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女帝1~諸国の論理③

「サーラマ様、やはりアスンシオンは我がローランドを救援する気はないようです」


 後宮で最も暖かい南側広場に面して特別に急造された館で、ローランドより後宮に嫁いできた妃サーラマは侍女の報告を受けていた。

 ハイランドの姫カスタルと、ローランドの姫サーラマは、他の後宮の妃とは違い、帝国の貴族出身ではなく、外交上の目的で嫁いできた他国の王族である。それ故、後宮内に個別の館が建てられ、その館には侍女やメイドが独立して居住しており、その人数は20を超えていた。

 そして、サーラマはカスタルとは違い、他の妃達とは交流せず後宮内で情報収集を続けていた。後宮は閉鎖された空間ではあるが、それでも文書等である程度のやり取りは可能である。だから、アスンシオンがローランドを見捨てて救援せず、ハイランド領内で日和見していることは、彼女にも伝わっていたのである。


「我が祖国ローランドは、暴虐なカンバーランドの侵略によって、塗炭の苦しみに喘いでいるというのに……」


 ピンク色の髪が特徴のスジャータ族の侍女の1人が目に涙を浮かべながら呟く。スジャータ族はローランド王国の傘下にある種族である。


「いい? 私達は祖国を救うために、ここで女としてできることをしなければならないわ。そのためには……」


 サーラマは侍女を集めて、詳細な謀略の計画を指示している。彼女達は、アスンシオンの後宮内にも戦争の火種を飛び火させようとしていたのである。


****************************************


 ハイランドの王都フェルガナの派遣軍司令部において、アスンシオン軍の南方派遣軍総司令官ウィンズ・デューク・カザンは、第4師団長ロウディル・コンテ・マトロソヴァと、第13師団長ランスロット・リッツ・ローザリアを呼び出した。

 カザン公はいつものように老獪な切り口で話し始める。


「君達を呼んだ理由は分かっているかな?」

「若輩の身にはまるで理解できませんな」


 ローザリア卿は横柄な態度で答えた。マトロソヴァ伯は黙って敬礼の姿勢を取っている。


「諸君ら師団の兵達が、勝手に義勇軍を結成し、ローランドを支援しているというではないか。我らの兵と物資は全て陛下と国家からの賜り物だ。むやみに浪費することは許されんぞ」

「兵達の休暇については、司令官や参謀本部からも許可を得ております。休暇中の兵達がどこで何をしようと我が指揮権の及ぶところではありません」


 カザン公は強い調子で迫るが、ローザリア卿は澄ました表情で答える。


「確かに、兵達に交代で休暇を出しても良いと指示はした。しかし、その休暇中の兵達は我が軍の武器を持ち出しているではないか」


 兵站出身のカザン公らしい指摘である。彼は師団の物資管理の帳簿も全て調べ尽くしていた。


「いいか、君達はまだ若い。大人になれ。君達の行動が我が国に不利益をもたらすかもしれないのだぞ。我々はファルスやカンバーランドを敵に回すつもりはないのだ」


 ローランド王国はアスンシオン帝国と同盟を打診し、物資の援助が行われ、その返礼として、ローランドの姫が後宮に送られている。しかし、正式な軍事同盟の調印には達していない。

 調印が難航している理由は簡単である。ファルス、カンバーランド側からも、同様の似た打診が来ているのである。

 ファルス側の主張は次の通りだ。

 ファルス・カンバーランド両国は、ハイランドに対して領土的侵略意欲はない。また、アスンシオンに敵対する意図はなく、今回の戦乱に際して、ローランドを援ける無意味さを説く。さらに、アスンシオンがローランドに対して行った支援額の倍額の資金をアスンシオンに対して提供する。と、交渉してきたのである。

 アスンシオンの立場としては、隣国ではないローランドを救援しても負担ばかりで旨味はなく、かつ、ファルスとカンバーランドをわざわざ敵対して兵馬を浪費する意味もない。同盟国のハイランドさえ守れていれば、同盟国に対する国際信義は守れる上に、これらの国からの大きな金銭の提案は極めて現実的で魅力的な提案だった。

