女帝4~夢の中の女子会③
次にメトネが思い出したのは幼少の頃の教室、約10年前である。
ただし、そこは“明晰夢”の世界ではなく、真の夢の中だった。
その世界にはラグナ族、ムラト族、そして1人だけアリス族で構成された30人弱の生徒達がレンから学んでいる。
メトネの養父レンは初等教育の教師をして生計を立てていた。
レンが専門とする統一学は専門家達からは子供の学問と馬鹿にされるが、専門化されていないので、子供に対する教育では実際に有効な学問である。
「レン先生。統一学の話をまた何か教えてください」
生徒の1人、カラザール伯爵の次男ルーファスは手を揚げて質問する。他の生徒達も、目を輝かせてレンの話を待っていた。
「そうだな、何がいいかな」
「先生。じゃあ、人間の種族について教えてください。僕や兄さんはラグナ族でR属、メトネもアリス族でR属。先生やトーマスさん、ナデシコ、シンデレラ達はムラト族でH属。この違いについてお願いします」
ルーファスは質問したい内容を言った。
10年前の当時から、バイコヌール公による種族差別の姿勢は過激さを増していた。しかし、この教室ではラグナ族もムラト族も仲良く学んでいる。ルーファスはラグナ族だが、ラグナ族第一主義者達による彼の友人のムラト族達への嘲笑と罵声が許せなかった。子供心にその侮蔑の醜い言葉は深く刻まれている。
どうしてラグナ族はムラト族を差別しようとするのか、その本質を知る為には両者の間に何が違って、何が同じなのかをよく知る必要がある。
「この統一学の仮説は、あくまでも現在判明している事実からの推論に過ぎないが……」
いつもレンがしている前置きに、生徒達の目はいっそう輝く。
「まず、種族名は、頭に属っていうのを付けて呼ぶ、これを“二名法”っていうんだ。属は種よりひとつ大きな分類だね。ラグナ族はR属、ムラト族はH属。“二名法”では、R・ラグナ、H・ムラトだね」
「RとHってなんの略なのですか?」
「R属のRはラグナロクの頭文字、H属のHはホモの頭文字だといわれている、最初の人類と言われる種族はH・サピエンス、つまりホモ・サピエンスだったというね」
「ホモ・サピエンスは知恵のある人、という意味でしたっけ?」
「その通りだ。よく覚えていたね」
ルーファスはそこまでは知っていた。種族分類学者は、H属のHをホモ属のHの略であると推定している。しかし、R属のラグナロクという単語はなんだろう。以前に読んだ種族分類学の本には出てこない。
「言語学的にはR属の名であるラグナロクという単語が、短縮されてラグナ族になったんじゃないかな、だからR属で最も主要な民族をラグナ族と呼ぶ」
「先生、ラグナロクってどういう意味なのですか?」
ラグナ族のルーファスが続けて質問する。
「ラグナロクは神話文学でいう、終末の日。“世界の終わり”のことさ」
「……」
その場にいた生徒達、特にラグナ族のルーファス達は自分達の種族名の由来が“世界の終わり”であるという事実を知って衝撃を受けた。
「種族分類学者の主張では、R属は化石の文明時代の末期に当時繁栄していた人類から分化して、その後個別に進化したことになっているけどね。統一学的見解では、これはまず無理なんじゃないかって思っている。第一に、進化に必要な期間が短すぎる。第二に、文学的にみると、どうもR属は肉体的に優れた特徴が抽出された形跡があってね」
「それは見た目がいいってことですか?」
「そう。つまり人類が持つ特徴の中で、良い部分だけが意図的に取り上げられているってことさ。だから人為的に操作されたものじゃないかな。偶然こうはならないよ」
「それは遺伝子の神説ですか?」
カラザール伯爵の長男レプティスは以前の本で読んだ、遺伝子を支配する宇宙の神様の話を思い出した。
「うーん、大宇宙にシードマスターがいるかどうかはわからないな。H属が誕生した事実だって奇跡みたいなものだから、何処かの神様が操作しているって言われたら信じてしまうかも。でも、R属の人類はH属の人類が作ったのさ、だってR属は、H属の文学的理想を詰め込んだような容姿をしているから」
専門の種族分類学者が否定している事を、レンは専門でもない他分野の学者として肯定している。
「文学的理想っていうのは、物語の本の登場人物みたいって事ですか?」
ムラト族のシンデレラは声を出して質問する。彼女は物語の本が大好きだった。
「そうだね。例を出せば、そこにいるアリス族のメトネ。どうみてもH属の書いた文学作品の登場人物のような容姿をしている。こんな精神的な理想像を顕わした進化なんてありえない。誰かが意図的にそうしたのさ」
物語の登場人物みたい、と指摘されたアリス族のメトネは恥ずかしそうに目を伏せる。
「でも種族分類学者達は、その事実を否定していますよね?」
年長のトーマスは、最近種族分類学に興味があるらしい。将来は医者を目指しているという。
「種族分類学者のほとんどがR属のラグナ族だからね。自分達が他の種族によって意図的に作られた…… しかも彼らが自分達より劣っていると思われるH属の人間によるものなんて学説は、認めたくないのさ。むしろH属の中から優秀な者達がR属に進化したと考えるんだろうなぁ」
「私は、パパ…… じゃなくて。先生になら、ぜんぶ作ってもらって構わないんだけどなぁ」
メトネは甘い声で呟く。それを聞いた生徒達は一斉に笑い出した。
「また、メトネの先生の嫁になりたい惚気願望が始まった」
「もぅ、私は本気なんだからぁ……」
メトネはさらに顔を赤らめて恥ずかしそうに小さくなる。
「男子うるさい! 静かにしなさい! 」
学級委員長のシンデレラが、毅然とした声で喚起する。
