塔3~戦術の理④
ドゥシャンベの戦い当日の夜、占領した市に駐留したファルス軍は、幹部を集めて軍議を開いていた。
「どうやら、上手く敵の先手を取れたようだね」
首尾よく敵の各個撃破に成功したファルス国王アルプ・アル・スランは部下を労う。
「しかし、陛下。西方では敵の大軍が南下しているようです。今晩兵を休ませたら、すぐに西に戻らなくてはなりません」
宰相アル・マリクは、サマルカンドよりアスンシオンの中路軍が南進しているという情報を得ていた。ザラフシャン山脈の西の切れ目にあるカルシ南方にはわずかな守備兵しか配置されておらず、敵主力が到達するより早く戻って防御を固めなければならない。
「さすがに敵の数が多くて疲れるね。アイーシャ、ユニコーン達の様子はどうだい?」
「明日の午後には全騎整備完了して再出撃可能です。ユニコーンの機嫌も私達が優しく宥めれば問題ありません。ただ、航空騎燃料用のマテリア残量が少なく、次回の決戦がすぐに行われれば十分な備蓄があるかどうかには不安が残ります」
今回の戦いにおいての殊勲者の1人、精鋭航空騎隊”シュトゥーカ”の隊長アイーシャは、燃料の不足を指摘した。
航空騎の集中運用は極めて強力だったが、その欠点を挙げるとすれば、エネルギーを大量に消耗するということだろう。
ファルスはアスンシオンに比べ土地の生産力が低い。その分、得られる高エネルギー物質にも限界があった。
「法兵隊も残弾がちょっと不安かなぁ。今回は上手く敵に逃げられちゃって、あんまり戦利品が得られなかったのよねぇ」
頭に猫耳を付けたトルバドール=ツインテール族の法兵隊長リクミクも法弾不足を不安材料に挙げた。もちろん、法兵隊の法弾が不足しているのは、東路軍に対して散々竜巻魔法を打ち込んだからである。
「リクミクが後先考えずにバカスカ撃ちこむからよ。もう少し節約することを考えないと」
トルバドール族の踊り子連隊の連隊長ファティマはリクミクの無駄遣いグセを指摘する。
ファルス軍で士気の宣撫、慰安を行っているのが踊り子連隊である。前線には現れないが、戦闘終了後に士気を維持したまま素早く移動しなればならないこのような場面では、踊り子連隊は総力を挙げて支援に現れる。
今回の作戦では、敵を各個撃破して全滅させることにより、物資を奪う効果も狙われていた。しかし、敵の完全殲滅には失敗し、少なくない敵に逃走された所為で、十分な戦利品が得られたとはいえない。
「陛下。現在、ザラフシャン山脈を敗走する敵は、統制のとれていない無秩序な撤退を行っているようです」
今回の戦いの殊勲のもう1人である別動隊の将軍エラン・ジャーティマは報告する。
「突然現れた敵の援軍と、逃した敵か。彼らが余程の強行軍であったことは予想できるが……」
「ザラフシャン山脈の山間道路に威力偵察で侵入させ偵察隊は、敵の後衛を蹴散らしてさらに進撃中とのことです。陛下、私に戦果拡大の機会をお与えください」
エラン・ジャーティマはアルプ・アル・スランに対して追撃の許可を求めた。
「しかし、将軍は朝からの戦闘で疲れているのではないか」
「疲れているのは敵も同じです。馬は替えましたし、矢弾は補充しました。それさえあれば追撃する側が圧倒的に有利です」
「狭い間道で、山岳地帯だ。将軍が得意とする騎兵戦に有利な地形とはいえないと思うが」
ファルス軍随一の猛将の意見に、大将軍アル・タ・バズスは疑問を呈した。
「大将軍。我々ファルスは高原の民、そしてフルリ族の軽騎兵隊も同様です。斜面での騎乗など苦にしません」
「しかし、ザラフシャン山脈は深く高い。占領したドゥシャンベ市の飛行場を利用するには時間がかかるし、例え利用しても、航空騎による偵察や支援は難しい。それに敵の主力が南下している今、明日にも西方に戻らなければならない。もし何かあっても将軍に救援を送る事はできないぞ」
宰相のアル・マリクは追撃を否定する。
「しかし、追撃は最も戦果を拡大しやすい好機。ここでリスクを恐れて敵に逃げられれば、今後の戦いも苦しくなりましょう。私の直属だけでも追撃の許可をお与えください」
確かに、威力偵察を行っている先行部隊からは、今回のアスンシオン軍による援軍は急ごしらえの強行軍で、撤退に際して後衛もまともに配置できず、負傷兵を投げ捨てて退却中という報告が来ている。
また索敵を行っていた迷彩能力を持っているアサマイト族からも同様の報告が来ていた。
さらに捕えた捕虜の話では、今晩中にドゥシャンベ市からの航空騎兵の圏外に逃れないと危険であるという指示が出ているため、深夜の山道という危険な条件下にも関わらず、さらなる強行軍で退却を行っているという。
この話は比較的信憑性のある話であり、複数の捕虜や偵察からも裏付けが取れている。今回のアスンシオン軍の援軍部隊は、進軍が強行軍なら退却も強行軍ということになる。兵の疲労は極みに達しているだろう。
