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塔2~古代人達の旅団①

 レンが直接指揮を執るムラト族旅団は第13師団に所属し、中路軍の最も東に位置している。部隊の端は重要な任務であるが、第13師団がここに配置された理由は、異種族部隊のムラト族8000人を含むので、彼らを嫌うランス族が住むサマルカンド市から一番遠ざけられたという理由である。

 ムラト族旅団でたった一騎だけの航空騎兵であり、ムラト族の娘ナデシコは、任されていた偵察任務から帰還すると、歩兵大隊長に結果の報告に来ていた。出迎えた大隊長は、さっそくいつもの対応をする。


「おお、ナデシコ。相変わらずイイ太腿だな!」

「もう、コジロー叔父さん、またスケベな目で見て……」


 ムラト族歩兵第一大隊の大隊長コジローと航空騎兵ナデシコは親戚である。コジローの母、ナデシコの祖母がバサラ族の女で、ムラト族との混血であった。

 ただし、H属のムラト属の方が、E属のバサラ族より遺伝子が強く、両者の混血は必ずH属になる。であるから、コジローもナデシコもバサラ族の特徴はほとんどない。黒眼、黒髪で直毛である程度だろう。

 航空騎兵の処女は、ユニコーンに騎乗するために、“VAF”という装置を付けるため、太腿を露出していなければならないという制限があった。また、ユニコーンの嗜好上からも脇を露出する必要がある。

 だから、どこの国も航空騎連隊でも、制服は短いタイトスカートにハイサイブーツ、上着は袖が短く絞っていないシャツと決まっている。

 普段の人間は感じないが、人間もフェロモンのような物質を持っている。それは、主に身体の脇と太腿から出る。“ヴェスタの加護”のある処女は、ここからまた別の物質が出ているという。そしてユニコーンはこの物質に敏感に反応しているらしい。

 ナデシコは、偵察によって上空から空撮した“撮影球”を手渡す。“撮影球”は西方に住む異種族のヘリオ族だけが作りだす“BMI”という特殊な体内器官で、撮影したものを投影することができる。非常に高価な輸入品だが、軍事、民間等、様々な用途に欠かせない。


「お疲れ様。でもさ、ナデシコ。叔父のオレがいうのも何だが、いつまでもユニコーンに乗っているっていうのは、どうかと思うぞ」

「もう引退しろって? まだそんな歳じゃないでしょ」


 いつまでもユニコーンに乗っている。というのは、彼氏がいない、という暗喩である。


「せっかく、周辺のムラト族の村で一番に可愛いって噂のナデシコなんだから、はやくいい男をみつけろよ。戦争なんか女の来るとこじゃない」


 コジローは、確か彼女の親友のシンデレラに対しても村一番の美人と言っていたと思うが、それは、いつものお世辞だと考えている。

 叔父の言う、誰かいい男をみつけて、航空騎兵を引退し、平和に暮らせ、というのは、彼女に対する叔父なりの優しさなのである。

 ムラト族では普通、女は戦わない。戦闘用の強化された特殊能力もなく、テーベ族のような特殊能力や、ヴァン族のように優れた敏捷さなど身体的優位の一切なく、性格も臆病なムラト族では、女は戦場で役に立たない。

 ムラト族は他種族に比べて体格が劣るので基本的に男も弱いのだが、単純な腕力という意味ではラグナ族の女性よりは強いし、それに戦争において一番重要な点である、戦場で人を殺す事が出来た。

 だが、航空騎兵だけは別で、処女限定という縛りがある以上、男ではできない。H属の女性でも“ヴェスタの加護”はある。だから、ナデシコは唯一の航空騎兵として旅団に参加していた。

 報告の後、彼女は自分の乗騎の整備に向かう、ユニコーンは処女しか触れさせない。そして、この旅団にユニコーンに触れられる女は自分しかいない。そのため、整備も自分の仕事である。

