女帝3~帝国の絶頂④
「レン殿、我が要請に応じていただきありがとうございます」
第13師団長ランスロット・リッツ・ローザリアは、カラザール伯の宿営地に到着するなり、先に到着していた彼の師団に所属する予定である、ムラト族の旅団長レンを丁寧に出迎えた。
「貴卿のご尽力でまた旨いメシが食べられそうです。ムラトの村に隠れていた時は、毎日毎日、乾燥ラーメンばかりでしたからねぇ」
ムラト族はラグナ族ではあまりイメージが湧かない食事をしているという。もっとも、ムラト族もそれだけ食べていれば満足するというわけではない。やはり彼らも旨い食事はしたいと思っている。
ローザリア卿の第13師団の幹部は皆若い士官で構成されていた。師団長は18歳、師団参謀のダルボッド・ヴィス・グリッペンベルグも同い年、陸軍大臣の孫である。
むしろ、50歳を越えるレンはこの中では遥かに最年長だろう。
「カラザール伯への挨拶はどうでしたか?」
「懐かしい限りでしたよ。4年前には、伯爵や長男のレプティスと共に毎日作戦を練っていたものです」
ローザリア卿はレンに会うなり、さっそく自らの疑問点を切り出した。
「レン殿は今回の遠征をどう思いますか? 東路軍に所属することになった私の先輩が、貴殿を我が隊が迎えたことを知って、さっそく同じ質問の内容の手紙を寄こして、すぐに回答が欲しいとせっついて来まして」
ローザリア卿はその手紙を開きつつ説明する。
差出人は第4師団長、ロウディル・コンテ・マトロソヴァ、ローザリア卿は簡略化して話しているが、文筆家で知られる彼の手紙の内容は、もっと丁寧な言い回しである。
「師団長もマトロソヴァ伯も心配が過ぎるのではないですか。我々は100万の大軍勢。万に一つの負けの可能性もない、上に立つ者が未知の恐怖に怯えて動揺していては士気に響くものです」
第13師団に所属する第1騎兵大隊の大隊長、マーティン・リッツ・タクナアリタは言った。彼は勇敢な男だが楽観主義者でもある。しかし、騎兵による突撃を行う立場では相手を強く見過ぎて勇気が挫けるような者は務まらない。適材といえばそうだろう。
「そうですねぇ。100万の大軍を一発で消し去る都合のいい“奇跡”なんてありませんよ。でもね、ひとつとても簡単な方法があります。たった1人を殺すだけでいい」
レンの暗示した方法は、言われなくても、ローザリア卿も、グリッペンベルグ師団参謀も、楽観主義者のタクナアリタ大隊長でさえ気づいていた。だが、臣下であればそれを発言することは憚られる。
口にできない言葉を察したのか、レンは自ら代弁した。
「そう、一番有効な手は皇帝の暗殺です。リュドミル陛下は血気盛んで直情的ですからね、出撃してくれば彼を狙うのがもっとも易い勝利への戦術でしょう」
ローザリア卿は知らなかったが、バイコヌール戦役の時、レンは当時の皇太子、現皇帝の性格を見抜いてカルサク砦に向かう途中で待ち伏せし、撃破した。
レンは、リュドミルをわざと逃がした。皇太子など殺しても全軍を撤退させるほどの影響力はなく、皇帝、特に皇后を怒らせるだけである。皇后はカラザールと同盟関係にあるエルミナ王の姉。その1人息子を殺せば同盟は破談になってしまうだろう。
「しかし、今回の出征はテニアナロタ公が総司令官に就任する事で、陛下の出陣はされないということですが」
師団参謀のグリッペンベルグ卿は、今回の出征では、敵はその手を使えないと否定する。皇帝は帝都に留まる予定である。
「さすがはテニアナロタ公です。宰相は昔からそういう方面に気配りできる優れた人物ですよ」
「貴殿のいう、その優れた人物であるテニアナロタ公が100万もの兵力を率いているのでは、やはり敵に万に一つも勝ち目はないと思うが」
ローザリア卿は素直な感想を述べる。
「敵が我々に勝つとすれば、今の段階では、個々の弱点を細かく地道に突いていくしかなさそうですね。我が軍には個々の部隊に綻びがある。そこを丁寧に1つずつ突くのです」
レンの回答は曖昧で気の長い話であった。個々の部隊といっても100万もの軍勢である。兵力は溢れて市に駐留できないほどいるのだ。
「なんともパッとしない方法ですね」
華やかな回答を期待していたグリッペンベルグ師団参謀は呟く。
「100万もの大軍、ひとつずつ潰せるわけがないと思うが……」
「100万もの大軍でも、ひとつずつ潰せないわけがありません」
レンはピシャリと言い放った。
「レン殿、例えばこんな策はどうだろう。敵は我々の行く先の食糧を焼き払い、補給に重大な負担をかける。古来より、小勢で領内に侵入した大軍を撃破してきた戦術だ」
ローザリア卿の提案した作戦は“焦土作戦”という戦術である。師団長は、自分の案をレンに質問してみた。
「アスンシオン軍がヘラート川を越えてファルス本国まで攻め入るなら、ファルス軍はその戦術で戦えば勝てます。でも、この戦争はエルミナに進駐してその国土を奪う目的の戦争でしょう。相手の目的によっては、それは使えないです」
大義名分の上ではエルミナからの正式な要請に基づく援軍である。だが、レンは今回の遠征をアスンシオンがエルミナの国土を奪う事が目的だと断言した。
それを事実だと知っているローザリア卿は黙ってしまう。
「我が帝国軍は、西路軍、中路軍、東路軍に分散している。敵のファルス軍は機動力に優れると聞きます。機動して分散する部隊を各個撃破する戦法はどうでしょうか?」
グリッペンベルグ師団参謀の提案は“内線作戦”という戦術で、機動して敵を各個撃破する戦術である。
「内線を利用した戦術は、相手が自分を目標とするか、整備された味方の連絡線を利用するから可能なのです。今回はエルミナ領、簡単にできるわけがない」
「なら、敵はどうする? やはり我々の勝利は揺るぎないのか」
「我々が有利である事は間違いありませんよ。しかし、不可能を可能にしようという者は“奇跡”を起こして未来を変えられるものです。そしてそれは、今すぐに分かる方法とは限らないのです」
「なるほど、レン殿の指摘はわかった。敵はおそらくこちらの戦力を少しずつ削りにくるだろうという事だな。だが、それなら時間的余裕もあるし、こちらも相手の策に対抗する時間が十分にあるということだ」
「それは師団長の指摘通りですね」
「それに、私には頼りになる軍師がいるからな。相手の策に遅れをとることなどないさ」
「ご期待に添えるよう努力いたしますよ、師団長殿」
ローザリア卿は手を差し出してレンに助力を求める。レンはそれを握り返した。