退却の際に道路を破壊しながら後退しているようだが、道路の破壊には予め準備が必要で、強力な法撃などを使わない限り、短時間でそう簡単に塞げるものでもない。
「ふむ…… 古の名将の格言では、自分達の疲労を理由に追撃の機会を逃すのは愚かな将軍の典型例だったかな」
「名将ほど戦果拡大の機会を逸しないといいますね」
「よし、エラン・ジャーティマ将軍に48時間の追撃の許可を与える。ただし、深追いせずに敵の伏撃には十分注意すること」
「了解しました」
エラン・ジャーティマは敬礼すると退出し、直属の軽騎兵8000を集めると敵軍が退却した道を後追いして北上を開始した。
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夜半、ザラフシャン山間道路の七合目には、ムラト族旅団と第13師団の先頭部隊が既に到達していた。撤退する彼らの隊列は伸びきっており、三合目から七合目までの間に分散している。
山間道路は、この七合目が分水嶺になっており、この場所からは北へ山を降る道と、十合目方向、つまり山頂へと向かう山道に分岐していた。
「レン殿、後方に配置している部隊が脆弱すぎではないでしょうか、もっと強力な殿を配置しないと、敵の追撃があったときに対応できません」
第13師団長ランスロット・リッツ・ローザリアは敵の追撃を警戒するべきだと進言した。本来ならば、師団長のランスロットはレンの上司だが、本作戦においては既に立場が逆転している。
最後方の三合目には、東路軍所属の第20師団でもっとも貧弱な装備で士気が低い部隊と、さらに士気の低いエルミナ軍が配置されているだけである。
ムラト族旅団長レンは周囲の人を遠ざけると、ランスロットに説明する。
「この狭い道路での追撃は失策です。だから、敵が失策に陥りやすいように、少し囮を出しました」
「三合目においた後備部隊は失策ではなく、意図的に配置した部隊なのですか?」
「そうです。敵の失敗を誘う為には、こちらが失敗したように見せるのが策略です」
レンの回答を聞いてランスロットは唖然とする。つまりこの男は策略の為に味方を犠牲にしようというのである。
「しかし…… 我々は退却中です。味方の損害を最小限に抑える事を第一に考えるべきではないでしょうか」
「ローザリア卿、戦争っていうのは、相手がいる話なのですよ。こちらの敗勢でもないのに、囮を出してそれらをわざと撤退させて、自軍の中に引きこもうなんて作戦で通用するような相手は…… まぁ、そういう指揮官も探せばたくさんいるでしょうけど、実際はほとんどいません」
「それは…… そうでしょう」
「こちらが戦い敗れて敗走中、しかも今は疲労していてミスをしやすいって状況です。こういうときに、わざと失敗したように工夫してやったほうが、相手は騙されやすいのです」
「しかし、味方の犠牲が前提というのは……」
「ローザリア卿、これは戦争なのです。戦果と被害の計算ができずに日和見な戦略を選択した結果、東路軍は全滅した。そこを忘れてはいけません」
ランスロットは反論のしようもない。今回の東路軍救援では、彼の師団はほとんど何もできなかった。もちろん、戦闘終了直前の日没ギリギリで騎兵隊が間に合ったが、レンの事前準備と部隊機動がなければ、東路軍の損害は70%どころでは済まなかっただろう。
そして、その議論の最中にも、後方から伝令がやってくる。三合目に敵の軽騎兵が現れ、配置されていた部隊が蹴散らされたという。
「敵は上手く引っ掛かったようですね。では各隊に伝令、四合目から六合目の部隊は所定の作戦に入るように」
「了解しました」
レンは素早く各隊に伝令を出す。だが、三合目の部隊には命令を出していない。
「レン殿、三合目の部隊は……」
「たぶん、威力偵察の戦果を受けて、敵騎兵の主力が突っ込んでくるでしょう。山岳踏破に自信のある騎兵に襲われれば、ここから出した伝令が到着する前に全滅します」
レンは躊躇なく味方の被害を肯定する。そこに悲しそうな顔や、味方の損害を憂う表情は微塵もない。
ランスロットはレンの戦略を聞いていて思った。自分は過去の名将に憧れ、軍略を駆使し、戦場で活躍する将帥の類になりたいと思っていた。優れた采配で歴史に名を刻む事は、男子であれば多少なりとも憧れるものである。
だが、それになる為には、人としてなにか重要なものを捨てなければならない。
それは要するに、人間を、質という価値と、量という単位でしか見ないということである。
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翌日、太陽が顔を出し周囲が白み始める頃、山間道路を進むファルス軍の軽騎兵隊を望遠鏡で眺める小柄な娘とラグナ族の若い男がいた。
