女帝2~皇帝の休暇1②
結局、午前中、ナンパはひとつも成功しなかった。いや、妃を連れて来て集めたという意味では、すべて成功したともいっていい。
皇帝の突然の声掛けに妃達は皆驚いたようで、そのまま呼べばベッドでも何処でも連れ込めるだろうが、ただ声を掛けただけでは何もならない。妃に対して挨拶し、立場を確認し、連れて来ただけである。
より具体的には、浜辺で何をして遊ぶのか知識も経験もない皇帝や妃達は、その後の会話が続かない。
しかし、アンセムは浜辺で皇帝が妃達と遊ぶ方法を考えていた。皇帝がナンパによって集めた妃とそのメイド達を集めて遊べる、しかも皇帝が好きそうな競技である。
午後、アンセムは砂浜に皇帝と妃達を集めると宣言する。
「というわけで、陛下。午後は騎馬戦をしてみたいと思います」
「騎馬戦……?」
騎馬戦とは、三人が馬役となって手を組んで馬を作り、その上に騎手役が乗る。騎手は頭に鉢巻きを巻いており「その鉢巻きを取られる」「馬が大きく崩れる」「騎手が落ちると負け」という競技である。鉢巻きを取る以外の直接的な暴行は禁止される。
帝国では領内に住むムラト族で行われている子供用の競技で、その騎馬戦を柔らかい砂浜と、膝程度の深さの海水の上でやろうというわけである。
妃達を騎手、メイド達を騎馬として、皇帝率いる白組と、正妃率いる紅組に分かれた乱戦形式である。両軍とも15騎ずつ、指揮官である大将の騎馬が負けたら敗北だ。
「なるほど、この騎馬戦というのは、実戦の騎兵戦を想定した競技というわけだな」
「その通りです。余暇の遊戯として陛下のお気に召すかと思いまして」
アンセムの説明に対して、皇帝は珍しく目を輝かせている。アンセムの読み通りだ。
皇帝は戦術的なスポーツや話題が好きなのである。アンセムと気が合うのも戦術談義のおかげだ。もっとも、それは男子であればそれは珍しいことではなく、至って普通の事である。
しかし、妃達はいきなり駆りだされ、経験のないスポーツをすることに不安がった。
「陛下、勝負であるからには勝者に何か褒美があると盛り上がるでしょう」
アンセムは暗に促す。皇帝はうまく乗って来た。
「よいだろう、もし私の鉢巻きを取った娘がいたら望みの褒美をとらせる」
「了解しました」
その話を聞いて、妃達の一部も俄然やる気が出てくる。
この騎馬戦は、報酬はともかくとして、アンセムが計画した妃達に実績を作らせるための作戦だった。
おそらく、ルールを聞いて皇帝は自分の絶対有利を確信しているだろう。頭の鉢巻きを取られたら負けなのだ。体格の大きい男性である皇帝は絶対有利である。ほとんどの妃では皇帝の頭まで手が届くかどうかも怪しい。
だが、戦術は体格だけでは決まらない。特に騎兵戦はそれが顕著だ。それを見せつけて妃達を大人だと認めさせる。
そして、体と体が水着で激突するスポーツは、皇帝の中のいろんなものがときめくだろうという計算もあった。少なくともアンセムはそうである。
さて、両陣営のミーティングの際、アンセムは紅組の妃達に細かい戦術的指導を行う。ただし、複雑な機動は不可能なので非常に単純な作戦である。もちろん、それは相手側も同様なので、単純な作戦ほど効果があるだろう。
皇帝側の白組のミーティングでは作戦指揮は行っていない。ただし、皇帝は先ほどの「自分の鉢巻きをとった者に褒美をとらせる」という発言に追加して、「アンセムの鉢巻きを取った者にも同様の褒美をとらせる」と付け加えた。これにより、白組は大将のアンセムへの集中攻撃が決定したようなものとなる。
「それでは、はじめ!」
審判のメイド長ティトの号令が午後の浜辺に響く。
開始の合図とともに、白組の騎馬達は、大将である皇帝を除いて黄色い声を上げながら前進する。だが、アンセムは素早く指示すると、紅組の両翼に配置した妃達は、左右に分かれて、白組の直進に対して迂回する機動をとらせた。
そのため紅組の大将であるアンセムの前はガラ空きである。大将の鉢巻きを取られれば負けなので、これは一見無謀な作戦にみえた。
