女帝1~諸国の論理①
帝国歴3016年5月――
陸軍省に設けられた臨時の政庁では、新しく任命された閣僚達によって激論が繰り広げられていた。
主題は、帝国南方における外交情勢の変化についてである。
ファルス王国はアスンシオン帝国からエルミナ王国を隔てた南西のイラン高原にある。
トルバドール族、リディア族、フルリ族らが集合した多種族国家で、他にも様々な種族を内包しており、それぞれ得意な技術に合わせた軽騎兵、法兵、航空騎兵、偵察兵を有する強力な軍事大国だ。
対してアスンシオン帝国から、ハイランド王国を隔てた南方のインディア地方には、R属のカマラ系種族の3国家が位置している。
アーリマン川流域に位置するアリハント族が基幹種族のカンバーランド王国、アグニ川流域に位置するローランダー族が基幹種族のローランド王国、デカン高原に位置するガネーシャ族が基幹種族のリンガーランド王国が鼎立していた。
ファルス王国は南東に位置するカンバーランド王国の援軍要請に答え、カイバル峠を越えて東進、ラホールの戦いでハイランド・ローランド連合軍を打ち破った。
ローランド軍は壊滅、さらに王都ベナレスは陥落し、ローランド王と政府は東方の山岳地帯へ逃れたという。
この周辺諸国の外交情勢の変化について、アスンシオン帝国政府で対応意見が分かれているのである。
「隣国のエルミナ王国は当該紛争に介入し、ハイランド・ローランドと同盟を結んでファルスを攻める体制にあるといいます。我々もエルミナに同調し、援軍を派遣するべきです」
そう主張したのは、帝国宰相ジリアス・デューク・テニアナロタである。
帝国政府にはラグナ族第一主義者が多い。先のイリ事変によりベース主義者、種族独立主義者の勢力が後退したため、その勢いはさらに増していた。
エルミナ王国はバイコヌール戦役で帝国と敵対関係にあったが、それでもエルミナ王国を形成するランス族は、ラグナ族と同種族であり、遺伝子的にも最も近いと言われ同族意識が強かった。
特に帝国で皇帝に継ぐ役職である宰相のテニアナロタ公は、かつてエルミナ王国の外交官を務めていた経緯もあり、こちらの情勢に明るく、エルミナ王国と共同した支援を主張する。
実際、テニアナロタ公がエルミナに強いコネクションがあったので、3年前のバイコヌール戦役は外交交渉による決着へと導く事が出来たのである。
「我が国の権益とは無関係なファルスへの遠征に、帝国陸軍は戦う意義を見出すことはできません。ましてやエルミナはバイコヌール戦役での敵、これと共同作戦など士気の面からみても難しいです」
そう主張したのは、参謀長のジャン・スミルノフである。自国に関係のない戦争に介入するべきではないという。彼の意見は尤であろう。
「だが、ハイランドは我らと攻守同盟を結んだ同盟国、これは救援しないわけにはいくまい」
新しく陸軍大臣に就任した老練名将ワリード・ヴィス・グリッペンベルグが発言する。彼は、齢60を越えた歴戦の猛者で、過去に陸軍大臣を経験しており、一度引退していた身だが、前任者がイリ事変で暗殺された事により、急遽再抜擢された。
「もちろん、同盟条約を結んだハイランドに敵が来れば救援するべきです。ただし、それはファルスがハイランドの国境を越えてから。敵はローランドの国境を侵してはいるが、ハイランド領内には踏み入れていません」
参謀長はあくまで、ハイランド領内に敵が入るまでは軍を出すべきではないと主張する。
「ハイランドとローランドの両国は過去に同君連合にもなった馴染みの深い同盟国だ。ハイランドはローランドに大規模な援軍を出しているのだから、ハイランドと同盟する我らもローランドを支援する義務があるのではないでしょうか?」
そう発言したのは、第4師団長のロウディル・コンテ・マトロソヴァである。
「ローランドと我が国は経済的な外交関係のみで、軍事的な同盟関係にありません。条約上は支援する義務はありませんな」
外務大臣のセルバ・デューク・ニコリスコエは、同盟国の同盟国であるローランドの支援義務はないと主張している。
これらの意見を聞いていた皇帝リュドミルは、その白熱する議論に結論を出せずに、その議論を翌日までの保留とした。
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皇帝は、後宮に帰宅するとすぐに自室に正妃アンセムを呼び、今日の議論について意見を求めた。既にアンセムの腹の子は7ヶ月を迎えている。
「アンセム、どうすればいいのだろうか?」
「陛下、外交情勢については、確定した路線に定める事は我々の手を狭めることになるかと思います。流動的な外交を心掛けるために、まずはハイランドに対して援軍を派遣しつつ、情勢をみて柔軟に対応するべきかと思います」
アンセムは自分の意見を主張していて思った。自分の方針も極めて曖昧で抽象的なものだったからである。
だが、これは仕方のないことのように思える。
外交の世界では、どこかをはっきり味方だと言えば、どこかがはっきりと敵になる。敵味方と塗り分けて物事に白黒をつけるやり方だけが正解ではないだろう。
アスンシオン帝国にとって、エルミナもハイランドもローランドもカンバーランドもファルスも、彼らと関わって無駄な血など流したくない。
きっと、常に話題に結論を求めるような男の世界のやり方は、外交では上手くないのかもしれない。
その意見を聞いて、この優柔不断な皇帝はさっそく納得した。
アンセムは正直言って辟易していた。男なのに妊娠中の節制をしなければならないという事実もそうであるが、皇帝が重要な決断の際にアンセムに意見と同意を求めるという点にである。
