運命の輪2~令嬢達の要塞③
昼食は、後宮回廊の西側の廊下の各部屋をブースで仕切り、食事の内容を選択する形式になっていた。
雰囲気だけは、ランチに入る店を選ぶようにしてある。
アンセムはその会場に朝食同様、侍女のマイラを連れてやってきた。
メニューが毎日ほぼ同じである朝食とは違い、昼食は選抜されたキッチンメイドがその得意料理を用意するために、選択肢が広く味も良いのだという。
アスンシオン帝国伝統の肉料理が多いラグナ料理、隣国のパスタやソースが濃厚なテーベ料理、海鮮が主体のバサラ料理、揚げ物が得意なチャクラ料理…… 正直、食欲旺盛なアンセムは朝食の量では不満で腹が減っていたので、どのブースに入るか迷っている。
朝食が微妙な軽食だったので、昼はちゃんと食べたいと考えていた。
「あっ、エリーゼ様だ。ごきげんよう、エリーゼ様」
「げげっ、ソーラ……」
突然、声を掛けられたので振り返ると、3人組の妃がいた。その中の1人はよく知っている妃である。
ただし、エリーゼは彼女を知らないはずだ。
「初めまして、私はレルヒェンフェルト家のソーラ、よろしくね。貴方のお兄様は、私がここに来る前に私がいた部隊の隊長だったのよ」
「ど、どうも…… その節は大変世話になりまして……」
「その節? 隊長から私の事を聞いているのかしら?」
アンセムはバイコヌール戦役の後、後方勤務に回された。
帝都郊外に駐屯地のある航空騎部隊シュペルミステールの第二中隊の隊長である。
その部隊の隊員にいたのが、彼女、ソーラ・リッツ・レルヒェンフェルトであった。
「こっちは、タルナフ家のタチアナ。タチアナのお父様は、あの有名なタルナフ総督なのよ」
「ごきげんよう、エリーゼ様。お会いできて光栄です」
ソーラに紹介されたタルナフ総督といえば、タイミィル地区の北方総督シェルパ・リッツ・タルナフだろう。
タルナフ卿は、まだ30代後半にも関わらず遠方地域の総督を任されるほどの実力派の人物で、将来の宰相候補と噂されている。
「で、こっちの子が北マーワラーアンナフル自治区の族長の娘ニコレ」
「カウル族のニコレです。初めまして、エリーゼ様」
北マーワラーアンナフル自治区は、帝国領内でラグナ族に次いで人口の多い異種族、カウル族が自治する地域である。
ソーラとタチアナは2人とも航空騎兵士官学校の出身である。軍隊では女性でも過度の装飾は禁止であり、カウル族も本来、地味な雰囲気の民族衣装を着ているはずであった。
ところが、どういうわけか3人とも朝食の妃達のように、フリルのたくさんあるドレスに、豪華なアクセサリーで着飾っている。彼女達のような娘でも後宮の毒には簡単に冒されてしまうのか。
とりあえず、エリーゼはソーラと初対面のはずだ。注意しなければならない。
「エリーゼ様、一緒にお食事はどうでしょうか?」
昔からソーラは、同僚を食事に誘うのが好きだった。同じセリフを部隊で何度も聞いた気がする。
アンセムは、ここで断っては拙いと思い了解することにした。
「はい、ぜひご一緒させてくださいませ」
アンセムは、ソーラに任せていると、伝統的な軽食タイプのブースを選んだ。
ブースに入ると、すぐにメイド服のキッチンメイドがやってくる。ウェイトレス役なのだろう。
ソーラは紅茶を、タチアナはコーヒーを、ニコレはミルクを注文している。飲み物に関しては彼女達なりの相当な拘りがあるようだ。
アンセムはミルクティを注文する。
「隊長もいつもミルクティを飲んでいたわ。兄妹で同じ飲み物が好きなのね」
ソーラは指摘したが、エリーゼは実のところコーヒー派である。だが、身体は変わってもコーヒーは飲めない。だから、エリーゼの身体にもミルクティを飲ませる。
しばらくするとキッチンメイドが料理を運んできた。注文するのは飲み物だけで、料理は全て各々のブース店ごとに決まっているらしい。
昼食の内容は、アンセムの希望に反して、炒めたライスとキノコのポタージュという軽食で、食欲旺盛な男子であるアンセムは心の中で不満を呟く。
だが、味は抜群によく、なかなか腕がある料理人のようだ。軽食を美味しく作るのは、豪華な食事を上手く作るよりずっと難しいだろう。
このようなブース形式では客が入らなかった場所の料理が無駄にならないかと心配したが、この後にメイド達の食事があり、この余り物が充てられるという。
