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塔4~崩落前夜④

 4月、ハイラル州で準備を終えたアスンシオン軍、シュリナガル州とローランドの国境から反撃に転じたローランド軍、そして“天槍連隊”を加えたハイラル州軍は、合同してシュリナガル州の奪還作戦を実施する。

 この攻撃でカンバーランド軍を撃破し、同地を奪還した。

 このシュリナガル奪還は、ハイランド政府側にとって非常に悪いタイミングとなった。ちょうどシュリナガル州の管理権割譲を盛り込んだハイランド=カンバーランド協定を発表した直後であったからである。

 条約の記載は暈しているとはいえ、政府が国土を他国に売り渡した内容である。

 この発表直後に、王位継承を主張するメリエル王女と、それを率いるハイランダー族の処女だけが持つ特殊能力を備えた“天槍連隊”が活躍し、他国に奪われた土地を奪還したという事実は、大きな宣伝効果になった。

 実際のところは“天槍連隊”は何もしていない。彼女達が持つ“惑星”の能力は、近距離の相手を鈍足化する能力である。1対1の接近戦では極めて強い能力だが、法撃と弓矢が飛び交う戦争では役に立たない。

 また、アスンシオンとハイランドは相互軍事防御同盟の関係にあり、両国に対する他国からの侵犯に対しては相互援助する条約があった。これはまだ有効期限が残っている。

 一般に国家同士の条約は法律や憲法よりも重い。政府が変わっても条約は反故にされない。

 もちろん、相互軍事防御同盟条約も、同地の国家の承認があればという項目はあったが、条約締結時にはハイランドは王制だったので、新しい議会政府からの要請という項目は条文にない。

 レンはこれを拡大解釈して、同盟関係を理由に、アスンシオンと同様の条約を結んでいるローランド軍と共に、シュリナガル州を奪還したのである。

 これにより、メリエル王女と“天槍連隊”を使い、以前の同盟条項を最大限に利用し、そしてハイランドの国土の保護を行うという、最初に設定した建て前を、事実としてハイランド国内に広めることが出来たのである。


 シュリナガル州奪還作戦では、レンは南方からローランド軍の援軍を得た。

 ローランド王国は再興中であったが、今回のシュリナガル州への作戦に対し、比較的規模の大きな兵力を援軍として派遣した。これには、アスンシオン帝国の後宮の妃であり、ローランド王アルジュナの娘、サーラマからの手配があったという。

 ローランド戦役の際に、彼らの国の危機をレンの部隊が救った事は、サーラマによってローランドに伝えられた。

 この事実を知ったローランド王アルジュナは、自国の精鋭部隊と傘下の同盟種族に呼びかけ、援軍を派遣したのである。


 もっとも、この奪還作戦自体は、ムラト族旅団がシュリナガル州とカンバーランド王国を繋ぐラワシ周辺の街道を封鎖する素振りをみせたことで、カンバーランド軍が交戦を避けて撤退したため、ほとんど行われなかった。

 同地を占領後、ローランドの援軍部隊の約半数は帰国したが、国王アルジュナの命により、ローランド軍の誇る拳聖隊と、補給隊はそのままレンの旅団に増援として留まることになった。


 アヴジェ族、ローランド族、ガネーシャ族、アリハント族などのR属カマラ系種族は、特定の感情が高まると運動能力が上昇するといわれている。

 この能力をより活かして、鎖器という棍棒を鎖で繋いだ特殊な武器と、格闘技、そしてチャクラムという飛び道具で戦うのがローランド王国の拳聖隊である。

 だが、レンは発言する事は無かったが、戦場での鎖器という武器と格闘術をまったく評価していなかった。

 矢弾と法撃、槍で戦う戦場で、盾が使用できない上に、使用難易度の高い鎖器や、素手や蹴りにいったいなんの価値があるのだろう。運動能力が上昇で、戦士によっては2倍程度の腕力や敏捷力が得られるというが、1対1の格闘技大会ならまだしも、戦場ではほとんど役には立たないと考えている。

 ローランド軍は普通の歩兵もいる。この歩兵の中で優秀な者が、彼らにとって神聖な精鋭部隊である拳聖隊に選抜されるのである。この精鋭部隊に選抜されることは、ローランド文化では大変な名誉であるという。

 だがレンは、せっかくの優秀な人材をただの格闘家として信奉、消耗してしまう非合理的な組織運営が、ローランド軍の弱小体質を産んでいる原因だと考えていた。

 ローランド戦役では、ローランド軍は序盤から大敗し、今回のエルミナ戦役のハイランド戦線においても、カンバーランド軍によってあっという間に蹴散らされてしまった。

 ローランド軍の拳聖隊の隊員は、格闘戦に持ち込めれば我々に勝利があった。と言っていたが、相手がそれに応じるわけがない。


 ただし、ローランド軍の援軍部隊は、レンが眉を顰める部隊だけではなかった。後宮の妃、サーラマが一族を通じて手配したスジャータ族の補給部隊はとても貴重な戦力と考えられていたからである。

