表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
79/184

塔1~未来視達の謀略戦④

 エルミナ王都サマルカンドは、シル川中流域にあるアイダール湖の南岸に位置する。アイダール湖は馬蹄状になっており、市内の大半は湖の南岸にあるが、馬蹄状の中央にある半島部分に王宮などが配置されている。湖は周囲の山脈から流入する豊富な水源に恵まれ、温帯にも関わらず、高原地帯にあり夏でも涼しくとても快適な地域だ。

 サマルカンドの王城に入城した帝国軍の幹部達は、さっそく王女エルマリアへの拝謁のため、王宮へと向かった。王都に入らず市の東側、西側に着陣した各師団長も揃っている。


「普通は我々を城外で出迎えるものであろうが、高慢なランス族は我々を格下に見ているのか」


 若い士官である第18師団長ハティル・コンテ・ドノーは不満を呟いた。


「エルマリア王女は16歳の子娘、しかも男を知らん。世間の礼節など知らんのだろう」


 同僚の第19師団長ヴィンソン・ヴィス・ヴェネディクトも同じように毒づく。


挿絵(By みてみん)


 玉座の間に入ると、中央の王座前に、輝く美しい金髪に白いドレスを着た威厳と風格のある娘が凛と立っていた。その左右には、白い制服に銀の長剣、衣装を凝らした丸盾を持つエルミナの誇る精鋭部隊”聖女連隊”の若い女性達が整列している。

 アスンシオン帝国軍の幹部達はその中央へ進み出る。


「テニアナロタ公、お久しぶりです。アスンシオンの援軍、大変感謝いたしますわ」


 玉座の前に立つ王女は、アスンシオンの幹部達に労うように告げる。


「これはエルマリア王女、以前お会いした時よりさらにお美しくなられたようですな」


 テニアナロタ公は皇帝に対する様な敬礼を行う。他の諸将もそれに倣うが、アスンシオン帝国の諸侯はエルミナ王国の臣下ではない。内心、彼らは大いに不服であった。

 もっとも、一部の男の中にはエルマリア王女の美貌に心を奪われている者もいたであろうが。


「この度は先王オストラゴス陛下の訃報、我が皇帝陛下も心を痛めておりました。ここに弔問の親書を携えております」


 テニアナロタ公の長子であり、第1師団長マチス・デューク・テニアナロタは、正式な礼に則って王女に対し皇帝の親書を渡そうとする。だが、エルマリアはそれを自らの手で受け取らず、合図をすると脇にいた騎士が代わりに受け取った。


「帝国皇帝にはよしなに。失礼ながらこの身は、殿方に触れられる事を許さない清らかな身なれば、大恩ある元大使の御子息なれど、ご容赦くださいませ」


 エルマリア王女は“聖女連隊”の連隊長でもある。

 エルミナが誇る“聖女連隊”は、ランス族の処女だけが持つ特殊能力“陽彩”の力を行使することができる娘達を集めた、大陸中に有名な特科兵種部隊である。

 彼女達の“陽彩”の力は、敵の攻撃の威力を大幅に減衰する効果があった。この能力者に対して飛来する法弾や矢弾が七色の虹のような光彩で包まれ、その衝撃力が大幅に軽減される。これは周囲の味方に対しても有効で、敵との射撃戦、法撃戦になった場合、“陽彩”を持つ“聖女連隊”が前衛にいると、攻撃が通じず一方的な戦いとなる。敵の射撃はダメージを軽減され、効果を与えられず、味方の攻撃は威力がそのままであるからだ。

 この“陽彩”は、テーベ族の“月影”とは違い、女性、しかも処女にしか現れない。それなので、聖女連隊の隊員には潔癖を求められ、結婚前に不義密通など認められず、婚約することは引退することである。さらに、男性側の遺伝子にも適応する血脈が必要なことから、婚姻相手に対しても制限があり、自由な恋愛も許されてはいなかった。


「戦いの事は、宰相の太守エフタルと、騎士長バンクレインに任せてあります。今後の軍議は彼と協議してくださいませ。それでは、私は神聖な儀式がありますゆえこれで失礼させていただきます」


