女帝2~皇帝の休暇1⑤
3日目――
皇帝の余暇も遂に最終日である。アンセムはこの最終決戦のための特別な舞台を用意した。
宿舎のホールを改造した施設“カジノ”である。
男子たるものゲームへの興味は大小あるものだ。皇帝とて例外ではなく、巷で行われているスポーツ競技や卓上ゲームの勝敗にも関心があった。
ことゲームに関する興味、そしてそれに勝つために常に方策を巡らす熱意に関しては、男子は産まれた時から遺伝子に与えられた宿命ともいえるだろう。
運や不運、成功や達成への度合いはゲームによって違えど、勝利または達成に向かって進めることに、どんなゲームでも違いはない。
そして、そのゲームに成功とリスクの可能性を加えたのがギャンブルである。
ギャンブルを行う施設、カジノの本場は西方にあるベリアル族のデモニア国である。この国のカジノでは、接客スタッフとしてバニーガールと呼ばれる衣装を着た娘達が従事している。この服装は、ベリアル族の傘下で暮らす、ウサギのような耳を持つ種族、ラヴィ族が担う。
アンセムはこのカジノのスタッフとして、妃とメイド達にこのラヴィ族のバニーガール姿と同様の服装を着させていた。
「隊長、この服少しキツイんですけど……」
ソーラやセーラは胸が苦しいといってかなり不満を述べている。バニーガールのコスチュームを人数分揃えるために急いで発注したので、無理矢理に合わせている部分も多い。基本的に妃達はランドリーメイドが服のサイズをピッタリ体型に合わせて直すのが当たり前なので、サイズが合わない服は着ないものだ。
「この付け耳にはいったい何の意味があるのでしょうか」
タチアナは、頭の上にカチューシャ状につけられた兎の耳を模した付け耳アクセサリーに興味があるようである。
実際のラヴィ族が付けている耳はアクセサリーの付け耳ではない。
ラヴィ族はR属のラグナ族とは別のB属の人間種である。B属とR属は混血可能であり、その場合はまずY染色体が優先、次にX染色体同士、つまり女性だとB属が優先となる。
混血しても両者の特性を喪失しない組み合わせが多く、アスンシオン帝国でもメロウ族などのB属とR属の混血種族が住んでいる。
B属は環境適性がとても強い属で、大系的に飛行系、海洋系、地上系に分かれている。さらに、それぞれの枝でも細部に分かれており、この中でラヴィ族は地上長耳系に属する。
B属の地上系は第二耳と呼ばれる第六の感覚器官を有しており、それが頭の上の付いている別の耳である。この耳は、光波を感知する視覚や音波を感知する聴覚とは別に、電磁波、具体的には極超長波とセンチメートル波を感知できる。極超長波は長距離まで届いて土の中や水中においても簡単な連絡を可能にし、地震や宇宙の異常を知る事ができる。センチメートル波は連絡だけでなく暗闇や無音でも周囲の状況がわかるという。
ラヴィ族は、受信だけでなく簡単な発信も行う事が出来る。
もともと哺乳類の聴覚は、地上を支配する大型爬虫類に対抗するため、夜間の活動を有利にするべく長い年月をかけて特別に進化した器官だ。
B属の地上系では聴覚とは別に、さらにもうひとつ別の波長を感知する感覚器官を持っているのである。
また、B属はとても繁殖力の強い人間種である。ラグナ族の繁殖力の強さは、いわゆる人間的に常識の範囲内で繁殖力が強い程度で、妊娠期間300日、成長も他のH属やE属と変わらない。だが、B属の場合、種によって違うが、長耳系のラヴィ族では妊娠期間は約100日、成長速度も3倍と早い。
ラヴィ族は、地上系のB属の中でも、他種族への依存の極めて強い種族である。遺伝的特性上、女性は他の属の男性に依存しても遺伝的性質を失わないので、望んで他族の傘下に入り、その種族に隷属する性質がある。非戦的で従順な性格で、そして肉体的にも力は弱く体力も乏しい、戦闘に関する能力は極めて低い。第六の感覚器官も主に仲間同士で連絡し合って、隠れたり逃げるのに使用する。さらに、成長が早い反面、技術の修練や経験の継承が苦手という精神的に脆弱な側面がある。
いくら繁殖力が強くても人間種であり人間として生活する以上は、何処かの種族に依存してその保護を受けないと簡単に狩られてしまう。
ラヴィ族の女性は衣服、食事、住処を与えられれば、従順で簡単な雑務をこなし、しかもラヴィ族を支配する男性からみれば、簡単に増やすことが可能である。
