塔1~未来視達の謀略戦③
ウィンズ・デューク・カザン率いる東路軍6個師団は、シル川上流のコーカンド市に到着した。
こちらもヒヴァ市と同様に、コーカンドの太守は、娘エウレカを妃として帝国の後宮に入宮させている。
東路軍はここで同盟軍であるハイランド軍と合流する予定であった。東路軍は13万程度の兵力であるが、ハイランド軍4個師団が到着すれば、それだけで全ファルス軍に匹敵する大軍になるはずである。
だが、コーカンド市に到着し、合流を待つカザン公に対してハイランドの外交官から伝えられたのは、ハイランド軍の合流が遅延するという連絡であった。
ハイランド王国の王都はシル川上流のフェルガナ市である。しかし、彼らにとっての伝統的な土地は、それよりやや南方の分水嶺をひとつ越えたアム川上流にあるハイラル市にあった。
ハイラル市は、世界の屋根と呼ばれる世界一の高原地帯であり、彼らにとっての故郷として神聖視されている土地である。ハイランド王国、ハイランダー族の名前の由来にもなっている。その高原の北側にカラクル湖という太古の昔に落下した隕石によって出来た湖があり、その周辺を神聖な土地として山の神を祭るための大神殿が築かれていた。
フェルガナ市周辺の方が広い盆地があり、交易の中心で多くの人口があることから、王都の機能は移ったが、それでもハイランド国民にとってハイラル市の伝統的重要性は失われていない。
このハイラル市で、国王の政策に反対する市民達の暴動が発生したのである。
ハイラル暴動は、当初、今回のエルミナ出征に反対し市民生活の向上を訴える市民団体の穏健なデモ運動であった。
グンドール国王が主導する度重なる対外出兵は、国民生活を疲弊させていた。さらに他国への援軍ばかりでハイランドに利することがまったくない。そのため、戦死した兵士の遺族、負傷した兵士への恩給も少なく、それだけではとても日々の生活を維持できない程度であったのである。
とはいえこのデモ行進を行った市民団体の背後には、異種族平等主義を掲げるベース主義者が主導するハイランド解放戦線がいたので、デモの目的が最初から穏健を企図していたとはいえない。
国王グンドールは王都フェルガナ市にいて、各師団の集結を待っていた。この合流のため、ハイラル市からフェルガナ市に向かって出発するハイラル師団を、市民のデモ隊が阻止しようとして、街道上に座り込みを始めたのである。
ハイランドは山脈と高原の国で、市と市は極めて細い道だけで繋がっている。もちろんこのことが地勢上に極めて有利な防御力になっているのだが、道は市民団体程度の座り込みでも簡単に軍隊の行く手を阻めてしまう。
ハイラル師団のガルシン将軍は国王に忠義で、勇敢なことで知られる将軍である。ローランド戦役でも活躍した猛将だ。前の戦役では、無気力なアスンシオンの援軍部隊に対して啖呵を切ったことも新聞報道で知られていた。
彼は国王との合流を急ぐため、街道を塞ぐデモ隊を強制的に排除しようとした。しかしデモ隊側も投石で反撃を行ったため、そのままなし崩し的に流血事件になってしまったのである。
この流血事件は、ただちに軍隊による市民への弾圧として大きく報道される。そして彼らにとって神聖な土地であるハイラル市で、軍隊に拠る流血事件が発生した事を発端に、日頃から不満を持つハイラル市民の一部は暴徒と化し、ハイラル市の防衛部隊である州兵の一部も参加して、市内の要所や商店、銀行、そしてカラクル湖周辺にある山の神殿などが襲撃された。
ハイランド国民は皆、山の民であり、ほとんどの国民はトリム教から派生する山の神への信仰を大切にしている。
もちろん、山の神にいくらお布施を与え、祭事に奉仕し、神に強く願ったとしても、ハイランドで自然災害が起きず、事故を回避し、病気に罹らず、男女の恋愛が成就するなどという科学的根拠などない。
ベース主義者のハイランド解放戦線はこのような宗教的な信仰を大変嫌っている。今回、ハイラル市民の信仰の対象であるはずの、カラクル湖の山の大神殿が暴徒達の標的とされた事、その扇動者にベース主義者の運動員がいたことが発覚すると、この事態を収拾しようとしたガルシン将軍は、今回の首謀者がハイランド解放戦線によるものと確信し、ハイラル市で徹底的なデモの弾圧、ベース主義者の燻り出しを行った。
