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女帝4~夢の中の女子会④

 第16妃レニー・コンテ・マトロソヴァは、メトネと約束していた待ち合わせの場所に来ていた。いや、場所という表現が正しいかどうかは分からない。

 レニーは、自分で自分が夢の中にいることを自覚している。事前にメトネに聞いた話では、これは“明晰夢”という現象らしい。


 レニーが来たのは古い木造の建物、机が並んでいるのでおそらく学校だろう。だがレニーが通っていた法兵士官学校や貴族幼稚舎のような豪華な造りではなく、極めて簡素なものだ。


挿絵(By みてみん)

「あ、レニー来た。こっちよ」


 メトネに声を掛けられ、彼女は黙って声の方に赴く。そして、誘われた教室の中に入ると、既に3人の娘が座って待っていた。彼女達はレニーを笑顔で出迎える。


「お姉ちゃんが連れて来た娘、私と同い年ぐらい?」

「フローラ、まだ自己紹介していないでしょ」


 彼女達は、勉強机を5つ集合させて大きな机にしている。椅子も木製の硬くて座りにくそうな手作り感あふれるものだ。それでも、机の上には白いシーツが敷かれ、ティーカップが置かれていた。


「じゃあ、皆に紹介するね。こっちは、新しく私達の仲間になる予定のレニー・コンテ・マトロソヴァ。レニーって呼んであげてね」

「レニーです。よろしくお願いします」


 メトネに紹介されると、彼女は頭を下げる。すると、一斉に拍手が湧いた。さっそく、メトネの隣にいたムラト族の娘が立ちあがって挨拶する。


「私はシンデレラ、メトネと同い年の19歳よ。確かリアルの方でも顔は見たことはあったかしら……」


 リアルとはムラト族の用語で現実のことらしい。

 レニーはシンデレラを見知っていた。最近後宮に来たばかりのメトネの侍女だったはずだ。会話はしたことがない。


「シンデレラが私の侍女だなんて…… 形だけの話でも笑っちゃうわねぇ。むしろ、実力的に私がシンデレラのアシになるべき?」


 メトネはシンデレラに対してだいぶ控えめである。しかしアシとはなんだろう。侍女のようなものだろうか。


「シンデレラは漫画家さんなの。帝都でも結構有名な女性向け漫画『アリス“と”クラッツ』の作者なのよ」


 メトネはシンデレラの説明をしたが、レニーにそのタイトルに心当たりはない。そもそも、漫画をあまり読まなかった。


「どんな漫画なのですか?」

「あ、知らないのに聞いちゃう?」


 メトネは爽やかに答えた。なにか聞いてはいけない内容なのかもしれない。その話題は素通りされて、次の人が自己紹介した。


「私は、メトネお姉ちゃんの妹、フローラです。よろしくお願いします。レニーさん」


 フローラと名乗る娘はアリス族のメトネの妹と名乗ったが、外見はどうみてもムラト族である。雰囲気は少し似ているが、その容姿には雲泥の差がある。


「あ、フローラは種族違うけど本物の実妹よ。お母さんが同じなの」


 メトネは補足する。H属とR属ではH属が優先で、R属の特徴はすべてかき消される。だから、片親が違えば兄弟で種族が違う場合もある。


「お姉ちゃん、何度みても可愛くってほんと羨ましいなぁ」

「何いってんのよ。私は最愛のパパの実娘であるフローラの方がずっと羨ましいわ」


 メトネもフローラもなんだかとても楽しそうに会話している。


「あ、フローラ、最新刊用意してきたわよ」

「わー、はやく見せて。この世界じゃないと読めないから」


 シンデレラは、何処から取り出したのか漫画本を出す。表紙には目が大きく描かれた女性のイラストがある。

 フローラは漫画を受け取ると、さっそく読み始めた。


「この世界じゃないと読めない?」


 質問するレニーに、シンデレラは答える。


「フローラは現実世界では目が見えないの。でも、この世界は目を使って見ている世界じゃないからね」


 目の見えない者が、夢の中では視覚を知覚する事が出来る。レニーは、この“明晰夢”という力は、情報伝達において極めて強力な効果があると実感する。


