女帝1~諸国の論理②
「ハイランド王グンドールの娘、カスタルです」
「ローランド王アルジュナの娘、サーラマと申します」
後宮の大ホールで、皇帝に謁見する2人の娘がいた。2人とも南方系の王族らしく露出度の高いドレスに身を包み礼儀正しく挨拶をしている。
「アスンシオン、ハイランド両王家の為、陛下にお尽くしいたします」
「同じく、アスンシオン、ローランド両王家の為、身も心も皇帝陛下に捧げる所存です」
皇帝は2人の美姫を見ても不満気であったが、その隣に座る8カ月の子を宿す正妃は、男心を高鳴らせていた。
アスンシオンのハイランドに対する援軍に対して、ファルス、カンバーランド両国から介入に対する正式の抗議が来た。アスンシオン帝国はハイランド王国との同盟に基づくものだと説明したが、彼らは受け入れず、結局、ファルスとカンバーランドはアスンシオンへの態度を硬化させる。
そして、ローランドは、アスンシオンのハイランドへの援軍を反撃の好機と受け止め、アスンシオンとの軍事同盟を打診してきたのである。
結果、なし崩し的にハイランドとローランドの王家の娘が、アスンシオン帝国の後宮に嫁ぐことになった。
外交的担保、及び先鞭としての婚姻外交、これ自体は珍しい事ではない。だが珍しいのは、皇帝の子を宿す正妃の態度である。
「あの2人、おっぱいでかかったなぁー。さすがインディア地方のカマラ系の血脈だね」
会見の後、正妃アンセムの口からは、おおよそ8カ月の子を宿す皇帝の妃とは思えない発言が飛び出す。
「お嬢様。もうじき陛下のお子がお生まれになるのというのに、新しい妃のお胸が豊かな事を喜ぶなんて…… とても下品です」
侍女のマイラは、妊婦の正妃を軽蔑した視線で言う。
「アンセム様は、あの方々を側室に欲しいという事でしょうか? しかし彼女達は他国の姫君です。いくら正妃様の希望でもそれは難しいと思います」
正妃の妻、第1妃マリアン・デューク・テニアナロタが余りに真面目で冷静に発言するので、愛人の第21妃メトネ・バイコヌールはソファーに座りながら脚をバタバタと交差させて不満そうに言う。
「普通、妻なら夫の浮気を怒るハズなのに、マリアンったらなんにも不満を言わないんだもの。もっとアンセムを叱ってやってよ」
「私は、アンセム様のお傍にいられるだけで幸せです。それに殿方が、お胸の豊かな女性を愛人に欲しがるのは、妻として理解して差し上げないと」
マリアンの妻としての主張は極めて痛烈である。愛人のメトネが小柄で包容力がないと暗に主張しているのである。
「どうせあたしは胸がちっちゃいですよー、だっ」
メトネはさらに不満気な顔を強めていった。
しかし、実際、アリス族もラグナ族の諸派であり、小柄でもスタイルは相応に良い。
コンコン――
ノックする音がしたので、部屋にいた侍女のパリスが扉を開けると、戸口には噂の妃、ハイランド王の娘カスタルが立っていた。恥ずかしそうに顔を伏せて、頬を赤らめている。
「あ、あの。ハイランドから来ましたカスタルです。正妃様にご挨拶に伺いに参りました」
先程まで、その妃の胸の大きさの話題ばかりしていたので、正妃館にいる当事者達はなんだか恥ずかしくなり目を逸らしてしまう。
「これはお近づきの印に……」
カスタルの後ろに控えた侍女は、包にいれた粉末を差し出した。遠くにいても香りだけで辛そうな香辛料だとわかる。
「これはターメリックでしょうか」
パリスは受け取って確認する。
「カレー粉です。すいません、辛いスパイスは、ラグナ族の方々のお口に合わなかったでしょうか……」
ラグナ族は伝統的に甘党である。ハイランダー族もそうなのであるが、カマラ族系統の南方種族は辛党が多く、その血が混じるハイランダー族は辛党も多い。
「料理の際に、ぜひ利用させてもらいますわ」
料理も大の得意なパリスは喜んで受け取っている。
「いやぁ、私、カレー大好きですよ。カレーの嫌いな男なんて世界にいないです」
アンセムは脇から出て、男子らしくカレー好きだと主張する。その発言は半ば事実なのであるが、カスタルは正妃の発言にきょとんとした顔をしている。それを聞いていたメトネは釘を差した。
「ターメリックは、妊娠中の男の子のアンセムはたくさん食べちゃだめだよー、うふふ」
「くっ……」
「あ、ターメリックは妊娠中の奥方にはあまりよくないですね。申し訳ありません」
余りにも純真にカスタルが謝罪するので、マイラもメトネも可笑しくて、声を出して笑い始めた。