 ナデシコが旅団に設置されている特別な厩舎に来ると、彼女の愛馬のユニコーンは喜ぶ、ように見せて、すぐに拗ねた。彼女の露出が足りなかったのである。


「もぅ…… この馬も本当にスケベなんだから」


 仕方がなく、上から羽織っていた上着を脱ぐ。航空騎兵はユニコーンとの相性関係が第一である。

 彼女は、バイコヌール戦役直前にあった、アカドゥル虐殺事件で両親を失った。各新聞社の報道では、事件の発端はアカドゥル渓谷のムラト族の村に、新しく領主となったバイコヌール公が税の徴収を行った際、ムラト族側が妨害をした事が発端とされているが、彼女の旅団長レンは、状況や遺体の惨状から、税の徴収を円滑に進める為に、見せしめのために住民を殺したのだと分析している。

 当時15歳だったナデシコは、レンや叔父のコジローに協力し、カラザール伯配下の航空騎兵隊に志願した。

 通常、ムラト族は外見的魅力が低く、ユニコーンとの相性は正直いって悪い。

 しかし、ナデシコは混血で失われたとは言ってもバサラ族の血が少しは役に立ったのかもしれない。今のユニコーンだけは騎乗することができた。

 バイコヌール戦役から4年、彼女は航空騎兵としてレンや叔父に付き従ってきたが、最近、彼女の愛馬の態度が急に悪くなっているのを感じている。

 ユニコーンは薄情だ。女性としての魅力が落ち始めると、ユニコーンは従わなくなるのである。まだ20歳にもならないのに、そんな浮気な態度をみせる愛馬に対して怒りを隠せないが、ユニコーンはそういう我儘な男だと考えるしかない。


「あーあ、もうあたしじゃダメなのかなぁ」


 ランス族の“陽彩”、レナ族の“女神”、ハイランダー族の“惑星”、ヴァルキリー族の“戦処女”に、バサラ族の“戦巫女”。どれも女性が前線で戦える能力である。

 ナデシコは祖母がバサラ族だが、H属の彼女に“戦巫女”は発現しない。彼女に特別な力は一切ないが、両親の仇を討ちたかったし、レン先生の役に立ちたくて航空騎兵になった。

 だが、唯一の“ヴェスタの加護”という力を失ったら、もう戦いには加われないだろう。

 それは残念であるが、レン先生の傍で戦いに加われなくても、別の方法で協力する方法はあるはず。

 ナデシコがそう考えつつ、我儘な愛馬を宥めながら整備していると、突然後ろから男に声を掛けられた。


「俺はね。正直羨ましいよ。俺も女だったら、一度ユニコーンに乗って大空を飛んでみたいな」


 声を掛けられた方を振り返ると、そこにはムラト族の若い男、幼馴染のリーフが立っていた。どうやら彼女のつぶやきを聞かれたようだ。

 彼はレンの教室での生徒仲間、今はムラト族旅団の騎兵中隊長をしている。男が近寄って来たので愛馬の態度がまた急に悪い。

 ムラト旅団の騎兵はたった100人しかいない。しかし、いるのといないのでは大違いである。


「リーフはいいわよねぇ。男は年齢で引退とか考えなくてもいいんだから。ずっと職業軍人でもやってられるでしょ」

「そんなことはないさ。俺は普通に仕事をして、普通に結婚して、普通に家庭を持ちたいよ。軍隊なんてまっぴらごめん。はやく辞めたいさ」

「あーあ、あたしも何処かに一生面倒見てくれるイケメン男でもいたら、航空騎兵なんてさっさと辞めちゃうんだけどなー」

「昨日、サマルカンドに来たトルバドール族の使者は随分なイケメンだそうで」

「そりゃ、あたしだって、ラグナ族とその一派は皆イケメンだと思うわよ。でも、男の価値はそれだけじゃないでしょー」

「お、ナデシコは俺の価値とかわかるわけ?」


 リーフは自分を指していう。


「どうかなー ま、あたしもメトネみたいに可愛くないけどさ。……女の価値は可愛くないとだめよねぇ」

「確かにメトネはすげー可愛いと思うよ。ラグナ族とその一派は皆、俺達とは違う種族の美人様さ。でも女の価値もそれだけじゃないだろ。気配り上手、料理上手、そして何事にも一生懸命」

