塔4~崩落前夜①
12月中旬、ハイランド共和国で大きな変化が起こる。当初、アスンシオン軍の治安維持の為の進駐を受け入れていたハイランド政府が、東路軍全滅という情報を得るなり、アスンシオン軍の国外退去を要請したのである。
治安維持の為、首都フェルガナに進駐した第7、第12師団は、本国からの命令に基づきハイランド政府からの要請を拒絶すると、現地の勢力によって強烈な抵抗に遭って現地の武装組織によって昼夜問わず襲撃されているという。
現地の師団はこれらに対処するにも兵力、そしてなによりマニュアルが足りず、帝国政府及び参謀本部に増援を求めて来た。
また、ファルス王国の歴史的な同盟国であるデモニア首長国連合は今回の戦勝報告を受けても増援こそ送らなかったが、膨大な量の法弾や物資の供給に応じたという。
最悪なのがアスンシオン軍と共にハイランドに進駐していたローランド軍の敗退である。南方の州、シュリナガルに駐屯していたローランド軍は、進軍して来たカンバーランド軍によって撃破され、同地を占領された。
カンバーランドは正式にファルスへの軍事支援を表明。騎兵10000、歩兵50000、さらに彼らの持つ精鋭法兵部隊である賢者連隊3000の増援を決定した。
さらにもっと拙い事件が発生した。中路軍に従軍していた親帝国派のカウル族族長、ノヤンが病に臥せたというのである。
カウル族の軽騎兵隊は長期にわたる滞在にも関わらずなんの成果も得られないまま、駐留先のエルミナ住民による種族差別的な待遇に不満を募らせていた。
そこへ、今回の東路軍の敗戦、族長の疾病である。彼らは、もともと自治領拡大という餌で釣っていた部隊で、それが難しいと分かり始めると、士気が急激に落ちた。
中路軍の中核を成していた60000もの軽騎兵隊が総司令部の命令に従わなくなり始めた事は、軍全体に暗雲を漂い始めさせていた。
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結局、一ヶ月もの時間が無為な議論によって流れていった。この長い軍議により第13師団に下った命令はこうである。
「というわけで、レン殿。急遽で悪いが我々はハイランドに向かうことになった」
「第13師団は、ハイランドへ向かい、現地の帝国師団と協力して同地の治安を回復させ、アスンシオンに敵対する勢力の排除にあたるべし、ですか」
主戦場であるエルミナ戦線から、ハイランド戦線への転進命令である。
だが、人選的には間違ってはいないだろう。
ローザリア卿はローランド戦役の際に、ハイランドに駐留していたことがあるので同地の事情に詳しい。当時の指揮官であったカザン公は捕虜となり、もうひとりの幹部であったマトロソヴァ伯は負傷して帝都に送還されている。若すぎるという指摘はあったが、彼以外に能力的に妥当な人物はいない。
もちろん、一ヶ月の時間が無為に流れていたわけではなく、東路軍の全滅により軍は再編成を行っていた。
特に第13師団に所属しているレン率いるムラト族旅団は、当初はアカドゥル渓谷周辺のムラト族だけの規模であったが、帝国内に居住する他地域のムラト族を統合して30000もの数に増員されている。
第13師団と合わせて、ハイランド進駐軍への増援は2個師団規模の戦力である。
「レン殿には実質ムラト族の兵全てが与えられることになったわけですが…… 意外ですね。帝国政府はムラト族の統合部隊をあまり望んでいなかったはずですが」
師団参謀のグリッペンベルグ卿は疑問を呈した。
帝国に参加している異種族のうち、カウル族、ヴァン族、アヴジェ族は比較的大きな自治領を持ち、部隊も種族で統合され、より権利の大きい同盟部族だった。しかし、ムラト族、ノスフェラトゥ族、バサラ族、チャクラ族などは権利が小さく、各師団に数千単位でバラバラに附属されるのが慣例である。
しかし、今回の戦役では、参加したムラト族の全兵がレンの指揮下に入る事になったのである。
「まぁ、これは私の予想ですが……」
レンは前置きしてから話始める。
「敵の増援により、アスンシオン軍だけでは対応するのが難しくなってきた。カウル族は族長が病に臥せて、確実なアテにできない。だから、本格的にエルミナ軍と連携しないといけなくなったが、その場合、彼らが嫌うH属のムラト族がいては邪魔になるので、うまい理由をつけて戦線から追い出そうってことですよ」
