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女帝3~帝国の絶頂③

 エルミナ国境に近いカラザール市は、シル川下流の平野部に位置する都市である。ここから下流に進むとアラル海に繋がっており、港湾都市のバイコヌール市がある。上流に進むとエルミナ王国との国境があり、さらに川沿いを上流に進めばエルミナ王都サマルカンド、さらにその上流にはハイランド王都フェルガナがある。国境上の重要拠点とはいえ、普段は1万程度の駐留兵がいるだけの辺境都市だ。

 この都市には、現在、今回のエルミナ出征の前線拠点となり、兵力や物資の集積が行われていた。既に20万もの大兵力が集結しており、さらに後続で20万が来る予定である。兵力は市内に入りきらなくなり、野外に駐屯している。

 王都サマルカンドを目指す総司令官のテニアナロタ公や、中路軍司令官のオムスク公は既にカラザールに到着し、市を治めるカラザール伯より遠征軍の司令所として供出された伯爵の城でエルミナへの進駐準備を進めていた。

 偵察隊や通信隊、航空騎兵隊の一部などの先遣隊は既に出発している。


 テオドル・コンテ・カラザールはちょうど50歳、エルミナ出征軍司令部に住居を明け渡したため、自らは指揮する部隊の歩兵連隊の駐留地に幕舎を建て、兵士と共に所属する師団の集結を待っていた。カラザール伯の歩兵連隊はタイラー・リッツ・エッツゲン率いる第10師団に所属する予定である。

 そのカラザール伯が暮らす幕舎を訪ねるムラト族の男がいた。


「カラザール伯、お久しぶりです」

「おお、レン殿。君もここに来たのか」


 レンと呼ばれた老年の男は伯爵よりやや年上だろう。昔馴染みに合うような感覚で挨拶を交わしている。


「また君と会えて嬉しいよ」

「ええ、私もです、伯爵。おや、ルーファスも以前よりだいぶ大きくなったようで」

「先生、もう子供扱いしないでください。あれから3年が経って私も16になったのですから」


 伯爵の傍にいた次男ルーファス・コンテ・カラザールは笑いながら抗議した。昔、レンに師事していたルーファスは、恩師に出会って目を輝かせている。


 カラザール市を支配するテオドル・コンテ・カラザールは、4年前に発生したバイコヌール戦役の当事者だ。

 バイコヌール戦役は、一般的な認識では、カラザール伯が父から領地を相続した際、隣接するアカドゥル渓谷の領有が認められず、領地を隣接するバイコヌール公によって奪われた事を根に持った伯爵が、隣国エルミナと同盟を結んで起こした反乱とされている。


 だが、真相は違う。

 実際は、アカドゥル渓谷に、このような陽の当らない場所に住む事を好む異種族、ムラト族の居留地があった。そして、ラグナ族第一主義者のバイコヌール公は、異種族に対して非常に厳しい性格で知られていた。

 渓谷がバイコヌール領となれば、居住するムラト族達には恐ろしい労役や重税が課せられるだろう。そして、いずれ駆逐される。実際、カラザール伯からアカドゥル渓谷が引き渡され、バイコヌール公が領有した際に、すでにその兆候はあった。

 アカドゥル渓谷のムラト族の実質的リーダー、学者のレンは渓谷のムラト族の窮状と未来の予測をカラザール伯に説いた。

 カラザール伯は隣接するバイコヌール公との軋轢を避けるためにアカドゥル領有を放棄したが、無責任に領地を譲り渡した事を恥じ、貴族審査委員会に対してバイコヌール公の異種族虐待の実態と領地の返還を求めて訴えを起こした。しかし貴族審査委員会はその訴えを退ける。

 カラザール伯には行動力があり血気盛んな長男レプティスがいた。彼は、学者のレンに絶大な信頼を寄せていた。

 結局、カラザール伯とその長男レプティスは、ムラト族の学者レンと組んで帝国に反旗を翻す。

 こうしてバイコヌール戦役は開戦したのである。


 内戦は1年以上続いたが、結果的にカラザール伯はアカドゥルの領地を承認され、帝国への帰順を許された。その代償に長男レプティスを名目上は研修、実質的には人質として帝都に差し出している。

 最近までレプティスは軟禁状態であったが、カラザール伯が後宮に長女のミーティアを入宮させたので、一応帝都において自由の身のはずだ。

 このバイコヌール戦役で特筆すべきはバイコヌール公の衰退である。派手好きの浪費家で知られるバイコヌール公は、戦費の負担によりかつての権勢は大きく失われ、この地域での主導権を失った。


 つまりバイコヌール戦役は、表の当事者がカラザール伯なら、真の首謀者は学者のレンといえる。


「しかし、レン殿は数ヶ月前にローランド救援軍に参加し、その際に国庫の武器を盗んで国外へ逃亡されたと聞いていましたが……」

「実は国外ではなく地元のアカドゥル渓谷に帰って隠れていたんです。これでも地元では匿ってくれる友人が多いのですよ」

「それでは今も追われる身なのですか?」

「ローランド戦役の時の上司が手を尽くしてくれましてね。私がこっそり持ちだした武器を、私の代わりに全て国に弁済した上で、かつ貸し出して紛失した事に議事録を変更させて、罪が問われないように根回ししてくれたのです。第13師団長のローザリア卿は若い士官だが、なかなかどうして義理堅い奴ですよ」

