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運命の輪2~令嬢達の要塞①

「はい、お嬢さま。お支度は終わりました」

「……」


 アンセムは朝食会場へ向かうため、昼用のドレスに着替える。

 いや、両手を広げて起立し、人形のようにただ立ってマイラの支度に任せるままだったので、着替えさせられていたというほうが正しいだろう。

 彼は、朝の一件の所為でまったく声が出せなかった。24歳にもなる男が、朝に粗相をしてしまったという事実は、思い出すだけで、恥辱のあまり卒倒しそうになる。

 マイラは何も言わずに、素早く彼の不始末を片づけ、さらに身体を拭いて着替えさせていた。


「お嬢様、今日は他の妃様への挨拶がございます。そのような暗い顔をされていては、他の妃達に怪訝に思われます。男言葉や態度にも気を付けてください」

「わかっているよ。とりあえず脚を開いて座らないように、だね」

「とくに、お嬢様は集中された際にご注意ください」

「まぁ、このスカートなら脚を開いてもバレないと思うけどなぁ」

「いくらチュールパニエの入ったスカートでも、女性はすぐにわかります。油断しないようにお願いいたします」


 アンセムが着ているのは貴族女性が正式な場で着るドレスだった。

 上半身は胸や腰などのボディラインを強調し、下半身はふっくらと大きく広がるスカート、刺繍やレースも見事なドレスである。

 さすが美姫と謳うだけあって、エリーゼの身体に見事なほど似合う。しかし、自分がその姿だというのは妙に恥ずかしいものだ。


 朝は早く目が覚めたので、アンセムとマイラは挨拶の練習や、不自然な態度をした場合の打ち合わせなどを行っていた。

 アンセムが何か失敗をした場合は、マイラが衣装を直すフリをして教える手はずになっている。


 最後の打ち合わせが終了した後、2人は姿勢を正して部屋を出た。

 そしてマイラが教える通りに、大食堂へと向かう。


 途中の後宮回廊には、朝からメイド達が忙しく働いていた。アンセムが付近を通ると彼女達は改まって挨拶をする。

 彼女達がみんな若くて美しい少女なので、彼の心は高鳴った。

 だが、エリーゼの身体は彼の男としての高揚に、またも無反応で応答する。


 大食堂の出入口に到着し、中の様子を窺うと、すでに中には複数のドレス姿の女性が談笑しているのがわかった。


 アンセムが食堂内に入ると、一斉に会話が止み、全員が彼の方を注目する。

 すると出入口付近に控えていたメイド長のティトが、アンセムの姿を認めると寄ってきた。


「おはようございます、エリーゼ様。昨日はよくお休みになられましたか?」

「あ、ああ。ええ、マイラがよくしてくれたので助かりました」


 ティトは、アンセムの左隣に並ぶと、彼を示しつつ大食堂にいる妃達に頭を下げる。


「皆様、昨日から新しくご入宮されましたエリーゼ様のご挨拶です、よろしくお願いいたします」


 メイド長が、張りのある声で食堂内に声をかける。

 アンセムはそれに合わせて、大食堂にいる妃達に練習した通り淑女の礼で挨拶した。


「ヴォルチ家当主アンセム・リッツ・ヴォルチの妹、エリーゼ・リッツ・ヴォルチです。皆様、よろしくお願いいたします」

「よろしくお願いいたしますわ」


 アンセムの挨拶に合わせて、大食堂にいた全員が同じように挨拶を返した。すると、すぐに妃達が彼に近づいて来る。


挿絵(By みてみん)