「この世界は凄いのですね……」


 レニーが呟くと最後に残った娘が立ちあがった。


「私は、リスミーよ。この“明晰夢”の世界は私の能力なの、よろしくね」


 レニーは紹介された者をよくみると、服装や表情は違うが、顔立ちや姿の雰囲気は第41妃のサーラマに似ていた。サーラマはローランド王国から嫁いできた妃である。

 似ているというより完全に同一人物のようにも見える。


「リスミーさんは後宮妃のサーラマさんに凄く似ていますね」

「ええ、当然ね。私は、サーラマを乗っ取って憑依しているのだもの」

「えっ!?」


 突然の告白に声が出ない。


「でも、無理矢理に憑依したんじゃないのよ。説明しようかな」


 H属やR属などの一般分類群の人間種とは別に、P属という種族があると主張する学説がある。精神的寄生種族、憑依種族とも呼称される。

 P属に自分の肉体はなく、人間の精神的な記憶と自我だけで実態がない。だから種族分類学者は種族とは認めず、P属を精神分裂病、または集団ヒステリーの一種だと考えている。


 P属は、ほとんどがR属の精神によって誕生、または寄生することで発生する。発生の原理は種族分類学ではなく、精神心理学によって分析される限りでは、次の通りだという。

 R属の人間種は、自己を自ら傷つける行為を抑止する生物的本能が付与されている。いわゆる自殺抑止の本能である。これは成長過程で遺伝子から精神に記録される拘束のようなもので、それ自体はどんな生物にもあるが、R属はそれが極めて強い。

 だから、自殺、自傷、さらに類似の自慰行為も含めて、自らの身体を傷つけ、凌辱するようなことはほとんどできない。

 ただし、酩酊や疾病状態などではごく稀に発生することがある。これは、程度は段違いだけれどH属など他の種族でも同じである。


 だが、R属が自傷に耐える精神力の強さを付与されたわけではない。自傷行為に対する強い抵抗感が本能にあっても問題は解決していないのだ。

 その隙間に現れたといわれるのが、P属である。


 P属は、ヒューリー、バンシー、インキュバス、サキュバスの四族が比較的有名で、帝国でも知られていた。ヒューリーは怒り、バンシーは悲しみ、インキュバスは男性的な性愛、サキュバスは女性的な性愛を主な感情の支配先とする。

 R属は自分の身体を傷つけて自殺し、自分で自分の人生に終止符を打つ事が出来ないので、心の中に別の自分を作る、もしくは精神寄生されている人の影響により自分もそのような状態になる。

 種族分類学者は、前者を精神分裂病、後者を集団ヒステリーとして扱い、精神寄生種族の存在を認めない。

 P属の存在を認める学者は、前者をP属の発生、後者をP属の憑依と呼ぶ。

 こうして、寄生された精神によって身体を乗っ取られ、自分の自我は消え去り、自己の肉体を傷つける自殺や自傷をすることなくこの世界から消え去りたいという願望が達成されるというわけである。


 P属のサキュバス族であるリスミー自身、自分の自我がどういう存在かよくわからない。だが、それは人間誰でも同じのはず。自分の自我が誕生した瞬間を憶えている者などいない。

 ローランドの王都ベナレス陥落時、サーラマの精神は既に崩壊寸前だった。兄弟や友人は虐殺され、都は略奪され尽くしたのである。サーラマはレンによって助けられたが、その時、サーラマの願いを受け、リスミーはサーラマに憑依した。

 それ以前のことは実はよく覚えていない、レンと一緒に旅する別の身体にいたはずだが、リスミーの能力では記憶の引き継ぎが完全にはできない。

 精神寄生種族は、精神内だけの存在なので、確たる自己の存在を確立しないと記憶は残す事は出来ないらしい。リスミー達の仲間のシオンは、それをまだメモリーが少ないから、と指摘した。メモリーとは容量のことらしく、記憶する容量が少ないので、サーラマに憑依して彼女の記憶を受け継ぐと、容量が足りなくなって古い身体での記憶は失われてしまうらしい。