「朝食の時はマリアンとミリアムの勢力争いに巻き込まれていたわね。おかげで、せっかく隊長の妹さんに会えたのに話しかけられなかったわ」
「あの上流貴族のお嬢さま達は、こんな監獄みたいなところでも権勢争いとは、ご苦労さまよね」
「特にミリアム様は気性の激しい方だから気をつけた方がいいです」
ソーラとタチアナはエリーゼと位階が同じ男爵の貴族同士、ニコレも帝国の貴族ではないために、気さくに話しかけてくる。
「私とタチアナは航空騎兵士官学校で同期だったの。タチアナはユニコーンの扱いが上手くて、士官学校で2位だったのよ」
「首席は取れなかったんだからあんまり言わないでよ、恥ずかしい」
褒められたタチアナは恥ずかしそうに言うが、まんざらでもないようだ。
ソーラはそう言ってタチアナの成績を自分のことのように自慢している。ちなみにアンセムはソーラの順位を知っていた。113人中111位である。
航空騎は空飛ぶ馬、ユニコーンに騎乗する”ヴェスタの加護”に守られた娘、つまり処女だけが運用できる兵種である。
飛行能力は索敵や連絡、奇襲に極めて有効な兵種であるので、各国ともこの兵種の育成に熱心に取り組んでいる。
「私だってすっごく頑張ったのにタチアナが前線の勤務で、私は後方に配属されてしまったの、人事の男は見る目がないわ!」
アンセムは、そりゃそうだろうと心の中で呟く。ソーラは確かにユニコーンとの相性は抜群だった。
だが、彼女は隊員の中でも一番失敗の多い隊員だ。それは陸軍の人事係でもよくわかっていたのだろう。ドジな彼女に前線の警戒や索敵任務をさせるのは危険極まりない。
航空騎兵が騎乗するユニコーンには、選ばれた処女しか乗ることはできないため、現場隊長は女性となるが、システム上どうしても若年が多くなる。そのため、訓練や作戦管理の面から総括の隊長は男性の士官が務めた。
アンセムはまだ若い士官であったが、バイコヌール戦役での戦功が認められて躍進したのである。
彼が指揮をすることになったシュペルミステール隊は、帝都付近の伝令、訓練目的の部隊であり、第一中隊は稀に各方面への援軍として派遣される可能性があるが、第二中隊は実戦投入されることはほとんどない。なので、現場隊長以外、全員戦場は未経験である。
ソーラは朗らかで楽観的な性格でいつも隊長のアンセムに絡んできた。部隊でも目立つタイプであったが、エリーゼが入宮する2か月前、父のレルヒェンフェルト卿の意向で後宮に入ることになった。
彼女は泣いて嫌がっていたが、それでも両親の恩に報いなければと部隊を去っていったのである。
レルヒェンフェルト家は女子ばかり四人姉妹だという。通常、帝国の法律”啓蒙の法”では女子は当主になれない。よって、長女の夫を婿養子にしようとしたが、貴族審査委員会が難色を示した。
相続権の選定には様々な条件があり、婿養子でも必ず当主の相続権が認められるわけではない。位階が低い男爵家ならなおさらである。
貴族とは皇家への忠誠を宣誓している者達であり、家名に対して恩賞として賜った身分である。位階も過去の皇家への貢献に依って得られるものだ。
レルヒェンフェルト卿は苦渋の決断で、娘を後宮に入れたのだろう。これは立場的にはヴォルチ家も近い。
「隊長は、イケメンで部隊でも人気だったのよ」
急にソーラはアンセムの事を持ち上げ始めた。
自分のことを褒められているので、なんだか顔がにやけてくる。
「エリーゼ様は素敵なお兄様がいてほんとうに羨ましいわね」
タチアナが羨ましそうに言う。タルナフ家もレルヒェンフェルト家と同様に兄弟は女性ばかりだという。
ただし、タルナフ卿はまだ30代後半なので、男性であればまだまだこれからだろう。
タチアナは、端正で切れのある顔立ちに整ったスタイルを持つ、カリスマ的魅力溢れる典型的なラグナ族女性の容姿をしていた。
「ニコレのところは、お兄様が次期族長なのでしょう?」
「ええ、私は16人兄弟の末妹です。兄達はみんな優秀だけど、仲が悪くて…… 将来とても心配しています」
カウル族でも帝国の”啓蒙の法”が通じるが、族長制度など自治区の特例も多く認められている。
彼らは自治意欲の強い種族であるが、帝国政府に忠実で、バイコヌール戦役では帝国側に立って戦い、勝利に貢献している。
過去にも何度も帝国の為に戦っているため、その族長家は帝国貴族と同等の待遇となっている。