マリル族のリルリルと、ラグナ族の第13師団所属の工兵大隊長ニヴェル・コンドラチェフである。
2人は、三合目の支道に隠蔽されて築かれた観測地点にいた。
「あっ、キタキタ。さっすがご主人さま。言う通りよねー」
これから殺し合いをするというのに、リルリルはなんだか楽しそうである。
「敵の退路を塞ぎ、退却を妨害する役目は我々工兵隊の仕事です。リルリルさんは、レン殿の娘だという話ですが、そんな非力な体格で戦闘は無理です。あくまで伝令に徹してください」
コンドラチェフは、子供のような体格のリルリルに対して、躊躇せず直言する。彼はこのような女子供が戦場にいるという事実だけでも許せなかった。
もっとも、コンドラチェフ自身もB属地上丸耳系のマリル族が山岳地形を得意としており、斜面や林野を苦にせず移動できるという特性は知っていた。
相手に悟られないために信号弾を使えず、山林に伏せる彼らは、騎馬の伝令も使えない状況では、山岳地形に強い伝令役は必須だ。コンドラチェフにもマリル族の山岳踏破能力と第二耳による索敵や伝達能力の有用性は理解できる。
だからこそ、その任務に徹して欲しいと考えていた。
「なにかっこつけてんのよ~、こっからがあたし達のご主人様にアピールする見せどころじゃないの。怖いならコンドラチェフは帰って寝てていいよ」
「そうはいきません。この道は我々が作ったもの、効果的に塞ぐ工作は心得ています。それに我が工兵隊は全員厳しい山岳訓練を受けているし、この周辺も調査済み、主要道を外れたとしても拠点まで戻ってみせますよ」
「コンドラチェフ~ ひとつ言っておくけど、今回はご主人様の命令だから。あたし達は何人死んでも関係ないの。だけど、コンドラチェフは死なないでね~ あなた、まだご主人様のために役に立ちそうだし」
「女子供にこの身を心配されるほど弱くはありません」
「ふーん、頼もしいなぁ。まぁ、ご主人様にはかなわないけどねっ」
コンドラチェフは、マリル族がどうやって増えるかを実際に見て知っていた。単為生殖により増殖するマリル族は、一か月前には1000人だったのに、今は2000人いる。そして、マリル族は、主人の命令には絶対に服従する。
作戦開始は、敵が最深部の防衛線に到達してからである。巧妙に隠蔽した陣地に配置された工兵隊とマリル族の遊撃隊は“敵の”合図を待っていた。
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昼頃、ファルス軍のエラン・ジャーティマの指揮する軽騎兵隊は三合目の部隊を蹴散らし、四合目を突破して、五合目まで押し進んでいた。
山間道路は破壊工作により少し狭められていたが、高原地帯での遊牧生活の中で育った彼らはこの程度の隘路は苦にならない。
三合目の部隊は完全に戦意なくただ逃げ回るだけ、一方的な虐殺である。
エラン・ジャーティマは後退する敵が無秩序に退却していると判断し、さらに四合目まで押し進む、四合目の部隊は騎兵隊の出現をみると輸送していたと思われる物資の入った木箱を放り出し、蜘蛛の子を散らすように脇道の支道へと逃げ込んでいった。
彼は入り組んだ支道に逃げ込んだ四合目の部隊の掃討を一部の部隊に任せ、一気に五合目まで突き進む。五合目の部隊は少し山頂の方へ逃げる様な素振りをみせたが、初めて反撃してきた。
五合目と六合目の間には高所を利用した即席ながら比較的堅固な防御陣地が築かれていた。
法兵の援護のない狭い山間道路では、簡易な陣地とはいえ高所は有利だ。相手が防御体勢を整えたのなら、それ以上進むのは難しいだろう。
「ふむ、このあたりが潮時だろうな」
エラン・ジャーティマはそう判断する。この場所に一部の部隊を配置し、残りを戻して三合目と四合目で四散した敵兵を殲滅、遺棄された敵の物資を奪えば、追撃の戦果としては十分だろう。
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だが、彼が追撃中止の命令の信号弾を放った瞬間、彼の目論見は一気に急変する。
「将軍、三合目の道路が落石で塞がれました! 後方と連絡がとれません!」
「なんだと!? しまった、罠だ。後退せよ、全部隊退却の信号弾を撃て」
だが、彼の撤退命令は、既に彼の部隊が鳥籠の中に入れられた後であった。
続いて四合目、五合目付近でも隘路で落石が発生、彼らの連絡を寸断した。もちろん、この落石は計算されたもの、この街道は建設の段階からそのように意図して作ったのである。
「部隊が分断されています!」
「まんまと敵の罠に嵌ったか……」
エラン・ジャーティマは悔しがるが、そもそも失敗の原因は彼らが死地に飛び込んでまで戦果を拡大しようとしたのが原因である。
弱敵を蹴散らして勢いに乗りすぎた代償は、彼らに高くついた。




