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塔3~戦術の理②

 この戦闘の後、ムラト族旅団長のレンは、あるラグナ族の貴族士官にこう質問された。


「貴殿は、どうして最初からドゥシャンベ市とサマルカンド市の連絡道路の整備が勝利の鍵だと気付いていたのですかな? 余程の幸運が訪れたのか、それとも事前に何か敵の情報でも掴んでいたということでしょうかな」


 彼の問いはレンの成功を妬んでいることは明らかである。


「それは戦術の基本です。ところで、貴官は将棋を指されますか?」

「多少は」


挿絵(By みてみん)


 すると、レンは2つの将棋盤を用意し、左側には真ん中に大駒の角を置いたもの、右側に一番隅に角を置いたものを作る。角は斜め方向なら何処までも進む事の出来る駒だ。


「それでは、この2つの角はどちらの方がより働いている状態といえますか?」

「それは真ん中に置かれた角です」

「どうして?」

「左の角の方が動ける場所が多く、盤面全体を睨んで効果的に働いています。ルールを知っている者なら誰が見ても左の角の方が働いている、といいますよ」


 ラグナ族の貴族士官はすぐに答える。真ん中にいる角は全ての斜めの筋に利いている。しかし、隅の角は一つの筋にしか利いていない。もちろん、相手や自分の状況次第で、攻撃方向に対して戦力を一点集中したい場合など例外もあるが、通常では中央にいる角の方がよく働いている。


「でも、動ける場所が多くても、実際動けるのは一手だけ。それにこれは同じ駒、つまり同じ戦力です。具体的にこの2つの角は何が違うのですか」

「それは…… その後の指し手の自由度が広いから強い、といえるのではないですか」

「では、貴官は、私が事前の道路整備に、幸運や敵の情報を掴む必要があったかどうかを問いましたが、道路がある場合とない場合、どちらの方がその後の指し手への自由度が広いでしょうか?」

「……いえ、貴殿のお考え、理解いたしました」


 戦術(タクティクス)とは、未来の可能性を広げるための決断。それは、戦争でも、生き方でも変わりはない。

 すべての生物にとっての戦術(タクティクス)は、生存という未来への存在を示す為に課せられた絶え間ない進化への理である。


****************************************

挿絵(By みてみん)


 東路軍の最後尾を進んでいたアスンシオン軍第17師団の将兵は、突然、雨のように降り注ぐ矢、そして間髪いれず炸裂音を響かせて放たれる衝撃弾魔法の嵐のような猛攻撃を受けた。

 後方から降り注ぐ矢の嵐は、軽騎兵隊の短弓と歩兵隊の長弓を合わせたもの、そして続いて襲ってくる衝撃弾魔法はトルバドール=ツインテール族が得意とする風系統魔法で、竜巻魔法の下位にあたる単発系の魔法攻撃である。

 この魔法は、威力は落ちるが軽量で連射可能であり、短弓が届く程度の中距離戦ではよく用いられる攻撃だった。


「いったい何が起こったのだ!?」


 第17師団の師団長パウエル・コンテ・アロフィは、騎乗して師団の隊列中央付近にいた。後方で発生した激しい衝撃音と悲鳴、そして喊声と雄叫びを聞き、すぐに確認するよう付近にいた伝令兵に指示する。しかし、その伝令が後方へ出発するよりも早く、後方を進んでいた歩兵隊の方から、師団長のいる中央へ走り込んできた。

 皆、所持していた武器を投げ捨て、生きる為に必死の形相で、我先にと潰走してくる。その姿は、もはや軍隊としてまったく統制されていないものだ。

 そして、その集団に分け入って逃げ回る歩兵を追い散らす、ファルス軍旗を掲げた兵が前進して来ていた。


 アロフィ伯は、伝令兵が戻るまでもなく自らの部隊が奇襲された事実を認識した。


「敵襲だ! 各隊、戦闘開始。後方の敵にあたれ!」


 大声で周囲の部隊に声を掛けるが、既に混乱は師団の中央部まで達していた。それでも、伝令隊が師団内を駆け回り、各大隊に踏みとどまって戦うように命令が届くと、将兵は各々に携行していた武器を取って反撃を試みようとする。

 だが、それはわずか数分間の抵抗力を取り戻させるだけであった。

 ドゥシャンベ市内方面で上空を旋回していたトルバドール=ヴァルキリー族の精鋭航空騎部隊“シュトゥーカ”の隊長アイーシャは、市の東方で始まった自軍による奇襲攻撃を察知すると、回転笛を鳴らして部隊に合図し、部隊を迅速に移動させて第17師団の上空を抑えた。頭上の彼女達は、熟練した動きで帝国軍の配置を、味方に知らせる信号弾を放つ。