「でも、先生。遺伝子って生命の設計図なんでしょう。それを操作するなんて、簡単にできる事なんでしょうか?」
ルーファスの兄レプティスは技術的な知識に興味があるようだ。
「直接的な方法、間接的な方法、いろいろあるけれど、間接的な方法はそんなに難しい事ではなく文明のない時代からも行われていたものだよ。犬や猫だって、家畜の馬や牛や豚だってそうやって改良されている。実は、それをしているのは人間だけじゃなくて、蟻の仲間には、自分達の都合に良いよう品種改良したキノコを育てている種類もあるそうだ」
「ハキリアリですね」
そう話したムラト族のリンクは男の子の例外に漏れず昆虫が大好きであった。
「そうだね。動物だけじゃなくて、植物なんかは特にそうかな。今日の食事の麦米だってそうだし、副食のポマトだってそうさ。馬鈴薯とトマトが都合よく同時に育てられる菜園植物なんて人間に都合良すぎる存在だと思わないか?」
「でも、馬鈴薯とトマトは、同じナス目ナス科ナス属の植物だから、偶然誕生したものの中から、人間に都合の良いものを取捨選択されている可能性もありますよね」
トーマスは素直に疑問を投げかける。
疑問は統一学にとって…… いや全ての学に通ずる、最も重要な知識の着眼点だろう。レンは生徒達に積極的に疑問を投げかけるように教えていた。
「それには程度と順番があってね。種族分類学者も、ポマトの遺伝的性質は意図的に改竄されたものとして認めているさ」
「じゃあ、先生。ではどうして、H属の人類はR属の人類にラグナロクなんて名前をつけたのですか。私達はH属によって世界を滅ぼすために生れて来たのでしょうか?」
ルーファスは核心の質問をする。
「うーん…… それはたぶん、“奇跡”を願ったんだよ」
レンはそのまま説明を続ける。
「ラグナロクの神話文学では、神々によって作られた人間は、世界が滅びた後に“奇跡”的に生き残り、その後の世界を導く存在になるとされている。さて、これは我々の時代の、どこかで聞いたような思想だと思わないか?」
「ラグナ族第一主義……」
ルーファスは呟いた。
「そうだ。化石文明時代末期、H属の人類は、自分達の文明の滅びゆく姿を目にしていた。おそらく相当な絶望だったんだろう。そんな絶望の中“奇跡”が起きて、人類が救われることを願いR属を作ったんじゃないかなぁ」
レンの話を聞いた生徒達は一同に黙る。過去の人間が願った“奇跡”、その結果がR属の人類だというのだ。
「ラグナ族第一主義みたいな偏見思想が、そんな大昔の出来事から来ていたなんて……」
ルーファスは互いに分かり合えば、ムラト族への偏見や差別は無くなるはずだと考えていた。実際、自分達の教室ではそうだった。
けれども、R属の誕生自体にラグナ族第一主義が根付いていて、それはH属によって仕組まれた遺伝的宿命なら、お互いの理解が難しい事は子供心にも理解できる。
「今を生きる私達は、いつも過去に縛られているのさ。哺乳類では授乳や妊娠なんかがある。これも過去に起きた“奇跡”だよ。それによって男女はその後のいかなる時代でもその“奇跡”の結果に宿命的に縛られている。それに過去が未来を縛るのは、身体特徴を決める遺伝子だけじゃなくて、地位とか財産だってそうだ。もしかしたら、この地球環境だって、我々は過去に縛られているのかもしれないね」
「それじゃあ、僕達はずっと過去に縛られて生きるしかないのですか」
ルーファスは嘆いた。彼はラグナ族第一主義が許せなかったし、撲滅したいと考えていた。それが、宿命として永遠に続くなんて受け入れたくはない。
「過去が縛られているからといって、未来も縛られているわけじゃない。私はね、“奇跡”自体が、時間という次元を唯一超越しうる存在なんじゃないかと思うんだ」
「“奇跡”によって縛られているなら、それは“奇跡”によって解決できるってことですか?」
「そう、それは少なくとも人間の精神は関係しているだろうね」
つまりレンの定義する“奇跡”とは、未来を変える事の出来る心の力。唯一、時間という次元に干渉できる、人の心の中に隠された力だというのである。
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朝、後宮の妃棟の寝室のひとつで、第21妃メトネ・バイコヌールが目を覚ます。一緒に寝ていた親友のシンデレラは既に起きて着替えを済ませていた。
「あっ、メトネおはよう。今日はこっちの服着てよ。ほら、カワイイ」
シンデレラは昔からメトネを人形のように着せ替えて愉しんでいたし、メトネもそれに合わせていた。相手が楽しいと自分も楽しい。2人はそういう仲である。
「うーん、こっちの服もカワイイ。困ったなぁ、ここはほんとにカワイイドレスがいっぱいあるのね」
メトネはそんな懐かしいシンデレラの姿をみて呟いた。
「ねー、シンデレラ。パパは元気だった?」
「とっても元気よ、昨日もそれを聞いたでしょう。メトネがそんな事を言うの珍しいね。どうしたの?」
「うーん、なんか昔の夢を見てさ…… たぶん、久しぶりにシンデレラと会ったからかな?」
「昔が懐かしくなっちゃった? もうそんな年だっけ?」
「もう~ また会える時まで、ずっと1人で頑張るって決めたんだから。でも…… 早く会いたいなぁ」
「帝都の準備が終わったらシオンもここに来るわ、それまでに私達はこっちを進めておかないとね」
メトネは、シンデレラが後宮に送り込まれた理由を正確に理解している。それは、大きな作戦の前兆だ。
そう、バイコヌール戦役の時も、メトネは事前にバイコヌール公の下に送り込まれ、公爵を破滅させたのだから。