そしてラグナ族とカウル族は同じ人間種であるが、並ぶと異種族であることがはっきりとわかる。
ラグナ族の外見は、整った顔立ち、艶のある肌、美しくボリュームのある金髪、身長も比較的高めで、四肢がしなやかで美しくスタイルの良い者が多い。性格は豪華絢爛を好みで都市生活思考が強い。
カウル族は、外見的に地味で目立たない顔立ちをしており、体格はやや小柄、濃緑の髪をしている。先祖は遊牧民族といわれ、強力な軽騎兵を有している。弓や動物の扱いが得意で、忍耐強い性格をしており、質素倹約で農耕と牧畜を基軸とする農村生活を旨としている。
ラグナ族とカウル族は別属の異種族だが、混血可能である。ただし、その子は必ずカウル族の属性を受け継ぐので、通常は妃には選ばれない。
ニコレが来た理由は、帝国政府が後宮を作るもう1つの目的が要因であろう。
それは、有事に備えて、有力者達の娘を人質に取る事である。
「そういえばヴォルチ家はお父様が亡くなられたのよね」
「それはお気の毒ですわ……」
「あの隊長がヴォルチ家の当主かぁ、今頃、親戚に対して愚痴ばかり言っているだろうなぁ」
ソーラは、エリーゼに対して急に神妙な顔をして心配をしだした。
アンセムは「残念、それはハズレだ」と言いたかった。
今の不満は、ソーラの大きな胸を強調したドレスに、大きなアクセサリーが邪魔で合っていない事である。
そういう雑談をしている間に食後のデザートが運ばれている。
グラスに山盛りに盛られたアイスクリームの一種で、チョコレートが大量に乗っている、いわゆるチョコレートパフェという食べ物だ。
ソーラは昔も今も相変わらず、凄い量の甘いものを食べている。
「あっ、きたきたー」
「ここのデザートのパフェはとても美味しいのよー」
パフェという食べ物は、製作に氷を大量に使うため、極めて高価な品物である。貴族でもなかなか食べられない。
チョコレートは帝都でも有名だが、アンセムは「昼間からもの凄く甘い食事だな」と思った。
いくらラグナ族が伝統的に甘党で、ほとんどの者が、太らず、虫歯にならないという種族体質を持っていても、常時甘いものばかり食べているわけではない。
「ラグナ族は羨ましいです。私は太り易いから、そんなに食べられないです……」
ニコレのパフェだけは、他の3人より半分以下の分量であった。カウル族は甘党という話は聞いた事はないが、彼女は甘いモノが好きらしい。
いかに、ラグナ族に甘党が多いといわれても、極度にデコレートされた菓子類は女性向けというイメージがあり、男性はあまり食べないし、アンセムも食べたことはない。
しかし、チョコレートパフェを一口食べると初めて食べるその甘さと冷たさの味には目を見張った。
帝都では貴族の娘達が食べているのを見るだけで、男が食べるようなものではないと敬遠していたが、こうして正面から堂々と食べられると、なんともいえない幸福感がある。
あまりにも美味しそうにチョコレートパフェを食べるので、ソーラ達が驚いている。
「エリーゼ様は、甘いものがお好きなのね」
「まるで初めて食べたみたい」
ソーラとタチアナは口に手をあててクスクスと笑っている。
普通ならそういうところに気にするのだろうが、なにかに集中すると他のものは目に入らなくなるのは、男の性であろう。
彼は真剣な表情であっという間に、チョコレートパフェを食べ終えた。
「あー、美味しかった」
「その反応、ヴォルチ隊長もしていたのを見たことがあるわ」
ソーラはさらに笑っている。
アンセムは、ソーラが天然っぽい性格をしているように見えて、意外と他人をよく観察しているのだなと感心した。女の世界では普通の事なのかもしれないが……
「ところで、エリーゼ様、この後の予定は決まっていますか?」
一通り食事が終わった後、タチアナは尋ねてくる。
昨日来たばかりで、予定など決まっているわけがない。
「特にありませんが……」
「では、私達と一緒に”デリバリ”のクラブに参加しませんか?」
「そうそう。ヴォルチ隊長も”デリバリ”が好きだったのよ。エリーゼ様もやってみましょうよ」
「エリーゼ様ならお綺麗なので、きっと素敵だと思います」
タチアナはエリーゼを午後のクラブ活動に誘い、ソーラとニコレも賛同している。
どうやらこの状況では新入りのエリーゼに、彼女達の多数決に対して拒否権は無いようだった。