女帝3~帝国の絶頂⑤
後宮では、帝都に残された皇帝リュドミルが不満を抱いていた。帝国史上最大の戦力を動員した作戦に自ら指揮を執る事が出来なかったからである。
「アンセム! このような大作戦、余が自ら指揮を執るべきなのだ。そうだろう」
皇帝は身近にいる皇后アンセムに同意を求める。だが左胸の乳首に勢いよく吸い付く乳幼児を抱えながら、アンセムはそっけなく答えた。
「陛下、大軍だからこそ、後方の重要性を認識なされてください。小勢ほど前線が重要ですが、多勢ほど後方が重要なのです」
「それは分かっている…… 分かってはいるが……」
今回のエルミナ出征で、皇帝は自ら指揮を執ると宣言したが、テニアナロタ公やタルナフ伯、その他の閣僚も皆反対した。
今までの内戦とは違い、今回は他国との対外戦争である。国内の勢力なら、皇帝の権威は強力な武器になる。反乱軍の兵士は戦う前に怖気づく事もあるだろう。
実際、数ヶ月前のイリ事変の際は、皇帝による直接の討伐と聞き、強気のイリ伯に対して彼の部下や兵達は戦わずして次々と逃げ出した。反抗したのは、イリ伯とは何の関係もない君主制に反対するベース主義者達だったのだ。
だが、皇家の権威が及ばない他国の敵が、皇帝の出陣で怖気づくわけがない。
むしろ、別の場所でレンがローザリア卿に語っていたように、皇帝の出陣を手柄の好機とみるだろう。
もちろん、皇帝出陣による味方の士気向上は得られるかもしれない。しかし、味方と敵に対する効果としては、100万の大軍というスローガンがあれば十分なのだ。そして、閣僚は皆、直情的な皇帝の性格を知っている。危険性はなるべく排除したかった。
結果、エルミナ方面に精通していて、能力、実績、人望も十分などという理由をつけ、テニアナロタ公が総司令官になった。もちろん、皇后アンセムも後宮から皇帝が出征しないように説得、根回しを引き受けている。
皇帝も皆が宰相を人選とするならば仕方ないと渋々承諾したが、それでも進軍状況の報告を聞く毎に不満を募らせているようだ。
人員の増えた後宮では、また別の問題が発生していた。
テーベ族のメイド達が他のメイド達と折り合いが悪いというのである。
テーベ諸都市同盟の帰順により、テーベ族の各都市は優秀なテーベ族のメイドを後宮に献上し忠誠を示した。そのテーベ族のメイド達は、さっそく後宮の配置ついて後宮運営の仕事を請け負っている。しかし、他のメイド達からは強い不満が出たのである。
「メイド長、テーベ族のメイド達をなんとかしてください。彼女達、休み無しで家事をするので私達の仕事が無くなってしまいます!」
ランドリーメイド長のラキアと、チェインバーメイド長のユーシィは、メイド長のティトに対して強く訴えた。
女性達の集団では、仕事の量を分け合う傾向がある。100の仕事に対して4人いれば25ずつ、5人すれば20ずつ。もし、4人のうちの1人が100をやって、残りは0という配分にされたとすると、存在価値を否定されたようで0にされた者達は強い不満を覚える。
メイド達も同様であり、担当部署ごとに後宮の仕事を分け合っていた。
以前、マイラが指摘した通り後宮の仕事はそれほど多くはない。午前中に全て終わるぐらいである。妃の人数は増えたが、メイドの数も相対的に増えたので作業量はそれほど変わらないはずだった。
ところが、入宮したテーベ族のメイド1000人は恐るべき連携と手際の良さで家事をこなした。
ランドリーメイドがシーツを洗濯しようとしたら、すでに全てのシーツが物干場に干され、チェインバーメイドが掃除をしようにも、手を付ける前にすべての部屋は掃除され、綺麗に片づけられていた。しかも、主人が使いやすいように、彼女達の仕事よりも手慣れた配置にされているのである。
本来キッチンメイドの担当である食事の後片付けは、キッチンメイドが回収の配置に付くよりも早く解決された。ガーデナー担当の庭の整備も、ボイラー担当の浴場の掃除も、担当のメイド達よりも仕事が徹底している。
テーベ族のメイド達は休憩しないし、雑談しないし、お茶もしない。主人への忠誠と家事以外の趣味もない。
それでも彼女達は、料理、菜園、風呂炊き、趣味と娯楽、育児と看護には手を出さなかったので、キッチン、ガーデナー、ボイラー、パーラー、ナース所属のメイド達はまだ影響が少ない方だ。
しかし、ランドリーメイドとチェインバーメイドは全ての仕事を奪われ、彼女達の尊厳を傷つけられて不満は相当なものである。
テーベ族文化の諺に「家事に休日なし」とある。それはある意味真実なのだろう。また、彼女達に趣味や主人への忠誠以外存在しないのは“破瓜の呪い”の影響もある。