この軍事力による実力行使の結果、見た目上はハイラル市の暴動は治まったが、このニュースは他の地域へと飛び火し、国全体の鬱積した不満に拍車が掛かったのである。
結局、国王の側近達、ハイランドの大将軍ミルディンや他の将軍達、さらには内務大臣のブリアンら文官達も、国王に対して外征を諫め、頑なに国内に留まるよう説得、国王グンドールは、仕方なくアスンシオンの外交官に対し、事態の収拾のため出征を延期すると通告したのだった。
各地で大小の暴動が発生している状況で、国王が育てた忠義な軍隊を国外に出す事は危険すぎる。国際的な名誉や盟約を己の第一の信条に考えるグンドール国王も、重臣らに揃って反対されては、さすがに折れるしかなかった。
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「ハイラル市への初撃で、ガルシンは見事に踊ってくれましたよ。奴は話し合いより先に手が出る短気者ですからな」
フェルガナ市の集合住宅の一室にある彼らの隠れ家では、ベース主義者の幹部達が集まっていた。
ハイラル市の結果の首尾について報告したのはプレスデン・アティラウ。彼は、数ヶ月前アスンシオン帝都で反乱を主導し、後宮の包囲攻撃に携わった幹部の一人である。
「我がハイランドに戦争は必要ないのだ。国王の無意な外征の所為で市民生活は困窮している。それに、山の神殿の神官ども。祭事を題目に国王の権威主義に迎合し、我々から搾取することしか知らない」
ハイランド解放戦線のリーダー、ノヴェルはそう話す。ハイランドの君主制、宗教制度に反対するハイランド解放戦線は、アスンシオンで敗北した種族解放戦線を受け入れ、共同戦線を張る事になったのである。
「では、次の計画はどうなっていますか?」
種族解放戦線のリーダー、ラブロフはその場にいる同志達に静かに語りかける。ラブロフの外見はもの静かな中年の女性であるが、ハイランドの東にある隣国、タリム共和国のカシュガル大学を首席で卒業した才女であり、学生の頃から種族解放の意欲に燃える典型的な理想主義者であった。
ラブロフは、アスンシオンだけでなく、ハイランドのベース主義者達の中からも名声を集めている。アスンシオンもハイランドもタリム共和国の隣国である。
「次の一撃はカラコラム回廊です。カラコラム師団の連隊長の1人は既に我々の志に同調し、回廊を遮断する手筈になっています」
ラブロフの側近であり、軍事関係を担うエルネストが説明する。既にハイランドの各師団には、彼らを支持する運動員を潜入させていた。
ハイランドでは、度重なる他国への援軍で、兵士達は命を掛けて戦っているにも関わらず、得られるのは国王に対する外国の名声だけ。兵士達は報酬がまったくないことから不満が高まり、同調者は日を追うごとに増えていったのである。
「東方のコチコル市長はすでにグンドール国王のやり方に反対を表明しています。我々がフェルガナで正義の革命を行っても同調するでしょう」
ノヴェルは周辺地域の見通しを話す。
「各師団を地方に釘付けにした後、王都フェルガナで蜂起、主要施設を占拠する。準備は整えております」
そう言ったのは女性の子宮に寄生する怪物、スキュラ族のチャルクリクである。もっとも今の発言は寄生しているメイド娘の身体を使い、本体はハイランドの民族衣装であるディアンドルのスカートで巧みに隠していた。
「では、それでいきましょう。ハイランドに我らの手に拠って解放と平等の社会を」
ラブロフは真剣な眼差しでいう。
「では、具体的な制圧目標と国内の排除対象のリストを示します」
プレスデンは、各幹部に攻撃目標を伝えていく。集合住宅の密室では、彼らの謀議が続いていた。
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アスンシオン帝国の中路軍は司令官オムスク公だけでなく、総司令官テニアナロタ公、総参謀長スミルノフが加わり、アスンシオンの9個師団、精強で知られるカウル族の軽騎兵隊、さらに異種族達で構成された各旅団、各地の傭兵団等が加わった総勢37万の大軍である。
彼らはシル川の両岸の街道と河川用船舶を使用して移動し、エルミナ王都サマルカンドを目指していた。
だがアイダール湖北岸にあるタシケント市で、この都市の太守ヒンデン・フォーラ・タシケントによって思わぬ足止めを受ける。
