女帝1~諸国の論理④
“胎児交換術”、それは他の女の子宮内の胎児を奪ったり、逆に送りつけたりする能力である。ローランド族の藩王国の一部の娘は、その能力と技術を受け継いでいた。
このように自らの子を他人に託したり、逆に奪ったりする方法は、生物界ではそれほど稀な行為ではない。鳥類では托卵と呼ばれ、身近な種によっても一般的に行われているし、昆虫類などの小さな生物でもそれなりに見られる行為である。だが、母の胎内で子を育てる哺乳類では普通存在しない。
そしてこの秘術は、かなり制限が厳しい。“ヴェスタの加護”に守られている処女には当然できないし、相当な技術と訓練、相手の状態や胎児の週数にも影響される。そのため使用頻度が低く、ローランドの藩王国で一部の種族、さらにそのごく一部でしか伝承されていなかった。
サーラマの母はその藩王国の出身でローランド王に嫁いだ身であり、彼女はその能力を受け継いでいる。
男性思考の母親アンセムは、この秘術によって、絶対に切り離されないはずのない母と子の繋がりを、他者に奪われてしまったのである。
サーラマは、皇帝とエリーゼの9カ月の子を宿した状態で、後宮内の自らの館に籠城していた。出入口付近は、素手格闘の得意な種族であるローランド傘下の藩王国、ランカ族の侍女数人が固めている。
館周辺は、後宮の自警組織であるプリンセスガードが包囲しているが、説得に応じず彼女達は館から出てこようとしない。
この事態に、アンセムやプリンセスガード、他の妃達も対応に困っていた。皇帝の子を人質に取られては、まさに手も足もでない状態である。
そして、まさか皇帝の子が第三者に奪われたなどと、絶対に後宮外に漏らすわけにはいかない。そのため、情報漏えいに細心の注意が払われた。
サーラマの住むローランド館の向かいに建設されているカスタルの住むハイランド館では、善後策が練られている。
そこで、ナース長のユニティは最悪の場合を想定した準備を進めていた。
「9カ月にもなれば胎児は保育器でも育てることができます。ただし…… 母体の安全を優先した帝王切開は心得ていますが、母体が胎児を人質にした手術はまったくの未知数です。万一、毒を飲まれた場合、胎児を助けるのはとても難しいです」
ユニティは医学的な対応の難しさについて見通しを語った。
それでも、彼女は緊急事態に備えてナースメイドを動員し、あらゆる状況を想定した準備を怠ってはいない。
「正妃様、皇帝陛下のお子を奪われるとは…… なんたる不始末。とんでもない事です!」
「面目ない……」
メイド長のティトはいつもの冷徹で感情を表に出さない従順な姿からはまったく想像もつかないような激高した表情でアンセムに詰め寄った。
アンセムは躾けられる子供のように小さくなって答える。
「まぁまぁ、ティト。アンセムをそんなに責めないでやってくれ。彼女を後宮に妃として入れることを了承したのは余なのだから。まさか、あんな術法があるとは想定外だったのだ」
皇帝リュドミルはティトを宥めようとする。しかし、いつもはあらゆる事に対して皇帝に従順なティトが、今回の事態には、そうはならなかった。
「陛下は、正妃様に甘すぎます! 皇家の大切なご子息を人質に取られているのですよ!」
絶対権力者の皇帝と、その正妃であっても、こうなると男2人はメイド長のティトになんの反論もできない。
「アンセムの腹が空いたのなら、子供はまた作れば……」
皇帝のその発言を最後まで言わさずに、ティトは鋭く睨みつける。
「陛下。子は天からの授かりもの、また作ればいいなどという、男性的な思考は絶対にお止めください。二度となさらないよう」
「むぅ…… わかった。我が子は大事だ。問題の解決に善処しよう」
皇帝はティトに要望には素直に応じる。
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サーラマの要求はいたって簡単である。アスンシオン帝国は、ローランド救援に全力を尽くすこと。