「コジロー叔父さんみたいに煽てても何にもでないわよ」

「そりゃ残念」

「まぁ…… この戦いが終わったら、あたしはユニコーンを降りることも考えようかな」

「そーいうのを、ムラト文化ではフラグっていうんだぞ」

「んー、ウチの先生はそういうフラグは簡単にヘシ折ってくれる人よ。その点は大丈夫」

「違いないや」


 幼馴染の若い男女2人の会話は、微妙にすれ違っている。でも、たぶんお互いの意志疎通はこれでできているのだろう。


****************************************


 レンは旅団の幹部を集めると方針を告げた。ナデシコが撮影してきた地形映像を使って、既に配置図が作られている。


「というわけで、我々は戦闘をせず、東のザラフシャン山脈を素早く抜けてドゥシャンベ付近に出られるように、街道整備をすることになった。師団長の許可も受けている」

「また土木作業ですね」

「もう剣を持つよりスコップを持つ方が慣れましたよ」


 第2歩兵大隊長のアベルや、第3歩兵大隊長のセシルはいつもの表情で苦笑する。


「旅団参謀のトーマスと工兵大隊長のジャン、第13師団からの増援の工兵隊長のニヴェル・コンドラチェフ殿は各地を迅速に測量し、すでにある道を活用しつつ、拡幅範囲を策定、作業手順を計画すること。狭い場所を作らずに、輸送総量を太くすることを心掛けるんだ。1しか通れないところを、全て2通れるようにする」

「了解しました」

「補給大隊長のラインは、山道にいくつも集積拠点を設けて、一気に部隊が通れるように、補給体制を整える。コジロー、アベル、セシル、カイル、ハウル、ラルフの各歩兵大隊長は、トーマスと工兵隊長達の指揮により、作業を行う」


 旅団内部からため息が出る。彼らはレンの指揮を信頼しているが、事前準備に厳しい労働をさせられる。いっそ敵に挑んで戦ってしまったほうが楽だと思うぐらいだ。

 だが、彼らムラト族は、正面から殴りあったらR属のラグナ族の男には体格や筋力、瞬発力などの差で勝てない事を知っていた。同じH属のカウル族のように小柄でも馬や弓の扱いが優れているわけでもない。その分信頼できる指揮官への期待は大きいのだろう。


「法兵中隊長マックは、破壊困難地点の発破を」


 ムラト族部隊にも僅かながら法兵がいた。騎兵と同じ100人ぐらいだが、実際に法撃するのは数人程度、あとは補助員である。ちなみに、ムラト族法兵の火力はアスンシオン帝国の法兵の中で最弱であり “目覚まし程度の威力”、“ドアノッカー”などと揶揄されている。

 ちなみに、弱いPN回路でより多くの魔力源を得るという理由かどうかは知らないが、マック達ムラト族法兵中隊は大食漢で、皆ブクブクと太っていた。法撃をした後は特に腹が減るというので更に食う。ラグナ族は肥満しない体質だし、同じH属のカウル族は遺伝子的には太るものの、粗食なので肥満はほとんどいない。だから、極度のデブである彼らムラト法兵中隊の姿はかなり奇異である。ラグナ族がみれば即座に醜いと言うだろう。いや、ムラト族の仲間が見てもそう思う。


「騎兵中隊のリーフと偵察中隊のノートンは物資の輸送を行ってくれ」

「了解しました。しかし、補給大隊が前に配置されて、騎兵中隊と偵察中隊が後ろから補給とはあべこべですが、まぁ、いつものことですから」


 騎兵中隊長のリーフは苦笑する。


「ご主人様、あたしはどうしますぅ?」


 最後に声をかけたのはマリル族の娘、リルリルである。

 マリル族は、B属の地上丸耳系種族で、頭の上にネズミのような丸耳が生えている外見は小柄な女の子だ。普通は東方のツァイダム盆地周辺の高原森林地帯で静かに暮らしている。しかし、稀に主人となる者に付いてきて森から出てくる事がある。