 その信号によって、状況を正確に把握したファルス軍の別動部隊長エラン・ジャーティマは、直ちに自ら率いる軽騎兵隊を北側から中央部に回り込ませて各大隊の背後を取ると、短弓の矢の雨を降らせた。

 さらに南側の丘の高台に配置されていたトルバドール=ツインテール族隊長リクミクとその法兵隊も、軽騎兵隊の攻撃に呼応するかのように、敵中央部に対して信号弾によって観測誘導された高い命中精度で竜巻魔法による攻撃を行う。


 抜群の連携による南北からの攻撃、さらに兵達は上空を抑えられ、常に見降ろされている恐怖も計り知れない。しかも、トルバドール族の航空騎部隊は集中して運用されており、航空騎隊を分散運用する彼らでは見たこともない大軍であった。

 帝国軍第17師団の兵士達は士気崩壊してあっという間に総崩れになり、散り散りに逃げ去り始める。

 アロフィ伯は大声を上げて周囲の味方に体勢の立て直しを号令するが、その目立った行動は彼の命取りだった。上空を旋回していた航空騎部隊“シュトゥーカ”の隊員の1人が上空から放った投槍によって、アロフィ伯は背中から腹部を貫かれ一撃で絶命した。

 師団長の戦死により、第17師団の立て直しはもはや不可能となり、兵は統制の無い状態で逃走を開始する。しかし、徒歩で逃げようとした彼らの脚は、上空を抑える航空騎兵隊の追撃から逃げられるはずもなく、適切に位置を特定、地上の軽騎兵隊を誘導されて順次殲滅された。


 第17師団を崩壊させたファルスの将軍エラン・ジャーティマの行動は迅速だった。

 上空の航空騎隊からの信号弾により、前方にさらに2個師団が健在であるという情報を得ると、彼は素早く決断して自らの軽騎兵隊をそちらへ対応させる。配下の軽騎兵隊を2つに分け、5000で中央の第4師団に対する牽制とし、自らは残りの15000を率いて、先頭の第20師団の方へと向かった。

 南側の丘から第17師団を法撃していたトルバドール=ツインテール族の法兵隊長リクミクも、信号弾と軽騎兵隊の動きを確認し、残敵掃討は歩兵隊に任せて、丘沿いに西に並行移動して第20師団と第4師団を法撃の射程内に収めようとしていた。


****************************************


 東路軍の先頭を進んでいた第20師団は、早朝から前方に現れた“迷彩”の特殊能力を持つアサマイト族に構っていたため、歩兵隊や騎兵隊などの戦闘実働部隊が前方に偏重していた。

 彼らにとっては、前方に現れたアサマイト族は、今回の出征で初めて現れた本格的な敵である。そして、この敵種族は危険な能力“迷彩”を持ち、そのために今回出征する各隊には特別に多くの時間を割いて事前教養が念入りにされていた相手であった。

 第20師団長のシムス・リッツ・フォーサイスは、皇后アンセムと同期の若手士官である。前方に現れた敵の出現に、意気揚がりそちらの方に注意が向いてしまうのは、若い彼にとっては仕方のなかったことなのかもしれない。

 しかし、その判断の遅れは彼の師団にとっては致命的だった。


 フォーサイス卿は、前方のドゥシャンベ市上空にいた航空騎兵隊が、彼らの上空を通過して行ったのを知っていたので、後方への敵襲を警戒し、周辺の偵察と他師団への連絡の指示を出した。

 しかし、その偵察隊が戻るまでもなく、ファルス軍の奇襲部隊は、先頭の第20師団を機動力でもって襲撃しようとしていたのである。

 彼は、後方に馬蹄の響きを聞き、また後方の師団が壊滅した情報持って戻って来た伝令の報告を受けると、慌てて前方に振り向けていた戦闘部隊に対して後方への移動を指示するが、部隊をすぐに後方に配転するなど、軽騎兵の脚には到底間に合わない。


 それでも、第20師団はいきなり奇襲された第17師団よりは警戒体制が取られていた。

 だが、結果は同じである。前進して来る軽騎兵が短弓の射程に入る呼吸にピッタリと合わせて、騎兵の突撃に対して長槍を並べて陣形を組む歩兵の隊列に、濃密な竜巻魔法の弾幕が次々と着弾、アスンシオンの歩兵隊は強風に煽られて多くの者が転倒し、盾を失い、その崩れた隊列へ軽騎兵隊はすかさず短弓の矢を雨のように降り注いでくる。