「初めましてエリーゼ様」

「はじめまして、ごきげんよう」


 最初に彼の前に現れた妃は笑顔で挨拶し、話し掛けてきた。

 アンセムは練習した挨拶で返す。たぶん違和感はないはずだ。


「自己紹介いたしますわ。私はテニアナロタ家当主ジリアス・デューク・テニアナロタの六女、マリアンです。よろしくお願いいたします」


 彼は表面上平静を装っていたが、内心はとても緊張していた。

 テニアナロタ家といえば帝国で七つしかない公爵家、その公爵家でも最も名誉ある貴族である。

 アンセムはバイコヌール戦役から帰還した際、当時病床であった先帝の代理で帝国宰相のテニアナロタ公から勲章を授与された事を思い出し、さらに緊張が増大する。


 大貴族を前にして恐縮しているアンセムに対して、その会話を遮るように、割って入って来た妃の1人が自己紹介を行う。


「初めまして、ごきげんよう。エリーゼ様」

「はじめまして、ごきげんよう」

「私は、アティラウ家当主、元陸軍大臣のコンラット・デューク・アティラウの長女、ミリアムと申します。エリーゼ様、お会いできて光栄ですわ」


 アンセムは再び練習してきた挨拶で返す。

 アティラウ家は貴族の格でいえばテニアナロタ公に匹敵する帝国七公爵家のうちの一つである。

 確か現当主のコンラットといえば、無能で有名な通称“小丈公”なはずだ。

 この渾名は、世間一般では、バイコヌール戦役で指揮官として赴任した際、戦力の小出しをやって大負けしたから名付けられたように言われている。

 しかし、父の話では、ずっと昔の士官学校時代から、コンラットは“あそこ”が小さいので、同期生からそう呼ばれていたという。

 どちらにせよ、彼は陸軍大臣など器ではなく、今は外務大臣補佐官という閑職なはずである。


 その後も、次々と妃達が挨拶を行い、アンセムはその度に練習してきた挨拶で応対する。

 面倒だとは思ったが、最初に赴任した時はどこの職場でも似たようなものだ。

 それは男の職場でも、女の集まりでも変わらない。


 アンセムはドレス姿の妃を数えた。妃の人数は39人いるはずであるが、よくみると朝食の会場には20人強しかいない。

 マイラの話では朝食を大食堂で摂らない妃も多いのだという。


 妃達が朝食に現れない理由はとても単純である。

 それは朝が起きられないか、朝の支度が間に合わないからである。他には、朝食は親しい妃やレディメイドとだけで摂るという考え方の妃も多いらしい。


 朝はごく親しい人としか顔を合わせたくないというのは、男でも分かる気がする。

 後宮の妃同士は、同じ施設内で暮らしていて、お互いが皇帝の妻という身分でも、家族意識などはない。

 むしろライバル同士、ここは令嬢達の戦場なのだろう。

 事実、帝国の歴史書の中には、過去に設置された後宮における凄惨な権力闘争の数々が記録されていた。

 彼女達の挨拶もまさにその通りで、会話に家族や家名自慢の話がよく出てくる。

 後宮の妃達は皆貴族なので、ひょっとしたらここは帝国の社交界における勢力争いの縮図と言えるのかもしれない。


「ごきげんよう、エリーゼ様。私は、タブアエラン家当主、第5師団長ゴーヴィン・コンテ・タブアエランの長女ナーディアです。昔、貴方と一度お会いしたことがありますけど、憶えていらっしゃるかしら?」