 マリル族は女性だけしかいない。ヴァルキリー族とは違い、生殖に関して完全に独立しており、男性を必要としない。そして、B属の特徴が特化しており、驚異的なスピードで増殖する能力を持つ。

 具体的には、マリル族は単為生殖という特殊能力がある。

 単為生殖は、メスが自分と同じ遺伝子のメスを産む。つまり自分と同じ遺伝子を持つ子を作る。珍しい能力のようだが哺乳類では例がないだけで、魚類、爬虫類や鳥類では普通に起る。昆虫ではそれが常態化した繁殖手段の場合もある。

 マリル族は、個々の意志で自由にその数が増える事ができるのに加え、受胎、成長が驚異的に速い。なんと受胎から出産まで7日、幼児期が7日、子供期が7日、というわずか三週間、21日程度で大人になる。この繁殖力の強さから「ハツカネズミ」と揶揄されることもある。

 彼女達は、暮らしている森から出る際、大抵、彼女達の飼い主と呼ばれる主人を必要とする。

 その理由として主なものは、彼女達は故郷の森から外に出るとストレスによって自分の意志に関係なく増えてしまう。さらに彼女達は、同じ遺伝子を持つ別個体であり、個体間で優劣はつかないので、誰かがリーダーシップを取るということもない。そのため、自分で自分の発生を制御できず、際限なくどんどん増えていき、食糧を食べ尽してあっというまに飢饉に陥ってしまう。

 彼女達のストレスを抑えられるのは飼い主である主人だけであり、そして事実上、彼女達に、自らを自殺させること、つまり間引きの命令を与えられるのも主人だけである。

 彼女達は、記憶の相変異刻印という、バッタの相変異の親子継承に近い能力があり、親の記憶を一部受け継ぐ。ただし複雑な記憶は無理であり、簡単なものや印象の強いものだけになる。この中で、誰を飼い主、つまり主人とするかは相変異刻印で最も重視される。

 彼女達は、B属の傾向が特化していて、成長が早い分、研究や知識、技術の継承が苦手で楽天的、自分で深く考える事を好まず、主人に付き従うことを望む。食糧の確保手段も主人に与えられたものを食べ、産まれるのも死ぬのも主人の命令に従う。また、マリル族は単為生殖の弊害のためか“ヴェスタの加護”がない。

 ちなみに、単為生殖だけで繁殖するわけではなく、ごく稀に同性同士での交配も行われる場合がある。それは、当然女性同士の関係となる。

 よって、女性同士の恋愛や性交渉のことを“マリル行為”と呼ぶ隠語が存在する。

 また、彼女達は同じ遺伝子なので、皆同じ顔をしている。転じて普通の代名詞になり「マリルより可愛い」という単語は普通より可愛いという意味になる。


「そうだな、今後有事が予想されるから、リルリルは倍に増えてようか」

「ご主人様了解っ! あたし今1000人だから、2000人ね。でも、寿命を維持して増えるにはいっぱいゴハンが必要だよ」


 マリル族は単為生殖で増えると言っても、食糧の供給は大量に必要になる。成長が早い分、発生が開始すると異様に大食となる。


「どれぐらいかな?」


 レンはトーマスに尋ねる。トーマスは素早く計算して回答する。


「ええと、21日で約5億キロカロリー、ご飯茶碗で190万杯ぐらいですね」

「茶碗190万杯って?」


 その場にいた全員が、どの程度の分量か理解できない。トーマスはあわてて言いなおした。


「激ウマ棒だと、760万本ですね」

「なるほど」


 今度は、その場にいたムラト族の者は全員理解した。理解できなかったのはマリル族のリルリルと、増援に来ている第13師団の工兵隊長ニヴェル・コンドラチェフだけである。

 リルリルはいつも理解しようとしないのでともかく、コンドラチェフは、激ウマ棒がムラト族のスナック菓子だということは知っていたが、どうしてムラト族はその本数だと理解できるのかが理解できない。