彼らには確認しようがない事実だったが、実際、テニアナロタ公は正式にエルミナ軍最強部隊である“聖女連隊”の出撃を要請していた。これに対するエルミナ側からの返答は、ムラト族とカウル族の排除であったという話は噂で伝わっている。
騎馬を上手く操るカウル族はともかく、ムラト族は貧弱な体格で特に得意武器のない兵士である。ランス族からは役に立たないように見えるのだろう。
「それで、ハイランドへの進路だが、いったんタシケントを戻り、シル川を遡上して首都のフェルガナ市へ進出しようと思う。同地では現地の味方師団が敵の勢力に囲まれて苦戦しているらしいからな」
ローザリア卿は進路をそう提案したが、レンはそれとは別の進路を提案した。
「師団長、フェルガナ市は敵勢力が強すぎて我々にとって死地です。入ったら負けます」
「なぜですか? 早期に首都を抑えるのが肝要ではないでしょうか」
「早期って、すでに迅速な決着は手遅れの段階です。首都っていうのは、情報が集まる場所なのです。情報で最初から劣勢に立たされている我々は、ハイランド政府から排除命令を盾に、簡単に侵略者の烙印を押されます。あっという間に市民の支持を失って、どこの誰が敵か味方かも分からない状態に陥って、進退極まるでしょう」
「ではどうすればいいのです?」
「王党派、神殿派の支持の多いハイラル州に向かいましょう。既にフェルガナ市とハイラル州は断絶状態だといいますし、そっちの方がその後の手を打ちやすい」
レンは、フェルガナへは向かわず、アスンシオンに対する支持者の多いハイラル州に向かうべきだと進言する。
だが、それには問題点があった。
「しかし、ドゥシャンベの陥落で絹の道が使えない現状ではいったんコーカンドに入ってから南進することになり、いささか大回りになりませんか」
グリッペンベルグ卿の質問に対し、レンはザラフシャン山脈を指して言った。
「我々には目の前に道があるじゃないですか。ザラフシャン山脈の山間道路が」
「レン殿、今は12月。ザラフシャンは雪が積もり始める頃です。それに、山間道路は貴殿の計略で塞いでしまったではないですか」
「積もった雪は除雪すればいい。塞いだ岩はどかせばいい。この時期の降雪量はまだそんなに多くはありませんし、岩は要所しか塞いでいない。道を作ったのも、道を塞いだのも我々の工兵隊なのだから、現地調査の時間を大幅に削れますよ。敵の虚を付けるし、時間も短縮できます。それに……」
「それに?」
「せっかく作った道なのだから、また使ってやらないと可哀想じゃないですか」
集発前、レンはハイランド戦線において必要ないくつかの政治的な工作をローザリア卿に総司令部を通じて要請した。
そして、ドゥシャンベの戦いからちょうど一カ月後、第13師団は再び山間道路を使用して前進を開始する。
それは積もっていた雪を除雪、塞いだ道路を修理しながらのものであったが、調査済み地形での活動は、予想されたよりも素早い進軍が可能であった。
アスンシオン軍の総司令部は、男子としては帝国で最も貧弱な体格をしているムラト族をエルミナ戦線から追い出した。
エルミナ軍と連携するために必要なら、彼らに取って妥当な選択肢と思えたのかもしれない。しかし、結果的に見れば、これは彼らに取って最後の致命的な判断ミスだったのだろう。
「次のノエル祭の頃までには帰れるさ」
出発時に帝都で皇帝の閲兵を受けた時にそう考えていたアスンシオン帝国軍の将兵は、それが極めて甘い見通しだったことを痛感する。
12月半ば、到着から4カ月が経過し、まったく先が見えないどころか、事態は少しずつ悪くなるばかりだ。
そして、その甘い見通しだったと考える思考すらも、実はさらにもっと甘い見通しだったのである。
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アスンシオン帝国の政庁では、東路軍の大敗と行き詰る戦局の報告を聞き、連日のように会議が行われ善後策が練られていた。
早急な増援も検討された。しかし、既に帝国の全兵力である70万もの動員を行っており、国力的に限界である。
兵力だけではない、資金も資源も人材もほとんどを最初に投入してしまっている。追加の法弾や食糧の手配は行っているが、それ以外の具体的、効果的な支援策はみつからない。
無い物は出ない、いくら会議を繰り返しても同じ事である。