 整列していた第20師団の前衛は見事な連携攻撃を受けてあっという間に崩された。


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 東路軍の隊列中央にいた第4師団長ロウディル・コンテ・マトロソヴァは、前方に飛来したトルバドール族の航空騎隊が上空を通過した事で異変を知る。ほぼ同時期に、前方では第20師団が迷彩種族アサマイト族と戦闘という情報が入り、そして第17師団の後方には、敵の軽騎兵が出現しているらしい。

 第4師団には、東路軍の司令部が置かれており、東路軍司令官のウィンズ・デューク・カザンがその幕僚とともにいた。


「迷彩種族の襲撃か? 航空騎兵による空襲か? それに後方で何があったのだ?」


 カザン公は混乱し、付近にいる幹部達に質問を投げかける。この質問に対して正確に答えられる者などいない。


「司令官、どうやらその両方のようです。さらに、敵の法兵隊も来ています」


 師団長のマトロソヴァ伯が東を示すと、竜巻魔法によって立ち登る噴煙が見える。それは遠目にも上空へと大きく渦を巻き、アスンシオンの軍旗などが空へと飛散していた。この強力な竜巻魔法の威力は、明らかに風系魔法の法撃を得意とするトルバドール=ツインテール族の法兵の存在が考えられる。


「ええい、とにかく情報を集めるんだ。偵察隊を出せ。各部隊に対してここに情報を集めるように伝令を出せ」


 カザン公は各部隊への具体的な指示よりも情報収集を優先するよう指示を出す。もちろん、不確実な情報で誤った指示を出せば、それによって失敗することもあるだろう。だが、確実な情報が迅速に集まる保証はない。そして、その情報を正しく活かせるとも限らない。


「後方の第17師団が苦戦しているようです。とにかく応援を出さないと支えられそうにありません」


 東路軍参謀のフォーク・コンテ・コリアークが進言する。


「なら、第17師団の南側周りでエイピス卿の騎兵3000、北側周りでカラガンダの歩兵連隊5000を出して応援に行かせよう」


 カザン公は、自分より年上で老練の師団参謀、コリアーク伯の意見をすぐに聞きいれ、部隊の派遣を命令する。


「司令官、それでは戦力分散になると考えます。勢いのある相手には対応できません」


 師団長のマトロソヴァ伯は、後方のファルス軍の敵本陣をアム川方面だと予想した。なんらかの方法で河川を使用し、その地点まで秘匿移動したのだろう。


「しかし、西方にアサマイト族が現れているというではないか。敵の主力が西側だったらなんとする。ここで部隊を全部出してしまったら、そちらに対応できんじゃないか」


 結局、カザン公は戦力の小出しをする性格を絵に描いたような人物である。前方と後方から敵が現れたという情報に対し、どちらを主力かを予測、もしくは決断してそちらに大きな戦力を向けるという大きな選択肢を取ることはできなかった。


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 ザラフシャン山脈を縦貫する山道南口一合目付近で、状況を見ていたムラト族旅団長レンは、整備したとはいえ登坂道路の通過で疲労していた隊員へ休息命令を出している間、各隊長に素早く指示を出していた。


「リーフの騎兵隊とコジローの第1歩兵大隊は、山脈北斜面沿いに森林内を前進、“退却の狼煙が揚がったら”前方に現れた敵を北方から突いて攻撃を開始せよ。その後はそのまま敵中を突破してカファーニガン川を渡河し、第4師団と合流せよ」

「退却の狼煙で攻撃開始。その後に敵中突破とはこりゃ難儀ですなぁ」


 コジローは頭を掻きながら陽気に呟く。つまり、こちらに来るであろう追撃してくる敵を森で待ち伏せし、そのまま敵中突破して友軍と合流するまで突き進め、という命令だ。

 ムラト族旅団で第1歩兵大隊は一番年配のベテラン揃いの部隊である。リーフの騎兵は数100程度しかいないが、もちろん優秀な者達を選抜していた。

 平均身長165cm程度のムラト族の男は、平均身長180cmのラグナ族の男に比べて体格が小さく、その分身体能力も低い。ただし、それは平均的な比較である。ムラト族の中でも身長180cmを越える者はいるし、鍛錬好きで身体能力が優れる者だって少なくない。


「ジャンとコンドラチェフの工兵隊は、この一合目で待機。退却の狼煙を揚げる作業と、この時のために予め用意しておいた大軍がいるように見せかける偽装工作をすること。もし、敵の航空騎兵が近寄ってきたら、射撃で迎撃し、あくまでも大軍がいるように位置を変えて反撃する工夫を忘れないように」