 エルマリアはそう言うと、聖女連隊の面々を連れて退出して行った。軍議に関する事は一切話さない。

 確かにエルマリア王女は美少女であり、気品と風格は王女のそれで、そして本人も“陽彩”という強力な特殊能力を持ち、その強力な部隊を率いているのだろう。しかし、どうにも掴みどころない雰囲気に、アスンシオンの諸将達は不安を隠せなかった。


****************************************


 王女への謁見の後、王宮の一角にある大きな会議室で、帝国中路軍の幹部達とエルミナ側の幹部、宰相でありサマルカンド太守のブゼス・フォーラ・エフタル、騎士長プレイス・ナイツ・バンクレインなどが参加した軍議が行われた。


「この度はアスンシオンの援軍、亡き国王陛下に代わり大変感謝を申し上げます」


 テニアナロタ公と同年代であるエルミナ王国の宰相エフタルは、恭しく頭を下げた。


「エフタル殿、我が軍は貴国を救援せんと来援し、既に各地に着陣した。何も心配召される事はない」


 2人は旧知の間柄であった。30年前、テニアナロタ公がサマルカンドの駐在武官だったときも、15年前、外交官として赴任した時にも交流があった。


「それでは我が軍の現状についてご説明いたします」


 騎士長プレイス・ナイツ・バンクレインと名乗る若い騎士が、エルミナ王国の地図盤上に駒を置いて説明する。前任者の騎士長は熟練の猛者でテニアナロタ公とも旧知の仲であったが、先のケルキの戦いで戦死したという。


「我が軍の主力はサマルカンド南方に展開し、その数は歩兵8万。ただし王都で新しく徴兵した新兵ばかりで、アスンシオンの将軍方には申し訳ないがその実力は期待できません」


 バンクレインは、歩兵を模した槍型駒の後方に馬型駒を置くと説明を続ける。


「その後方に騎兵1万。こちらはケルキの戦いで生き残った者と各地の若手騎士を集めた兵力です。指揮官は私が努めております」

「8万の軽騎兵を持つというファルス相手にはいささか少なすぎる騎兵戦力だな」


 第5師団長ゴーヴィン・コンテ・タブアエランは静かに騎兵の不足を指摘した。

 この場に関係ないが、タブアエラン伯は皇后アンセムの父の悪友で、娘はアンセムの婚約者に成ったかもしれないナーディアである。さらに、アンセムの叔父や親戚筋もこの第5師団に所属していた。


「敵の騎兵はとても優秀です。ケルキでは彼らの機動力に為す術もなかった。認めざるを得ません」


 バンクレインは素直に自軍の弱さを認めた。本来、エルミナはアスンシオンをライバル視している間柄である。それが自国の窮状を悲観的に説明し、正式な救援を要請するのだから、その戦況の劣勢はまさに目を覆わんばかりだ。


「我が軍には各師団の騎兵に加え、カウル族の優秀な軽騎兵6万がいる。敵に遅れをとるようなことはないでしょう」


 スミルノフ参謀長は、味方の実力を誇示するように言う。アスンシオンの援軍なしでは、エルミナだけでは今後何も対応できないだろう、という厭味も込められているようだ。


「西の戦線では、我が方のマリ市に2万の兵が入り、ファルス軍5万の包囲攻撃を受けております。マリ市は城壁の高い城塞都市なれど、さらなる長期の持久となると厳しいかと」


 騎士長バンクレインは続いて分散した各戦力の説明を行った。


「北のダルバザ市からサリカミシュ湾を連絡した海路による補給はできないのか。ファルスの海軍はそれほど整備されていないと聞くが」


 第13師団長ランスロット・リッツ・ローザリアは疑問を呈する。


「それが…… ダルバザ市は港湾が整備されておらず、積み荷があまり運べないのです。船舶の数も足りませんし、少ないとはいえファルス海軍も脅威です」

「なんと……」


 アスンシオンはオビ海に面した国家であり、海上輸送も重視されている。だから海上から補給が出来ないというのは、港湾都市として致命的な欠陥に思えた。


 騎士長バンクレインは伏せたが、実はエルミナ海軍がファルス海軍に対抗できないのはもうひとつ理由があった。

 エルミナ領に接する海域はアラル海側と、カスピ海に繋がるサリカミシュ湾側に分かれている。アラル海とカスピ海はティムール海峡で繋がっているが、この海域はティルス王国の管理下にあり、カラクム半島を周回しなければならず、さらに南側はパルティア海峡で狭められている。