「申し上げている通り、美しきアイダール湖は我がエルミナの誇り。穢れなき神聖不可侵な聖域である。古よりの慣わしにより劣等種族はこの聖域に立ち入ることは許されない」
太守のタシケントは、中路軍のうち、約10万を構成するカウル族の軽騎兵隊、ムラト族旅団、その他種族の傭兵隊の領内への侵入を拒んだのである。
「ふざけるな! 我が軍は貴国の援軍要請に応じて来援したのだぞ」
中路軍司令官のオムスク公は激怒して、タシケントに詰め寄る。
「我々には我々の“啓蒙の法”がある。貴殿らも貴殿の国では貴殿らの“啓蒙の法”に従うのであろう。ここはエルミナでアスンシオンではない」
「そんな手前勝手な法に従えるか!」
それでもタシケントは譲ろうとしない。そして涼しい顔で妥協案を示した。
「では、ラグナ族ではないが、同じR属のアヴジェ族とノスフェラトゥ族だけは立ち入りを許可しましょう。我々にもある程度の懐の広さはありますゆえ」
オムスク公はもともと短気な人物であったが、この程度の妥協で、譲ってやったなどという不敵顔をする太守に対して、怒りで顔面を紅潮させていた。
それだけではない、他の細々とした制限が設けられ、他の幹部達もエルミナ側の横柄な態度に怒りを奮わせている。
このままでは混乱に拍車がかかるというところで、テニアナロタ公は微笑みながら制する。
「仕方がありませんな。では、ラグナ族だけで構成された第1、第10、第18師団だけでサマルカンドに入城することにしましょう。第5、第13、第19師団、カウル族部隊の半分は湖の東岸を迂回して東側に布陣。第8、第15、第22師団と残りのカウル族部隊は西側を迂回して西側に布陣します」
テニアナロタ公の大幅な譲歩を聞いて、タシケントの太守は満面の笑みを浮かべ、さすがは良識あるテニアナロタ公と賛美したが、残ったオムスク公や他の師団長達、特に第5師団長のタブアエラン伯、第18師団長のドノー伯などは、床に唾を吐いて毒づいている。さらに同行していた同盟種族達の怒りは相当なものであった。
「総司令官殿、我々はエルミナの窮地を救うべく来援したのです。ランス族に我々の行動を制約するいわれはないと思いますがねぇ」
いつもは静かな老年の男、カウル族の族長ノヤンは言う。普段は怒りを見せる事のない男であったが、さすがに自分達が人間扱いされないエルミナの“啓蒙の法”に対しては、言葉の節々に怒りを滲ませている。
「ノヤン殿、貴殿の気持ちはこのテニアナロタが承った。しかし、この場は治めてくだされ。私は外交官としてサマルカンドに赴任したことがあるが、市内に貴殿らの部隊が入れば、市民達によっても同様の待遇を受ける。太守や騎士はまだあの程度で済む。しかし、市民の言動はもっと酷いものになるでしょう」
「我々を人間扱いしない者達を助けるために、命を賭けて戦わなければならないとは、まったく難儀なことですな」
ノヤンは呆れた顔で答える。
「申し訳ない。しかし、戦う前の余計な軋轢は避けねばならない。今は我慢してくだされ。それに…… あの古くて入り組んだサマルカンド市にこの大軍を駐留させる土地などありませんよ。結局、半数は外に駐留しなければならない。ご理解くだされ」
「息苦しい市内より開けた平野の方が我々の生活には馴染みます。総司令官殿のご配慮、感謝いたします」
ノヤンは微笑みながら引き下がった。
ただし、カウル族の族長は簡単に引き下がったように見えるが、実は彼らには裏取引があった。表向きは誰も口にしないが、アスンシオンは最終的にエルミナの併合を狙っている。そうなればエルミナ王国の“啓蒙の法”は廃止され、アスンシオン帝国の“啓蒙の法”が唯一の法となる。喩えエルミナが自治領となったとしても、自治法では異種族を不平等に扱うような法は作れない。
今まで異種族を人間扱いしてこなかったランス族が、エルミナ併合の際は強制的に帝国の法に従わされる事になる。カウル族達にとって、それは愉快な事で、彼らは屈辱をその時に払拭できる。
さらに帝国政府は、帝国内で最も重要な同盟異種族であるカウル族に、戦勝の際の報酬としてマーワラーアンナフル地区における自治領拡大も約束していた。
ノヤンは、それほど帝国の中枢幹部と関係が深かった。異種族でありながら、娘のニコレを後宮に入れていることでもわかる。
このような裏取引があるため、ノヤンは当初帝国から要請された数字よりも大きい6万という兵力を率いて自ら参戦しているのである。