 10番目ぐらいに挨拶した妃、ナーディアをアンセムは知っていた。

 彼女を久々に見たが、昔の身体では彼女を見下げていたのに、今はやや見上げている。自分の身長が大きく変わって目線の高さが違うと何か変な気分だ。

 アンセムは彼女と何度か会ったことがあるが、確かエリーゼとは一度しか会った事はないはずである。

 それでも憶えていないフリをするのは失礼になるかと思い、話を合わせる。


「お久しぶりです、ナーディア様。よろしくお願いいたします」

「まぁ、憶えていらっしゃったのね。嬉しいわ」


 ナーディアは微笑んで返事をする。正直、余り関わりたくない女ではあったが、こういう場所では社交辞令と考えるべきだろう。


「まぁ、ナーディア様とエリーゼ様はお知り合いでしたの。では、私達と同じ席で一緒に食事にしませんか?」

「もっと、お話を伺いたいですわ」


 テニアナロタ公の娘マリアンとタブアエラン伯の娘ナーディアは、その話に合わせて、アンセムを同じ机の席に誘う。

 その様子をみて、ミリアムとその付近に集まっていた妃達は不満そうな顔をして散開した。

 どうやら、アンセムはマリアン達によって獲得されてしまったらしい。

 交流関係が勝敗を決める。これが女の戦いというものなのだろうか。


 朝食は、円形の4人掛けテーブルが複数置かれている会場に、決められた席は特にない自由着席形式であるという。

 しかし、アンセムのような女の世界とは無縁の中で生きてきた者が雰囲気から感じても、マリアン達とミリアム達は意図的に離れて座っているのは理解できた。


 男の世界でも権力争い、派閥争いは凄まじい。上流貴族ともなれば尚更のことだろう。

 ミリアムの父、アティラウ公はテニアナロタ公のライバルといえる存在だったが、失脚して重要ではないポストに左遷された。

 そして、後宮が建設されるとマリアンが入宮するのに続いて、ミリアムが入宮した。

 対抗意識が見え透いているのは、巷の噂で知っている。それを後宮内まで引き摺っているのだろう。


 妃達は各々に親しい者同士でテーブルに座っているらしい。

 詳しく観察すると、どういうわけかほとんどが3人組で座っていた。どうして女は3人組になろうとするのだろう。謎である。


 その妃達が座っている席に配膳を行う食事担当のキッチンメイドが食材を積んだカートを運び、各テーブルにパンとスープ、サラダなどを並べた後、妃達がカートに積まれた料理から選んだものを配る。

 朝食は、昨日の夕食と違い、予想外にかなり質素である。

 アンセムの席には、マリアンとナーディア、そしてもう1人やや小柄な妃がついた。あまり喋らない無口な娘の様だ。


「エリーゼ様、こちらは、マトロソヴァ家当主、南東軍管区司令官のロウディル・コンテ・マトロソヴァ様の妹、レニー様ですわ」

「ごきげんよう……」

「ごきげんよう、レニー様」


 レニーと紹介された娘は小さな声で恥ずかしそうに挨拶する。

 アンセムは再び練習した形式的な挨拶で応対した。


 帝国貴族の位階は、公爵、伯爵、子爵、男爵と続く。一番下の男爵であるヴォルチ家からすれば彼女達はかけ離れた上流貴族である。

 そして貴族には、家名の前に爵位に対応した爵姓が付く、公爵がデューク、伯爵がコンテ、子爵がヴィス、男爵がリッツである。また、帝国の敬称では公爵を公、伯爵を伯、子爵と男爵を卿と呼んでいた。


 アンセムは周囲を見回し、男なら誰でもする若い女の値踏みをする。もちろん、女も相応の男をみれば当然するだろう。


 そして、すぐに結論を下した。

 アンセムは、彼女達が薄気味悪い人形のように派手に着飾り過ぎていると感じた。

 皆、ド派手な色合いの様々な刺繍や装飾の施された豪華なドレスで着飾っており、クラウンや帽子、複数のネックレスやブローチ、ブレスレット、重そうな宝石の付いたリングやイヤリングなど、派手にデコレートされた菓子のようである。

 そして彼女たちの髪型はどれだけ時間を費やすのか分からないほど綿密に編み込まれていた。

 彼にとって一番違和感があるのは、おそらく香水だろう。どの妃も、フローラル系のかなり強いものを使用しており、様々な妃達が混在する中で、香りが混じってわけがわからない状態である。

 アンセムの周囲にもこういう女性はいたが、皆年配の女性だった。

 さすがに朝からこの香りを嗅がされては気分が悪い。


 彼が身につけているアクセサリーは、ドレスの胸元が寂しいからとマイラに付けられた赤いネックレスだけだった。ネックレスだけはネクタイと同じだと思えば仕方ないと我慢している。しかし、イヤリングは断った。髪の毛も編まずに後ろにリボンひとつで縛っているだけである。

 彼女達からしてみれば時間をかけて準備した髪型、そして自慢の高価なアクセサリー、お気に入りの香水なのだろう。このような閉鎖された空間で、着飾ることしか楽しみがない彼女達はそれで普通だと思っているのかもしれない。