一万年前、ヴァルキリー族によって世界が支配されていた時、このようなラヴィ族の性質は女性蔑視であるとして、ヴァルキリー族の指導者達に改められようとした。
ところが、ヴァルキリー族に対して最初に反旗を翻したベリアル族に最も早く隷属してその覇業を影から支えたのは、ヴァルキリー族がその身分を保障しようとしたラヴィ族であった。
彼女達は、自立のために学習、自衛する道よりも、何処かの種族の下に入って隷属される方を望むという。
現在でもベリアル=ラヴィ族はベリアル属の傘下で隷属する立場を占めている。
ゲーム会場に行くという案内に導かれて、皇帝がカジノにやってくる。皇帝はゲームの類は好きだがカジノには来た事が無いはずである。
教育熱心な彼の両親はこのような射幸心を煽る場所は教えなかった。ただし、競馬や戦車競技などが賭博の対象である事はもちろん知っているだろう。
帝国の“啓蒙の法”では無許可の賭博は違法である。ただし、税収目的の認可された公営賭博、そして私的な範囲内の賭博は可能だ。賭博行為というよりも、賭博営業を取り締まっているといえるだろう。
「アンセム。ゲームをするのは良いが、どうしてまた女がいるのだ…… お主の発想はいつも同じパターンだな」
「いえ陛下、これは特別に御用立てした娘ではなく、一般的なカジノの運営に携わるスタッフです。私の創作ではありません」
「まぁ…… それは知っているが……」
帝都には新聞もあり、印刷技術もある。よってカジノの運営形態は皇帝も知るところではあった。
「さぁ、陛下。お好きなゲーム卓へお付きください」
「うむ、だが私が知る限り、こういう場所では金を賭けるものだと聞くぞ」
「もちろん、ゲームですから報酬とリスクがないと楽しみがありません。ですので……」
アンセムは一度咳払いをしてから言う。
「今回は陛下が負けた場合は、陛下の寝所に娘を連れ込ませていただきます」
「なんだと……」
「陛下との同衾が文字通りの種銭です」
賭け事の種銭の対象に女の身体がなる事は、太古の昔より良くある。帝国では“啓蒙の法”で禁止されているが、法の整備されていない諸外国では賭博で出来た借金返済に娘を売るような場合もあるという。
だが男の子種が賭けの対象というのは聞いたことが無い。
しかし、古の時代、著名または優秀な男子の血統であれば、精子も価値の対象にはなり得ていた。実際、精子を効率的に保存する活動休止保存処理が開発されて以来、女は子供を作るのに男と結ばれる必要はない。
だからこそ、女性だけの国であるヴァルキリー族の国が誕生し、世界を1万年も支配したのである。
皇帝は正妃アンセムの強引なやり方に閉口したが、逆にアンセムに勝てばよいという考えに押し込まれた。
「では、アンセム。私が勝ったらなにが得られるのだ?」
帝国で最高権力者である皇帝に対して、逆に払う種銭など普通あるはずがない。だがアンセムが賭けたのは意外なものであった。
「妃側は、運動する時間を賭けようと思います」
「運動時間?」
皇帝は運動が日課である。彼は両親から、それが健康に良いと教えられ、常に規則正しく生活しているので、妃達にも運動を推奨していた。
R属であるラグナ族は肥満抑制遺伝子に代表される各種の恒常性を維持する酵素があり、特別な事情がない限りいくら食べても太らない。
だが、それと運動をしないことは別である。体力は付かないし、そもそも人類の身体は、心臓だけでは血液のポンプの役目を全て果たせない。脚の筋肉を動かして静脈を圧迫することが必要なのだ。それはR属でもH属でもB属でも変わらない。
ほとんどの妃達は運動しない。派手なドレスで着飾って、お茶会で談笑するだけである。運動するのは運動系のクラブに所属する一部の妃達だが、その場合も上達を目指さないので、皇帝の目にはほとんど運動していないように見えるだろう。
妃達側にも反論はある。後宮という狭い環境に押し込められて、一緒に楽しく運動する相手がいないのであれば、運動なんて誰もしない。
他にも身体的な問題もある。ラグナ族は胸の豊かなものが多く、ジョギングするだけでも胸はかなり邪魔である。
ただし、妃達が運動を嫌う最大の要因は他にあった。
彼女達は日焼けをするのが嫌なのだ。ラグナ族は優れた恒常性を持つ、しかし日焼けはする。彼女達は一時的に日焼けをしたとしても、痕は残らない。
しかし、毎日の運動によって恒常的に太陽に晒されれば、元の肌色に戻るまでに時間がかかる。そして、肌が黒くなるとドレスの色に合わなくなるのでそれを嫌うのである。今回の余暇で海が初日であったのは妃達の希望である。後宮に戻る頃には日焼けが治っているからだ。