だが、そうはいっても、皇帝の子を奪われた事を発表して、外交方針を変更したことを伝えるわけにはいかない。
サーラマが提案する妥協案として、皇帝がローランドの妃の願いを聞き入れて、外交方針の転換を発表し、軍の総帥たる皇帝が国内にローランド救援のための動員令をかければ良いという。
しかし、皇帝は女の意見を聞くのが大嫌いな性分である。サーラマの提案に対して、冷たく返事をした。
「我が子愛しさに外交方針を転換したとなっては帝国の名折れだ。それはできない」
皇帝がさっきとは裏腹に、サーラマの要求に応じるつもりがない方針を示すと、ティトはがっくりと肩を落とす。
「ローランドへの援軍を増員したり、既にハイランドに駐留する部隊を動かす事はできないのでしょうか」
「できない。我が子とはいえ、まだ産まれていない子だ。“啓蒙の法”では子は母体から産まれないとまだ人として認められない。人として誕生していない子の命を助けるために、我が臣民の命を1人も危険に晒す事はできない」
皇帝ははっきりと言う。彼のこういうところは一貫している。アンセムは子を盗られた責任から発言しなかったが、絶対に頑固な主張を通すところは感心するところがある。
だが、それを伝えればサーラマは自殺するかもしれない。交渉役を請け負った彼女の友人であるハイランドの妃カスタルは、館でサーラマと面会した際、並々ならぬ決意を感じていた。
ローランドの惨状は、伝え聞いただけでも凄惨なものである。家財は奪われ、建物は破壊され、田畑は荒らされ、書は焼かれ、男は殺されて、女は売られた。水の都と美しさを吟遊詩人たちに謳われた王都ベナレスは、今は盗賊団が割拠する廃墟と化しているという。カンバーランド軍によって捕えられたローランドの王族、つまり、サーラマの兄弟も逃げ込んでいた先で捕まり、兄弟は拷問された挙句に殺され、姉妹は凌辱されて殺されたという。
カンバーランドとローランドはカマラ系種族の同族であるが、歴史的対立を繰り返してきた種族同士である。これを機会に徹底的に叩く気なのは明白だ。
そもそも、サーラマ自体、ローランドを救うために外交的に送り込まれた妃である。彼女には彼女なりの絶対に退けない戦いがある。
しかし、アスンシオンにとってはローランドの惨状など他人事である。その温度差たるや、亜寒帯に位置するアスンシオン帝国と熱帯に位置するローランド以上の差があるだろう。
カスタルを仲介に説得が続けられたが、皇帝側の方針はなかなか定まらない。もっとも、カスタルの祖国、ハイランドは当初から国を挙げてローランドを支援している。その国の態度の差が如実に出ている事が、余計にサーラマの感情を逆撫でていた。
「さすがのアンセムでも、これはお手上げよねぇ」
メトネが、意地悪な顔をしながら、ショックで伏せるアンセムの顔を覗きこんでいる。
アンセムの得意の屋内戦の兵器や籠城戦術を用いても、首謀者の腹の中に人質がいるのでは助けようがない。
「しょうがないさ。私は自分の腹に子供がいたという事実がなくなった事で、逆に気楽になったよ」
アンセムは正直に本音を漏らす。腹の中に皇帝の子がいるということは、つまり自分が皇帝の子の命の代理をしているという重責である。それは、男であるアンセムには耐えられない重荷であった。
肩の荷が下りたという表現は、近いかもしれない。
「お嬢様…… それはいくら中身が男性でもお子様に対して酷すぎるお言葉です」
最近、侍女のマイラは女主人のアンセムに対しても痛烈な言動が目立つ。妻のマリアンがアンセムの行動に対して極めて寛容なので、逆に女性の意見の代弁や、アンセムの女の立場を逸脱した行為を厳しく監視しているようだった。
だが、マイラがいくら指摘したとしてもアンセムの本音は変えようがない。
男の誇りは、命を尽くして戦い国家と家族を守るように出来ている。腹の子と一蓮托生になって自分が死ねば腹の子も死ぬという立場は想定していない。籠城戦の時には、まだそれを実感できるほどに腹の子は大きくなかったが、さすがにここ数カ月は、子を孕んでいるという重責を24時間負うように感じていたのである。
