塔4~崩落前夜③
1月中旬、第13師団とムラト族旅団の合計50000の兵はハイラル市へと入った。
ハイラル市はハイランドの首都があるフェルガナ市から南方の高原地帯にある。ハイラル州の大部分は世界の屋根と呼ばれるパミール高原地帯であり、州の周囲は極めて高い山脈に囲まれている。
ハイランドという国は、首都のフェルガナ市があるフェルガナ州に人口の70%が集中しており、残りのコチコル、ハイラル、カラコラム、シュリナガルの各州で残りの30%を分けている。
そして、ハイラル州は各州と比べても最も人口が少なく、土地の生産力は低く、産業の乏しい地域である。
だが、ハイラル州はハイランド発祥の伝統地として語り継がれている。さらに難攻の地形であるため、ハイランド国民であるハイランダー族の信仰的、宗教的意義の強い土地であった。事実、ハイランド国、ハイランダー族の名称は共にハイラルの地名から来ているという。
そのため、ハイラルにある山の神殿はハイランドで最も権威がある組織とされ、ハイランド神殿党派の拠点ともなっていた。
フェルガナ州が、啓蒙党派と労働党派の連合政権に抑えられた今、ハイラル州はほぼ孤立状態にある。
現在のハイラル州の表面的な代表は、ハイラルにある山の神殿の神官長メリエルである。彼女は、前国王グンドールの長女で、アスンシオン帝国に嫁いだ妃カスタルの姉であった。
またハイラル州の軍事関係はハイランドの元ハイラル師団の師団長、ガルシン将軍が仕切っている。
だが、両名ともこのような政争には疎く、ほとんど州境を封鎖するだけで、フェルガナでの事変に対する対応には困っているだけであった。
第13師団のハイラル進軍に合わせ、フェルガナ盆地周辺に駐留していたアスンシオン帝国軍の第7師団、第12師団は、帝国との国境に近いタラス付近まで後退させ、フェルガナ州とコチコル州との間を結ぶ街道を抑えさせた。
また、コーカンドに残っていた第24師団はフェルガナ盆地の西出口を抑えて、こちらも街道を抑える。これはローザリア卿を通じてレンが依頼した手配であり、フェルガナ盆地を通過する情報を抑える目的があるという。
ハイラル市に入ったローザリア卿とレンはさっそくガルシン将軍に出迎えられた。
「ローザリア卿、レン殿、お久しぶりです。貴卿らの来援感謝いたします」
ガルシン将軍は、ローランド戦役の際、ローザリア卿と共に国境地帯まで進軍、そしてレンの義勇軍と共にカンバーランド軍への急襲作戦に参加した将軍である。
そのためガルシンのレンへの信頼は絶大であった。レンはその関係もあって、フェルガナに向かわずに、ハイラル進軍を目指したのである。
会議の席で信頼できる仲間と、50000もの友軍を出迎え、強気になったガルシン将軍は言う。
「レン殿。フェルガナは山脈ひとつ越えた先、ローランド戦役の時のように敵の本拠を急襲し、国王陛下と王子を虜囚にした裏切り者のサザーランとノヴェルを倒しましょうぞ」
援軍の到着に喜んだガルシン将軍の鼻息は荒い。もともと彼は謀略の類は苦手な将軍であった。
「そんなことをしてもまったく意味無いよ」
だが、レンはそれをあっさりと否定する。
「どうしてですか、首謀者を倒せば戦いは終わります」
「啓蒙党の党首サザーランも、労働党の党首ノヴェルも、ちゃんと自分の仕事をしている人達じゃないか。そんなのを敵という理由で倒したら我々の方が進退窮まるよ」
レンは対立勢力の首領を“自分の仕事をしている人”と評価している。ガルシンにはそれが理解できなかった。
「奴らの主張は自分勝手なものです。国王陛下の血筋の治世で新しい制度を作るという盟約だったのに、奴らはそれを反故にしたのです」
ガルシンら王党派、またハイラルの神殿党派からすれば、立憲君主制という制度にするという約束で議会設置に賛同したのである。
それを反故にして国王や王子を拘束した行為は、彼らからすれば裏切りに見えた。
「そんなことはないさ、啓蒙党も労働党も国民の意見を反映しているよ。こういう国内の派閥争いの対立はね。実力行使でリーダーを倒せばいいってもんじゃない。情報を正確に分析し、適切に行動して、相手の意図を挫かないとね」
「その場凌ぎに国民ウケのいい政策しか吐かない、嘘つきの奴らなど国民の真の意見を反映していない!」
「ガルシン将軍。歴史的にみれば、国民ひとりひとりが権利を持っていて、その場凌ぎでもその要求を汲んで運営されている国の方が、一部の指導者だけが権利を持っていて、国民がそれに従う国よりも強い。それはなぜだと思う?」
「それは、自分達の権利を守るために兵士の士気が高いから、でしょう。しかし、我が国の国民は自由な気風です。王家や神官も質素で富貴を愉しむよう国是はないし、グンドール陛下も勤勉でかつ自己研鑽に努められ国民の模範となっておられました」
「それがダメなんだよ」
「なぜですか」