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カスタルは正妃館の応接室に招かれ、お茶とお菓子で出迎えられている。
「正妃様は皇帝陛下の寵愛を受けていらっしゃるとお聞きしておりますが……」
どうも、カスタルは巷の噂でアンセムが皇帝の寵妃と聞いて挨拶に来たらしい。
だが、アンセムはすぐに素性を自ら暴露し、2人の関係の真相を話す。すると、カスタルは急にクスクスと笑いだした。
「陛下とアンセム様は獅子の盟友のような関係なのですね」
「ライオンというと、猫を大きくした獣というやつか?」
「我が国の国旗に書かれた伝説の百獣の王です」
ハイランド王国の国旗には伝説の獣、ライオンが描かれていた。鬣を持つ大型の猫だという。
正妃の館に居候している猫、“しょぼん”は、その百獣の王の親類種とはとても思えないような間抜けで鈍重な姿をしている。
ライオンについては、アンセムも兵法学で聞いたことがある。
“一匹の羊に率いられた百匹のライオンよりも、一匹のライオンに率いられた百匹の羊の方が強い”これは統率の重要性を説いた喩えだ。
「他の国の伝承では、ライオンの雄は一匹で君臨し、多くの雌を従える優秀なリーダーの意味で捉えられますけど、実際は違うらしいのです」
確かにライオンの雄には、勇敢で孤独な獣の王、そういうイメージがある。
「ライオンは最強の獣ではないと?」
「ライオンの雄は2~3頭でチームを組んでいるのです。その雄同士は兄弟の場合もありますけれど、まったくの他人の場合もあります。でも、若い下積み時代から苦楽を共にした仲間、つまり盟友です」
「実際のライオンの雄は孤独な王ではないのか?」
「ライオンの盟友は生涯を共に過ごして、一緒にプライド(※ハーレムの一種)の雌を支配するのです。ライオンという種は、新しく支配したプライドに他の雄の子がいた場合は必ず殺してしまう程、他者の血を許さないのですが、盟友の子は血が繋がっていなくても自分の子として育てるのですよ」
「私と陛下が盟友か……」
カスタルの話を聞いてもアンセム自身はとてもそうは感じられなかった。
確かにバイコヌールで死んだ陛下の側近ならそういう立場なのかもしれない。しかし、アンセムの身体にはもう男の象徴がついていない。むしろ、雌のように陛下の子を孕んでいるわけである。
「しかし、その場合、盟友の仲間が死んだらどうするのだ? 新しい盟友を探すのか?」
「いいえ、昔から苦楽を共にした仲間というのは、新しくは得られないのです。盟友が死ねば敗者になるだけです。2対3ならまだ勝ち目はありますけど、1対2、1対3ではどんな力の強いライオンでも、もう自分のプライドを維持することはできません。孤独になったライオンは、どんなに単独で強くても、その地位を失い敗北する運命にある
のです」
「なるほど……」
陛下の苦楽を共にした盟友といえる存在は、バイコヌール戦役で死んだ。メイド長のティトはアンセムに陛下の相談役になれと言った。アンセムはその幼馴染の代わりにはなれないが、もしかしたらアンセムの女の身体はその隙間を、埋める事ができるのかもしれない。
カスタルは陽気なハイランダー族らしく、正妃館に遊びに来るプリンセスガードのソーラやタチアナ達と、いつの間にか仲良くなっていた。早速、一緒に撃ちっぱなしで弓の訓練をしたりして身体を動かし、流れ矢が飛んでくるかもしれないから危険だと言われ参加できないアンセムを悔しがらせたりしている。
「カスタル様は槍も上手いのよ。さすが武術が奨励されているハイランダー族よね」
ソーラの指摘は、暗にアンセムの剣が下手だといいたいという皮肉である。しかし、本当はアンセムだって身体を動かしたいのだ。
しかし、練習したくても妊娠していてはどうにもならない。女という種族は、武術に関して筋力や体格の違い以上に制限が多いと実感している。
ハイランド王国はハイランダー族が建国した国だ。ハイランダー族はラグナ族諸派のひとつであるが、南方のカマラ系のローランダー族の血も混じっており、より健康的で環境に強いといわれている。
兵士は大槍を主力にしたパイク兵が有名で、航空騎兵も優秀である。パミール高原などの天険に守られた防衛に有利な高原の国で、大陸の交易陸路の要衝にあり、商業も発達している。
アスンシオン帝国の主な構成種族であるラグナ族は多くがマキナ教徒であり、“啓蒙の法”により、酒類はほぼ禁止されている。これは、理性によって世界を蒙らす考え方であるから、理性を喪失させるアルコールの類は、悪魔の水として忌み嫌われているのである。