「ところで、コンドラチェフ君は市民出身の士官だそうだね。士官学校は卒業して間もないのかい?」

「はい、私は士官学校在籍中に後宮の戦いがありまして…… 籠城中に今の皇后様に工兵技術のご指導をいただきました」

「皇后様は、ヴォルチ家の妃だっけか、皇帝陛下のお気に入りらしいね」

「はい。女性に言うのは失礼かもしれませんが、とても行動力ある方で、私よりも工兵知識が豊富でした。私はゴシップ好きではありませんが、皇帝陛下が好きそうなタイプでしょうね」

「まぁ、そうだろうね」


 コンドラチェフはこの時、レンの返答に関して疑問をもたなかった。だが、本来は少しおかしいと考えるべきだったのだ。皇后は“鮮血の姫”と噂になっており、一般人なら、普通はもう少し興味を持って、詳しく尋ねてもいいはずである。

 レンがこれ以上、質問しなかった理由は単純である。皇后の正体と能力をコンドラチェフより正確に把握していたから、その必要がなかったからである。


****************************************


 4日程度で届くはずの返書は、発信から10日も掛かった。

 その西路軍に届けられた総司令官の正式な命令書をみて、タルナフ伯は怒りに身体を強ばらせている。

 周囲に居並ぶ幹部達はタルナフに対し優越顔で明らかに見下している。


「総司令官の命令は下った。我々西路軍は陸路南進してマリ市解放を目指す。各隊迅速に進軍せよ」


 プルコヴォ公らはわざわざ大きな声で「了解」と復命し、会議室を出ていった。


「司令、まさかテニアナロタ公が、プルコヴォ公達の案を支持するなど…… 小官の見通しが甘く申し訳ありません」


 第6師団長のゴードン・ガロンジオンが頭を下げる。


「ゴードン、お前の所為じゃない。奴らの宮廷への根回しを軽視していたということだ」

「中路軍の友人に尋ねたところ、プルコヴォ公らは、エルミナの貴族達とも交流があるようです。そちらにも手をまわしたようで」


 タルナフ伯の要請に基づいてテニアナロタ公の開いた協議では、圧倒的多数でマリ市救援すべしという意見が大勢を占めた。

 テニアナロタ公は、タルナフ伯より別の信書で、マリ市は堅城で、あと三カ月は保持でき、敵の中枢を河川艦隊で脅かせば、市の包囲は自然と解ける旨説明しており、総司令官もタルナフの自由にやらせたかったのだが、幹部のほとんどが反対する中では、マリ市解放の命令を出す他なかったのである。


「河川艦艇を効果的に使う方法が拒絶されたのは残念だが、マリ市を包囲する敵軍は5万、楽な数ではない。その鬱憤は敵に晴らさせてもらうぞ」

「了解しました」

「決まったからには迅速に決着をつけんとな。あとで奴らに戦果でケチをつけられないように信頼のおける者を配置して監視を強めておこう」

「そちらの方もお任せください。我が師団は、第3師団のプルコヴォ公や第16師団のネッセルローゼ伯に後れをとることなどありません」


 10月中旬、タルナフ伯は10日の無為な足止めの後、3個師団6万、ヴァン族兵4万、テーベ族兵4万、エルミナ兵1万を率いヒヴァ市を進発、包囲下のマリ市を目指して南進を開始した。


****************************************


 西方で5万の敵兵に囲まれた市の解放を目指して進軍を開始したちょうど同じ頃、ハイランドの王都フェルガナにある王宮も、まったく同数に人間達によって包囲されていた。

 ただし、それが敵かどうかはわからない。国王の出征に反対する市民達のデモ隊が、フェルガナの王宮を取り囲むように結集したのである。デモ隊には、フェルガナの州兵だけでなく、フェルガナ師団の一部も加わっているようだった。