 それでも、リスミーは憑依した後、自分の名前とレンの仲間であることを覚えていた。むしろリスミーにとって、必要な自我はその全てに集約されているのかもしれない。


 サーラマの願いは、ローランドの窮地を救う事。リスミーはサーラマや自らの能力、知識を使って後宮に入った後も、ローランドを救おうと暗躍した。胎児略奪の強硬策もその一環である。

 結局、カンバーランド軍はレンの巧みな機動と心理を突いた奇襲によって撃破され、ローランドは解放された。サーラマの自我はメトネから結果の報告を受けると、満足して完全に消失したのである。

 もっともベナレス大略奪の時点でサーラマの精神は既にほぼ崩壊していて、リスミーに憑依された時点でサーラマの自我は消えていたのかもしれない。リスミーはその意志を受け継いでいただけとも考えられる。


「私達はサキュバス族には“明晰夢”の能力があるんだけど、基本的に使えるのは憑依した相手か、触れた相手だけ。普通のサキュバス族は、憑依した宿主か、憑依したい相手にエッチな夢なんかを見せて、欲望を操って精神的に追い込んでいくのよね」


 淫乱な夢を操るサキュバス族という存在がいるということは、比較的知られていた。もっとも、彼女達はほとんど記憶の容量が足りずに、自分の憑依した相手しか存在を認識できないので、憑依と発生の区分は明確にできない。


「どんなに現実感のある夢、“明晰夢”っていったって、これはあくまで夢だから、ここで死んだりケガしても、実際に死ぬわけでもケガするわけでもないんだけどね。ただ情報と欲望をコントロールするには、なかなか強力な力だと思わない?」


 レニーは納得する。彼女はこの茶会に来る前に、マトロソヴァ家の家族達と楽しく団欒していた幸せな場所にいた。現実主義者のレニーはあまり夢をみなかったが、それでも幸せなあの一時にこれだけ現実感のある滞在をさせられると、あの場所からずっと離れたくなくなる。

 この幸福感は、少しなら強力な精神的癒し効果があるだろう。だが、これに拘泥されると現実からの逃避、つまり心に弱さを作り、現実に戻りたくない願望を与え、さらに現実に戻った時に対比させられることで、自己の存在を見失わせ、自我を崩壊に追い込む事ができる。

 使い方次第で精神を崩壊に追い込む極めて陰湿な能力ともいえる。


 しかし、その強力な力を体感したところで、レニーには疑問点があった。


「でも、私達はみんな同じ“明晰夢”を見ているみたいです。夢同士が繋がるなんてことがあるんでしょうか?」


 偶然同じ夢をみるという話は聞いた事があるが、それは偶然の産物で実際に同じ夢の世界にいるわけではないだろう。しかし、ここでは明らかに全員の夢が繋がっているようだ。


「それはね、ここにはいないけれど、私達の仲間にシオンって娘がいるの。彼女は夢を見られないから来られないけど、その能力が『精神的な効果を管轄区域まで拡大、連結する』というものなのね。“Wi=Fi”とかいう名前の能力らしいんだけど、詳しくは私にもわからないわ」


 いかにもタイキ族が使うような名称の能力だが、タイキ族が精神的な影響を与える特殊能力を持つという話は聞いた事がない。T属の別種族なのだろう。


「じゃ、みんなの自己紹介も終わったところで、さっそく夢の中の女子会を始めましょう~!」


 メトネが手を挙げて合図すると、みんな元気に返事をした。

 いつの間にか、机の上にはお菓子とケーキが並んで、誰も注いでいないのに、ティーカップにはコーヒーか紅茶が注がれている。

 メトネとフローラは紅茶、シンデレラとリスミーはコーヒーだ。ちなみに、レニーのティーカップには、トマトジュースが注がれた。

 それを見た一同は大笑いしている。

 ティーカップにトマトジュースを注ぐ人はいないし、レニーもいくらトマトジュースが好きでも、後宮の生活でそんなことはしない。それは、周囲へ目立つ存在になる警戒から嘘をついているからである。