 スジャータ族はローランド王国の傘下種族で、女性しかいない種族である。アスンシオン帝国の妃となったサーラマが侍女としてスジャータ族を何人か連れていたように、王族と比較的関わり合いが深く、スジャータ族達は、夫をローランド族の王族を選ぶのが慣例である。

 スジャータ族は“メディアの加護”を持っている。これは思春期を過ぎたスジャータ族の女性は、子供がいなくても母乳が出るという特殊能力である。

 この母乳は“ネクター”と呼ばれる飲料で、極めて栄養豊富でなにかしらの身体の不調を改善する効果があり、しかも現地生産できる。

 そして、スジャータ族はなぜか、自身が摂取したカロリー以上の“ネクター”を産出することができた。つまり、本人の摂取量より多くのカロリーを産出できるのである。

 種族分類学者は、これは彼女達が“ネクター”を生成する際にPN回路をエネルギーに利用していると考えている。つまり、スジャータ族はその身体自体が食糧供給源としての価値を持っている事になる。

 ローランド族の拳聖隊3000とスジャータ族の補給隊1000の援軍を得て勢いを増したハイラル州軍は、そのまま勢いに乗り動揺するカラコラム州を占領。

 さらにタラスに駐屯していた帝国師団が、アスンシオン帝国とハイラル州に対する支持を表明したコチコル州に入って体勢を固めた。

 こうして、王都のあるフェルガナ州以外のハイランド領は、全て王党派、神殿派によって掌握されたのである。


****************************************


 フェルガナ市にあるハイランド政府議会では、首都内でもアスンシオンの支持派が急激に増えている事に対して危機感を募らせていた。

 彼らにとっての一番の致命傷は、政府がシュリナガル州放棄を決めた後に、その土地をハイラル州軍が奪還したことであろう。

 これには同じ啓蒙党、労働党内からも強い反発があったのである。

 啓蒙党の党首で現行政府首相のサザーランは、連立政権を組む労働党の党首ノヴェルに対し、自国の領土を保全に貢献したメリエル王女の功績を認め、アスンシオン軍を国外退去させる条件で即位させ、その後、総選挙によって新しい国家を目指すしかないと説いた。

 ノヴェルはすぐに返答せず、いったん党本部にこの議題を持ち得ると回答する。


「少なくとも奴らが国土を回復したという事実は隠しようがない。ここで我々が拒否すれば啓蒙党は神殿党と手を組むでしょう。帝国は啓蒙思想の国で、多くの国民もその方が安定すると考えるかもしれない。そうなれば我々は進退窮まります」


 啓蒙党からの提案を聞いたノヴェルは、労働党本部にいる種族解放戦線の幹部達に説明する。

 ハイランド労働党を支援する種族解放戦線は、タリム共和国の大学でこのような政治闘争に必要な知識と技術を身に着けていた。

 帝都アスンシオンの武装蜂起もその技術があったから成功できたのである。ハイランド労働党にその技術がなく、労働党の党勢拡大には彼らの協力が不可欠だった。


「敵が王女という看板を建てたところで我々の目標は変わらない。まったく階級主義者のやる事はいつも血統だの、伝統だの実にくだらない」


 幹部のブレスデン・アティラウは王家の血筋という存在を強く非難した。もっとも、王制自体を否定するのが労働党であり、いったん立憲君主制認めたのも、革命の為の段階的な話であるということは党内で意見が一致している。


「メリエルは王位を嫌っていたという話です。きっと子が成人するまでなどという理由で帝国主義者どもに焚きつけられたのでしょう」


 種族解放戦線のリーダー、ラブロフはメリエルの本心を見抜いていった。


「であれば、我々の行動はひとつしかありませんな」


 ラブロフの側近、エルネストはその意を察して言う。


「拘束しているグンドールとヒルデリックを処刑なさい。奴らは、いままで労働者達を虐げていた圧制者だ。それにヒルデリックを処刑すれば、王子が成人して譲位するという考えを事前に潰せる」


 ブレスデンは彼らの意見を理解し、整理してノヴェルに伝えた。


「王子を処刑!? まだ5歳の子だ。そんな事ができるわけがない。それに成人ではないから責任者になれないといって王子の即位を拒否しろと言ったのは貴方達ではないか!」


 ノヴェルは彼らの意見に強く反発する。


「全種族の平等という崇高な革命の為にはいたしかたない犠牲ですよ」


 ラブロフとエルネストだけでなく、ノヴェル自身も王制は不平等な制度として反対する人間の1人である。だが、ノヴェルは責任のない子供を殺すなどという思想は持っていない。