「了解しました」

「第2~第6歩兵大隊はこのまま山道を降りて前進、狼煙が上がってからは大軍が後ろに控えているように雰囲気を出しながら、堂々と進め」


 ムラト族旅団長レンの命令は、それほど複雑ではなかった。自軍の規模を相手に大軍と誤認させ、自軍の精鋭を相手の進撃が予想される森に伏せさせる。他の部隊は展開して、大軍と誤認させる偽装と伏兵の効果を高めるように行動する。


「私も飛びますか?」


 敵航空騎兵の出現に、旅団唯一の航空騎兵であるナデシコは旅団長に尋ねた。


「相手はヴァルキリー族の血が混ざった精鋭航空騎部隊だよ。敵騎に補足されれば生きては帰れない。現状では後方との連絡も難しいだろう。ナデシコは、ここで我々が運良く生きて帰った時のために、晩御飯の準備をしていて欲しい」

「団長、了解しました」


 レンの指示は、本来精鋭であるはずの航空騎兵である彼女に、役に立たないので帰りの食事の用意をしろ、と命令している。プライドの高い隊員なら怒り出してもおかしくはないところだ。だが、レンは好機に命を捨てる様な命令は出しても、そうではない場合には不必要な命令は出さない。

 レンが分析した通り、後方の連絡も不要な状況であれば、彼女が出撃する意味はないのだろう。ナデシコは昔からそれをよく知っていたし、旅団長を信頼していた。


「それじゃ、解散」


 レンが出撃の合図をすると、各隊長は一斉に動き出した。


****************************************


 第4師団の東路軍本部に、次々と情報が入ってきた。

 最後尾の第17師団は奇襲を受けて既に崩壊、師団長のアロフィ伯は戦死。

 先頭の第20師団は、アサマイト族対策で隊列が乱れているところへ、優勢な軽騎兵隊と法兵隊による連携攻撃を受けて苦戦中。

 さらに、第4師団が繰り出した北周りの応援部隊、カラガンダ歩兵連隊5000は、それと同数程度の敵軽騎兵隊によって追い散らされて師団に逃げ帰って来た。歩兵は防御を固めていれば騎兵に対抗できる場合もあるが、移動中だと騎兵に対抗できない。ましてや数が少なすぎた。

 ただし、南周りに東に進んでいるエイピス卿の騎兵隊は、退却してくる第17師団の兵達の混乱に巻き込まれつつも、少しは前進しているらしい。

 さらに、ドゥシャンベ市を守るエルミナ軍は、既にハナーカ川の防衛線を突破され市内での戦闘が開始されているという。

 ドゥシャンベ市の市民は略奪を恐れて、ほとんどが事前にサマルカンドに避難していた為、市を守るエルミナ軍将兵は、市内の建物に陣地を作り籠って戦っている。ドゥシャンベ市を防衛するエルミナ軍は、アスンシオンの援軍が向かっていることを知っているので、それを期待して防衛に努めているようだ。

 しかし、実際は、そのアスンシオン軍の援軍部隊もファルス軍の奇襲を受けて、既に劣勢な状態にあった。


 東路軍司令官のカザン公はなかなか結論を出せない。北側に出した5000の歩兵連隊が敗走したので、今度は6000の歩兵隊を出そうなどと提案している。師団参謀のコリアーク伯は全軍で迎え撃つべきと主張し、意見がまとまらない。

 東路軍の司令本部とその周辺に、その愚かな議論の目を覚まさせるような、狙い澄ました竜巻魔法の一撃は、鋭い風の刃となってたちまち司令部の天幕と司令部を示す軍旗を薙ぎ倒した。幹部達だけでなく、周囲に居た伝令兵達も強風に煽られてバタバタと転倒し、さらにその後に落下して来る石つぶての直撃を受けると、対応に冷静さを取り戻そうとしていた彼らを、再び混乱に陥れる。

 もっとも、それでも金属製の鋼の鎧で全身を守る彼らは、竜巻魔法で大きな負傷をする程度ではない。だが、東路軍司令のカザン公は慌てふためいて立ち上がると、怒号を上げて命令した。