「なるほど…… それでは、もう自由な身分というわけですな」


 レンは笑って答えると、カラザール伯と次男のルーファスは納得した様子で頷いて聞いていた。

 カラザール伯の本意は、もしレンが伯爵の下に逃げてくるのであれば、匿う気でいたのである。


「ローザリア卿ですか…… 私は士官学校に行っていないのでお会いした事はないですけど、ぜひともお話してみたいですね」


 ルーファスは士官学校に行っていない。もっとも彼は士官学校に行くよりもレンに師事していた方がずっと役に立つと断言するほどの信奉者である。


「ところで、今回のエルミナ出征はどうされるのです?」

「一応、ローザリア卿に恩義もありますし、前回分の給料もちゃんと貰えてムラト族の仲間達もまた募れたので、今回も第13師団所属のムラト族旅団として参加しようと思います。故郷の村は仕事が無いですからね」

「先生のような素晴らしい戦術家は世界に2人といない。ローザリア卿には悪いが、彼の倍の報酬を出すから、是非私の指揮する連隊の参謀に加わってもらいたいのだが……」

「ムラト族の私がラグナ族で構成された連隊の指揮など務めたら、どのような恨みを買うかわかりませんよ。私は統一学と、信頼できるムラト族の仲間達と、少しの安心があれば幸せです」


 カラザール伯は真面目に切り出したがレンはそれを否定した。


 レンのいう、統一学とは、全ての学問を統一させた学問である。学問は、深く研究するにつれ細分化し専門分野に特化していく。

 全ての学問を統一的に考える学問など、幼児期の初等教育の部類である。

 その研究は、技術的には何の役にも立たない。もちろん、文系も理系でもない統一学は、専門分野の学者達から子供の学問と馬鹿にされている。

 だが、レンというムラト族の男は、この統一学が好きだった。学閥も偏見もない、唯一なんでも自由に研究できる学問だからだという。


「ところでレン先生 “奇跡”は見つかったのですか?」

「まぁ、どうだろうなぁ…… 見つかったといえば見つかったし、見つかっていないといえばまだ見つかっていない。“奇跡”を学問的に見つけ出すのはなかなか難しいよ」


 ルーファスは尋ねる。レンは“奇跡”を見つける為に旅や学問を続けていると、昔から語っていた。

 レンは返事を(ぼか)している。


「今回の出征はエルミナのラグナ族第一主義者達が相手を侮ったのが発端です。バイコヌールの時といい、今回といい、彼らの思想は本当に困ったものです」


 カラザール伯は嘆息し、現状を憂いた。


「ラグナ族の優性思想は過去の事実から来る宿命的なものですよ。もしかしたら“奇跡”のうちのひとつかも知れないと、私は考えています」

「ラグナ族第一主義が“奇跡”のひとつ?」


 優性思想のような主義主張が、過去の宿命で逃れられない奇跡だという。そんな話、カラザール伯は聞いた事が無かった。


「そうです。確か、ルーファスには昔授業で教えたよね。憶えているかな?」

「もちろんです!」


 ルーファスはレンのH属とR属、ラグナ族第一主義者の授業を思い出した。そのとき、レンはラグナ族第一主義を、遺伝子の宿命だと説明していた。

 そもそも、バイコヌール戦役はラグナ族第一主義者のバイコヌール公によるムラト族やカウル族への差別から起きたものだ。そして今回のエルミナとファルスの争いも同様である。


「ふむ、以前レン殿は戦争では“奇跡”が起きやすいとおっしゃっていましたが」

「そうですね。それを平和主義者達が聞いたら、私の事を戦争狂と非難するでしょうけどね。ハイランドのグンドール国王みたいに」


 レンは皮肉を言う。ハイランド王グンドールは戦争好きで有名であり、特に軍隊に力を入れていた。しかも、侵略行為をするわけではなく、援兵などによる献身的な他国への介入に積極的だ。もちろん、諸外国からの名声は抜群である。

 しかし、そのやり方は、ハイランド国民には負担ばかりかかり国益になっていない。声を出す一部の国民は王を熱狂的に支持しているが、声を出さない多数の国民は冷めているという。


「今回、エルミナ出征に参加されるのも“奇跡”を探す目的なのですか?」

「行動の目的がひとつだけなんてことはないですよ。それもあるし、恩義を返したい気持ちもある。仲間とともにありたいという気持ちもありますし…… 単にもうお金がないという理由もあります」

「なるほど。しかし、レン殿が参加されているからには、この戦い、我々に不安はないですなぁ」


 カラザール伯は、バイコヌール戦役でのレンの戦術の鋭さを十分知っていた。ムラト族の指揮だと、ラグナ族が反発するというレンの希望で、表向きはカラザール伯自身や長男のレプティスが指導した事になっているが、実際はほとんどレンが作戦を練っていた。


「20個もある師団のうちのひとつ、その中の分遣旅団の指揮官程度です。できる事は限られていますよ。ローランドの時は、少し背伸びしようとした所為で、仲間に迷惑をかけてしまいました」

「見ず知らずのローランド人を助ける為に、罪を犯してでも作戦を強行するなんて…… 官品の横領は捕まれば縛り首ですよ。でも、先生のやりそうなことです」


 伯爵もレンもルーファスも笑い出した。


「レン殿、もし何かあれば全面的に協力致しますぞ。官品を盗んで追われるような作戦を実行する前に、ぜひご相談ください」

「その時は頼みますよ」


 カラザール伯とその次男ルーファスが余りに熱心に話を聞くので、レンはつい話し込み、時間はいつの間にか夜更けを過ぎていた。


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