塔1~未来視達の謀略戦①
「アスンシオン軍、一斉に国境を越えエルミナ領内を南進中」
「敵海軍の支援を受けた約15万。アラル海よりヒヴァ市に上陸しました」
「敵主力約40万がシル川を遡上、サマルカンド市を目指し前進開始」
「別動隊約15万が陸路よりコーカンド市に進出、ハイランド軍と合流を企図し待機せり」
「敵、アスンシオン帝国軍、総数約70万!」
国王アルプ・アル・スランが直卒するファルス軍の主力約10万は、アム川中流域に位置するテルメス市に本拠地を置いて、その報告を聞いていた。
「おやおや、100万という数字は概ねハッタリではなかったようですね」
「数が多くて、いささか面倒だな」
ファルス宰相のアル・マリクは、次々と入る情報を順次報告させると、国王は飽きたように返事をした。
イラン高原に位置する強国ファルスは、テルメス市から下流のケルキにおける戦いで、エルミナ国王を討ち取る大戦果を挙げていた。これにより、エルミナ勢力は周辺地域から駆逐されている。
このケルキの戦いの後、包囲されていたテルメス市は開城、降伏した。
「さて我が軍の未曽有の危機に、ファルスの大将軍たるアル・タ・バズス殿はどう対応されるかな?」
若い国王は、傍らにいた大将軍アル・タ・バズスに意地悪そうに尋ねる。大将軍は見るからに、若く勇壮な意志と屈強な体躯を持つ戦士である。
「それは陛下のお考え次第。陛下が戦えと下命すれば、我らは陛下より先に進み出て、進路の障害を排除しましょう。陛下が逃げろとおっしゃれば、やはり陛下より先に撤退して、陛下の帰路を掃き清めておきます」
大将軍アル・タ・バズスはいつもの軽い口調で返す。国王アルプ・アル・スランと彼は幼い頃からの間柄で、意志の疎通は語らずともできている。よって、いつも彼らの会話はこのように軽口ばかりであった。
しかし、それでは会議に参加している他の将軍達には意味が通じない。そのため、いつもの通り、隣にいた将軍エラン・ジャーティマが代弁する。
「我々はアスンシオンとの戦争など望んではおりません。憎きエルミナのラグナ族第一主義者どもに、我らの鉄槌を見せつけたので、既に戦果は十分と考えます」
「ほほう、我が軍で常に先鋒を努めている猛将エラン・ジャーティマ殿は100万の敵に怖気づいて、はやく国に逃げ帰りたいというのだな」
「はは、私の息子と娘が6歳と4歳になって周囲をちょろちょろと動き回るようになり、妻が子育てを手伝え、家事を分担しろ、と小言がうるさいのです。100万の敵など恐れませんが、妻の雷は恐ろしい。そろそろ単身赴任も終わりにしてもらいところですが」
国王は、自軍で最も勇敢な騎兵隊長に対して挑発的にいうと、将軍エラン・ジャーティマもまた冗談で返した。
「確か、将軍の奥方は、もう1人お子が欲しいので将軍に帰ってこいとおっしゃっているのではなかったですかな?」
「おや、バールバド殿。わが家庭の夜の内情を晒されては困りますなぁ」
宮廷楽師のバールバドは言うと、エラン・ジャーティマは戦場では見せない朗らかな表情で言った。
周囲には大きな笑い声が響く、ファルスの会議はいつもこのような和やかな雰囲気であった。
「まったく、我がファルスの将軍達は、旅行に飽きたのでそろそろ帰り支度をする事しか考えておらん」
国王アルプ・アル・スランは余裕の笑みを浮かべている。
「私の方は、テケ湾にある皇帝専用のリゾート地なるものを一度見てみたいとは思っておりましたが」
宮廷楽師のバールバドは言う。彼は、国王に仕える前は旅する吟遊詩人であり、外見的にはいかにもという雰囲気のトルバドール族である。まだ独身であるが、旅する先々に何人もの愛人がいるらしい。
「民から絞りあげた税で作った豪邸や娯楽などに興味ないよ。さて宰相のアル・マリク殿。準備はどうなっている」
「はい陛下。既にエルミナとアスンシオンには、マリとテルメスを結ぶ線を境界とすることでの和平を提案、使者として説客マールバラの派遣を予定しております」