「敵法兵は既に本部まで射程内に収めているではないか、退避だ! すぐに北に退避するんだ」


 カザン公は、周囲にいた幹部達にただちに北に退避するよう命令した。自らも逃げ出そうと必死である。


「司令官、北には敵の軽騎兵隊が回り込んでいます。そちらに逃げては敵の思うツボです」


 師団長のマトロソヴァ伯は、北へ逃走するよう叫ぶカザン公を押しとどめた。


「しかし、味方は次々と倒されているではないか」

「あの魔法は風圧で転倒させ、風の刃で皮膚を斬り裂き、石つぶてで負傷させる法撃魔法です。竜巻魔法の破壊力は低く、塹壕などなくても死ぬほどではない。ケガはしますが、倒れても立ち上がればいいのです」


 マトロソヴァ伯は南の丘を指さして言う。彼の分析では、法撃は南側の丘から撃ちこんでいるらしい。


「しかし! このまま法撃を受け続けては、我々はまともに指揮なんてできんじゃないか!」


 カザン公は半狂乱になりながら、マトロソヴァ伯に迫った。


「分かりました。私が貴下の精鋭法兵隊を率いて南側の敵法兵を追い散らします。公はここで踏みとどまっていてください」

「む、むぅ」


 第4師団が率いている法兵隊は、自らも強力なPN回路を持つマトロソヴァ伯の指揮の下、帝国軍内でも優秀でよく訓練されていた部隊だった。おそらく、女性だけの最精鋭“ソミュア”に次ぐ魔力を持ち、東路軍では最も訓練された強力な法兵隊だろう。

 マトロソヴァ伯は法兵隊を率いて師団の南側に移動すると。自ら観測を行って配置に付き、南の丘斜面に陣取るファルス軍法兵隊に対して迫撃魔法で反撃を行う。

 きっとマトロソヴァ伯は、法兵出身士官のプライドとして、敵の法兵に法撃戦で負けたくないという思いもあったのだろう。そして、法撃戦の知識にも長けている彼は、敵の法兵は優秀だが、風系の魔法を専門に使ってくるトルバドール=ツインテール族であり、この魔法は出鼻を挫くことを目標とする魔法であるから、殲滅力は低いと考えていた。

 正直なところ、法兵隊としては、鎧や盾を装備できない都合上、遠距離の射撃戦になった場合、風魔法よりも弓矢の弾幕射撃の方が怖い。優秀な法兵だった彼の父も弩の矢による奇襲で戦死している。

 竜巻魔法で人は簡単に死にはしない。結果的には、そういう思いが彼に法兵に法兵をぶつけるという誤った選択肢を取らせてしまったのだろう。


 ファルス軍の精鋭法兵隊、トルバドール=ツインテール族は南側の高台の丘に位置しており、彼女達B属の人間種は、環境適応型の人間属という別名があるほど地形や環境に強い人間属である。

 動物のような耳と尻尾を持つ、地上猫耳族のトルバドール=ツインテール族は、その名の通り、地上の地形に適応した種族である。彼女達の猫耳がイメージする通り、山岳、森林は彼女達の最も得意とする地形だった。斜面や凹凸を苦にせず機動できるし、身を隠すのも上手い。

 そして、射撃戦では高所の優位は絶対に揺るがない。

 さらに、マトロソヴァ伯の致命的な失敗は、上空でファルス軍の航空騎兵が、地上と完璧な連携により着弾観測をしている状況である。いくら彼が自慢の良く訓練された法兵隊で敵に応戦しようと、これは無謀という他なかった。

 迫撃魔法は高所に対しては命中率が低い。そして、着弾しても相手の様子が分からないので命中しているのかどうかも分からない。

 逆に、威力はそれより低いものの、広範囲な竜巻魔法は、着弾誘導されて正確に飛び込んでくる。

 この法撃戦の応酬は、継戦を続ければ続けるほど、命中率にして比較にならないほど差が生じた。数回法撃を行っただけで、マトロソヴァ伯の精鋭法兵隊は、大きく傷ついて四散してしまう。

 部隊を鼓舞し、自ら法撃に参加していたマトロソヴァ伯自身にも竜巻魔法が着弾し、皮膚は切り裂かれ、落下してくる石つぶてを頭部に受けて、転倒、出血した。

 それでも彼は、血糊を額から滲ませつつ立ち上がり、敵が法撃をしてきたと予想される射撃地点に対して、反撃の迫撃法弾を撃ち込む。

 だが、命中したのかどうかわからない。


「師団長、味方の法兵隊は総崩れです。いったんお下がりください」


 近くにいた法兵大隊長は、出血でよろけるマトロソヴァ伯を支え起こす。彼はそれを振り払おうとするが、脳震盪を起こしたのか、力が入らず、意識が混濁している。法兵大隊長は、返事を聞かずにマトロソヴァ伯を引き摺るように後退させると、彼も法撃戦を断念し、周囲の法兵隊に後退を指示した。