 もっとも、ファルスとカンバーランドがこのような大胆な交渉に乗り出したのは、エルミナがハイランド・ローランド側に立って参戦したからである。むしろエルミナの隣国であるアスンシオンを味方につけておきたいという魂胆が見え透いている。

 アスンシオン国内では、この正式な提案に対してむしろファルス・カンバーランド側と同盟してエルミナを挟撃し、3年前のバイコヌール戦役の屈辱を取り除かんという主張も見られている。


 カザン公に呼び出され、強く叱責された後、マトロソヴァ伯とローザリア卿は、ハイランド王都の酒場で密かに落ちあった。


「ランスロット、貴卿に賛同して我が師団の法兵隊にも休暇をとらせたが、カザン公の指摘にも理解できる部分がある。私も、ファルスやカンバーランドをむやみに敵にするような行動は国益に反することだと思う」


 マトロソヴァ伯は、ハイランドのビアガーデンでトマトジュースのジョッキを片手に述べる。彼は、妹と同じでやはりトマトが大好きなようである。


「仕方がありませんな。それでは休暇を出した兵士達には、帰隊を命じましょう。ただし、除隊を申し出る者達がいても理由を問わないということでどうでしょうか」


 ローザリア卿は、外国に滞在していることをいいことに、マキナ教では禁止されているワインを飲んでいた。


「しかし、貴卿がそこまで強い意志があるとは思わなかったぞ。確かに援軍として出陣した我々の立場として、ローランドを支援したい気持ちは分かる。しかし、現在の情勢を見ればそれを強行する事が必ずしも正しい得策とは思えない。貴卿はそこまで冷静さを欠く男ではあるまい」


 一気にトマトジュースのジョッキを飲み干して、問い質す。


「我が配下に、ローランド支援の必要性を強く説く者がいましてね。これがたいへん聡明な男で、その男の言う意見は常に的を得ている。彼は自ら除隊して、独自に傭兵団を作りローランドを支援すると言っています」

「ほう、そんなに優秀な男がいるのか。それは是非、私も会ってみたいものだ」

「見た目は冴えない姿ですよ。集団にいても絶対に目立たないタイプです」


 ローザリア卿はワイングラスを傾けながら話を続ける。


「その男が言うには『現在の情勢をみればローランドを積極的に支援することは敵を増やすだけに見える。しかし、未来の情勢を見れば、ローランド支援をしなければ、確実に味方を失う』と説いています」

「その理由は?」

「『勇気の剣は未来を拓く』からだそうです」

「勇気の剣? 挑戦心のことか?」

「つまり、無関係の第三者を見捨てるような者は、今後、自分達に火の粉が降りかからない限り、また同じ行動しかとる事ができない。その者の勇気の限界を見破られると、もう、その者の行動できる範囲は、知恵者によって想定の範囲内に計算されてしまうのだそうですよ」

「……つまり、ここで我々が救援の行動を起こさないならば、もう二度と我々はその枠から抜け出せないということか?」

「はい」


 マトロソヴァ伯は、それでも疑問に思っていた。

 彼とて勇敢な武人である。自国を守るためには、命を賭して戦う覚悟がある。だが、この戦いで命を賭す覚悟があるかと聞かれれば、そのような勇気はない。彼の理性は、そのような行為を無謀だと判断している。

 だが、ローザリア卿が言うには、自らに火の粉を降りかけない敵を打ち倒し、それによって困っている者を救う、それこそが心に剣を持ち未来を見ている者の勇気なのだという。


 こうして、数日後までに、第4師団と第13師団の中から合計4000人の除隊者が出た。彼らは独自にローランド救援の傭兵団を結成し、新たに編成された増援のハイランド軍と共に南進を開始している。

 それと同時に、フェルガナに駐留するカザン公は、ハイランド・ローランドから要請のあった、帝国軍の最前線への移動を正式に拒否した。


****************************************


 後宮医務棟の診察室では正妃アンセムが上半身裸になって診察台の上で横になっていた。


「うーん…… 乳を吸われるというのはこういう感触なのか」


 妊娠9カ月に入ると、エリーゼの身体は母乳が出るようになった。以前から、アンセムは胸が張る症状が出ていたが、当然のごとく放置していたところ、医務棟の検査で露見してしまい、乳管開通の処置をされたのである。