 よく見れば彼女達の素材は皆、相当な美少女だ。整った顔立ちをしているし、スタイルも抜群。

 後宮に妃として入るのだから、容姿端麗で複数の推薦がなくてはならないので、当然である。


 自分の正面に座っているマリアン姫といえば、帝国で最も有名な姫として知られている。確かエリーゼよりもひとつ年下のはずだ。周囲の席に座っている妃達の中でも若い方ではあるが、明らかに威厳がある。

 帝国七公家の中でもテニアナロタ家といえば、筆頭といえる存在だった。

 現当主の役職である帝国宰相といえば、侍従長と内務大臣を兼ねた帝国最高の要職であり、テニアナロタ公は優れた手腕を持つ有能な政治家として知られている。

 3年前に始まったバイコヌール戦役を外交交渉で終結させ、疲弊した国力を2年で回復させた。末娘のマリアンも美姫として国中に知れ渡っている。

 先帝の子が今の皇帝陛下しかいないので、ここ数年、世間の社交界で美姫の噂はもっぱらマリアン姫の話題が多かった。


 アンセムは士官学校卒業後、すぐに政庁警備隊に配属されたので、マリアン姫を何度か見たことがあった。

 当然、彼女に求婚する男は多かったが、皇家への忠誠と国家への責任感の強いテニアナロタ公は父と同じ理由で先帝の頼みを聞き入れ、娘を後宮に入れたのであろう。

 マリアンは後宮完成と同時に入宮したので、それ以来、公に見る事はなくなった。当時からカリスマ的魅力に溢れており、現在でもその美しさは失われていない。


 ……はずだったが、どうしてこうなったのか、やはり彼女も過剰にアクセサリーを盛っており男性視線であればやや珍妙な装いである。

 彼女は宰相が選んだ良識ある侍女を連れて入宮したはずだが、他の姫に毒されてしまったのか。

 だが、それでも彼女の優しい笑顔は失われてはいないようである。


 右隣に座るナーディアは、友人の妹で、昔から知っている娘である。その女は、さっそくその話を切りだしてきた。


「私の父とエリーゼ様のお父様は士官学校で学友であったと聞いていますわ。私のお兄様もエリーゼ様のお兄様とお友達でした。今日はお会いできてとても光栄に存じます」

「ええ、私もお父様やお兄様から伺っております」


 アンセムは話を合わせる。だが、父の話では学友というより悪友という感じであった。士官学校を抜け出した話とか、装備の員数合わせの為に隣の部隊の物を拝借してきたとか、面白くはあるが、タメにならない話しか聞いていない。


「エリーゼ様、お父様やお兄様も友人だったという話ですし、私達もお友達になりましょう」

「はい、よろしくお願いいたします。ナーディア様」


 ナーディアは気さくに話しかけてきた。やはり、そう来たか…… しかし、社交辞令と考え、ここは逃げるのは得策ではないと判断する。


 彼女のミュリカと別れた後、父上が持ってきた縁談話の中に、タブアエラン伯の娘ナーディアの名前があった。それまでも父に連れられて行った社交界などで出会ったことがある。

 縁談話は、ナーディアがまだ若かったので婚約まで至らず、さらに父が病気になったことでうやむやになってしまったが、もし後宮が設置されず、父が健在だったならおそらく今頃見合いをしていただろう。

 ヴォルチ家より位階が上である伯爵家との縁談であれば、叔父達も結婚を強く推すだろうし、彼女と別れたばかりで気持ちが揺れていた当時であれば、相手がナーディアでなければ恋に落ちたかもしれない。

 だが、さっそく、ナーディアはアンセムがよく知っている態度に出てきた。


「エリーゼ様はここに来たばかりで、まだお荷物の整理が終わっていませんの? もしよろしければ、私の侍女を整頓に遣わしますわよ」

「ありがとうございます。でも、侍女のマイラが昨日のうちに全部やってくれましたので大丈夫です」

「身の回りの物にご不自由していらっしゃるようですし、ドレスやアクセサリーもお貸しいたしますわ、不足があればどんどんおっしゃって。私達、お友達ですもの」


 嫌みっぽく、ナーディアは申し向けてくる。

 彼女は出会うと、いつも自分より格下のヴォルチ家を見下していた。

 それでも、一応、結婚を考えたこともあった。性格はともかく、若いのに背が高くてスタイルのいい美人である。父の為、家名の為ならば、女の性格程度、我慢して受け入れる度量がなければ当主は務まらないと考えたこともある。