確かに、後宮籠城時の塹壕掘りで、彼女達が一番不満を述べたのは日光の下の作業であった。
「ふむ、私が勝てば、妃達は運動するというのだな」
「はっ」
「いいだろう。ゲームであれば、余の実力も示せよう。どのゲームもルールは知っている。受けて立つぞ」
「では、こちらの卓へ」
というわけで、マージャンである。
マージャンは、チャクラ族が受け継いでいる卓上ゲームで、四人でプレイする。山牌から手牌をひいて、手牌を特定の役に揃えるゲームだ。
「自摸る」「和了る」「立直」「一発」など、マージャンに関する用語で日常語になっているものもある。
アンセムは、この卓に皇帝の他、タチアナとレニーを選んだ。
帝都の士官学校では、マージャンが流行している。合宿では夜はだいたい徹夜マージャンである。航空騎士官学校卒のタチアナと、法兵士官学校卒のレニーはもちろんルールを熟知していた。
2人とも冷静な性格であり、判断能力に優れている。
アンセムの部下で士官学校卒では、ソーラがいるが、彼女は天然系で聴牌、つまり、和了れるチャンスになるとすぐに表情に出てしまうだろう。その点、この2人は無表情だ。
もちろん、数学では解析されないことだが、ソーラの様な性格の者は傾向として強運である。マージャンは運の要素が大きく絡むゲームであるから、もしかしたらこのような場面に向いているのかも知れない。しかし、ビギナーズラックに頼るのは極めて危険だ。
マージャンは半荘というゲームの単位で行う。半荘1回位なら運の強さで勝てるかもしれないが、回数を重ねると実力差がでやすい。今回は半荘8回行うので相当差がつくだろう。
アンセムは特にタチアナやレニーと打ち合わせずに戦うことにした。ゲームでの裏取引は皇帝のもっとも嫌うところであり、アンセム自身も望んでいない。
実力で打ち負かしてこそ、勝利した時に得られるものも大きいはずだ。
こうして、皇帝の余暇、最終日のマージャン決戦が開始される。
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戦いは半荘6回目が経過し昼食時間となり、一端休憩になった。
昼食へ向かった皇帝を余所に、カジノのマージャン卓では、アンセムが放心状態で椅子に沈んでいる。
累計得点は、1位が皇帝で+48、2位がレニーで+4、3位がタチアナで-6、そしてアンセムが-46である。皇帝の1人勝ち状態で、アンセムが1人で絶賛大敗中である。
「陛下がここまでマージャンに強いとは……」
「まったく、アンセム。見てられないわねぇ」
カジノの休憩用の椅子で肩を落とすアンセムに、赤いドレスを着たメトネが呆れた表情で近寄ってくる。
メトネはバニーガールの服を着ていない。幼児体型の彼女に合うサイズはなかったのだ。もっとも、アリス族はドレスを着こなすために、体型は小柄でも胸などはそれなりにある。
「メトネはマージャンできるのか?」
「あら、アリスはあらゆる“遊び”を心得ているのよぉ?」
メトネは特有の意地悪っぽい表情を見せる。確かにアリス族は“遊び”が得意で有名だった。トランプなどのカードゲームに関してはかなり強いという話を聞いた事がある。
「アンセム、マージャンの相手は3人いるの。全てと戦っていたから、負けてしまうでしょ。アンセムは妃達に騎馬戦の時に教えていたでしょう? 3対1では勝てないって」
「それはそうだが…… その法則は一度に3対1になった場合で、局面的な勝負では1対1なんじゃないか」
「半荘2回目の第三局、アンセムが危険な3筒を通した後、すぐに続いて下家のタチアナも3筒を切っていたわよねぇ? これじゃ、アンセムだけがリスクを背負っているでしょ」
「それはそうだが…… 高い手だったから……」
「あの一局のタチアナは、最終的にアンセムより高い役で和了っているでしょう。リスクをアンセムだけに押し付けて、より高い結果を得ているわけ」
「ううむ……」
「他にも、ちょっと打ち方が荒いわよぉ。どうして親が面前で打っている時にすぐに槓するのよ。裏ドラが増えて危険になるだけじゃないの」
「でも自分が和了れば、ドラが増えて成功するかもしれないし、その時、親の陛下はリーチしていなかったぞ、親がリーチするかどうかわからないじゃないか」