しかし、さすがに皇帝の言うように、“啓蒙の法”に従った「産まれていないから、まだ人ではない」という突放し方も、言い過ぎな気がする。アンセムはそれこそ、その腹の中で子が動く様を感じていたのである。
とりあえず、すぐに準備できる妥協案として、ローランドへの物的支援を倍に増やす案が用意された。だが、カスタルは首を振って否定する。
「それで、サーラマを説得するのは難しいです。物的な支援を人間の命に変えることはできません」
カスタルの指摘はもっともである。下手をすれば命を賭して真剣に戦っている者達を馬鹿にしていると捉えられかねない。
「私にシュペルミステール隊があれば、ユニコーンですぐに助けに行くのになぁ」
ソーラは楽天的なことを言っている。航空騎兵の飛行には、法力エンジン用の法力エネルギーをかなり使う。遠方のローランドへは途中に何カ所も補給拠点がなければ辿りつけない。
いつのまにか、プリンセスガードの面々はサーラマ寄りの発言が目立ち始めた。皇帝もアンセムも子供に対して余りに薄情なので、女性の本能がサーラマ側に味方しているのだろう。
とりあえずタチアナが出した、ハイランド派遣軍の最前線への移動で妥協できないか等、比較的現実味のある案も出された。
だが、これらの妥協案も皇帝は簡単には首を縦に振らない。
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翌日、事態が長期化する兆しを見せると、皇帝リュドミルは強行制圧も視野に入れ始めた。
「サーラマを捕えて腹を裂けばいいだろう。失敗すれば、余の子は死ぬだろうが、それもその子の運命よ」
だが、メイド長のティトはそれを必死に押しとどめる。
「陛下。強行策だけは最後の手段にしてくださいませ。サーラマは決して陛下を憎んだり恨んだりしているのではないのです。そこは考慮ください」
アンセムはその意見を聞いて思った。そう言えば、以前の畜刑の件でも、妃達は皇帝を恨んだり、憎んだりしていたわけではない。アンセムの対応が悪かったのである。
そして、今回のローランド救援の件、皇帝の相談を受け、日和見的な対応を提案したのはアンセムだ。
彼は悩みぬいた末に、やっと意見を発した。
「陛下、今回の件は私がサーラマの篭絡に引っ掛かり、陛下からの大切な預かり物を奪われたのが原因です。私の権限で可能な範囲での説得を許可願えないでしょうか」
アンセムは皇帝にそう提案する。皇帝は自分の意見に頑なになっていたが、アンセムとティトに説得されると、彼が示した範囲での妥協案には了承した。
アンセムはカスタルを連れて、ローランド館に赴く。
「これはこれは、アンセム様。援軍の件、ご考慮いただけたでしょうか」
サーラマは朗らかに応対する。それは先日の接待の時のように、人当たりの良い話術を心得たものだった。
「今回のローランド救援の方策については、私が陛下に提案したものだ。貴国の立場を考えずに安易に日和見的態度を取ることを勧めた事、まずは貴方に謝罪したい」
アンセムが最終的に皇帝を決断させた件について暴露すると、サーラマは少しだけ顔を強ばらせたが、すぐに朗らかな表情に戻る。
「そうですか、では、アンセム様は今回の件でどのように対応していただけるのでしょうか?」
サーラマは自らの膨れた腹を撫でて見せつけるようにしながら、アンセムに条件を尋ねた。
「今回の事に関しては私が責任を取ろう。それで貴方が満足してもらえるかは分からないが、私が出来る精一杯をして対応させて欲しい」
アンセムは椅子に男座りをしながら、その条件告げた。
「まず、私が陣地作成を直接指導した士官をローランドに派遣する。彼らの技術は、きっと貴方の国でも役に立つだろう」
軍事顧問としての士官派遣は、軍事的協力関係にある同盟国では比較的よく行われる。アスンシオンは建築技術に優れ、その防衛陣地も高い技術力を持っていると知られていた。