これでは、皇帝を篭絡し国を滅ぼした、東方の国に伝わる古の傾国の美女と同じはないか。
そして皇帝は、なんでもアンセムに相談する割に、彼が他の妃を抱くように促しても同意しない。
だが、メイド長のティトに皇帝の相談役になって欲しいと言われたからには、皇帝の相談相手として話に乗らないわけにはいかない。だから、彼はあくまで臣下の1人として意見を述べることにしていた。
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翌日、皇帝は閣議の席で外交方針を決定する。
「ハイランド王国は我が友邦であり、イリ事変でも1個師団の提供を受けている。ファルス・カンバーランド連合軍は、未だハイランドの国境を越えていないとはいえ、抑止力として、ハイランドを救援することは我らの同盟者としての義務だと考える」
皇帝のその意見には、重臣達全員が同意する。
「それでは、ローランドはどうしますか? 王都が陥落し、早急な支援が必要と考えますが」
外務大臣のニコリスコエ公は皇帝に質問した。
「まず、ハイランド・ローランドとファルス・カンバーランドに対して停戦を斡旋する。停戦が叶わない場合は、ローランドに対して条件次第での同盟を打診する」
皇帝は返答した。つまり、流動的で曖昧に、今後の情勢次第で対応するということである。
「エルミナは積極的にハイランド・ローランド連合に力を貸すように動いています。エルミナの5倍の国土と3倍の戦力を持つ我が国が、エルミナよりも外交的信義で出遅れてもよろしいのでしょうか?」
宰相のテニアナロタ公もなかなか下がらない。彼の言うことも一理ある。
「エルミナとの関係は保留とする。すぐに結論を出すことが得策とは思えない」
それでもテニアナロタ公は不満気だったが、皇帝の決定に対してそれ以上の異議は申し立てしなかった。
そして、その後の閣議決定により、ハイランドに対して具体的な物資や資金、食糧の援助が決定される。これには量的な問題こそ議論になったが、反論はなかった。
スミルノフ参謀長は、持論がほぼ主張通りになったことに満足し、さっそく陸軍と協議してイリ方面の第4師団と増援の第13師団の合計40000の兵力を基幹とするハイランド派遣軍を編成した。
派遣軍総司令官は、帝国七公爵家のウィンズ・デューク・カザンが任命され、師団長にはイリ事変において皇帝軍として活躍した2名、ロウディル・コンテ・マトロソヴァの第4師団、そして追加の兵力として皇帝の信任が厚いランスロット・リッツ・ローザリアが第13師団長に新たに任命された。
マトロソヴァ伯は第16妃レニー・コンテ・マトロソヴァの兄で、ローザリア卿は第38妃アンネ・リッツ・ローザリアの弟、まだ若干18歳の新鋭である。
援軍派遣前に、スミルノフ参謀長は、カザン公、マトロソヴァ伯、ローザリア卿を呼びよせて、その方針を伝えた。
「今回の援軍の派遣はあくまで抑止目的である。よって将軍達はハイランド領内に入っても、進んで敵と戦ってはならない」
スミルノフの発言に、ローザリア卿はあからさまに不満な顔をして述べた。
ローザリア卿は美人の姉に似て美男子であった。それが美形の顔を顰めさせ、熱意ある態度で反論する。
「我々は友邦を助けんがため、ハイランドに向かうのではないのですか? それなのに、戦ってはならんとはどういうことでしょう」
「今回の戦争は余所の国の戦争だ。どちらが勝っても、どちらが負けても我々には関係が無い。我々の戦力が傷つかず、我が国が果たす程度の義理が果たせればそれでいい」
「しかし!」
それでも若いローザリア卿は食い下がる。
「まぁまぁ、参謀長の意見はもっともなことだ。将兵は陛下の賜り物、我が国と無関係な戦で失うようなことがあってはならないだろう」
老獪なカザン公はローザリア卿を宥めていった。
それでも、ローザリア卿は納得していない様子で、不満気に敬礼すると退出して行った。
「あの小僧め。姉が後宮に参内し、自身も先のイリ事変で少し手柄を立てたからといって、つけ上がりおって」
スミルノフ参謀長は愚痴を述べる。かといって、彼の第13師団長の選抜は皇帝直々の人事である。更迭することはできない。
「若いうちはあれぐらい血気盛んな方が良いのです。それに彼は激高しているようで意外に冷静な視野の持ち主なのですよ」
マトロソヴァ伯は、ローザリア卿と同じく妹を後宮に入宮させている。彼の妹レニーは、イリ事変で妃でありながら法兵として活躍し、皇帝から直々に勲章を授与されている。その活躍を、スミルノフ参謀は傍で直に見ているのである。
「いや、これは失礼した。マトロソヴァ伯の事を言ったわけではない」
スミルノフ参謀長はあわてて取り繕う。
「ハイランドの夏は涼しくて良い。我々はゆっくりと将兵を休ませながら進むとしますよ」
ハイランド派遣軍総司令官のカザン公は極めて楽観的な発言をしている。その発言を聞いて、マトロソヴァ伯は酷く不安になった。
確かに、参謀長の意見は的を得ている。自国と関係のない戦で将兵を失うべきではないだろう。だが、国家としての同盟の信義を失うわけにもいかないから、とりあえず同盟国のハイランドを支援する。なるほど、外交方針としては妥当である。識者からすれば賢明と言われるかもしれない。
だが、まったく戦う気が無い状態での援軍というのは、本当は極めて危険な行為、信義を失う行為なのではないだろうか?
その場凌ぎの場当たり的な対応は、何かもっと大きなものを失う前触れではないかと、不安に思わずにはいられない。
ハイランドへの援軍派遣は時期を逸してはならないと、数日のうちに帝都を進発した。
同時に帝国の外交窓口の戦いも激化する事になる。