「あ、あの。メトネさん。なにかここ、不思議な感覚なんですけど」

「んー、ここ嘘をつくの難しいから気をつけてね~」

「好きな人とかいるとバレちゃうわよ」

「どういうことなんでしょうか……」

「それについては、またまた私、リスミーが説明するわね」


 人間は自我と精神と身体で出来ている。

 例えば、身体が「食べ物が食べたい」と思った場合、それが精神に伝えられる。精神は経験から「食事の時間はまだ」と周囲の知覚情報や知識と経験から否定する事もあるし、自我はそれらを総合して「食事の時間はまだだが、我慢できないので食べてしまおう」と肯定することもある。

 これは逆もあり、肉体が「まだお腹は減っていない」と判断しても、精神は「昼食の時間なのだから、腹が減ってなくても食事するべき」と食事を要求することもある。両者を統括して決定するのが自我である。

 ところが、“明晰夢”の世界では、身体の部分が欠落している。自我が判断材料とするべき、身体の部分が、すべて精神の勢力圏に置き換わってしまっているのである。それゆえ、精神の中で嘘をつくという判断を取る事が難しい。

 例えば、無くなったのが身体ではなく、精神だったとすれば分かり易い。もし、身体と自我しかない生き物であれば、いつも身体の欲求に基づいてだけ行動する存在になるだろう。身体の欲求を阻止する事はできない。

 レニーは基本的に無口な娘であるが、どうやらこの世界では無口ではいられないらしい。なにか不思議な感覚だ。


「けど、ごめんねー 夢の中なのに、こんな古臭い建物の教室でさ」

「レニーさんは法兵士官だったってお姉ちゃんから聞きました。きっと凄く立派で豪華な建物で勉強されていたんでしょうね」

「えっと…… はい。でも、ここは皆さんの思い出の場所なんでしょう」

「そうよ、ここは、私達がパパからいろいろ教えてもらった場所、古くてもボロくても、大切な場所なの」


 レニーは、メトネから彼女の養父であるレン達の事を少し聞かされていた。彼女には、この世界で守りたい、どうしても譲れない願いがあった。メトネ達はそれを叶えてくれるという。


「七つの聖杯を集めて魔法少女になると願いが叶うんだっけ?」

「シンデレラさん、それ、いろいろ混ざってます」


 シンデレラのボケにフローラはすかさずツッコミを入れる。


「そういう物語に比べたら、私達のは一番ヒドくない? 『願いを叶えます』ってスローガンなのに、願いは自分達が自力で叶えなくちゃいけないんだもの」


 リスミーはそれを言ってから「まぁ、夢の中の幻覚で叶えるだけなら簡単なんだけどねぇ」と補足した。


「それでも、レンさんというメトネさんのお父様の話と、皆さんを見ているとなんだか叶えられそうな気がしてきます」

「んー、パパにはもう連絡しておいたから、既に行動を始めてくれていると思うけど……」


 メトネは急に真面目な顔をして続ける。


「でも、レニーはひとつ知らなくちゃいけないことがあるわ。いい? それを聞いたら引き返せない。あたし達を憎く思うかも知れない。もちろん、レニーほどの能力なら、それを既に予測して、結果の回答も考えていると思うけど、それは全てあなた自身の自我が決める事よ」


 レニーは彼女達の仲間に入る為にどうしても聞きたい真実があった。断片的な情報から既に予測はついているし、覚悟はしている。

 でも、その経緯に至る真実と過程を知りたかった。


「分かっています。教えてください。それがどんな内容であっても、私は家族を守りたいという気持ちに変わりはありません」

「じゃあ、バイコヌール戦役について、話をするわね」


 頷くレニーを見て、メトネは語り始めた。


「バイコヌール戦役は、カラザール市を治めるテオドル・コンテ・カラザールがあたしの種父であるバイコヌール市を治めるコーウェンス・デューク・バイコヌールの領土返還を求めて始まった事になっているけど、実はアカドゥル渓谷にあるムラト族の村を守るために、パパ…… レン団長がカラザール伯を煽ったの」