彼女達には、金銭や名誉といった俗的な欲望はまったくない。“破瓜の呪い”によっていつか自我を喪失する宿命の彼女達には、金銭や権利、嗜好などなんの意味もないのである。
彼女達の唯一の願いは、自我を失った先でも信頼できる主人に尽くしたいという欲求だけ。テーベ族の女性のこういった特殊な文化的思想は、肉体的な宿命を強く受けている。
だが、そういうテーベ族文化が嫌で逃げ出した者もいる。
「あら、臆病者のパリスお姉さま。こんなところでお会いするとは奇遇ですわ。今回、皇帝陛下を主人として仕える事になりました。よろしくお願いいたします」
「テミス……」
テーベ族のテミス・ヘキサ・チュソヴァヤは、皮肉を言いながら皇后の侍女パリスに挨拶をする。テミスはパリスの妹である。そして、パリスは彼女の皮肉の通り、テーベ族の種族の誇りから逃げ出した者の1人である。
テーベ族の女性達はテーベに与えられた宿命から安易に逃げ出そうという者達を憎んでいた。単に精神的に嫌悪しているだけでなく、実際の問題として安易に逃げ出した者が不幸になる話がたくさんあったからである。
よくある一例では、逃げ出す道中で賊に襲われ、無理矢理に犯されて“破瓜の呪い”を強制される。そして賊の下僕にされ、死ぬまで娼館で使われた娘もいた。
テーベ族の女性は独りになると非常に脆い。“破瓜の呪い”は彼女達を容易に、男によって使い捨てにされるだけの道具にされてしまう。
テーベ族の男性には文化的自覚がある。“破瓜の呪い”によって女性を従えても、敬愛し、粗末に扱う事はない。例外がないわけではないが、“破瓜の呪い”に縛られ、自我を失った女性を幸福に導くのがテーベ族の男として当然の義務と考えている。
ただ、テーベ族同士の抗争の結果、女性が戦利品として勝者に売られることはあった。
しかし、それも必要な事でもある。同じ都市内だけでの婚姻は、血の孤立が進んでしまう。また、大抵の場合、敗戦の際は一生仕えるべき主人が死んでいるなどが殆どで、勝者であるテーベ族の新しい主人は、彼女達にとって魅力的な奉仕先である。
皇后アンセムはメイド長からこの報告を受けて対処を迫られていた。
「彼女達の気持はわかります。私もパリスさんが来た時は、お嬢様のお世話をみんな取られて、私は猫の世話係みたいになっちゃって…… ちょっと惨めでした」
アンセムの侍女マイラはそう話す。今もその状況は余り変わらないが、マイラはアンセムの衣服と髪型の準備という重要な仕事を与えられ、とても満足していた。なにせ帝国の女性として最高権威である皇后の身仕度係だ。アンセムのような男に任せられるはずもなく責任重大である。
「申し訳ありません。旦那様、マイラさんも…… 妹のテミス達もそうですけど、私達は家事をする事に関して本能的に制限が効かないので……」
テーベ族の家事の技術は幼い頃から徹底的に仕込まれる。“破瓜の呪い”の後には技術の習得ができないからである。
「テーベ族のメイド達を後宮から出して、帝都の他の貴族につけることはできないのか。テーベ族のメイドは優秀な事で帝都中に知れている、欲しがる貴族は多いだろう」
「旦那様、“破瓜の呪い”を背負う私達には、それは冷たい処遇です。私達テーベ族の娘のたったひとつの願いは、一度信頼した主人に一生仕える事です。テーベ諸都市同盟は帝国に従属する道を選び、娘達は陛下を主人として仕える事を望みここへ来たのです。余計な仕事をするので追い出すというのは、彼女達は大きなショックを受けるでしょう」
「うーん…… それはそうだろうなぁ」
パリスの指摘でアンセムは考えを改める。
「もっとも主人である殿方は私達をいつでも好きなように強制できます。陛下が私達の自我を奪ってから命令すれば、どんな命令でも彼女達は忠実に実行するでしょう。そういう呪いが嫌で亡命した私が言うのもなんですが……」
パリスはそう指摘したが、皇帝がそれに応じるなら苦労しない。そして、アンセムはそんな強行的な解決策を講じるつもりもなかった。
おそらく、彼女達を独立部署として、各担当の補助という役割にしたのが間違いの元だった。そこを是正するのがいいだろう。
「テーベ族は都市防衛の際には、女も戦うんだよね?」
「はい、男性のように城外に出撃はしませんが、テーベ族には“月影”の力がありますので、都市や屋内等で城壁や防塁に拠る場合は戦います」
「なるほど、それは使えそうだ」
アンセムはそれを聞いて決断した。他にも解決したい懸案事項があったからである。