「見通しは?」
「アスンシオンは条件次第で応じるかもしれませんが、エルミナは応じないでしょう。アスンシオンの大規模な援軍があるうちに領土の奪還を目指して南進してくるはずです」
「大軍相手はいささか面倒だ。将軍達も観光に飽きているようだし、交渉に旨い餌を混ぜて、彼らにお帰りいただく事はできないかな」
「マールバラには、アスンシオンに対して妥協できる線としてローランド戦役前の国境に戻し、かつエルミナから我々の安全を守るための保障が得られれば、占領地の放棄に譲歩しても良いと伝えてございます」
「以前の国境に戻すということか。私が見ても相手に対して、美味すぎるエサに過ぎるようにみえるが、それで妥協するかな」
「難しいでしょうな。アスンシオンがどのように出るかが交渉の分岐点です。アスンシオンが平和を望むなら、我々の提案に対しエルミナに圧力を掛けてでも従わせるでしょう。しかし、我々を敵として戦うなら、エルミナを煽り立てて進軍してくるはずです」
「エルミナのランス族どもは、我々を雑種と見下しているからなぁ」
宰相アル・マリクは、交渉成立は難しいと説明する。大将軍アル・タ・バズスは、ラグナ族第一主義者であるエルミナのランス族に対して不快感を表した。
「アスンシオンの奴ら次第か。彼らが仲裁者として振る舞うのか、我々の敵として振る舞うのか。どちらに転ぶか、というところだな」
「はい。しかし、我々にとってエルミナ全土がアスンシオン領になるのは今後の災い。もともとアスンシオンでもラグナ族第一主義はある程度の勢力を持っていたのですが、先のベース主義者の反乱失敗と、エルミナ併合でランス族を多く取り込めば、帝国のラグナ族第一主義の勢力は益々強くなるでしょう。ですので、両国間の緩衝地帯を失うような事は、我が方の安全保障上、譲れません」
アル・マリクもファルス皇帝が信頼する宰相である。その分析力は的確で、ファルス王国の外交と内政を支えていた。
「宰相殿の外交方針は分かった。どちらの結果になっても対応できるよう手を進めよう」
国王アルプ・アル・スランは立ち上がると、並び立つ将軍達に素早く指示を飛ばす。
「アル・タ・バズス将軍、ランス族どもは大軍の援兵を得て勢いづくかもしれん。余計な消耗を避けるために、サマルカンドとブハラに進めている前衛部隊をアム川北岸付近まで順次後退」
「西の戦線はどうしますか?」
「マリ市を包囲している西のハサン・トゥトシュ将軍は敵の南下に注意しつつ、包囲を継続せよ」
命令が下ると、大将軍アル・タ・バズスとその部下達は一礼して、幕舎から出て云った。その場に残ったのは側近や楽師などである。
「戦争になれば双方が傷つきます。戦いに成らず、以前の国境線に戻り分かり合えればよいのですが」
皇帝の傍にいた、ファルス軍の精鋭航空騎兵部隊“シュトゥーカ”の隊長アイーシャは言う。彼女はトルバドール=ヴァルキリー族である。見た目の違いはほとんどない。
「天空を掛ける乙女の願いを女神エルタニンが聞き入れないわけがありません。この和平はまとまりそうですかな。私は、麗しい水の都サマルカンドと、美姫と誉れ高いエルマリア王女を讃える良い歌を準備しておりましたのに」
宮廷楽師のバールバトはいつもこのような軽い調子である。しかし、戦処女であるアイーシャは、バールバトの詩句を無視して相手にしない。
「いや、おそらく和平は成立しないよ」
「どうしてでしょうか?」
アイーシャは尋ねる。戦闘で大敗し、甚大な損害を受けたエルミナ側からすれば、ローランド戦役以前の国境線に戻すという提案は、かなり好条件に思える。
「エルミナはアスンシオンの援軍があれば我々を倒せると思っている。我々には良い条件の提案に見えても、ランス族にはこの提案が窮地に陥った我々が助けを求めてやむを得ず出した条件に見えるのさ、誇大妄想の愚か者にはいつも自分に都合の良い未来視しかできないものだよ」