「次に、ハイランド領内に駐留している我が軍の前線への移動の件は、陛下とカザン公への説得を請け負おう。陛下にもその件に関しては了承を頂いている」
「帝国軍の動員は叶わないのですか?」
サーラマは冷たく言い放つ。帝国軍は常備12個師団、予備12個師団を保持している。訓練未経験で装備の充実を想定しないならば、さらなる動員を可能にする徴兵法も存在する。しかし、現在は予備の第13師団の1個を動員しているに過ぎない。
「それには、まず帝国政府を通じてファルス、カンバーランドへ働きかけて、強い停戦の申し立てを行う。両国がこれを無闇に反故にすれば、こちらも帝国政府に対して更に軍を動員する強い理由付けになる」
「随分と時間がかかりますわね。我が国民は、今日も彼らによって虐げられているというのに」
「申し訳ないが、これが、私の力で貴方の国にできる精一杯だ。我が国は皇帝を君主とした君主制国家だが、政府や議会も無視はできない。軍の統帥権を持つ皇帝陛下といえど、軍隊を完全に自由にする事はできない。だから、我々が可能な方法で誠意のある手順を提案する事しかできないんだ」
だが、アンセムは強い口調でさらに付け加えた。
「けれど、私の精神は、私の自由にできる。だから、私が出来うる限り、貴方の国を救うよう働かせてもらう。これが私の誠意だ」
サーラマは、それを聞くと安堵したような様子で答える。
「……アンセム様のご意志はわかりました。私も、こんな方法ではできることに限りがある事は理解しております」
サーラマは先ほどまでの冷たい表情から、母のような暖かい表情に戻る。
「我々はアスンシオンを敵に回すつもりはないのです。この陛下のお子も、この件が終われば責任を取り、腹を裂いてでもお返しするつもりでした。私達がどれだけ真剣であるかが伝わればそれでよいのです。お子はアンセム様にお返しします。そして、私達をお好きなように裁いてくださいませ」
サーラマは、祈りを捧げるようにアンセムに跪く、他の侍女もそれに倣った。
「サーラマ様は、とても勇気と愛情、そして知恵のある方なのだな。秘術の事も驚いたが、話術も知識も、勇気も相当なものだ」
それを聞いたサーラマは、悲しそうな顔をした。
「こんな技術があっても、目の前で殺される同胞1人助けることはできません。私は、無力な女である事を呪いたい。男であれば、今すぐにでも武器を持ち人々を救うために立ち上がれるのに」
「で、子を戻す件だが、私はその子を私の腹に戻して欲しくない。貴方が産んで欲しい」
「えっ……」
余りに突拍子もないアンセムの提案に、サーラマは心底驚いた表情をした。
「アンセム様は、ご自分の子をご自分で産んで母親になりたいとは思わないのですか」
「思わない」
アンセムははっきりと断言する。
「貴方は賢く、強い意志があり、他者を自分の事のように慈しめる愛情のある女性だ。貴方のような方が母に相応しい。私には無理だよ」
「でも、この子はアンセム様の子です。貴方には母にならなければならない義務と責任があるはずです」
「血縁的には陛下と妹の子だ。私は、男の精神を捨てることはできない。だから、私は子の為ではなく、私が守りたい者の為に働く。貴方に会って、それがはっきりとわかった」
「アンセム様の中身が殿方だと知っていても、我々、女からすれば想像もできないお言葉ですね……」
「男には男の戦いがある。貴方の勇気は確かに受け取った。私が外交ルートでの強い交渉を政府に説得してみせる。そして、私の直接の部下には南方の戦闘で役に立つ工兵技術をしっかりと教養しよう」
アンセムは急に笑い出して言った。
「幸い、君のおかげで私の辛い産休期間はやっと終わったからね。これでやっと働けるよ」
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アンセムの案はさっそく実行に移された。以前、後宮の籠城に携わり、アンセムの教養を受けた士官学校の生徒達は、短期間の教養の後、軍事顧問としてただちにローランドへ派遣される。そして、ハイランド駐留軍のカザン公へは部隊の前線への移動が指示された。また帝国政府は、外交ルートでは有能な外交官を選抜し、停戦に向けた交渉も活発的に動き出した。