 つまり、エルミナ海軍は実質二カ所に配置が分断されてしまっているのである。

 ローランド戦役までは、エルミナ王国の仮想敵国はアスンシオン帝国であった。よって、アラル海側に主力海軍が置かれ、サリカミシュ湾側には補助艦艇しか配置されていない。その後、ローランド戦役が勃発し、ファルス王国と戦争になったが、戦闘艦艇は急に増強できない。結局、中立国のティルス王国はエルミナ海軍を通さず、アラル海の海軍を回航することができなかったのである。


「ブハラ市、ドゥシャンベ市、ヒヴァ市には1万の兵が駐留しております。ブハラ市では敵の前衛部隊1万と対峙中です」


 騎士長バンクレインは説明を終えたが、その場に参加しているアスンシオンの将兵には、重大な説明がひとつ抜けていると感じた。

 当然、それについて質問が出る。


「して、エルマリア王女の指揮する“聖女連隊”の実力はいつ拝めるのだ」


 第5師団長ゴーヴィン・コンテ・タブアエランは騎士長バンクレインに問い質す。

 エルミナが誇る最強の特科部隊“聖女連隊”、人数は4000ほどだが、“陽彩”の特殊能力は極めて強力だ。その話が出ない。


「それについては…… 王女は自らの力を決戦の時まで温存するとおっしゃっておりました」

「国の一大事に、貴国は最強の部隊を出し惜しみするというのか」

「臣下である私達にはなんとも…… しかし、王女に万一があってはなりませんので、我々としてはこれ以上強く出陣を要請する事はできません」


 言葉を濁す騎士長バンクレインに対して、アスンシオン側からは当然不満の声が上がる。


「ケルキの戦いで国王が戦死された時、なぜ“聖女連隊”は参戦されていなかったのですかな?」


 スミルノフ参謀長は当然の質問をする。


「亡き国王陛下は、王女を溺愛されておりまして…… 危険な戦場にはお連れにならなかったのです」

「理由は? 決戦で使わずして、最強の部隊というのはいささか奇妙と心得るが」

「ご存じの通り、“陽彩”は敵の攻撃を大幅に軽減できるのですが、まったく傷つかないわけではありません。能力上、活かすには前衛に立たなければならず……」


 つまり、先王は大切な娘が少しでも負傷する可能性を嫌って、決戦に連れて行かなかったのだという。


「国を守るための聖女連隊なのか、聖女連隊を守るための国なのか」


 第13師団長ローザリア卿は辛辣に話す。


「聖女連隊は我が国にとって大切な誇り、来るべき決戦に備えて温存するという我が国の考えもご理解ください」


 騎士長バンクレインは、申し訳なさそうに話した。彼とて、ケルキの戦いの敗戦は無念であったに違いないのだろう。


「ファルスとの決戦があれば、聖女連隊は出てくるということなのかな」


 テニアナロタ公は、エルミナ側の姿勢について問いただす。


「それは…… 王女とて亡き国王陛下の仇を討ちたいと思われているはずです。その機会を見過ごされるはずはないと思うのですが」

「ふむ…… まぁ、よい。では条約通り、今回の反攻作戦の立案も我々が任されてよいのですな?」


 テニアナロタ公はエフタル宰相に申し向ける。


「我が国の太守や騎士達からも十分な信頼と実績をお持ちのテニアナロタ公を総司令官にさしおいて他に適任者はいないでしょう。軍事に関しては帝国の立案にお任せ致します」


 エルミナ側は、作戦立案に関しては大幅に譲歩している。テニアナロタ公は早速、スミルノフ参謀長に指示して、具体案を示させた。


「作戦の第一段階として、サマルカンド南方に進出している敵の点在拠点に対して、航空騎と軽騎兵による偵察を密にして弱点と孤立を突いて各個に撃破。王都周辺からカルシ地域周辺までに確たる基盤を築きます」


 スミルノフ参謀長は、騎士長バンクレインがエルミナ軍の配置を説明した地図盤上に指揮棒で示した。


「参謀長、少々回りくどいのではないですか。エルミナ軍も加えれば我々は敵の5倍に近い戦力。敵は我らが覇道の意志と強大な大軍に震えあがっているでしょう。一気に南進して敵の本陣であるテルメスを突いたほうが早いのでは?」