 アンセムの精神は完全に男の発想である。男の彼にとって「乳は吸うもの」いう発想しかない。だから、自分の身体に溜まったエリーゼの母乳も自分で吸って解決しようとしたが、いくら口を伸ばしても自分で自分の胸の乳を直接吸う事は出来ない。結局、ナース長のユニティによって、搾乳器をつけられてしまったのである。


「あぁ、面倒だ……」


 アンセムは節制だけでなく、妊娠中の様々な面倒な事の処置も強いられ、正直言って辟易していた。最初は搾乳も面白がっていたが、それが毎日、そして朝夕と徐々に回数が増えると、単に負担にしか感じなくなる。

 普通の女性なら、腹の子が動いたとか、蹴ったとか、胎児の成長をその身で感じて幸福感を感じるのだろう。

 しかし、男の彼は、そういう事を幸せだと喜ぶ発想がない。残念ながらアンセムは、身体がそのような状態になっても、それを喜ぶ構造に変化はしなかった。


 医務棟で夜の搾乳の処置が終わった後、アンセムは正妃館に戻ろうとしていた際、ローランドの妃サーラマが侍女達を引き連れて訪ねて来ていた。


「ごきげんよう、正妃様。ご挨拶が遅れて申し訳ありません」

「ごきげんよう、サーラマ様」


 サーラマは3人の侍女を連れている。アンセムは彼女達に最初に会った時にも同様の感想を持ったが、ローランド族の女性が持つ胸の大きさには、男心に興奮せずにはいられない。


 ローランド族は、南方系のカマラ系と呼ばれる血筋が色濃く出ている種族である。

 カマラ系の特徴は、大まかに言えば健康的で生命力に溢れるのが特徴である。そして、女性の特徴として際立つのは、なんといっても胸が大きい事だ。

 伝承では、カマラ系種族が、女神メディアより授かった“メディアの加護”によるものだという。

 女神メディアは母を守護する女神と讃えられている。この子孫と言われるカマラ系種族の一部の娘は、思春期を過ぎると母にならなくても常に母乳が出るという。

 この“メディアの加護”で得られた母乳には単純に成長に必要な栄養素というだけでなく、疲労回復、様々な病気を治療する力や病気に対する抵抗力、心を平静に保つ力がある。

 もっとも、種族分類学者が指摘するには、これは通常の母乳にも備えられた標準的な力であり、“メディアの加護”はそれが大幅に強化されているだけ、と評価している。カマラ系種族の胸が大きいのは、その能力の副産物に過ぎないらしい。

 この“メディアの加護”の重要な点は、母親がその採取した栄養より大きなエネルギーを持つ母乳を大量に作りだすことができるという点である。魔法物理学者は、栄養素の合成に高エネルギー物質(マテリア)が作用していると研究している。

 だから、カマラ系種族が暮らすローランドやカンバーランド、その南のリンガーランドでは、普通に“メディアの加護”で産出された母乳が商店で売られており、牛の乳などと同様の値段で取引されている。

 カマラ系種族は極めて俗世的な文化を持っており、雑多な遺伝子に呑み込まれ複数の種族に分かれて、どんどん失われていった。“メディアの加護”を受け継ぐ遺伝子は拡散してしまい、今では一部のカマラ系種族しか受け継がれていない。


 サーラマの連れている3人の侍女を見ると、その3人とも髪の毛がピンク色をしている。ピンク色の髪の毛はスジャータ族の特徴である。

 ローランド、カンバーランド、リンガーランドのカマラ系種族には、その傘下に様々な藩王国と呼ばれる小国が乱立しており、その藩王国ごとに別々の種族が住んでいる。スジャータ族はローランド傘下の藩王国のひとつ。女神メディアの名を冠するメディア族と関連が深い“メディアの加護”を強く子孫に残す純潔主義の種族である。


「正妃様は間もなく、母親になられる御身。ぜひとも我がメディアの力と知恵をご覧にいただきたいと思いまして、お伺いしました」


 サーラマは頭を下げる。


「それはそれは…… ぜひぜひご教示お願いいたいと思います」


 アンセムは彼女達をさっそく正妃館に案内し、サーラマとその侍女達の接待を受けた。しかし、アンセムの周辺にいる侍女のマイラと愛人のメトネはあからさまに冷たい軽蔑した視線を送っている。