だが結局、アンセムの案が成果を出すことはなかった。南方で起きた戦乱は、それが実行に移される前に決着してしまったのである。
アスンシオン軍を除隊した傭兵団は、増援のハイランド軍と共にローランド国内に入ると、恐るべき機動力を示して、後方に駐留していたカンバーランド軍の本隊を襲撃したのである。
カンバーランド軍は、行動の鈍いローランド軍、士気の低いアスンシオン軍、もともと防御的戦闘思考の強いハイランド軍に対し、弱兵と侮って索敵や警戒を怠っていた。
さらに、それまでの戦闘も連戦連勝であり、自分達の実力を過信していた。
しかし実際は、カンバーランド軍も弱兵で、彼らの強力な同盟軍であるファルス軍の機動力に頼りきりだった勝利に過ぎない。
そして彼らは、ローランドの豊かな富を略奪したことで肥え太っていた。人は金銭を得ると命が惜しくなる。勝利と戦争の長期化で厭戦気分が高まり、カンバーランド軍の士気は落ち込んでいた。
この隙を傭兵団によって突かれた。
カンバーランド軍は一撃で壊滅し、そして彼らはあろうことか撤退の際に、隣国のリンガーランド王国の国境を越えて退却してしまったのである。
リンガーランドは、ローランド、カンバーランドと三国鼎立関係にある国だが、アスンシオンと同様に、今回の戦争では日和見を決め込んでいた。しかし、当事者達には中立侵犯をしないように厳しく通告している。
そして、ハイランド軍と傭兵団は、そのカンバーランド軍の領土侵犯という外交的失敗をタイミングよく利用して、リンガーランドの王都で領土侵犯に敏感な愛国者達を扇動し、国論を一気にローランド支援へと傾けさせたのである。
これにより強力なファルス軍は、カンバーランドを支援する外交的意図が見いだせなくなった。ファルス軍の支援が無くなれば、カンバーランド軍はもう戦えない。
結局、数日のうちに交渉はまとまり、アスンシオン、リンガーランド両国監視の下、カンバーランドは占領地を返還することで停戦が成立。ファルス軍はカイバル峠を越えて退却した。
後には荒廃したローランドの土地が残されたが、ひとまず南方の戦乱は終結したのである。
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皇帝リュドミルと正妃アンセムは、夜の戦略談義の中、その報告書を読んでいて、とても感心していた。
「この傭兵団の動きは素晴らしいですね。油断している相手の状態を計算した用意周到で手際のよい襲撃、さらにカンバーランド軍の退却方向まで計算しています。彼らがリンガーランドの領内に入ってしまい、その外交失敗を逃さず扇動…… 出来過ぎです」
アンセムは、これがすべて計算されて行われたことであれば恐ろしいことだと思った。
「ああ、ローランドを救った傭兵団には、ぜひとも勲章を授与せねばと思ったのだが、詳細をカザン公から聞くと、彼らは除隊する時に我が軍から武器を盗んでいるのだ。だから戦後、軍には戻らずに解散してしまったという」
「武器を盗んだ脱走兵という扱いなら、さすがに正式に叙勲するのは難しいですね」
皇帝も同様の感想を持ったようで、面談を手配したが叶わなかったという。
いかに手柄を立てたとはいえ、公の物資を盗んで軍を脱走した者達を簡単に許して報償を与えれば、軍の規律は維持できない。それはアンセムでも十分に理解できる。
この時、皇帝もアンセムもこの傭兵団の指導者との面談を断念した。しかし、彼らは最も重要なことに気が付いていなかったのである。
この傭兵団の指導者は、かつてバイコヌール戦役において、皇帝の部隊を奇襲してその部隊を壊滅させ、皇帝の幼馴染の侍者を殺し、その後、アタス砦の包囲戦でアンセムに地獄を見せた。その時の敵の指揮官だ。
そしてその存在が、彼らの足元で蠢動している。その事実を知る日は、そう遠からずやってくる。