 だが、彼女と会うたび、その妄想は瞬時に訂正される。

 ダメだ、この女との結婚は絶対にない。


「ナーディア様、エリーゼ様が困っていらっしゃるわ。エリーゼ様はお父様を亡くされたばかりという事ですし、まだここにいらっしゃったばかりで、お疲れなのでしょう」

「そうでしたわ。エリーゼ様、お気を落とさずに。私、いつでも力になってよ」


 ナーディアが、得意気に自慢話をするのをマリアンが嗜める。

 そういう意外にマトモな思考も持っている意見を聞くと、さっき結婚全否定を、また訂正することもある。性格はともかく、胸も大きくて女として抱き心地はよさそうだ。ミュリカは胸が小さかったから、妻にするならこの女でいいかもしれない。


 しかし、今さらなんという妄想をしているのだろう。もう、そういう婚活して、結婚して、家庭を作って、という自分の人生設計は終わったのだ。

 妻を迎えるんじゃなくて、自分が妻になったのである。それに、胸の大きさなら、今自分の身体についているものの方が大きいじゃないか。


 左隣にいる、レニーはそういう会話中もまったく話をしない無口な娘だった。ひたすらサラダのトマトを頬張っている。彼女は相当にトマトが好きなのだろう。よく見ると飲み物もトマトジュースである。