「お嬢様、鼻の下がすごく伸びています……」

「アンセムったら、そんなにデカい乳が好きなの……」


 かつて、アンセムの親友は「おっぱいの嫌いな男はいない。人類の歴史があと何百万年続こうと、それは永久に変わらない」と断言した。そしてアンセムもそれを支持している。


 種族分類学者はこう説明する。通常の哺乳類の雌は、雄に対し自らの発情を示す際、性的興奮を促すために臀部、つまり尻を見せる。ところが人間種は直立二足歩行をすることになったため、それができなくなった。その代替として、女性の胸が、尻の代わりに男性の性的興奮を呼び起こす性的アピールポイントとして利用されるようになったという。


 アンセムの妻マリアンと、侍女のパリスは微笑みながら彼女達の来訪を受け入れ、ラグナ族やテーベ族の小料理などを振る舞って、歓迎する意向を示している。

 アンセムは、不満気なマイラとメトネに対して「君達は心が狭い。女神メディアのような深い母の慈愛の心を持たないとダメだな」などと自分勝手な主張を押し付けた。


挿絵(By みてみん)

 ローランドから来た妃サーラマと3人のスジャータ族の侍女は、アンセムを取り囲むようにして、接待を繰り返した。それはまるでナイトクラブのような状態である。

 サーラマは、“メディアの加護”を持つ乳飲料にも様々な種類があり、その効能の違いを説明している。まるで健康食品を勧めるような優れたセールストークで、アンセムに巧みに迫っていった。

 もっとも、いくら彼女達の胸が大きくて、性的アピールが強くても、アンセムの身体にはそれに反応するような男性の部分はどこにもない。

 そのため、サーラマ達の接待攻勢は長く続いた。


「そろそろ夜も更けてきたし、今日はこれまでにしよう」


 時間を忘れて歓談するアンセムであったが、さすがに時刻が日付を替わる頃になると疲れを見せる。


「アンセム様…… カスタルから、中身は殿方だと聞いております。よろしければ、メディアの力を直接、貴方様に捧げたいと思います。ぜひ私達を今晩、貴方様の寝所にお連れくださいませ」

「え……」


 アンセムは突然の据え膳の提案に、キョロキョロと周囲を見回す。既にメトネやマイラは呆れて立ち去っている。マリアンは疲れて傍で寝ており、侍女のパリスは傍にいるが、主人に忠実なテーベ族の彼女はアンセムが何をしようと絶対に否定したりしない。


 彼は完全にサーラマの持つ話術に呑まれて有頂天になっていた。

 そして、アンセムは気が付かなかったが、この時に飲まされた“メディアの加護”を持つ乳飲料には、そういう精神状態を増長させる効果が含まれているものを選んであった。もっとも、もう一方の仕込みである、男性の肉体に作用するような篭絡成分はエリーゼの身体には無効であったが。

 彼女達に誘われるまま、アンセムは導かれ、サーラマ達を寝所に誘う。


 この時のアンセムには、きっと男としては立つ瀬があったのだろう。しかし、女として極めて重要なものを奪われるとは、まったく気がつかなかったのである。


****************************************


 翌日、アンセムは久々に、心地よい朝を迎えた。上半身を起こし、伸びをすると、まだ覚醒していない状態で、まずは朝起きたらいつもする行動に移る。

 早速、トイレの前で立ち、いつものように股間を探すが、何も見つからない。さすがに、この状態にはもう慣れており、パンティーを下げてくるりと一回転して便座に座る。

 しかし、今日は身体がやけに軽く感じるので、違和感を覚えた。


「あれ、腹の重さが……」


 エリーゼの身体が着ていたマタニティの夜着はブカブカの状態で垂れ下がっており、昨日まで、彼の行動を妨げていた腹が凹んでいる。


「な、なんだこれは!?」


 慌てて、腹に触れてペタペタと抑える。エリーゼのウェストは妊娠前の状態に戻っており、そこにあるはずの腹の膨らみはなく、感じられるはずの胎児の鼓動もない。


「な、なんだこれはーー!」


 彼はもう一度、同じ言葉。悲鳴にも似た女性の甲高い声が正妃館に木霊した。


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