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彼はすぐに皇帝の前にテーベ族のメイドを集めて新しい仕事を割り振った。
「皇后様、それでは私達を後宮の防衛部隊として運用するという事ですか」
「そうだ。現在、城壁を守っている外部の女性達で構成された後宮警護分隊は解散させる。私は政庁と後宮の防衛司令官も兼務しているし、君達のような城郭防衛に優れた者達なら、ぜひともその手腕を期待したい」
「主人のお申し付けとあれば」
席には皇帝も同席しており、テーベ族メイドのテミス・ヘキサ・チュソヴァヤは素直に答える。主人のいる席では、テーベ族のメイド達は絶対に逆らわない。
実際の問題として、アンセムが新しく建設した政庁と後宮の防衛施設は、配置する人員が不足していた。
それはエルミナ遠征によって兵力が裂かれているからである。政庁や後宮の警備は平時なら花形勤務であるが、有事では閑職だった。
その穴をアンセムはテーベ族のメイド達を後宮防衛に配置する事で対応する事にした。さらに彼女達のプライドに配慮した妥協案を提示する。
「政庁側の整備を担当していた貴族の従者達も今回の出征でほとんどが出てしまっていて、政庁は掃除や給仕も滞っている。ぜひとも、君達には、主人の職場である政庁の環境整備もお願いしたいのだが」
実際、政庁は幹部が軒並み出征してしまい、掃除はおろか食堂も運営されていない状況だった。アンセムはここを都市や家屋の管理に優れたテーベ族を充てて対応しようというのである。
「主人のお申し付けとあれば」
テミスや他のテーベ族の娘達も簡潔に了承する。だが、微妙に温度差があった。
パリスの話では、テーベに女主人はいない。テーベのメイドは女性には仕えない。これも“破瓜の呪い”があるからだという。
マイラはアンセムをお嬢様と呼ぶのに、パリスがアンセムを旦那様と呼ぶのはそのため、パリスはアンセムを男だと思って仕えているのである。しかし、後宮に来たばかりの彼女達にとって主人は皇帝だけ。だから皇后やメイド長の意向も、皇帝の命令の代弁者としてしか写っていない。テーベ文化に染まっている彼女達は、主人だけに絶対の忠誠を誓い、それ以外には信頼も従属もしない。
もちろん、テーベ族はこういう性格だから、都市単位での独立帰属意欲が強く、都市間抗争が絶えないのだろう。
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中路軍がカラザール領を進発、エルミナ領内に進軍しようという、まさにその時、帝国西方にある南ウラル半島で、内陸国のラブリュス王国が挙兵、西進してサルマタニア王国に侵入したという知らせが届いた。
南ウラル半島は大小の王国や公国が群雄する地域である。北の大国ローラシア帝国と東の大国アスンシオン帝国に挟まれた勢力が拮抗する地域だ。
以前よりラブリュス王国を構成するルサルカ族は南ウラル半島の統一を願っていると噂されている。それゆえ、宗主国であるローラシア帝国の支持を得て隣国に侵攻したという。
ラブリュス王国の東にはアスンシオンのアーリア海峡西岸領があり、アーリア海峡はオビ海とアラル海を結ぶ海路の生命線だ。
アーリア海峡西岸領にはクヴァシ大要塞を始めとした帝国の要塞群が並んでおり、オビ海の制海権もあるので、おそらく、ラブリュス王国の攻撃に晒されたとしても易々と攻略されるということはない。それに、ラブリュスは現在西進しているので、進行方向は逆だ。アスンシオン領に攻撃したわけではないし、あくまでラブリュス側は、サルマタニアから攻撃があったので反撃した国境紛争と伝えていた。しかし、ラブリュス王が南ウラル半島統一の野心を持っている事は周知の事実である。
アーリア海峡の両岸要塞の防衛部隊は、今回の遠征で多くの熟練兵を引き抜いており、人数だけでなく練度も心配だ。万一攻撃された際には、早期対応できる程度の戦力を配置しておかなくてはならない。南方遠くエルミナ領の深くまで侵入した後に師団を引き返させるのでは遅すぎる。
テニアナロタ公は、陸軍大臣グリッペンベルグ、スミルノフ参謀長と協議の上、中路軍から第2師団、西路軍から第14師団の合計2個師団を引き抜いてアーリア海峡の防衛に配置させる事にした。
この命令を受けた両師団の師団長は、手柄を立てるチャンスを逃したと大変悔しがっていたという。
第13師団長のローザリア卿はこの会議の内容を自分の部隊に戻ってから幹部に話した。すると師団所属のムラト族旅団の旅団長レンはすぐにこう答える。
「ほら、さっそく4万削れたでしょう」
ムラト族の中年男は、まるでその後の展開を見透かしたように微笑んでいた。