「普通の人間は、肉体的な欲望を満たすことを求め、その快楽を満たし、それを守る権利を与えてくれる人を支持するのさ。だから自分達の快楽を反映している党派があり、個々はそれを支持している。だから党首を倒せばいいって問題じゃない」
ガルシン将軍は、納得できない様子であった。
「国王陛下のような立派な指導者の下で国民が団結し、各々が役目を果たす。それが国家の有り方ではないですか」
「そうは思わない人達が、多いってことさ。だけどね。この事態を利用して、自分達の理想とする勢力を拡大させようという輩がいる。ひとつは、労働党の背後にいる種族解放戦線、去年帝国でクーデター騒ぎを起こした奴らだね。そして、もうひとつが我々さ」
「……レン殿は我が国をどうされたいのですか」
「そうだなぁ。外部から影響力を及ぼそうという人を排除したいね。啓蒙党のサザーランはともかく、労働党は、種族解放戦線が入り込んで、いいように手駒にしているようだからさ」
種族解放戦線は、昨年度のアスンシオンでクーデター失敗の後、その構成員の多くがハイランドに入っているようであった。運動員の多くが、労働党に協力しているのは明らかである。
レンがハイラル州に到着して最初に取りかかったのは、情報の統制である。
一般的にこのような党派争いでは、情報掌握が最重要である。それは、同一国内での争いにおいては、相手勢力に対して潜入工作や協力者を作りやすいからだ。
これが国家同士の戦争だと、相手勢力に信頼できるスパイを送るのは容易ではない。可能であっても、せいぜい金で釣る程度の協力者止まりだろう。
ハイラル州の神殿党派は人材が不足していた。というより、このような党派争いのノウハウが欠如していた。王党派の多くがフェルガナ市で拘束されているので、人員も不足している。
情報統制の付属として、会議の席でレンはハイラル州が取る3つの方針を決定する。
1.メリエル王女をハイランド女王として推挙する。
2.ハイランダー族の歴史と文化を守るため、“天槍連隊”を設立する。
3.ハイランドの領土をどこの国にも譲渡しない。
まず、レンは神官長メリエルを女王に推挙した。ただし、ハイランドの現行法では女性は国王になれない。
最初に立憲君主制を目指す際に、最初に女性を国王にする事を反対したのは王党派である。王党派のガルシン将軍は、レンの方針に対して、ハイランド王国の伝統に反すると反対する。
また、メリエル王女は政治的意識の薄弱な人物であった。よく言えば控えめな女性だが、世俗を無視して一日中神殿で祈りを捧げているような人物である。
彼女はそういう性格なので、そんな責任のある立場は就けないと、女王候補を嫌がる。
だが、レンは次の提案で両者の妥協を引き出した。
「相手側が成人しか国王として認めないなら、やむをえない。未成年の国王はただの傀儡だと嫌うという相手の言い分にも一理あるから。ヒルデリック王子はまだ5歳だが、あと10年すれば成人に成長する。メリエル王女にはそれまでの国民の団結を維持するための摂政のような役割として、女王に就任してもらえばいいだろうと思う」
ちなみにアスンシオン帝国でも女性は皇帝にはなれない。
しかし、帝国からは、ハイランドにおける一時的な女性国王の承認を取り付けていた。また、後宮の妃サーラマを通じて、ハイランドの歴史的同盟国であるローランド王国にも女王就任の承認を取り付けている。
当初、首都のフェルガナ市を有するハイランド現行政府は、アスンシオン軍の進駐に反発し、特にフェルガナ市のハイランド労働党新聞はアスンシオン軍を侵略者、帝国主義者と罵っていた。
ところが、レンは逆に彼らに対して、男女平等を謳う労働党が、成人のアイロニック王子の即位は認め、未成年という理由でヒルデリック王子の即位は認めなかったのに、女性という理由で成人のメリエル王女の即位を認めないのは女性蔑視であるとして非難する。
レンの主張では、こういう党派間の論戦は、相手が信じる主張の中での矛盾点を突かなくては意味がないという。
労働党の党員は彼らなりの信念がある。だから、他の党派が信じる、民族主義的、啓蒙的、宗教的な論理を持ち出してもまったく通用しない。
だから、彼らが信じる論理の矛盾点を非難するのである。そうすれば相手側の意見の分裂を促せるという。
つづいてレンは、山の神官やその候補生を集めて“天槍連隊”を結成した。
旅団参謀のトーマス、そして騎兵大隊長のリーフと航空騎兵のナデシコらに、この編成を補助するように伝えている。
新たに結成される“天槍連隊”の連隊長はメリエル王女自身が努めることになった。
「レン殿、種族の特権意識を煽るような特科連隊は、以前エルミナで“聖女連隊”を批判していたときに、国の弊害になると言われていたはずですが」
第13師団長で実質的にはハイランド駐留軍の総司令官であるローザリア卿は質問した。
