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塔4~崩落前夜②

「タルナフ伯を西路軍司令官から罷免したというのは本当ですか?」


 後宮に帰宅した皇帝に対して、皇后アンセムは強く詰め寄った。


「ああ、閣僚一致の意見だ。戦況が良くない今、味方同士の不和の種は取り除かなくてはな」

「なんということを…… 陛下も、テニアナロタ公も、タルナフ伯の実力を認めていらっしゃったではないですか。なぜ、優秀な部下を信頼なさらないのです!」


 アンセムはエリーゼの美しい顔の眉間に皺を寄せて怒り詰め寄る。


「確か、君もその中の1人だったかな? アンセム」


 皇后アンセムもタルナフ伯の支持者である。

 昨年の後宮籠城戦の際、アンセムは後宮で適切な防衛指揮を行った。しかし、攻撃や前線で実働部隊の指揮をしたのはタルナフ伯である。

 タルナフ伯は判断が早く行動力があり、戦場での勇敢さと豪胆さを持っていた。兵に信頼される将軍というのはああいうタイプなのだろうと思う。

 実際のところ、アンセムの身体の外見の気高さと美しさは、戦う前の男達への士気の鼓舞には十分役に立つだろう。

 だが、女の身体のアンセムがいくら活躍したところで、実際に殺し合いをしている戦場で男はその人物に命を預けてついては来ない。

 男という生き物はその強さを信頼し男性的攻撃意欲を奮い立たせる勇者の後に付いて行くものなのだ。


「クソッ」


 珍しくアンセムが激怒していた。自室に戻ったアンセムは、皇后が着る豪華なドレスのままで、部屋のゴミ箱を蹴飛ばしている。


「皇后様、お止めください。皇太子さまの前です」


 アンセムの代わりに皇太子を抱いてあやしているマイラがそれを見て静止する。親が怒って癇癪を起している姿というのは、確かに子供にみせるものではないだろう。


「父はアーリア海峡の防衛司令官へ転出という形になったようですが……」


 タルナフ伯の娘である第5妃タチアナ・コンテ・タルナフは、父の罷免に残念そうに表情をしている。


「高名な貴族のお偉い様達は、タルナフ伯を追い出して目的達成、さぞやご満悦というわけだろう。だが、その後のことはまったく考えてないじゃないか!」


 西路軍司令官の後任は第3師団のプルコヴォ公が就任した。だが、彼は年長でも実戦経験は乏しい。百戦錬磨のファルス軍相手に有効な策が打てるとは思えない。

 そしてなにより、西路軍はヴァン族、テーベ族などのタルナフ伯が平定した地域の異種族兵が多い。これらの兵の士気がガタ落ちなのは誰が見ても自明である。


「父からの連絡では、前線の戦況は相当に悪いようです。騎兵を集めての後方撹乱は、少しでも有効打になればと考案した策だそうですが……」


 大軍同士の戦いであるほど、補給線への邀撃は効果が大きい。たとえ補給路を完全に遮断できなくても、敵に対して補給線を守るための心理的、物理的負担を与えられる。


「味方が苦戦しているというのに、私はこんなところで乳飲み子の世話することしかできないのか」


 アンセムの立場は皇后であり、皇太子の母の身体を持つ者なのだから、それは社会的にみて当然の仕事である。しかし、彼の中身である男の精神はそれが許せない。


「アンセム~ 陛下は、ほんとはタチアナのパパみたいなタイプは嫌いなんじゃないの」


 いつの間にか部屋に居て、皇太子の手の平を指でつつき、キュッと握り返す生理的な反応を愉しんでいたメトネが指摘する。


「そんなことはないだろう。タルナフ伯は、陛下の下でも十分出世しているぞ」

「それはマリアンのパパが推しているからよぉ。タチアナのパパは、先帝に気にいられて出世した人じゃない」


 後宮第1妃マリアン・デューク・テニアナロタの父が宰相のテニアナロタ公である。確かに、タルナフ伯は先帝の下で台頭した人物だ。


「メトネはどうして陛下がタルナフ伯を嫌いだと分かるんだ」

「陛下はねぇ。潔癖症で浮ついた話が大嫌い。規則正しい生活を好んで融通が利かない堅物。タチアナのパパは、精力ギンギンのすっごい女好き、大雑把で豪快な性格の持ち主、勝利の為なら思考も柔軟」

