女帝4~夢の中の女子会②
夢の中、メトネはまたこの場所にいる。
彼女の大好きな人の膝の上で、その大好きな人に物語の本を読んでもらっていた。本の内容は、よくあるお姫様と王子様が結ばれる話だ。
幼少であるにも関わらず、アリス族の娘メトネは、外見的に誰もが羨む可愛いらしい姿をしている。特に彼女が暮らしているムラト族の村では、彼女の居るだけで輝く眩しい体躯は、子供達だけでなく、大人達からも羨望の的であった。
村では、その美しさがまるで物語の本の登場人物であるようなので「アリスのお姫様」と呼ばれている。
幼いながらも、メトネはその価値を認識していた。多くの村人が「カワイイ」とメトネを持て囃し、彼女が座っているだけでなんでもやってくれた。
だからメトネは、本の中の登場人物「お姫様」に自分を重ね合わせている。
お姫様の自分は、静かに座っているだけで最愛の人の方から告白してくれる。ただし、そのためには条件がある。告白の日、最愛の人の声の届く場所にいなくてはならない。
だから、自分はずっとここに座っていたい。彼女の大好きな人の膝の上で、彼の声が一番届く安住の地。この場所にずっと居れば、自分の大好きな人は、いつか自分に愛を求めてくるはずだから。
メトネは、ここが夢の中の世界だと認識していた。夢の中の登場人物になりながら、これが夢であることを自覚している。
この状態を“明晰夢”という。
メトネの仲間には、“明晰夢”を意図的に起こさせる特殊能力を持つ者がいる。今のメトネは、その仲間の能力による一種の幻覚、夢を見ているのである。
眠っている時に見る夢と言っても2種類ある。過去に経験していた印象的な事を思い出す事。願望を知識と想像力で補って幻想する事。
メトネが今、見て感じ、そしてこれから起こる出来事は、彼女にとって最も大切な過去の瞬間であった。
“明晰夢”の力によって、かなり現実感のある夢であるが、そこまでしなくても、彼女は普段からよくみる夢である。
後宮にいる現実世界のメトネは、この大好きな場所から、彼女の好きな人に、ある質問を開始すると、この安住の地にいられなくなることを知っていた。もし、できることならずっとこの場所にいたい。けれども、それは夢の中であっても、彼女の“夢”が許さない。
「ねぇ、パパ。バイコヌールの領主サマは、どうしてママを捨てたの?」
物語の本を読んでもらいながら、幼いメトネは顔を見上げて、彼女の養父であるレンに質問する。そこには彼女が大好きな優しい微笑みがある。
レンは疑問があったら、なんでも質問するように、と教えていた。
「そうだなぁ…… まず、ママのメリヌだけど、年を取って女としての価値が下がったからね。メリヌは一般的なアリス族の女で、今までずっと遊んで暮らしていたから、社会で役に立つ何の技術も持ってなかった。これじゃ、たくさんいるバイコヌール公の愛人争いに負けるのは必然だよ」
レンは子供に対しても、内容を暈して教えたりしない。たとえ、大人が子供に教えたくないような都合の悪い事であっても、冷徹で現実的な評価を教えていた。
彼は、真実を正しく教えないという教育は、子供に対しての配慮ではなく、都合の悪い現実から目を逸らしたい大人側への配慮だと考えていた。そして、子供に都合の悪い事実や文言を伏せて暈した教育は、子供の意志や思想を歪ませ、その将来までも歪ませると考えている。
もちろん、そういう歪んだ思想の大人は、自分に都合のいい内容だけを並べて、それらだけが真実だと頑に信じ、それを声高に主張して他者を教育した気になるのだろうけれど。
「もっとも、30過ぎたぐらいで歳を取って女の価値が下がったなんて言ったら、ヴァルキリー族の女性人権主義者達に背中から刺されそうだが。まぁ、今のメリヌも、ムラト族の私からみれば十分美人さんだよ」
「ママが悪いの?」
「いやぁ、どうかな。次に、バイコヌール公だけど、メリヌの他に何人もいる愛人の中で、今は若くて新しいラグナ族の愛人に特に入れ込んでいるようだね。男は若くて新しい女が好きだからなぁ」
「パパもそう?」
「そうだね。でもパパは“奇跡”探しの方がずっと好きだし面白いと思っているよ」
「ふーん……」
「最後に、バイコヌール公の本妻は、エルミナのランス族出身で、あっちの国では一夫一妻で不倫は絶対にダメ。アリス族なんて不倫の代名詞みたいな種族が夫の愛人にいるなんて、妻としての見栄とかプライドが許せなかったんじゃないかな。だからメリヌを罠にハメて追い出した。もっとも、その奥様も主治医とできているみたいだけどね」
「ねぇパパ、じゃあいったい誰が悪いの?」