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挿絵(By みてみん)


 カザン公の戦力分散は確かに愚策であったかもしれないが、幸運なこともあった。

 敗走する第17師団の南側を旋回していた第4師団所属ヴァナディル・ヴィス・エイピス率いる騎兵隊3000は、第17師団を殲滅中のファルス軍歩兵隊15000と接触した。ファルス軍の奇襲部隊長エラン・ジャーティマは戦力集中と退路遮断のために北側に全軽騎兵を向けていたし、法兵隊も地形を利用して西側に移動していたので、第17師団の南側はガラ空きだった。

 この場所にいた、ファルス軍の歩兵隊は、散り散りになっている第17師団の残党殲滅のために分散しており、逃げ回る敵を狩り、止めを刺し、戦利品を得る事に心を奪われていた。


 ファルス軍の歩兵隊は急に現れたアスンシオン軍の騎兵隊による思わぬ反撃に、一時的に混乱する。

 そのため、騎兵隊を率いるエイピス卿は、ファルス軍の歩兵隊を押し込む事が出来た。分散し陣形を組んでいない歩兵隊は、どんなに数がいようと騎兵に対して極めて脆弱である。


 しかし、ここで勝敗を分けたのは上空にいたファルス軍の航空騎兵部隊である。

 歩兵隊の危機を上空から察知した精鋭航空騎隊“シュトゥーカ”の隊長アイーシャは、状況を判断し、歩兵隊への上空支援を指示する。

 既に“シュトゥーカ”は、所持していた単発の焼夷法弾はもちろん、信号弾も法力燃料も消耗していた。

 通常、航空騎兵は地上攻撃用に投槍を何本か持っている。上空で狙いを定めて勢いよく接近し、投擲する。一応、航空騎同士の空中戦の場合はこの投槍を把持して戦う事もあるが、近接して戦闘することなどない。不安定な空中で、投槍を当てるのはとても難しいが、攻撃には法力エンジンの加速力を加えるので、命中すればそれなりの威力である。

 隊長のアイーシャは上空から急降下し、歩兵隊の攻撃を指揮していた第4師団騎兵隊長エイピス卿を見定めて投槍を放つと、その閃光は正確に彼の頚部を貫き、彼は騎馬から転げ落ちた。確認するまでもなく、その一撃で絶命している。

 隊長に続き、訓練された“シュトゥーカ”の処女達が、第4師団の騎兵に対して次々と投槍を投擲する。指揮を失った上、上空から一方的に攻撃された騎兵隊は混乱し、その後は秩序を取り戻した歩兵隊によって、押し返されてしまう。


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 東路軍先頭にいた第20師団長のフォーサイス卿は、後方から迫る軽騎兵隊に、自軍の精鋭騎兵隊を投入した。歩兵隊による防御は、南の丘から飛来する敵法兵隊による竜巻魔法によって陣形を維持できていない。

 しかし、若手のフォーサイス卿は、自分よりもずっと年上の先輩士官である、第20師団騎兵大隊長ミルザル・リッツ・ミャスノイボルに対して適切な上下関係が構築出来ていなかった。

 ミャスノイボル卿は、日頃より責任逃れの言動が見られ、感情的で短気、高慢な態度で部下の騎兵隊から極めて印象が悪かった。

 それに対するファルス軍の将軍エラン・ジャーティマは、いつも部下達と寝食を共にし、突撃の際はいつも陣頭で指揮を行う。個人的な武勇も素晴らしく、彼の隊員達はいつも隊長を誇りにしていた。

 アスンシオン軍の騎兵兵力では3倍の差で負けており、奇襲によって動揺が広がっているだけでなく、兵力も熟練度も違う。そして何より兵士の指揮官への信頼度が段違いであった。

 これでは勝負にならない。奮戦空しくという単語も使えないほど、第20師団の騎兵隊は、ファルス軍の軽騎兵隊にあっという間に蹴散らされる。ミャスノイボル卿は、早々に勝ち目無しと判断し「自分に敗戦の責任はない」と側近の部下に何度も語りながら、西方へと逃走した。


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 アスンシオン・エルミナ連合軍とファルス軍の戦闘は、午前中までにアスンシオン軍の最後尾に位置していた第17師団が完全に壊滅。第20師団と第4師団は反撃したが苦戦している。


 ただし、上空で圧倒的な優勢維持に貢献していた航空騎隊“シュトゥーカ”は、燃料不足により順次帰投を開始していた。ファルス軍は予備航空騎兵も所持しており、新たに出撃したそれらと交替させるが、新しく上空に配置についたのは航空騎兵として練度が低い部隊である。だから、難易度の高い航空騎による陣地への投擲法弾攻撃や、地上兵に対する投槍攻撃はほとんどなくなった。

