して、ファルス王国と比較しかなり技術力に差があるだろう。


「タイラー、戦力を集中して突破を図る策は、古来よりよくある基礎だぞ」


 息子の意を汲んで、父親のカラザール伯が戦術的な意見を述べた。


「それでもこれだけの陣地、突破するまでには時間がかかる。そのための予備兵力としてカウル族の軽騎兵60000と予備師団3個、さらにエルミナ軍1個師団と騎兵師団、聖女連隊まで控えているのだ、何も心配は無い」


 確かに、フバークらの工兵隊が構築した防御施設は見事で、今まで知られている攻撃にはどのような攻撃にも効果的に対応できるように計算されたものであった。

 だが、それは“今まで知られている攻撃”に対してである。

 ルーファスは、その強靱な陣地を見ながら、彼の師匠である子供の頃に聞いたレンの言葉を思い出していた。


 人間は『心の剣で未来を拓く』ため思考する。

 そして、人間の敵はいつも人間なのだ。


****************************************


 陣地設営の工事を巡視していた一行だったが、ルーファスは東の上空に、黒い塊がゆっくりと動いているのを目撃した。


「父上、あれはなんでしょうか?」


 ルーファスは、東の空を指さして言う。そこには第15師団が配置されているはずの上空である。

 工兵主任のフバークは、すぐに手持ちの双眼鏡を覗いて確認する。


「航空騎? いや、あれだけの編隊なら発煙が見えるはずだ。鳥の群れかな」


 フバークは、自分の知識からそれを鳥の大群だと考えた。

 航空騎兵ならば、法力エンジンのバックファイアが有り、後方に航空騎雲が出来る。索敵の場合は、少数で現れて雲や噴射の時間差の工夫でバックファイアを見せないように航行するのが基本で、この航法は両陣営ともよく行われていた。しかし、大軍であれば航空騎雲を完全に隠蔽するような移動は不可能だ。

 また、気球ならもっと大きく、こちら側が風上なので向かっては来られないはずである。

 一行が東の空の様子を眺めていると、突然は南方から複数の信号弾が打ち上げられた。こちらはかなり近く、味方の偵察隊が出したものだろう。


「伝令! 索敵部隊から信号弾を確認。前方の敵歩兵団、こちらへ進軍中です」


 敵軍が陣地を出て出撃してきたという報告に、師団長のエッツゲン卿は驚いた。

 今まで、小競り合い程度はあった。しかし、半年近くまったく動かなかったのである。それが、大挙として出撃してきたという。


「ファルス軍ども、遂に痺れを切らしたな。しかし、この強固な陣地、破れるわけがあるまい。各隊に伝令、工事中止、総員防御配置につけろ!」


 周囲にいた伝令は師団長の命令を了解すると素早く指揮所に移動した。

 それから間もなく、彼らの西に隣接する第22師団、東に隣接する第15師団からも、前方の歩兵隊が動いたため、戦闘状態になったという伝令がやってくる。


「いまさらながら敵の総攻撃か、こちらの準備が無駄にならなかっただけでも有りがたいが」


 司令部に移動した師団幹部らは、前方から接近する敵歩兵の兵力が約20000程度との報告を受けていた。いくら士気が低下しているとはいえ、第10師団は補給部隊等も含めて30000の兵力で強固な陣地に拠っている。明らかに無謀とも思える攻撃だ。


「敵はこちらの万全の防御を把握しているはず。今さら総攻撃とは、いささか不自然じゃないか」


 傍らにいたカラザール伯は、素直に不審点を挙げた。

 カラザール伯は昔から名将として知られており、本来なら師団長規模を任される実績と経験の持ち主である。

 もっとも、彼はバイコヌール戦役の首謀者ということで、出世の道はもうないだろう。


「敵の事情など知らんよ。大方、そろそろ帰国したくなったので最後の悪あがきという事だろう」


 師団長のエッツゲン卿は、前線の報告を聞きつつ、矢継ぎ早に後方へ情報を送った。

 ルーファスは集められた伝令の報告を詳細に静かに聞いていた。

 彼はその報告の中で、彼らの西に配置された第22師団の報告に比べ、彼らの東に配置された第15師団への攻撃が、明らかに強力だと分析する。


「師団長殿、父上、どうも第15師団への攻撃は、我々へ準備されているものよりも強力なようです」

「ほぅ、それは何故かな?」

「第15師団に攻撃に加わっている歩兵に、カンバーランド軍の旗が見えたそうです。さらに、索敵の報告から判断した敵の正面幅の密度を考えても、我々より3倍程度の圧力を加える気があるように感じられます」

「なるほど、さすがは名将カラザール伯の子息だ。敵の主攻撃軸は第15師団方面ということなのだろう。だが、その後ろに予備の第8師団が控えているし、さらなる追加の予備師団もある。我々は我々の配置箇所を守ればいい。そっちが陽動の可能性だってあるわけだ」


 師団長のエッツゲンは自分の持ち場を守ればいいと考えている。

 確かに第15師団への攻撃が陽動で、こちらが本命という可能性もある。そういう突破戦術はよくある作戦だ。

 だが、ルーファスは、何かがおかしい気がしていた。

 敵は、どうしてこんなに天候の良い、しかも昼間に動くのだろう。数的劣勢で、陣地構築技術も劣っているならば、雨天や夜の闇を利用することだって考えられる。

 それに、敵の航空騎兵が来ない。どこかに集中的に運用されている証拠ではないか。

 とはいえ、師団長のエッツゲンの言う通り、目前に接近する敵に対抗しなければならないのは事実であり、集中攻撃を受けた陣地への援軍は後方の予備師団の仕事で、そういう事前の打ち合わせである。

 しかし、その打ち合わせは、当然とか適切とかいう形容詞が相応しいものだ。

 それはつまり、相手から見て容易に予想される行動という事である。


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