「スミルノフの奴が最初に全兵力を出してしまったから援軍が送れないのだ!」
通商大臣のズェーベン・ヴィス・スヴィロソフは、参謀長の責任だと主張した。確かにスミルノフ参謀長は、頭の固い人物で堅実な戦法を好むあまり、消極的な作戦しかできないタイプの士官である。
だが、スヴィロソフ卿の指摘には、スミルノフ参謀長にも弁護の余地があるだろう。戦力を小出しにして、負ける度に増援を送る方が用兵家としては失策である。問題点は、別のところにあるのだ。
「とにかく、自軍の態勢を立て直さなければなりません」
陸軍大臣のワリード・ヴィス・グリッペンベルグは、会議の席で閣僚達に対応策を求めた。
「前線の状態はどうなっているのだ。各師団長は何と報告してきている」
アスンシオン皇帝リュドミルは不満をありありと表情に出している。
彼は、自らが前線に立ちたい現場主義の性格を持っている。閣僚の反対で遠征に参加ができず帝都に留まることになったが、いつも前線の様子を気にしているようだった。
「西路軍司令官のタルナフ伯ですが、身勝手な行動が目立つようです。西路軍に所属する各師団長や参謀から更迭の声が上がっていますが、どう対処しましょう」
外務大臣のセルバ・デューク・ニコリスコエは、タルナフ伯の独断専行を糾弾した連書を公開した。
連書には、第3師団長プルコヴォ公を筆頭に、西路軍参謀スヴィロソフ卿、第16師団長ネッセルローゼ伯など数名の師団長、大隊長、参謀長クラスが署名している。
その内容は、タルナフ伯が各師団の編成を勝手に変更し、各師団から騎兵を抽出して独立騎兵旅団を組織しようとしたことにある。
各師団は騎兵を取られる変更に猛反発。西路軍所属の貴族達は西路軍司令官にそんな権限はないと、帝国政府に対して司令官の更迭を要求したのであった。
本来であれば、総司令官はテニアナロタ公のはずである。だから、彼らは政府に直言するより、総司令部に要求するのが筋だ。だが、分かっていながら故意に、政府に対してそれを陳情していた。
「現在、我が軍は西路軍だけがアム川の南岸に配置されています。これは騎兵の機動力によって敵の補給路を脅かすことが可能な位置です。タルナフ伯の騎兵を抽出した編成案は、敵の補給路を邀撃できる極めて効果が大きい作戦だと考えます」
陸軍大臣のグリッペンベルグ卿は、タルナフ伯の作戦案を擁護した。
「各師団長は、皇帝陛下より直接任命された指揮官である。方面軍司令官といえども、勝手にその編成を変更するなど、重大な越権行為だ」
警察大臣のフィリップ・コイスギンはタルナフ伯を批判した。その意見にニコリスコエ公やスヴィロソフ卿も強く賛同する。
実は、ニコリスコエ公はプルコヴォ公と姻戚関係にある。そして、通商大臣のスヴィロソフ卿の甥は、西路軍参謀のジャン・ヴィス・スヴィロソフであった。
彼らの親類縁者関係上、事前に根回しされているのは一目瞭然である。
総司令官のテニアナロタ公は、タルナフ伯の支持者であった。西路軍司令官の抜擢もテニアナロタ公による。だから彼ら西路軍の貴族達は、総司令部を無視し、政府に直訴したのである。
「このような戦況では、彼のような戦闘実績のある人物が現状を打破できる人材だ。それに遠征軍の総司令官であるテニアナロタ公が許可を出している案件であれば、我々が口を出すことではない」
陸軍大臣のグリッペンベルグ卿は、タルナフ伯を弁護するべく、彼の今までの作戦指導を高く評価する。
「陸軍大臣は、前線の不和こそが戦意の低下を招くとは考えないのですかな」
ニコリスコエ公は前線の協調性が失われる方が、不利の原因だと指摘する。
成り上がりのタルナフ伯を嫌う者は多い。テニアナロタ公を除く帝国七公爵家は特に気に入らないだろう。実際に不和が起きているのは事実なので、グリッペンベルグ卿は弁解に詰まる。
「皇帝陛下の判断はいかがでしょうか」
閣僚内で孤立したグリッペンベルグ卿は、皇帝の裁可を仰ぐ。これまでの働きを考えれば、タルナフ伯は皇帝からも信頼されている有望な幹部だと考えられていた。
前線の状況が良くない以上、彼のような実力派の将軍が活躍できる土壌を整えなくてはならない。彼を西路軍司令官として任命した皇帝による弁護があれば、このような糾弾など一蹴できるはずだ。
だが、結果はグリッペンベルグ卿の考えた最も悪い形になった。