 ただし、相変わらず法撃の着弾観測と、信号弾による連絡が行われており、ファルス軍の指揮は連携され、アスンシオン軍の指揮は乱れたままだ。


 太陽が天頂を過ぎ、両軍ともかなり疲労を感じる頃、突然、山脈の一合目付近でアスンシオン軍が本陣拠点を示すのに使っている橙色の狼煙を焚かれた。

 そしてムラト族旅団が建設した山間道路の一合目には一斉に帝国軍旗が掲げられる。戦場にいた全ての兵士がその様子を注視し、規模は不明であるが、山脈一合目付近にアスンシオン軍が少なからず存在することは誰でも判明した。

 そして、上空に配置についたファルス軍の航空騎兵は、登山口から数千人規模の歩兵が隊列を成して堂々と進軍して来るのを発見した。


 第20師団長のフォーサイス卿は、本陣拠点の確認と援軍の出現を目撃すると、味方部隊に対して防御しながら後退し、カファーニガン川を渡って防衛ラインを築くように命じた。

 この師団を攻撃中だった軽騎兵隊を率いるエラン・ジャーティマは、この瞬間、やや判断を迷った。敵の様子を見れば、規模不明のアスンシオンの援軍が、標高4000m級のザラフシャン山脈を越えてもう戦場に到着したということである。

 ただし、その援軍の実数についてはどうだろう。事前の情報ではザラフシャン山脈の山間道路は狭く、大軍が通る事は難しいという。


「前方の師団級の敵を逃がすかにはいかん。敵の増援が接近してくるにはまだ時間的余裕がある。それに移動中の歩兵だけなら軽騎兵の敵ではない。法兵隊に合図を送れ! 着弾を確認したら突撃せよ」


 軽騎兵隊から直ちに信号弾が放たれ、上空の航空騎隊は受けたその信号を確実に伝達する。南側の法兵隊とタイミングを合わせた突破攻撃である。南側の法兵隊は、阿吽の連携で軽騎兵隊の突入の瞬間に合わせ、第20師団の隊列に竜巻魔法を集中させた。


 実際のところ、ファルス軍の軽騎兵隊は矢弾を消耗しており、第20師団に対する追撃戦の後で、さらに新しく現れたアスンシオン軍を相手にする場合は不足すると考えられた。矢弾無しでは、新たに現れた疲労のない歩兵隊とも戦う事は出来ない。

 それゆえ人数差と勢いで、混乱している相手を一突きにして第20師団を蹴散らすことにしたのである。

 竜巻魔法が晴れ、前方で隊列を組んでいた歩兵達が薙ぎ倒されると、間髪置かず角笛が鳴り響き、軽騎兵隊は馬を駆って怒涛の勢いで接近戦を挑んだ。

 竜巻魔法によって転倒し、陣形が乱れていた第20師団の歩兵隊はこの攻撃に逃げ惑い、転倒しているところを背中から刺された。


 第20師団長のフォーサイス卿は、もう支えきれない事を理解すると、早く川を渡って友軍と合流するよう怒声を上げながら味方を鼓舞する。

 崩壊しつつある第20師団の将兵は、身体半分が水に浸かりながらカファーニガン川を越え、西方へと退却を続けるが、既に法撃と軽騎兵の巧みな連携と突撃によって恐慌状態となっていた。

 敵師団の潰走を確認したエラン・ジャーティマは、さらに追撃を継続し、川に入って動きの鈍った第20師団への攻撃を行う。規模不明だが敵軍が山を越えて迫っているならば、それらと接触する前に多くの敵を殲滅しなくてはならない。


 その時、カファーニガン川の周辺で、逃げ惑う第20師団と追撃するファルス軍の軽騎兵隊の両軍入り混じる各所に竜巻魔法が叩きこまれた。


 竜巻魔法による、独特の風の渦が各所で発生し、逃げるアスンシオンの軍旗も追撃するファルスの軍旗も吹き飛ばされる。逃げ散る敵を蹴散らしていた軽騎兵隊の馬達は驚いて立ち竦み、慌てた何人かは落馬してしまったようだ。