「アスンシオンはエルミナの味方ってワケじゃないのにネ。アスンシオンはどうするのかな?」
アイーシャの隣にいた小柄な女性、リクミクが言う。リクミクは頭の上に猫のような耳がついており、短いスカートからは二つの尻尾が覗かせている。いわゆる、トルバドール=ツインテール族で、種族分類学的にはB属である。彼女達はツインテールかサイドテールの髪型が大好きという変わった特徴があり、リクミクもサイドテールにしていた。
「アスンシオンも、かなり増長しているかな。『100万の大軍』なんて大袈裟なスローガンで援軍に来るなど魂胆が見え透いているよ。裏でエルミナ併合を企む高慢なアスンシオンの特権階級様達は、エルミナの事情なんて知った事ではないからね」
アルプ・アル・スランの指摘は極めて辛辣である。
もっとも、彼にもアスンシオンの大軍を相手に勝利する自信があるわけではない。彼らファルスは、エルミナ併合を企んでいるわけではないのである。だから別に、自国の安全保障が得られる程度を確保できれば、戦わなくても良いのだ。被害が大きくならない程度で、ヘラート川を越えて自国に帰ればいい。
今回の軍議はその確認のために行われたのである。会議ではお互い軽口を叩いていただけようにみえるが、その内情はファルスの将軍達の意志を確認するためである。
アスンシオン軍が失策無く適切に進軍し、その戦力差を活かして挑んでくるならば、いかにファルス軍が強兵であろうと勝ち目はない。だから、彼らと戦わないという選択肢を取り、国に逃げ戻っても国王の方針を支持する、将軍達はエルミナ占領に固執しない、という確認作業であった。
ただし、ファルスがエルミナの領有を希望しないのは、彼らの善意からではない。
ケルキの会戦の後、降伏したテルミナ市は、ファルス軍によって徹底的な略奪の嵐が吹き荒れていた。
市の宝物は奪われ、男は堀に埋めて処刑され、売り物になりそうな女と子供は手首と腰をお互いに縄で繋がされ、商品として馬車に積み込まれている。
一般にファルス王国には奴隷はいない。民はすべて自由民で、男女同権、差別なき平等な国家とされている。ところが、これには巧妙な嘘が隠されている。
ファルス王国は西にある隣国ベリアル族のデモニア帝国と独立時の歴史的背景から極めて友好的な関係であった。
ベリアル族はG属の人間種で、一般的に巨人属といわれる。G属はその性決定の特殊な仕組みから、男性優位主義が極めて強い。
G属は、種族分類学では両性具有である。ただし、同時に両性を保持しているわけではなく、種族によって違うが、なんらかの形式で強くて優秀な者が男性化し、たくさんの女性を従えて多くの子供を作る。それゆえ、必然的に男性優位の社会となり、女性はあらゆる権利が無く男に従属するだけである。
もっともベリアル族の全ての女性には男性になるチャンスがあるので、それが男性優位主義の、性による差別社会と批判されていいかどうかは不明である。
ただ、ヴァルキリー族が世界を支配した時代。その極めて男性優位主義的な考え方は、戦処女達によって厳しく弾圧された。しかし、ベリアル族には、男性に成らずに女性の姿のままで保留する能力がある。彼らは長い間、自分達の反乱の牙を子孫に残して隠し続け、反撃の機会を伺っていたのだ。
戦処女達に反乱を起こしたのは、このベリアル族が最初である。
このベリアル族は、独立後、完全なピラミッド構造の身分社会を作った。強くて能力のある者が男性になるベリアル族の性決定システムでは、男性が頂点に立つ身分社会が当たり前なのである。一番上がベリアル族の男、そして一番下が奴隷である。
確かにファルス王国には、制度上奴隷はいない。その理由は、隣国の同盟国であるデモニア帝国に獲得した奴隷を商品として売っているからだ。
彼らは、ファルス王国を自由と平等の国と謳歌し、実際に国内では数多の異種族が平等の権利で自由に生活している。しかし、それは社会に闇がないことを示すものではない。