「……その分析は合っているとは思うが」

「娘としても否定のしようがないですね」


 メトネの図星に、タチアナは思わず苦笑する。タルナフ伯は愛人が何人もいて、女性関係はかなり奔放である。女性関係のトラブルでひと騒動起こした事もあるらしい。

 アンセムはメトネの的確な性格分析にはいつも驚かされる。もっとも、陛下とタルナフ伯の性格評価は、アンセムでも簡単に分かる事だ。単に不敬であるので口にしないだけである。


「陛下はね、タチアナのパパみたいなタイプは、集団の和を乱すって考えているのよ。当然、自分の様な清廉で規則正しい生活をしている者の方が集団の統率に向いていると思っているでしょうね」

「そんなことはない。もし私が兵士として戦場で隊長を選べるというなら、タルナフ伯のような人物に集うぞ」

「いい、アンセム。兵士が幹部を選ぶんじゃないの。指導者が幹部を選ぶの。そこを勘違いしてはいけないわ」

「そんな事はわかっている。だからこそ、タルナフ伯を……」

「うふふ……」


 メトネが楽しそうに笑っている。何が可笑しいのだろう。結局、アンセムはこの時、メトネが愛らしく笑っていた原因がわからなかった。


「そうだ! 陛下への説得なら、メイド長の協力を得られないだろうか」


 アンセムはふと思いだす。メイド長のティトは、先帝より、政治はテニアナロタ公、家庭はティトを信頼せよと遺言された元従者である。だから、ティトは後宮の規律を厳しく管理していた。


「メイド長は熱を出されて寝込んでおこられるようです。最近ずっと調子が悪いみたいですが……」


 カウル族の出身の第20妃ニコレが心配そうに話す。今日は特に熱が高く、初めて普段の仕事を欠勤しているという。


「メイド長はいつも誰よりも早く起きて、誰よりも遅く寝ている仕事第一の人だし、後宮も人数が増えて管理が大変みたい。きっと、疲れが溜まったんじゃないかしら」


 第33妃ソーラ・リッツ・レルヒェンフェルトが言う。だが、すぐにあることを思い出して話を止めてしまう。


「あ、ニコレのお父さんも…… ごめんなさい」

「いえ、父の歳を考えればいつかこういう時が来るものですし…… ただ、兄達がどういう行動に出るのか心配です」


 ニコレの父であるカウル族の族長ノヤンの病気も後宮に伝わっていた。ノヤンは既に65歳と高齢で、容態はかなり悪いらしい。

 親帝国派であるカウル族の族長に何かあれば、帝国軍と同盟異種族であるカウル族との関係に深刻な事態をもたらすことは、誰でも分かる事である。

 そして、アンセムは話題がカウル族の話に移ったことで、メイド長ティトの病気の件については忘れてしまった。

 ティトは皇帝と同じ22歳、疲れが溜まって無理をしただけだ。普通にそんな風に考えていた。

 結局、アンセムが前線に出来たことは、彼が教養した若手工兵である中路軍に所属するフバーク・ストラトスとヨハン・リッツ・エイブル、そしてハイランドに転進となった第13師団のニヴェル・コンドラチェフに対して、彼の管理下にある政庁と後宮の防衛用に配分されている資材から、有効そうな物資を手配する程度であった。


****************************************


 帝都の陸軍病院には、ドゥシャンベの戦いなどで重傷を負った兵士達が入院していた。

 元第4師団長ロウディル・コンテ・マトロソヴァもその一人である。

 彼の負傷は、当初、左腕の脱臼、頭部の擦過症で軽傷と診断された。しかし、サマルカンドの病院で詳しく診断されたところ、実際は重傷と判明し、後送されて帝都で治療に当たる事になった。

 正式な病名は、左腕の上腕骨顆上骨折。つまり関節付近の上腕骨の狭くなっている部分に過剰に力が加わったことで起こる骨折と診断された。治療には、適切な固定によって処置しなければならない。