だが、アンセムが騎馬をしているマイラに指示して少し騎馬を後退させる。前進していた白組の騎馬がアンセムの周囲まで進むと、その付近に入った白組の騎馬達は急に動きが鈍くなっていった。
「どうしたのだ? はやくアンセムを倒してしまうのだ」
皇帝は、白組の妃達の騎馬が急に脚を止めた事に苛立った。だが、一番先頭を前進していた白組の妃、第28妃エイシャ・コンテ・コンブレンは大きな声ですぐに状況を報告する。
「陛下! 正妃様の周辺は水が深くなっています」
「なんだと……」
地形を熟知した工兵出身のアンセムは、海水に隠れた砂浜の凹凸を事前に計算していた。
人間が水に浸かりながら歩行する場合、水深が膝より上までくると歩くのが急激に難しくなる。それは脚を上げた際に水面から脚が出なくなるため、水の抵抗を受ける割合が著しく増すためである。
皇帝の指示通り、アンセムに挑もうとした白組の妃達は、次々と水に脚を取られてゆっくりとした動きしか出来なくなった。
「騎兵が脚をとられたか…… アンセムめ、謀ったな」
皇帝はその状況から、すぐにアンセムの作戦である事に気が付いた。
「よし、今だ!」
アンセムは両翼に迂回させている妃達に声を掛ける。敵の攻撃部隊を地形の防御効果で防ぎ、迂回部隊の攻撃で相手の指揮所を叩く。騎兵戦の常道手段だ。
だが、実際のところ妃達は全てが真剣にゲームに取り組んでいるわけではなく、何をしていいのか分からず呆然とするだけの妃も多かった。また騎馬をしているメイド達の体力や連携、そして、左右に分かれた妃達が皇帝の騎馬を直接狙う指示を与えられているといっても、実際の機動力には大きな差がある。
だが、その中でも真剣に取り組んでいる妃達もいた。
「陛下、勝負です!」
紅組の第5妃タチアナ・リッツ・タルナフはさっそく勇敢さと行動力を示した。彼女は日頃から自分だけでなく侍女達にも体力の訓練に付き合わせており、リーダーシップや意志疎通も抜群で、彼女の騎馬は驚くほどの機動性を示した。
「ほほう、タルナフ卿の娘か、相手になってやろう。ここで勝てば、お主の望みの褒美を取らせるぞ」
「約束ですよ。陛下!」
タチアナは得意の近接戦闘の技術を活かして、皇帝の騎馬に挑む、その姿はなかなかに果敢で、おそらく陛下好みだろう。これでタチアナが陛下の鉢巻きを取れば、きっとお手つきになるに違いない。
だが、タチアナは急激に突進し過ぎた。
彼女は“ブレイド”という帝国の剣術スポーツの上位成績者で、運動神経も抜群である。その対戦成績は負けなしに近かったが、それは女子レベルの話である。
いくら彼女の接近戦が強くても、幼い頃から君主として武術を鍛えられた男相手には分が悪い。
そもそも人間の男という種族は、女より体格が大きいだけでなく、素早さを司る筋肉の付き方も違う。もちろん、そんなことも十分理解しているタチアナは、一気に勝負に出るために果敢に踏み込んだが、皇帝の頭の鉢巻きまで届かず、逆に皇帝によって彼女の鉢巻きを取られてしまった。
「負けました陛下、完敗です」
タチアナは残念そうにしていたが、皇帝は満足そうだった。その様子をみていたアンセムかは大成功を確信する。これで、皇帝はタチアナの踏み込んでくる勇気と行動力を認めざるをえない。勝敗の有無よりも彼女達の評価をあげるのが目的なのである。
そして、アンセムはさらに計算していた。タチアナの突進により皇帝の騎馬は、もう戦えない状態になってしまっている事だろう。次の攻撃があれば必ず崩せる。
タチアナにやや遅れて、第6妃キャロル・デューク・ニコリスコエ、第24妃リオーネ・ヴィス・グリッペンベルク、第35妃クェゼリン・リッツ・ミャスノイボルの三人が同時に皇帝に仕掛けようとする。
キャロルは冷静に皇帝の騎馬を包囲すると、アンセム受け売りの戦術的説明で皇帝に声を掛けた。
「陛下、3対1で包囲すれば、どれだけ実力差があっても覆すのは難しいって正妃様が言っていました、ご覚悟を」
「ふっ、いいだろう」