「アンセムがリーチしたから親の陛下はリーチしたの。単純に親のチャンスと子のチャンスでは得点の倍率が1.5倍も違うのよ? 戦いながら、それぐらい計算して進めなきゃダメよぉ」
結局、その局は皇帝が、暗槓してリーチの二順後に自摸り、リーチツモ役牌ドラ8で合計11飜、親の三倍満で36000点である。この点数は子の役満より高い。結果、アンセムは点棒が無くなってその荘は大敗した。それが今まで響いているので、皇帝の1人勝ち状態なのである。
「あのときは陛下の裏ドラが上手く乗ったから……」
そう弁明したが、アンセムも分かっていた。自分のカンの所為でその確率は跳ね上がったのだ。狙って挑まれたのである。
「マージャンというゲームはリスクとチャンスが差し引きゼロではないのよぉ。アンセムがリスクだけ背負っているから、一番負けてるの」
「う、うむ…… しかし、-46の大負けなら、もう大役を狙って勝機を掴むしかない。そうすればあと半荘2回でも逆転の道が……」
「物語のマージャンマンガなんかなら、主役のヒーローはここで必殺の役満でも和了って勝つんだろうけどね。いまのアンセムの実力じゃ、絶対無理ね」
アリスの娘の指摘は、単刀直入で冷たい。
それでもアンセムは勝利の為に役満狙いや大役狙いを実施するしかないような気がしている。
「国士無双や、清一色だけを狙って行くしかないか」
「そんな無理筋なマージャンはやめたほうがいいわよぉ。注意深く周囲を警戒しながら地道で堅実に点数を稼ぐの」
「そんな普通のやり方じゃ挽回できないよ」
アンセムは、それでも大役を狙っての打ち方を変えないと勝機はないと考えていた。
「もぅ、アンセムったら! 工兵なら工兵らしく脇を固めて手堅く戦いなさい!」
メトネのアドバイスは耳に痛い。そう、工兵は陣地を隙なく張り巡らせ、粘り強く勝利を目指すものなのだ。
「手堅くか……」
結局、アンセムはメトネのアドバイスの通り残りの半荘2回を手堅く進めた。
逆転はならなかったが、トップの皇帝との差は縮まり、1位が皇帝+33、2位がレニー±0、3位がタチアナ-4、そしてアンセム-29である。
アンセムの1人負けに変わらなかったが、結果的にはそれほど大博打をせずに安定した結果が出た。
「なんだか、微妙な結末だな」
アンセムはもう少し劇的な展開があるものと考えていた。ゲームというものはそういうものだし、きっと今回の勝負もそうなるだろう。そういう期待を込めて仕込んだのである。
だが、結果的には平凡である。
しかし、皇帝は自らの勝利に満足していたようで上機嫌だった。レニーとタチアナもかなり健闘したと思う。
賭けの支払い的には、アンセムとタチアナはいつも運動している程度のトレーニングをする事になった。
もし、最後の2局は負け分を挽回しようと、強引な高値狙いをしていたらもっと負けていただろう。だから、この成績は実力通りなのだ。
アンセムは、ゲームに熱中できたし、これで仕方ないか。と、自分を納得させる。次は、最後の機会、夜の仕込みがある。
そう納得して最終決戦に備えるのだった。
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カジノと宿舎を繋ぐ連絡通路に2人の小柄な妃がいた。第16妃レニー・コンテ・マトロソヴァと第21妃メトネ・バイコヌールである。
「レニー様、なかなか接待がお上手ですねぇ」
「……」
カジノから戻ろうとするレニーに対して、メトネが声を掛けている。周囲には他に誰もいない。今まで彼女達だけで会話をしたことはないはずだ。
メトネもレニーも普段から侍女を連れていない。メトネは意地悪そうな表情でレニーの顔を覗き込んでいるのに対し、レニーは無表情だ。
「陛下もアンセムも気づかなかったようだけど、うまく収支を合わせてお見事という他ないですわ」
メトネは意地悪っぽく、レニーを覗きこんで横顔に囁きかけるように言う。
「確か、以前の畜刑の時もあなただけ被害を免れていたわね。見事な立ち回りですわ」
レニーは沈黙し表情一つ変えず、何も返事をしない。
「私、ぜひ、レニー様と仲良くさせていただきたいわ。貴方のお兄様のマトロソヴァ伯のお話も聞きたいし。お土産にバイコヌール産の上質トマトを使用した特製サラダを用意しましたのよ。お部屋にお持ちしてもよろしいかしら?」
いつもの甘えた口調のメトネにしては世辞口調のかなり変な言い回しである。レニーは黙って頷くとメトネを自室に案内する。