 彼女は法兵士官の卒業勲章をつけているので、法兵出身だと思われる。


 法兵は戦場で火力を支える重要な兵科である。

 自然界の微生物が持つ高エネルギー物質(マテリア)を、魔法物理工学によって精製、法弾と炸薬を製造する。

 その法弾を迫撃法などで発射し、その着弾時の爆発エネルギーで敵を倒すのである。


 太古の昔には窒素化合物を燃焼させて、同種の戦闘を行う兵科があったといわれている。

 しかし、空中窒素固定菌が進化してからは、窒素化合物を用いた兵器はすべて利用できなくなった。


 この高エネルギー物質(マテリア)の燃焼と制御には、人類が体内に獲得した|PN回路《polynitrogen cycle》を利用しなければならない。

 このPN回路を実戦で運用できるまでに訓練したのが法兵である。


 法兵士官学校はかなり若いうちから入寮する。PN回路は遺伝的要素が強く、先天的才能が大きく影響するためだ。

 この法兵は競争が激しく、才能だけで早くから篩い落とされる厳しい世界である。


 マトロソヴァ家といえば、帝国でも有数の法兵を多く輩出する家柄として知られていた。

 アンセムも士官学校を出た軍人だが、彼は工兵出身である。

 法兵は軍の火力を担い、戦場の女神とも揶揄されるのに対して、工兵は陣地設営を基本とする地味な裏方の役回りであり、一般的に法兵の方が上に見られる事が多い。


「レニー様は、法兵学校を卒業されたんですか?」


 勲章をつけているので、既に一人前として卒業したのは間違いないのであるが、アンセムも一端の軍人らしく質問をしたくなってきた。

 その質問に、レニーはトマトを頬張りながら頷く。


「レニー様は、13歳で法兵士官学校を卒業されたのですよ。ラグナ族では、最年少記録だという話ですわ」


 マリアンが説明すると、アンセムは素直に驚いている。

 そんな素晴らしい才能があれば、男としてどれだけ人生で有利かわからない。


「凄いですね。レニー様はどうして後宮なんて来られたんですか? 法兵なら戦場でいくらでも活躍できそうなのに」


 力があれば、こんな人生の墓場みたいなところに来なくても良いだろう、という意味の質問である。しかし、一変した空気にこの質問が迂闊なものだったと後悔した。


「エリーゼ様はお父上に似られてとてもご活発ですのね……」


 ナーディアはそう答えて、マリアンとレニーは目を逸らす。

 アンセムは聞き逃していたが、レニーの時だけ紹介で “妹”と紹介された。

 貴族は当主との関係から紹介される。エリーゼが当主である兄アンセムを基準に紹介されるのと同じである。

 別の戦線だったので忘れていたが、確か、レニーの父である先代のマトロソヴァ伯は、バイコヌール戦役で戦死されたはずだ。

 法兵は戦場で火力を担うだけに敵から真っ先に狙われやすい。

 いくら恵まれた才能があるとはいえ、女性が危険な戦争に臨んで参加し名誉を欲するわけがない。

 詰まった会話を打ち破るように、マリアンは話題を変えてきた。


「ところでエリーゼ様、今流行のアクセサリーはなんですの? ぜひ教えて欲しいですわ」

「それは興味がありますわ」

「是非、教えてくださいませ、エリーゼ様」


 周囲のテーブルにいて、アンセム達の会話に聞き耳を立てていた他の妃達も、話題がアクセサリーの話になると、急にテーブルを越えてアンセムを囲むように身を乗り出し、質問を仕掛けてきた。

 彼女達は、当然といえば当然だが、若い娘らしく流行に興味があるようで、目を輝かせている。


 後宮の妃はここで閉じ込められて暮らしているわけであるから、自ら外に出て流行などを知る機会はない。まさにここは帝都の中にある令嬢達の監獄ともいえる。

 しかし、外の社会へ商品の発注は可能らしく、新しく入宮した者の情報はとても価値があるらしい。


「ごめんなさい。私、ファッションに興味が無くて」


 アンセムの返事を聞いて、周囲の妃達は皆目を丸くして驚いた。

 彼女達にとって、ファッションに興味が無いという返事はかなり予想外だったのだろう。


 彼の記憶では、地方で暮らしていたエリーゼでも、普通の女性並みには流行に気を使っていたように思える。

 アンセムが会話に入ってこないので、彼女達はアンセムを抜きにして、今度はお互いのファッションを褒め合い始めた。


「まぁ、このネイルカラー、新しいデザインですわね、素敵ですわ」

「こちらのネックレスもとっても可愛いですわ」


 いつのまにか、マリアン派とミリアム派の妃も集まって互いの陣営の褒め合戦が始まっている。

 とにかく、お互いの装飾のポイントを見つけては、「素敵」「可愛い」という字句を並べ、非理性的な感情論での評価が繰り返された。

 そして、彼女達の話が、まだ見える範囲の装飾の話題ならともかく、そうではない部分まで話が及ぶと、アンセムの理解の枠をはやくも突破する。


「今日の下着はタイミィル産ポリウレタンを使ったミナマス氏デザインの特注品ですわ」

「まぁ、それはとても素晴らしい品ですわ」

「良い下着ですと気分も良くなりましてよ」


 アンセムは男心に、なぜ見えてもいない下着の善し悪しの話をしているのだろうと疑問に思った。

 男でも、外見的に見える範囲の服装であれば、女性ほどではないにしてもある程度意識はするだろうし時折話題にもなる。しかし、男で下着のデザインを気にした会話をしている者は聞いた事が無い。

 アンセムは、男には理解できない女の会話にまったく付いていけず、同時に彼女達の極端にデコレーションされた容姿からすぐに性的興味を失ったため、彼の本性に従順に、彼女達の後ろに控えるレディメイド達の値踏みをしていた。

 メイド達は、どれも若くて顔立ちの整った娘達で点数が高い。彼女達はアクセサリーや香水の類は禁止らしく、余程健康的で魅力的に見える。


 さすがのアンセムも、マリアン派とミリアム派の褒め合い合戦を無視していることで、彼女達の空気が悪くなっていることに気が付く。

 だが、話を合わせようにも、男の彼には、女の戦場に参加できるような語彙が見つからない。とりあえず何か発しなければと、アンセムは自分が今唯一身に付けているアクセサリーの話を振ってみた。


「私が付けているネックレスより、皆さんのネックレスのほうがずっと高そうですね」


 アンセムの一言に、その場の空気が凍りついて会話が止まってしまう。

 なにかマズいことを言ったかと思っていると、マイラが後ろから手を差し伸べた。


「お嬢様、リボンが緩んでいます。いったん戻ってお直し致しましょう」


 マイラの助け船に賛同して、アンセムはそのまま逃げるように退席していった。


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