 血気盛んな若手の第18師団長ハティル・コンテ・ドノーはテルメス市を指していう。


「我らは大軍であれば、周辺街道を複数抑えないと補給が追いつかない。東路軍はまだハイランド軍と合流できていないし、西路軍はまだヒヴァ市で、我々と連携の可能なブハラ市まで来ていない。我々だけが突出して危険を冒す必要などないでしょう」


 スミルノフ参謀長は淡々と説明した。


「しかし、戦には勢いというものがあります。ファルスはエルミナとの戦闘で疲れているでしょう。大軍でもって一気呵成に敵を蹂躙し、敵の士気を崩壊せしめ、早期決着を図ることも……」

「ハティル、少し黙れ」


 いつもは温厚な人格者で知られるテニアナロタ公は、若い師団長に静かに告げる。顔を赤くして熱く語っていたドノー伯は、一気に顔面蒼白となり、自席に小さくなって座り込む。

 スミルノフ参謀長は頭の固い人物として、各々師団長からの評判は良くなかった。だが、最初の大軍動員の立案といい、現地での慎重な作戦といい、現段階では他の師団長達から特に指摘するような所はない。


「第二段階として、東路軍、西路軍と連絡しつつテルメスまで駒を進め、さらに散開しているエルミナ軍をも集結させます。そして、エルマリア王女の聖女連隊にも御出馬いただき、敵軍に決戦を挑んで敵を一気に崩壊に追い込みます」


 スミルノフ参謀長はその後の展望についても説明する。


「敵がテルメス市で待たず、東路軍、または西路軍に全力で転進して各個撃破に出ようとしたらどうするのだ?」


 第10師団長タイラー・リッツ・エッツゲンは両翼を指さして質問した。


「東路軍はハイランド軍と合同すれば、テルメスにいる敵本隊の倍以上の兵力になる。我が軍も優秀ですが、さらに歴戦で経験豊富なハイランド軍と名将で知られるグンドール国王が付いています。西路軍はエルミナ軍と合同して15万程度なれど、北方総督タルナフ伯が率いており、さらに海軍の河川艦隊の支援がある。そして、同盟種族のヴァン族とテーベ族の歩兵隊は、剛健と勇壮さは周知の通り。エッツゲン師団長殿は各個撃破と簡単にいわれますが、不可能と存じます」

「ふむ、現在の敵の戦力では、我が方の何処の軍に向かって来ても早期撃破は不可能ということか。いや、得心した。参謀長の戦力評価に異論はない」


 エッツゲン卿は慎重過ぎる案だとは思ったが、彼もこれ以上指摘するようなところはなかった。


「敵の本隊が東か西に転進すれば、グンドール国王かタルナフ伯が手柄を得る事になるでしょうね。そうなって我々の手柄が無くならない事を祈りたいところですなぁ」


 第8師団長サンド・デューク・オムスクは楽観的な見通しを語った。中路軍は直接総司令官のテニアナロタ公が参加しているが、他の三路と同様に中路軍司令官としてフレッド・デューク・オムスクが任命されており、サンドはその息子である。


 この軍議においてアスンシオン・エルミナ連合軍の戦略方針は決定された。

 要約すれば、連携しながら少しずつ前進するという案である。ドノー伯などの若手の将軍達には慎重すぎる案だと考えていたが、戦争であれば、確実で損害の少ない方法で勝利が得られるならそれに越した事はない。その程度のことは血気盛んな若手士官でも理解できる。その場にいた将軍達は皆、楽観的な見通しを持っていた。


****************************************


 サマルカンドの王宮の南西側にある美しい庭園に、エルマリア王女と、彼女の侍女を兼ねた聖女連隊の隊員、そして騎士長バンクレインがいた。


「アスンシオンとの会議はどうでしたか」

「はい、アスンシオン軍は、各軍が徐々に南下し、ファルスの拠点を順次潰していく作戦です」


 騎士長バンクレインは簡潔に答える。


「戦争の話なんかどうでもいいです。リュドミルの話はでましたか」


 エルマリア王女が言うリュドミルとは、アスンシオン皇帝のことである。2人は従兄妹同士であり、外交礼節上で何回か会っていた。


「いえ…… 一度も出ませんでした。しかし、アスンシオンの諸将からは、言葉の端々に我々に対してアスンシオンと合同しなければ未来はない、という含みは感じました」


 アスンシオンの将軍達は言葉に出さなかったが、騎士長バンクレインにも、大軍で来援したアスンシオンの意図は、皇帝と王女の婚姻、そしてエルミナの併合を狙っていると感じ取れる。さらにいえば、宰相のエフタルでさえ、エルマリア王女とリュドミル皇帝の婚姻を進言していた。