「まぁ、カラザール伯は自らの意志で乗って来たのだから、私達に操られたというのは正しくないわね」


 シンデレラはメトネの話に付け加えた。


「で、まずは戦う前の仕込み。あたしは、バイコヌール公のところへ、作戦の為に送り込まれました」

「あの時のメトネの演技はサイコーだったわよねぇ。『お父様! 私にもすぐに分かりました。だって私、お父様の血を分けた娘ですもの』だって」

「演技指導のシンデレラの腕がよかったんじゃない」


 メトネは、レンの指示によってバイコヌール公の下へスパイとして送り込まれた。突然現れ娘を名乗るメトネに対して、バイコヌール公の親族や他の子達は出自を疑う者もいた。

 しかし、実際にメトネはバイコヌール公の種によって産まれた娘である。それに、メトネの母が追い出された時、既にメトネは産まれていた。メトネの名前はバイコヌール公がつけたものだ。

 バイコヌール公は、正妻による圧力で愛人と実娘を追い出した事にそれなりの負い目もあったのだろう。公爵は再会した実娘、そして彼が愛した美しい女と瓜二つ、このアリスの美少女を溺愛するようになる。

 メトネの本領発揮はそこからであった。抜群の話術と人間観察能力、演出と計算、そして立ち回り。母と違い、メトネはそれら生きる為に実用的な手段と方法を身に付けていた。

 その技術によって、たちまちバイコヌール家全体が篭絡されてしまったのである。

 公爵の親族達、バイコヌール市の兵士達、使用人達などは、メトネの抜群の気配りと心を掴む話術、そして美少女の笑顔を用いれば、アリスの誘惑のフェロモンという特殊能力など用いなくても、男なんてイチコロである。

 それに誘惑に成功したからといって、無理難題な要求が通るわけではない。けれども、秘密の情報を得ることは容易かった。

 アスンシオン帝国には、方面軍の司令官は公爵家が担当、または重要な立場に加わるという伝統がある。もちろんこの戦役ではバイコヌール公は終始帝国軍の作戦に加わっていた。

 だから公爵や親族、軍幹部、兵士らを篭絡したメトネは、帝国軍の正確な情報を容易に入手できた。あとはその情報をレンに漏らすだけである。


 レンは、情報が漏洩していることを上手く隠蔽した。攻撃の情報を掴んでいながら、わざと損害を出して、その場所から退避させずに死者まで出したこともある。このあたりは抜群の呼吸ともいえるだろう。

 そして、帝国軍第二次救援隊によるカルサク砦奪回の為の一連の戦闘が決定的な戦いとなった。

 当時、カラザール伯軍はカルサク砦の周囲に砦を作って包囲をしていた。これに対して帝国は杜撰な計画で、部隊を三派に分けて救援に向かわせた。

 カラザール伯軍程度の戦力なら、それでも対応できると判断したのである。

 実際、第二次救援隊第一派だけでも、戦力的に見ればカラザール伯軍の2倍程度の戦力があった。

 だが、防御を固め、連絡線を確保し、さらに全ての情報を握られている状況では、結果は明らかだ。

 救援隊第一派の主力である、レニーの父、マトロソヴァ伯率いる法兵部隊が攻撃動作に入った瞬間、待ち伏せていた狙撃兵達の弩が矢の雨を浴びせた。法兵の火力は強力だが、防御は脆い。法撃のため無防備だった法兵達は次々と倒れ、マトロソヴァ伯も全身に三カ所の太矢を受けて戦死した。

 その後、レンは法兵隊全滅で動揺する帝国軍のスキを逃さずに追撃に移り、さらに間をおかずに機動、救援に向かってきた第二次救援隊第二派の皇太子軍を待ち伏せして撃破した。

 結局、この一連の戦いは帝国軍の決定的な大惨敗となった。


 その後、自慢の法兵隊の甚大な損害を被ることを嫌った帝国の法兵総監ドリアス・ヴィス・アンブラジエーネにより、法兵隊が積極的に配置される事は無くなった。その消極的な法兵総監は、イリ戦役でも帝都に日和見的な態度を取って解任されている。

 また、当時の陸軍大臣のコンラット・デューク・アティラウは、戦力を小出しにした無能な指揮官として作戦から外される。


 この大敗の要因は、確かにアティラウ公の責任は大きいが、帝国軍の体質的な問題もあった。

 包囲下にある、カルサク砦、アタス砦、バイコヌール市からは何度も救援を求める使者が来た。それら包囲下にある将兵の家族や親類からの「早期に救援しなければならない」という圧力に負けて、戦力の集結を待たずにバラバラに出発させてしまったのである。