確かに3対1の環境ではアンセムの言うとおりである。体格差、実力差があっても容易には覆せない。だが、包囲された側にも対応する手段があった。皇帝は包囲下においての戦術教本通り、彼女達を各個撃破に出るために移動を開始しようとする。
だが、皇帝の思惑通りには上手くいかなかった。皇帝の騎馬はもうほとんど動く事ができなかったのだ。
「どうしたのだ、動けんのか」
「申し訳ありません陛下…… さっきのタチアナ様の体当たりで馬を維持するのがやっとです」
それは当たり前である。そもそも女性のメイド3人で、上に乗っている男性の体重を支えるのは無理があるのだ。彼女達は皇帝の騎馬という栄光から精神力を振り絞って耐えているが、立っているのが精一杯で、移動しようとしても砂浜で脚を取られてふらついてしまう。
「アンセムに謀られたか」
皇帝は上手く移動できない事に舌打ちした。だが、これは考えられる事態だ。アンセムに嵌められたわけではなく、自身の体格が有利な事もあれば不利なこともある。ただそれだけのことである。
単独で挑んでも勝ち目はないので、キャロル、リオーネ、クェゼリンの三人は、作戦通り包囲網を縮めながらじりじりと皇帝の騎馬に近寄っていく。
このまま彼女達が攻撃範囲内に入り、一斉に仕掛けられたら対応は難しい。いや、一斉に体当たりされただけで、馬が崩れてしまう可能性が大きいだろう。
だが、包囲下における戦闘方法には、もうひとつ有効で重要な戦法があった。
それは外部からの救援である。
3対1で戦う場合、数の多い3の側は1の側の動きと自分達の連携に最大限の注意を払っている。そのため、外側から攻撃されると脆い。
白組の第21妃メトネ・バイコヌールはその隙を見逃さなかった。彼女は今回の騎馬戦でもっとも小柄であり、最も非力であるが、逆に言えばその分、騎馬への負担が少なく、機動力を出せる。そして彼女は本性的に心理的な死角を突くのが非常に上手かった。
「後がガラ空きなのよっ!」
「あっ、え!? いつのまに後に……」
メトネは後ろからの攻撃で3人のリーダーであるキャロルの鉢巻きを奪う。
突然リーダー格であるキャロルを失い、残りの2人はたちまち混乱した。リオーネはあわててメトネを追おうとするが、メトネは素早くその場から離脱する。
クェゼリンはその奇襲でどうしていいのか分からず呆然としているところを皇帝によってあっさり鉢巻きを取られてしまった。
アンセムの策略は彼の愛人の邀撃であっさりと敗れさってしまったのである。
一方――
「正妃様、勝負です!」
水深のある場所を突破して紅組のアンセムに挑んできたのは白組のカウル族の第20妃ニコレであった。
カウル族の女性は、スタイルという点ではラグナ族の女性に遠く及ばない。子供のような体格のアリス族でさえも、ラグナ族の諸派である以上、ドレスが似合うように胸やスタイルは相応にある。
カウル族はそもそもドレスを美しく着こなすような種族ではないため、そういう意味では見劣りする。もちろん水着姿でも女性的魅力をアピールするような凹凸はあまりない。
だが、カウル族は平均でもラグナ族の2倍~3倍の持久力、そして器用さ、機敏さを持っている。
そして、ニコレの侍女は皆カウル族である。よって今回の騎馬戦のニコレの騎馬役も全員カウル族であった。
白組のニコレはその敏捷さと持久力で既に周囲の妃達をなぎ倒していた。
アンセムはニコレの接近に対して、不利を悟っている。アンセムは工兵であり騎乗しての戦闘は訓練していない。接近戦も苦手だ。
そもそも、カウル族は元々遊牧騎馬民族。こういう場合の戦闘経験は彼らの遺伝子に刻まれているだろう。騎兵戦でニコレ相手に勝つ自信などまったくない。後退も考えたが、持久力に勝るカウル族の騎馬から逃げるのは不可能だろう。
だが、アンセムにはもうひとつ秘策があった。
実はアンセムは波の来る方向を背にしていた、皇帝のプライベートビーチは午後になって急に風が強くなってきており、風の強さと共に波は次第に高くなってきている。
風上は、戦闘において有利である。