「そんなことはないさ。エルミナ王国の“聖女連隊”も当初から権利意識の強い歪んだ部隊だったわけじゃない。ランス族独立戦争時は、彼らは種族の誇りと力になって、種族の団結を促す強力な部隊だったんだ」
アスンシオン帝国からエルミナ王国が独立したのは、アスンシオン帝国が多種族国家となることを承認、つまり異種族にも人権を与えたことに反発したことによる。
この独立戦争で、“聖女連隊”はランス族の種族の誇りとして戦った。乱雑な交雑で失われてしまったラグナ族の特殊能力に比べ、ラグナ族第一主義を維持し、純潔主義を守ったことで得られるランス族の“陽彩”の特殊能力は、数多の戦闘でその力を示し、ランス族統合の原動力となった。
この“聖女連隊”は、誕生した当初から、特権意識に捉われた歪んだ部隊だったわけではないのである。
結局、このように種族の伝統的な力、種族の誇りを煽るやり方は、このような内戦で種族の団結を煽る象徴にとても有効なのだ。
「ハイランダー族の神官、つまり処女に“惑星”という特殊能力があることは、国民なら誰でも知っている。だから、神官が集まるハイラル州からすれば、“天槍連隊”の設置はもっとも有効な宣伝工作だよ」
ただし、急遽編成された“天槍連隊”の実情は、お粗末なものであった。
山の神に仕える神官達は、戦闘訓練など受けた事が無い。神官達は、実務的にはまったく役に立たない祭事の知識があるだけであり、男性経験のない年頃の娘だけの部隊を実働的な戦力として期待する方が無理である。
各州の山の神殿の神官には一応、護衛兵もおり、こちらは多少の武術の訓練を積んでいる場合もある。ただし軍隊というより護身術のレベルであった。
三項目として、レンはハイラル州政府に対して、カンバーランド王国がハイランド南方のシュリナガル州の併合を宣言した事に対し、強く非難させた。
レンは、現行政府が独力でカンバーランド軍を排除する力がないことを見越し、カンバーランド王国の支援を受ける見返りに、シュリナガル州の割譲を認める裏取引を行っていると予測している。
彼は相手方の外交的な動きを封じる為に、先手を打ったのである。
さらに組織内に、いくつもの情報の罠を張った。
例えば、そのひとつは、ハイラル州だけでハイランドから独立するような行政府体勢を整えた上で、独立するという噂を流させた。
実際、ハイラル州だけで独立できるほどの経済基盤はない。だからレンにハイラル州を独立させる気などまったくなかったが、ハイラル州に潜入している工作員達はこの動きをフェルガナ市にいる仲間に連絡する。
相手が通報したくなる嘘を巧みに使い、相手側の潜入工作員をあぶり出すのである。
ハイラルの駐留地で、レンはひとつひとつの情報をチェックしている。師団参謀のダルボッド・ヴィス・グリッペンベルグがそれを補佐していた。
「うーん、フェルガナ市で起きた最初の発端の、この労働党の本部の襲撃事件と、山の神の神殿支部が放火事件は、両方とも労働党がやったものだね。前者が自作自演、後者は自陣営への煽りの為の先鞭だねぇ」
「どうしてわかるのですか? これだけの情報で」
師団参謀のグリッペンベルグ卿は尋ねる。
「だって、襲撃事件がタイミングよすぎじゃないか、同時に起こるわけないでしょ」
「起こるかもしれないじゃないですか」
「起こらないさ。A国とB国が対立していた時、A国が宣戦布告すると同時に偶然B国が宣戦布告した、なんてことが過去にあったかい」
「それは…… 相手側から宣戦を受けて、すぐにお返しに宣戦するぐらいでしょうか」
「それに、情報の詳細を相手の気持ちになってよく精査してごらん。“労働党の本部の襲撃”って、いかにも本部を狙ったという手口だけどさ。どうして本部を狙うわけ?」
「本部は重要な施設だからではないでしょうか」
「こういう党派争いでは本部なんて重要じゃない。本部なんて会議室だけで、いつでも移転できるでしょう。でも“本部が襲撃された”という形容詞は有効だよね」
レンは解説する。自作自演はいかにうまく煽るためのうまい形容詞をつけられるかが重要なのだという。
「こっちの、山の神殿支部に放火というのは、いかにも、火付けっていう感じがするでしょう。優柔不断な味方陣営に対して決起を促す効果がある。啓蒙党も労働党も党派内で派閥がいろいろ分かれているからね」
「でも証拠は無いですよね」
「これは裁判じゃない。事実を判断するのは客観的な証拠じゃなくて、心理と情報を読む力だよ。だから私は、相手より情報劣勢になって後手に回り易いフェルガナ市に入るのを避けたんだ」
実際のところ、師団参謀のグリッペンベルグ卿は、レンの話を聞いてもそれが真実かどうか判断はできない。証拠は何処にも無いからだ。すべては予想の範疇である。
「まぁ、こういうのは、よくわかる人がやらないと、ただの陰謀論止まりで役に立たないんだけどね」
レンは情報を分析する力の無い者がこれをやると、現場を混乱させるだけなので危険、とも付け加えた。