「なにやってんだ! リクミクの奴。我々が突撃中なのに、法撃を加えおって!」


 軽騎兵隊を指揮するエラン・ジャーティマは法兵隊と手筈通りの攻撃を行った。敵は総崩れ、一気に潰走状態に持ち込む事が出来たはずだ。

 しかし、彼の判断では、法兵隊を指揮するリクミクが、軽騎兵隊の突撃を見落として、彼女達も逃げる敵への追撃のために竜巻魔法を撃ちこんできたものだと判断した。


「このままでは同士打ちだ。騎兵隊はいったん退避せよ、新たに現れた敵歩兵に対応する」


 エラン・ジャーティマは、味方に集合させるラッパを鳴らして追撃を中断させ、いったん北方へ部隊を離脱させた。


 しかし、実際は違っていた。南側の丘に陣取るリクミク率いるファルス軍の法兵隊は、エラン・ジャーティマ率いる軽騎兵隊が第20師団に突入したのをみて、法撃を控えていたのである。

 竜巻魔法は攻撃範囲が広く同士討ちの危険があり、特に突撃中の騎兵に周辺に着弾すると馬達が怯えて勢いが削がれる。


 実は、潰走する第20師団に対して竜巻魔法を撃ちこんだのは、ムラト族旅団のマック率いるムラト族法兵中隊だった。

 ムラト族の法撃はとても弱い、帝国一魔力の低い法兵部隊と嘲られる。

 しかし、混戦の中で威力の強弱などを判断するのは難しい。だが、竜巻魔法が使用されたという事実は容易に理解できる。そして、ラグナ族はほとんどが破壊力のある迫撃魔法を使うという先入観があり、竜巻魔法が使われるとは予想できなかったのである。

 転倒させて、石つぶてで負傷させる程度の効果である竜巻魔法は、魔力の低いムラト族法兵からすればさらに貧弱な効果しかあげられない。強い風が吹いたので少し屈んでやり過ごそう、その程度のレベルである。

 しかし、だからこそ、旅団長のレンは味方に竜巻魔法を撃たせたのだ。敵に同士打ちしたと誤認させるためである。


 第20師団が軽騎兵隊の追跡から逃れると、一合目に築かれた狼煙台からは、本部を示す橙色の狼煙から、退却を示す黄色い狼煙に変えられていた。

 その事実を確認すると、追撃から逃れた第20師団の兵達は多少の冷静さを取り戻し、掲げられた撤退地点に向かって足早に退却を開始する。


 いったん離れて北側に集結したエラン・ジャーティマは、直ぐに様子がおかしいことに気がついた。

 自分達の代わりに追撃をしているはずの法兵隊からは更なる法撃はなく、アスンシオン軍の動きが変わっているからである。


「しまった、あの魔法は味方のものではなかったか!」


 彼は、自らの判断ミスを呪った。しかし、これは彼の所為ではないだろう。万一、連絡の何処かに誤りがあり、実際に法兵隊側も第20師団への追撃態勢に入って法撃を集中していれば、軽騎兵隊はそれに巻き込まれて大損害を被ることになっていたはずだからである。


 エラン・ジャーティマは、慌てて攻撃再開を命令する。しかし、彼が相対するムラト族旅団長の指揮官は、彼より一枚上手だった。

 集結地点の北側にある森から突然歓声が上がると、彼らは背後から弩の矢による攻撃を受けたのである。


「将軍、森に伏兵です!」


 側近が慌てて怒鳴る。


「敵め、なかなかやりおるわ!」


 エラン・ジャーティマはその様子をみて舌打ちする。

 彼の軽騎兵隊はまだ秩序と戦闘能力を持っていたが、ここでの判断は非常に迷うところだった。

 北側の伏兵に応戦するか、それとも西側に向かって追撃を継続するか、いったん東に下がって戦場に残っているもうひとつの師団に止めを刺すか。

 だが、ファルス軍随一の猛将と謳われる将軍はこういう場面で躊躇はしなかった。


「こういう時は、一番勇敢と思われる行動をとらなければな! 追撃を継続する、伏兵には騎兵1000が当たれ、残りは西に向かって進撃せよ」


 相手が味方に竜巻魔法を撃つなどという切羽詰まった状況ならば、西側で逃走している敵も苦しいということである。


 既にレン率いるムラト族旅団の歩兵部隊は、逃走する第20師団の最後尾に配置して陣形を整えて待ち構えていた。

 旅団の方に向かってくる軽騎兵を見ると、レンはすぐに戦闘体勢を指示する。


「もう少し混乱してくれると思ったが、敵さんなかなか有能じゃないか」


 レンは指揮棒を振るうと、部隊に号令した。


「対軽騎兵弓戦用意、大盾構え!」

「おう!」


 整然と並んだ6000のムラト族旅団の歩兵隊が一斉に大盾を構える。


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