飛び道具は当然ながら、機動においても無視できない。さらに海上では波というエネルギーが加わり、風上の有利はさらに大きくなる。
アンセムが風上を取っているのは偶然ではない。気象の予測は工兵の任務である。彼は事前に計算して風の強さを予測していたのだ。
そして、実は、カウル族は水が苦手な種族である。草原の民である彼女達は海など知らないし、ニコレも海は今回が初めてだという。
もちろん湖は知っているだろうが、海にある独特の砂浜と波は経験が無いだろう。
このような環境で、さらにアンセムは伏線を張っていた。馬役のマイラと打ち合わせて、実は水の下に滑るように海藻を配置していたのである。
ニコレは、高くなってきた波にバランスを取られながらも、ようやくアンセムと近接しようと組み合ったが、アンセムの仕掛けたトラップに嵌って彼女の騎馬は海藻を踏んで脚を取られた。草原の民であるカウル族は裸足で海藻を踏むという発想はないのである。騎馬は大きく体勢を崩して傾いた。
「きゃっ!」
「よしっ、かかった」
ニコレはバランスを失って海水に転落する。
この程度のバランスの崩れなら、地上であれば彼女達の騎乗センスと持久力なら持ちこたえただろうが、慣れない砂浜と経験のない波浪によって転倒してしまったのである。
白組最強の妃を倒したところで、アンセムは一息ついた。周囲の様子を伺うと、真面目に取り組んでいる妃はほとんど倒されており、浜辺には数騎しか残っていない。だが、様子を見ると皇帝の騎馬はもう立っているのが限界のようだ。
たぶん体当たり一発で仕留められるだろう。アンセムは大将戦を決意し、深い場所を迂回しながら前進を開始した。
動けない皇帝へと近づくアンセムに、白組最後の刺客が迫っていた。
「アンセム。ここであたしが勝ったら、“アレ”してちょうだいね」
「メトネが接近戦? よぅし、相手になってやるぞ」
メトネは、皇帝を包囲から助けた後、戦場から気配を消していた。メトネは、いつのまにか現れたり、いつのまにかいなくなったりする事が得意だった。特に特殊な能力というわけではないが、心理的な雰囲気を熟知していて、目立つ方法と目立たない方法を心得ているらしい。
アンセムはメトネの接近に対して完全に油断していた。アリス族とラグナ族は大人と子供ほどに体格が違う。
普通に組み合えば、エリーゼの体格とメトネの体格では勝負にならないだろう。ほとんど近接戦闘をしておらず疲れていないアンセムの方が断然有利だ。
だが、小柄で身軽なメトネは、いきなり懐から秘密兵器を投げてよこした。
「“しょぼん”、君に決めた!」
メトネの言ったセリフはムラト族に伝わるペットを繰り出す時のセリフらしい、過去の何に使われていたセリフかは伝わっていない。
彼女が放った飛び道具、猫の“しょぼん”はアンセムから通り過ぎざまに、彼の胸を隠していたチューブトップの水着を奪い取った。
「こ、このエロ猫がぁ!」
アンセムは怒って太った猫を睨んだが、“しょぼん”は奪った戦利品を咥えながら、肥満した体躯を活かして海水にプカプカと浮き、悠々と泳ぎ去る。
帝国の“啓蒙の法”では、水着がはだけた場合、直ちにプライベートゾーンを隠さなければならない。
彼は慌てて左腕で胸を押さえたが、まさに片腕を奪われた状態と言ってよく、このままメトネと接近戦をしなければならなくなった。
だが、アンセムは片腕でも、子供の体格なメトネ相手なら腕のリーチの差で勝負になるだろう。そう考え、メトネの鉢巻きを奪おうと右手を伸ばす。
しかし、アンセムの愛人であるメトネは予想以上に冷静で、そしてアンセム以上に用意周到だった。メトネは以前に奪ったキャロルの鉢巻きで輪を作っており、その輪の中にアンセムの右手を誘いこんで絡め取ってしまったのである。
そして、そのまま引っ張られる。バランスを崩して前につんのめるアンセムに対して、メトネは小悪魔のように悪戯っぽくほほ笑むと、そのままアンセムの鉢巻きを取り上げたのであった。
「敵将アンセム、討ち取ったり~!」
メトネ・バイコヌールは可愛い少女の声で高らかに勝利を宣言する。