「みんな男と女の生殖に関する本能に忠実なだけともいえるね。男は子供を作り易い若くて美しい女の身体を求めて、女は子供を育てやすいように男の支援を独占しようとする。両方とも“愛”っていう代名詞で綺麗事にしてね。良いか悪いかどうかは分からないが、そういう風に男と女を作った“奇跡”を起こしたヤツが原因なんじゃないかな」
「男と女があるといけないコト?」
「男女の性別区分は、遺伝的進化にすごく有利らしいね。まったく別枝で進化した系統でも、結局、雌雄に分かれる場合が多い。だから、進化に余程役に立つんだろう」
「男と女があるとイイの?」
「少なくとも、男女を作った“奇跡”を起こした存在は、そのほうが良いと思って作ったはずだけどね」
「このご本にも、男と女が出てくるよ」
「そう、人類が芸術を獲得してからずっと、男女の“愛”に関する創作が9割以上。この物語の本もそう、お姫様と王子様が結ばれるってやつさ。男女がなければこの物語も生まれなかっただろうね」
メトネはレンの話を無表情に聞いている。幼いメトネの精神には何が良くて、何が悪いのか判断はできない。
善し悪しは分からないが、レンの話が真実を言っている事はこの幼女のメトネの精神でも理解できた。メトネは「アリスのお姫様」等と持て囃され、態度を繕う人達をたくさん見ていたからか、建て前や嘘を見抜く事に関して敏感である。そういう事に関しては、幼少の頃から才能があったようだ。
「じゃあ、次の質問。どうしてパパは、ママを助けたの?」
メトネはそれが聞きたかった。バイコヌールの本妻によって罠にハメられ、大きな借金を負わされて、屋敷を追い出されたメリヌを、レンは全財産を使って借金を返済し、本妻の執拗な追及から匿ったのである。
「うーん、このままいけばメリヌもメトネも、路頭に迷うことは確実だね。メリヌは生きるために必要な技術を何も持っていない。どこかの商人に騙されてアリタに売られるのがせいぜいじゃないかな」
アリタとは、アスンシオンの貧民街。転じて娼館に売られて働かされるという意味である。
「で、そういう母親の下で、メトネは貧しく荒んだ幼少期を過ごし、陽の当らない人生をまっしぐら。メトネぐらい可愛くて賢ければ、上手い具合に立ち回れば良家の愛人ぐらいには入り込めるだろうけど。成功確率は半々ってとこかな」
あまりにも冷徹で恐ろしいレンの未来視、メトネの養父はいつもこのように話した。
ここは“明晰夢”の世界であるので、その幼いメトネの身体には、成人したメトネの精神も宿っている。その彼女が判断しても、レンの分析は正確に将来を見抜いていることが分かる。
「だけどね。私は、そういうメリヌとメトネの未来を変えたくなったんだ。私はさ、自分で変えられそうな未来を見ると、どうしても変えたくて仕方が無いんだよね。宿命の流れに逆らって生きる、みたいな。『心の剣は未来を拓く』ちょっとカッコイイだろう?」
メトネは、この当時も、今も、ママを捨てたバイコヌール公やママを罠にハメたその本妻は許せないと思っていた。しかし、レンの話を聞き思い出す度、彼らは肉体の与えた宿命に忠実なだけの単なる俗物のように思える。
そう考えると、彼女の母親は、典型的なアリス族特有の性格の持ち主で、可愛い時期を可愛いという理由で周囲からちやほやされ、あらゆる努力を怠り、社会で生きる術を何も持たないまま大人になった。結果的に追い出された母も、残念だけれど、彼らと同じように肉体によって与えられた宿命に忠実なだけだったのだろう。
これは、善し悪しではなく、みんな与えられた宿命の流れに従っただけ。大人のメトネ精神では、それは理屈でわかる。しかし、幼少のメトネの精神にはそれを理屈では分からなかった。
けれども、この時の幼少のメトネの精神でも確信できたことがある。
未来を人間の意志の力で変える事ができるなら、この時の自分に、どうしても変えたい未来が、彼女に“夢”が出来たのである。
メトネは、自分から楽園の地を降りた。
「おや、どうしたの?」
急に膝の上から降りて立ち上がったメトネを見て、レンは優しく質問する。
「うん、パパ。今からナデシコのお母さんに、料理を習ってくる」
「おやおや、アリスのお姫様が料理に挑戦ですか?」
「エヘヘ…… じゃ、いってきまーす。晩御飯までには帰るー」
メトネは部屋から颯爽と飛び出していく、自分から愛する人の傍から離れるのはすごく寂しかったし、あの安住の地にいつまでもずっと居たい。でも、その欲求は、全ての女が持つ肉体の宿命によるもの。それに従順に、そこに座っているだけでは“奇跡”は起こせない。彼女の“夢”は叶えられない。
あたしは、パパの目指す場所に一緒に行く。
それは、彼の膝の上に乗っているだけでは辿りつけない場所にあるのだ。