 もちろん、ノヴェルはハイランダー族で、ラブロフ、エルネスト、ブレスデンらは他国の人間であり他種族だという違いもあるかもしれない。

 労働党は種族平等を謳っており、だからこそ彼らの支援を受けたが、結局のところ、ここはハイランドでありノヴェルはハイランダー族である。当然、その温度差は大きかった。


「もう貴方達とはやっていけない。国外に退去してもらおう。我々ハイランド労働党は野党になるかもしれないが、地道に活動して自分達の理想を主張し続ける」


 ノヴェルはついに決断した。

 だが、彼がこの場所で短気にそれを言ってしまった事は彼にとっての命取りだった。結局、この党首は、熱血漢の理想主義者であったのだろう。


「そうですか、ここでそれを聞けて安心しましたよ。逃げられると面倒ですからね」


 ラブロフはにっこりとほほ笑む。

 既に、床には鮮血が流れ出していた。彼に声を上げる余裕など与えられなかったのである。


 その日のうちにハイランド労働党を乗っ取った種族解放戦線は武装蜂起を決行した。

 首相のサザーランは危うく襲撃から逃れたが、逃げ遅れた啓蒙党の党員の多くが殺された。

 そして、この蜂起で最も重大な出来事は、軟禁中だった元国王のグンドール、王子ヒルデリック、内務大臣で元議会議長のブリアン、王党派の元大将軍で国民的英雄のミルディンなどが拘留先で殺害されたことである。

 その後、ハイランド労働党新聞は、病死したノヴェルに代わって新労働党党首ジュンベが就任したことを発表。同時に、新聞では、ジュンベが国民の圧倒的支持によりハイランド首相に就任したと報道した。


 この重大なニュースはフェルガナ州の南に隣接するハイラル州にもすぐに伝わった。


「レン殿、大変です。国王陛下と、王子が奴らに殺されてしまった!」


 ガルシン将軍は狼狽して、レンの宿舎に掛け込んでくる。


「メリエル王女はどうしていますか?」

「酷く落ち込んでいます。側近の者が宥めていますが……」


 レンはこのような時に、メリエル王女の側近につけたナデシコに、どのようにアドバイスすればいいか教えていた。仇討ちを強く勧めるように仕込んでいたのである。


「一刻も早くフェルガナ市へと向かって国王陛下の仇を討ち、首都の治安の回復にあたらなければなりません。ガルシン将軍、知っての通り“天槍連隊”は戦える部隊ではない。それにメリエル王女は戦い向きの方ではありません。将軍が先発して要所を抑えてください」

「心得ました」


 ガルシンが退出した後、レンはにっこりとほほ笑んだ。

 フェルガナ市に手を出せなかったのは、啓蒙党と労働党が手を組み、多数派だったからである。その両者が対立を始め、両者とも少数派に落ちたのなら、勝敗は決したも同然だ。


「レン殿は彼らが王と王子を殺めることを前提に、策を練られていたのではないですか?」


 傍らで今回の顛末を聞いていたローザリア卿は尋ねる。彼は、レンという男が勝利の為ならどんな手でも使う事を知っていた。

 ザラフシャン山脈の山岳戦でも、レンはわざと相手のミスを誘うように味方を犠牲にして囮を出している。今回の件も、最初から相手の暴走を狙っていたようにも思える。


「未来に対して正確に予測できる者なんていないですよ。でも、いくつかの可能性を事前に検討することはできる。労働党のノヴェルが、ちゃんと仕事をして種族解放戦線を国外に追放できれば、今回の武装蜂起なんて起きなかったでしょう。種族解放戦線という他力で党勢拡大をすれば、いずれこうなる事を分かっていたはずなのに」


 レンは労働党のノヴェルだけでなく、サザーランについても説明した。


「それに啓蒙党のサザーランも、労働党の背後にいる種族解放戦線の存在と、武装蜂起の可能性を知っていたはずだ。それによって王と王子が殺害される可能性も分かっていたはず。それを知りながら、彼らをこちらに引き渡すという妥協した選択肢をとらなかった」

「レン殿、ひとつお訪ねします。我々がハイラルに来なかったら、ハイランドはどうなっていたと思いますか?」

「そうですね。神殿党が倒されて、各州が啓蒙党と労働党の連立政権を承認、しかし、種族解放戦線が入り込んでいる労働党がいつのまにか党勢拡大して啓蒙党の勢力を抜いて第一党となり、次の総選挙で負ける。最終的には啓蒙党を追い出して、あとは労働党を乗っ取った種族解放戦線が好き放題していたでしょうね」

「レン殿の推察はその通りだと思います。しかし、もう少し犠牲者を少なくできなかったのかと思わないではないですが」


 ローザリア卿は素直にレンという人間を、人間的感情の欠如した策略家として判断するしかできなかった。それは、最初にこの地でこの人物と会ったときから分かっていたはずのことである。


****************************************


 5月上旬、先発隊をフェルガナ州の要所に派遣したレンは、メリエル王女率いる“天槍連隊”を連れ、予定していたフェルガナ市制圧作戦を準備する。


 だが、その作戦は突然中止になった。

 帝国政府よりハイランドに駐留するアスンシオン軍に出た命令は驚くべきものだったからである。


「ハイランドに駐留する全帝国軍は、ハイランド情勢への関与を全て放棄し、ただちに帰国せよ」


 その命令の原因は、西方のエルミナ戦線を含めた帝国の危機によるものである。

 彼らにはどうしようもないところで、崩壊は始まっていた。

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