 戦場では泣き言など一言も云わなかったロウディルでも、骨を適切な状態に固定させる際に、負傷した腕を無理矢理引っ張る治療中には、さすがに強く呻いたという。

 処置が終わり、彼は胴体から巻くように左腕を固定され、一週間程度容態をみてから骨の修復状況を確認する事になる。

 処置当日は、1日だけの入院となり、点滴による痛み止めと、ギプスによる固定がされた。明日、固定を確認して異常がなければ退院できる。ギプスが取れるまでに一ヶ月、その後、完治にはさらに一ヶ月はかかるという。

 左腕が固定された事で、病室のベッドで上体を起こしながら、慣れない右手で新聞を読んでいた彼のところへ、訪ねてくる者があった。

 彼の妹で後宮の第16妃レニー・コンテ・マトロソヴァである。彼女は付き添いのメイド2名を連れていた。


「レニー!? 後宮に入ったお前が外に出てくるなんて」

「お兄様、ご無事でなによりです」


 本来ならば、後宮に入った娘はその閉鎖空間の外に一生出る事は出来ない。ロウディルも妹を後宮に入れた際は、もう二度と会えないものと覚悟していた。


「皇帝陛下と皇后様の許可は出ております。お兄様が帝都へ戻られるまで2週間、手続きをする時間はたくさんありましたから」

「そうか、元気そうでなによりだ。2年ぶりだな」


 ロウディルはあっさりと挨拶したが、レニーは頬を膨らませて少し怒っているようである。


「今日は、バイコヌール産の良質トマトをたくさん持ってきましたわ。今、準備して差し上げます。お兄様」


 普通、こういう場合は果物だろうが、マトロソヴァ家はどういうわけか、皆トマトが大好きである。

 そして、こういう場合は普通、侍女がカットするだろうが、レニーはなんでも自分でやる性格であった。切ったトマトを綺麗に皿に整えると、そのひとつにフォークを刺して、兄の口元へと運ぶ。


「はい、お兄様」


 妹に食べさせてもらうのはとても恥ずかしい事であったが、左利きのロウディルはその利き腕を完全に固定されている。逆手ではフォークを使うのも難しい状況であった。

 レニーは家族として当然のごとく、兄の嗜好だけでなく、利き腕、性格などわかっている。

 ロウディルは、恥ずかしそうにしつつも素直にレニーが運んだトマトの切れ端を口に頬張った。


「お兄様。我が家の血を継ぐ男子はお兄様しかいないのです。まだ結婚もされていないのに、それをご自覚して、無謀な戦い方は慎んでくださいませ」

「また、その話か。もちろん、私だって家のことは考えているさ」


 マトロソヴァ家は代々優秀な法兵であった。

 アスンシオン帝国に伝わる神話に近い建国史では、聖剣を得て巨大な竜を倒した皇帝家と、それを補佐した仲間達が知られている。

 その中の登場人物にマトロソヴァ家の先祖がいた。伝説の当時から優秀な法兵だったらしい。もちろん、神話の冒険譚など眉つばで、非現実的な記載部分も多い。その登場人物からの遺伝による魔力の継承など、種族分類学者は完全に否定している。