「騎士バンクレイン、私の意図は知っていますね」

「はい。しかし、臣下である私に、それについて言葉を挟むことはできません」

「私はね。あんな女を見下した男は大嫌い。生理的に絶対受け付けませんの。あんな男と結婚なんて、死んでもするものですか」

「もちろん、それは王女の御意志が優先されるべきです」

「当然です。父上やエフタル宰相の思い通りになんてなりませんわ」


 実は、ケルキの戦いに出陣する前、先のエルミナ国王オストラゴス三世はエフタル宰相に対し、万一の際はエルマリアをアスンシオンに嫁がせて援軍を請うように遺していた。だから、ケルキの戦いに王女を出さなかったのである。


「アスンシオン側から、王女の“聖女連隊”にサマルカンド周辺の敵拠点排除の際に協力するよう要請が来ておりますが」


 バンクレインは、軍議で出たアスンシオン側からの要求を伝えた。


「騎士バンクレイン。あなたは、私達が傷ついても良いというのですか」

「王女様や聖女連隊は、我々騎士団が身命に替えてお守りいたします」

「”陽彩”の力は前に出なければ意味がない。結局、私達に前線に出ろということでしょう」

「そのような事は…… 王女や聖女連隊の参戦となれば、後方におられるだけでも我が方の士気は揚がります」

「戦争は男が勝手に始めたもの、女である私達には関係ありません。なぜ女の私達が町を離れて不快な戦場を見せられなくてはいけないのですか」


 王女は、庭の西側に進み出ると、美しいアイダール湖が見える位置に移動した。高台にある王城からは、湖の西岸が一望できる。そこには微かに、駐留するカウル族の幕舎が建てられているのが見えた。


「騎士バンクレイン、我々の目標はファルスを倒す事ではありません」

「どういうことでしょうか」

「私はね。あの家畜臭い異種族は生理的に受け付けませんの。我々の目標は優越種族であるラグナ族によって、あの臭い家畜どもを駆逐することです」

「しかし、彼らはお味方なれば……」

「味方という言葉は、人間に対して使うものです。家畜に対して感情など不要」

「……」


 ラグナ族第一主義者達は、H属の人類の男性に対して特に“家畜臭い”という差称を使う。これが根拠のない思い込みや、捏造された科学なら良いのだが、じつは実際にH属の男性には、H属の女性やR属の男女にはない独特の強い臭いを持っている。

 これは男性ホルモンの制御を受けている男性に生理的に発生する臭いで、H属ではオヤジ臭や男臭さなどとも言われる。同じH属の女性でも一部はとても嫌がる程、比較的強い臭いだ。

 この男性ホルモンによる臭いを家畜のオスの場合では雄臭という。その臭いの発生の原理はH属の人間と同じである。そして、家畜の場合、牛や豚の肉は雄臭が酷いと臭くてとても食べられない。だから食用の家畜のオスは必ず去勢する。雄臭とはそこまでに影響がある不快臭なのである。

 ところが、R属の男性はこの男性臭がしない。種族分類学者は、R属の男性には特殊な酵素が働いていて、その臭いの成分を発生させずに分解、抑制しているという。だから、R属は、余計にH属の男性の臭いを嫌う。特に臭いに敏感な女性達には顕著だ。

 先述の通り、男性臭が発生する根本原理は家畜のオスの雄臭と同じである。だから、ラグナ族第一主義者達は、H属の男性を家畜の臭いと侮蔑する。発生の仕組みに科学的根拠があるだけに、彼らはそれで自分達が正しいと信じて疑わない。


 エルマリア王女の主張は極めて自己都合的である。だが、彼女の言う「望まない結婚はしたくない」「女は戦争を望んでいない」「不快なものは見たくない」「臭い男は嫌い」と簡単に表現して分けると、個々には同意する者も多いはずである。

 だからこそ厄介であり、騎士長バンクレインは、それ以上なにも言う事はできなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