対してハイランダー族は、南方系の多神教トリム教徒が多い。マキナ教徒の文化と比較すると、一番の相違点は大変な酒好きである事だろう。彼らは、どんな食事にも酒類はつきもので、特にビール類を好み高原各所にビアガーデンが開かれている。ハイランド王国に赴任する外交官は、まずはその飲酒量に驚かせられるらしい。
後宮では、新しい妃達を迎えて女同士の和やかなお茶会が開かれていた。
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後宮での楽しい団欒とは対象的に、ハイランドの王都フェルガナでは前線のアスンシオン派遣部隊の消極的な行動に対して、とても険悪な雰囲気になっていた。
一見すると、ハイランド王国、ローランド王国が共にアスンシオン帝国と姻戚関係を結んだことで、三国の同盟関係は強化されたようにみえた。
だが、派遣軍司令官カザン公の日和見で煮え切らない態度は、ハイランド、ローランドの両国を失望させるに十分であった。
アスンシオン帝国軍は、ハイランドとローランドの国境、今ではその場所はファルス・カンバーランド連合軍の支配下にあるが、この最前線まで進出せず、王都フェルガナ付近に駐屯してまったく動かない。
ハイランドとローランドの両国は、前線に出るよう強く要請したが、カザン公は了承せず、前線から離れた遥か遠方で、治安維持と補給の援助を行うだけで、完全に傍観する姿勢をみせたのである。
「これが友邦に対する貴国の態度か!」
ローランドの駐ハイランド武官、チャクリー将軍はカザン公に激しく詰め寄った。ローランドの王都ベナレスとその周辺は、占領しているカンバーランド軍によって激しい略奪を受けているという。
「我々はローランドとはまだ正式な同盟関係にないし、これ以上の進軍は命令に反する。軍人であれば、国家の命令には完全に服するものだ」
カザン公はチャクリーの主張に対して毅然として答えた。だが、同席しているマトロソヴァ伯、ローザリア卿は、弱兵と侮られた事に対して明らかに身体を強ばらせている。
「チャクリー将軍、落ち着いてください。貴国が危急の要件であることは理解していますが、彼らにも彼らの事情があるのです」
ハイランドの将軍ガルシンは宥めていう。
「我がローランドでは、ラグナ族はハイランドのビアガーデンにビールを飲みに来たと噂しているが、それは承知しているのか」
チャクリー将軍の指摘は冷たく、そして痛烈である。
「我々も精一杯、政府に上申している。せめて国境地域まで進出し、その地域を守るハイランド軍と交替できる程度までは誠意を示したい」
マトロソヴァ伯が苦しそうに答える。
カザン公は、チャクリー将軍の無礼な指摘に対して、多少怒りの表情を見せたが、いつもの老獪な表情に戻ると、ローランドの将軍に対して冷たい言葉を述べた。
「チャクリー将軍は我々が何もしていないとおっしゃるが、我々は貴国に対して、魔法弾1万発。食糧20万トンの援助を決定している。貴殿の直ちに軍事的な支援を受けられないというご不満は理解できるが、これらの援助を我々の誠意と受け取られないのは、いかがなものかと存ずるが」
「……いや、帝国の援助には感謝している。貴国との同盟は我が主君も望むところ。カザン公、我が非礼を詫びさせてもらいたい」
チャクリーは、アスンシオンが行っている物的援助について示されると黙り、あわてて謝罪した。ローランド側としても、無用な軋轢は避けたい上に、大国アスンシオンからの援助は喉から手が出るほど欲しいのである。
会議ではその後、少なくとも表面上は和やかなムードで進んだ。具体的には、物的支援の輸送方法と、アスンシオン軍が前線への移動する上申について話し合われたのである。援助を受ける立場のハイランドとローランドは低姿勢にならざるを得ず、形式的には帝国に多大な敬意を示していた。
しかし、その社交辞令とは裏腹に、カザン公の高圧的な態度と日和見的な姿勢は、大きな恨みを買っているであろうことは、カザン公と共に援軍に来ていたマトロソヴァ伯、ローザリア卿は肌で感じている。
そして、アスンシオン帝国の欺瞞に満ちた態度とは裏腹に、西方のエルミナ王国は、ハイランド・ローランド側に立って参戦。
ファルス王国が本国に主力を留守にしている隙を突いて国境のヘラート川を突破し、国境地帯のエマーム、マシュハドの両要塞を包囲したという。
このエルミナ王国の実力行使による外交アピールは、ハイランド、ローランドの両国に強い印象を残し、両国はアスンシオン帝国よりもエルミナ王国を頼るように動き始めたのである。