 しかし、実際にマトロソヴァ家の血筋が強力なPN回路を持っているのも事実であった。


「もし、お兄様に何かあったら……」

「レニーには敵わないが、私だって男子としては高いPN回路を持つ者と自負している。敵に簡単に倒されたりしないさ」

「お兄様、戦いには相手がいるのです。相手は、最初に誰を狙いますか? 火力を担うお兄様です。戦場の生き方は、自分が決めるのではないのですよ」

「それでも、私は父上のように勇敢に生きると決めたんだ」

「戦場は自分の生き方を探すところではありません。そんな戦い方をしていたら、いつか……」

「レニー、心配をかけたことは謝る。でも私の生き方は私が決めるよ。無謀は慎むが、逃げたくはない」


 レニーは顔を赤らめて伏せながら呟く。彼女は家族以外には素顔を見せない性格だったが、兄の前では感情が顔に出てしまう。


「……私が、お兄様だったら良かったのに」

「私も、レニーぐらい強力な魔法回路があればいいと思った事があるよ」


 ロウディルはレニーの話を茶化した。レニーは、おそらく今でも帝国随一の強力なPN回路の持ち主だろう。だが、後宮に入れられた女である彼女は何もできない。


「お兄様、ひとつ。申し上げておきます」


 レニーは顔を上げると、兄の瞳を真剣な眼差しで強く見つめた。


「なんだい?」

「私は、ずっとお父様やお兄様に従って、自分の生き方を委ねていました。でも、これからは、私は自分の生き方を自分で決めることにします」

「あ、ああ。レニーを後宮に入れて済まないと思っている。許可があれば後宮の外に出られるなら、できる限り自由にやって欲しいと思う」

「……でも私は、何があっても、いつもお兄様の事を愛しています。それだけは信じてください」

「私もレニーのことを愛しているよ」


 突然真剣に話すレニーに対し、ロウディルは同じように相槌をしたが、実際、彼にはその真意が分からなかった。


****************************************


 ザラフシャン山脈を踏破した第13師団は、かつて東路軍が全滅した場所を通過した。

 ファルス側も山間道路での別動隊の壊滅は手痛く、本国とカンバーランドからの増援部隊と合流するまで迂闊に動けない。

 山脈を踏破し通過したドゥシャンベ市は、ファルス軍によって完全に破壊されており、わずかな偵察兵が配置されているだけであった。

 テルメス北方のファルス軍本隊は、第13師団の虚を突いた機動に対応が遅れた。

 だが、旅団長のレンの計算では、索敵によって情報を知って相手が体勢を整えるまでには、ハイラル方面に進撃できるはずである。


 ムラト族旅団騎兵大隊の隊長リーフは、自分の恩師だったコジローが戦死した場所にいた。リーフの隣にはコジローの姪のナデシコもいる。

 その時のことは一瞬の出来事だったが、彼は鮮明に覚えていた。

 リーフはコジローの愛用していた倭刀をその場所に突き立てる。ナデシコはコジローが良く飲んでいた清酒をそれに掛けた。


「最初から、先生にこれだけの兵力があればコジローさんは死なずに済んだかもしれないのに……」


 ムラト族旅団が大幅に増員された結果、リーフの指揮する騎兵隊は一気に10倍に増え、1000人程度の規模になった。他の歩兵部隊、工兵部隊、補給部隊も軒並み三倍近くに増員されている。ただし相変わらず法兵隊は少なく、航空騎はナデシコしかいない。

 結局、ドゥシャンベの戦いにおいてのムラト族旅団は兵力が少なすぎた。今、レンに与えられている30000の兵力があれば、もっと被害を軽減できたかもしれない。少なくとも戦いで可能な選択肢はもっと広がっていただろう。


「どれだけ人数がいても、戦争で死ぬ人はゼロにはならないのよ……」


 ナデシコの話は真理である。どんなに巧みに旅団長のレンが部隊を指揮しても、戦死者は必ず出る。それにレンは未来の勝利、将来の犠牲軽減の為なら損害を厭わない性格だった。コジローが死ななかったという予想は成り立たない。


「全員が笑って望む未来を迎えられないのなら、俺達だけでも叔父さんのことをずっと覚えていてやんなくちゃなぁ」


 リーフは墓標にした倭刀を眺めながら話す。


「まぁー、こんなこといったら叔父さんに怒られるかもだけどさ」

「うん?」

「リーフが生きていてよかったわ。ほんとに。ケガして敵の中に取り残されたって聞いた時は、もう私、アレだったわよ」

「アレだった……?」


 リーフはその代名詞が理解できない。だが、すぐにナデシコは正解を教えてくれる。


「ちょっと泣くから、あんた胸貸しなさいよ。それが生き残った男の仕事でしょ」


 さて、ここまでなら、幼馴染のいい話だったのだが、リーフはこの話を自分の騎兵大隊に戻った時に同僚や部下に話した。


「それでさー、ナデシコの奴、キスまではさせてくれたけど、その先は断られたんだよね。まだやりたいことがあるから“ヴェスタの加護”なくなると困るからダメって」


 もちろん、その話を聞いている同僚や部下からすれば単なるノロケ話にしか聞こえない。

 ナデシコは、ラグナ族には及ばないものの、ムラト族の中では容姿が良く、特に美脚の持ち主だったので旅団内でかなり人気があったのである。


「リア充爆発しろ!」


 リーフの話は同僚や部下からムラト族文化での独特の文言で非難される。

 そして後日、この話がナデシコに漏れた。リーフは口の軽さをナデシコに責められ「軽いのはどの口かしら」と頬を強くつねられたという。


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