 彼らの要求はひとつだけ、簡単なものである。


「現国王は退位し、国民の為の政治が行われる事を」


 この騒乱に対して、国王は対応を迫られた。王宮内には歴戦の猛者である国王親衛隊がいたが、彼らを統括する大将軍ミルディンは、国王に対して2つしか解決方法がない旨を迫る。


「国王陛下、彼らを鎮める方法は、彼らの要求を呑むか、彼らを殺すしかありません」

「国民を殺すだと!? そんな不名誉な事はできん!」


 ここで軍隊を用いて騒乱を沈めれば間違いなく万単位の死傷者を出すだろう。流血事件として国家の恥となることは明白であり、当然国王グンドールはその流血事件の責任者として歴史に汚点を残す。

 名誉を重んずる彼にそんなことはできなかった。


「強制的な鎮圧をお断りになるのであれば、この事態収拾のためには退位しか方法はございません」


 内務大臣ブリアンは大将軍に並んで国王に迫る。


「どうしてこんなことになったのだ。国民も我がハイランドの名誉ある国際活動を喜んでいたはずだ」


 戦において名将である国王は、名誉を最も欲しており、そのための負担や苦労、犠牲はやむをえないと考えていた。だが、国民がそれを受け入れるかどうかは別である。


「陛下、我が国の国借総額は、既に国家予算の3倍。利息の負担は財政を圧迫しており、国民はもうこれ以上の増税に耐えうる事はできません」

「我が国は、我が国の国民にしか国借を発行していないではないか。出征分の必要な経費の金の拠出は、国民自身が借金に応じているのに、なぜ皆は不満に思うのだ」


 国借とは他の国でいう国債、国の借金である。


「出征予算以上に、傷病兵や軍人遺族に対する負担が増大しているのです。出征の一時的な負担など問題ではありません。ただでさえ我が国は山野が多く、産業基盤が弱体でインフラ整備に必要な予算が大きいのです。この急場は国家の通貨価値を大幅に切り下げるにしても、誰かが責任をとらなければなりません」

「私が退位して、我が国の名誉はどうなる」

「ご安心ください。王太子を基軸とした立憲国家として立ち直るべく、すでに市民の各団体と交渉がまとまっています」


 ブリアンは、対外的に大きな恥とならない、譲位により安定して問題を解決できると国王を説得する。


「国家の為に思って懸命に働いてきたが、単にそれは国民の負担を増やしていただけだったとはな。無念だがそれで我が国の名誉が守られるならば受け入れよう」


 9月のハイラル暴動に続くハイランド10月革命の結果、国王グンドールは退位を宣言。カラコラム師団長を兼ねるアイロニック王太子に王位の譲位を表明した。また、同時に内務大臣ブリアンを議長としたハイランド議会を設置する。

 議会には、さっそく各勢力達が参加を表明する。ハイラル王党派、ハイラル神殿党、ハイランド啓蒙党、ハイランド労働党などである。


 それから数日、ハイランドは騒乱の余韻が漂う程度であったが、政治体制の変更の準備は、比較的スムーズに進展していた。

 最初の議会も開催され、紛糾したものの首相にはハイランド啓蒙党の党首サザーランが任命される。

 ところが、彼らが目指した政治の軟着陸(ソフトランディング)は結果的に上手くはいかなかったのである。


「大変です! 王都に向う途中のアイロニック王太子が、カラコラム峠を通過中に歩兵連隊長に刺されました! 重体だということです」

「な、なんだと……」


 新憲法公布の為に、各党派の議員達と議論を詰めていた議会の席で首相のサザーラン、議長のブリアン、その他議員達は、そのニュースに狼狽した。


「大変、痛ましい事件ですな」


 野党であるハイランド労働党の党首ノヴェルは、王太子の衝撃事件に異様なほど素早く、どこの党よりも早く遺憾の意を表明した。まるで、事前にこの事態が起こる事を知っていて、表明する事自体が事前に計画していたかの如き速さであった。


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