 さらに、本来、第三派は、第二派の皇太子軍に追いついて行動出来る工程だった。ところが、出発直前の観兵式を前にして皇帝が病気になり、医師は二日程度で治る見込みと診断した。

 観兵式など無視して出発すればよかったのだが、第一派、第二派はちゃんと観兵を受けてから出発したのに、第三派だけ観兵を受けられないのは不公平、二日程度待つべき、などという意味の分からない平等論が主張されて、第三派の出発が二日延びたのである。

 ところが、当時の皇帝の病状は二日で回復しなかった。すると今度は、観兵しなくても出発するべき、そうしなければ第二派の皇太子軍に追いつかないという主張がされて、皇帝による観兵式をせずに出発した。

 だが、出発して一日後、皇帝の病気は回復し、戦場に向かう兵士達に観兵したいと言い出したのである。当時の皇帝は、戦場に送り出す兵士達を激励することはトップの義務だと考えていたようであった。

 こうして、第三派また一日かけて帝都に戻され観兵式をすることになった。往復と伝達で一週間もの遅れである。

 結局、第三派は第二派の皇太子軍が壊滅するときに、彼らを救えるほどの戦力を持ちながら、何もできない位置にいたのである。


 どんな強力な大軍でも、攻撃する時間、場所、規模、手段、これらのあらゆる情報が得られていて、さらに敵がバラバラに分散しているのであれば、待ち伏せし奇襲撃破することは容易い。第二派の皇太子軍の移動ルートや規模、第三派の行軍の遅れも、メトネによって知らされていた。

 レンはその絶好の隙を見逃さず、待ち伏せしてマトロソヴァ伯の法兵隊を仕留め、第一派撃破後に速やかに機動して第二派を撃破、戦果拡大したのである。


「レニーのお父さんを殺したのは私達よ」


 レニーは、メトネの養父であるレンが、バイコヌール戦役で敵方であったことを知ってから、父の戦死の理由について薄々感じてはいた。だが、実際に告げられるとショックは大きい。

 父の戦死でレニーの人生は狂ってしまった。兄が当主を継ぎ、兄によって、家の建て直しの為に後宮に入るように頼まれたのである。

 レニーは兄がとても心配だった。兄は父と同じで要領が悪い。皇后のアンセムと同じような感じで、目立っていい場所と目立ってはいけない場所がわかってない。

 同じ活躍するのでも法兵と工兵は役割が違う。工兵のアンセムならそれでもいいが、攻撃力と防御力に差が大きい法兵は、不用意に目立ってはいけない。

 例えば、敵の眼前に、射撃体制に入る最中の目立つ法兵と、城砦を守ってトラップを準備する目立つ工兵がいたら、敵は真っ先に法兵を狙うだろう。法兵は火力を担うので特に敵に狙われやすいのである。

 レニーは、ずっと兄の傍にいて彼を守るつもりだった。帝国最年少最優秀法兵という勲章も、兄を守るために取得したものだ。実力が認められれば望む配属先に行ける。当然、自分は兄が所属する師団を希望するつもりだった。


 レニーは兄がエルミナ遠征に参加していることを知っている。しかし後宮にいる自分には何もできない。メトネは、そんなレニーに対し、レンが兄のマトロソヴァ伯にした評価を伝え、今回の遠征は極めて危険であると伝えた。

 レニーの兄に対する評価では、兄は戦場から逃げる事が出来ない性格だった。きっと味方を逃がして最後まで留まるだろう。戦士としては勇敢なことであろうが、法兵としてはぜんぜんダメだ。

 この時、メトネは「あなたが真実を知っても私達を信頼できるなら、私達は貴方の願いを守りましょう」と伝えた。

 実は、彼女はそれと同時に兄からもレンというムラト族の信頼できる軍師をみつけたという手紙をもらっている。兄自身もレンを知っていて、その能力を信頼しているというならば、レニーの結論はひとつしかない。

 レニーは自らの願いを彼らに託し、彼らの仲間になったのである。


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