その日の騎馬戦は、皇帝が最も活躍した者を評するまでもない。味方大将の救援と敵方大将の打倒、その両方をやってのけたメトネが殊勲者である。
というわけで、メトネへは皇帝から直々の報酬により、今回の余暇旅行で夜にアンセムと床を共にすることになった。もっとも、メトネの立場は初めからアンセムの愛人なので、特に今回が特別というわけではない。
メトネは宿舎の個室で、アンセムのベッドに潜り込んでいる。彼女の頭には、彼女のペットの猫が、いまだに戦利品を咥えていた。
「しかし、メトネ。驚いたな。いったい、どうしてあんなに凄い機動ができるんだ。陛下もすごく褒めていたぞ」
アンセムは素直に感心する。メトネの行動力は自分の作戦の上をいった。それも単独で実行したのである。
「あたし、アンセムの考えている事なんてなんでもお見通しだし、あとは偶然よ~」
メトネは茶化すようにいう。
確かに、メトネは心理を分析する能力が鋭い。アンセムが男だと見抜いたのもメトネが最初だった気がする。だが、心理を見抜けるのと的確な対応ができるのとは別の気がするのだが……
「あ~あ、今日は凄く疲れちゃった。明日もいっぱい遊ぼうね、おやすみ、アンセム」
メトネは幼い子供のようにベッドで身を丸くする。その愛くるしい寝姿はアリス族特有のものだ。
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それから夜が少し過ぎた。
アンセムは、頭の中で明日からの計画を整理している。メトネが皇帝との同衾を希望しなかったので、今日も誰も手つきにはならかった。
だが、まだ余暇はあと2日ある。
今日の競技で皇帝の妃に対する見方は少し改善されたかもしれない。それなら機会はあるはずだ。
「パパ……」
メトネが珍しく寝言を呟いている。きっと家族のことを心配して夢を見ているのだろう。後宮に男性は入れないので、通常は父親とも一生会えない。メトネでも、家族の事は常に気にかけているのかと思うと、妙に親近感が湧いた。
そのメトネの可愛い寝顔を間近で見つめていたところ、彼女は突然目を開いた。そして、アンセムの顔をいきなり睨む。
「アンセム、あたし、今何か言わなかった?」
寝起きにも関わらず、それが今までにないほど真剣な表情だったので、アンセムは驚いた。
「いや、パパって言っただけだよ」
「そう…… 他には?」
「それしか聞いていないが」
アンセムは素直に答えると、メトネは再び甘ったるい表情に戻り、アンセムに甘えようと懐に忍びこんでくる。
「あ~あ、アンセムがあたしを心配させるから目が醒めちゃったぁ。アンセムが面白い話を聞かせてくれないと眠れないなぁ~」
「またか…… もうネタ切れなんだが」
アンセムは、それでもとびきりの面白い話をしようとするが、メトネはやはり話途中で眠ってしまった。
メトネは正規の子ではない。彼女の父、バイコヌール公には愛人が複数おり、その中の1人の子だという。
アンセムは、メトネの出自について、ほとんど聞いたことがなかった。バイコヌール公が若い頃に彼女の母親に篭絡されて産まれた子、という程度である。ただ、メトネが自慢するには、彼女の母親は相当な美人だったらしい。公爵がコロっと篭絡される程のアリス族の美人となれば、容姿はだいたい予想がつく。
だが、父親については聞いたことがない。メトネが子として認知されたのはバイコヌール戦役の後なので、バイコヌール公ということはない気がする。
この時、アンセムはメトネの出自について、あまり深く考えなかった。彼は宰相の密命である皇帝の攻略のことについて、明日以降の方針を考えなければならないからだ。
しかし、後で思い出せば、今日の彼女が異常なほど戦術的に優秀であったことは、もう少し検討しなければならなかっただろう。
結局、アンセムの戦術はメトネの戦術に及ばなかった。この重大な結果は、偶然に得られるはずがないことは、戦争を経験したアンセム自身が一番よくわかっているはずなのである。




